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めくるめく世界の果て  作者: ゆうひかんな


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名もなき女と、リシャール


「彼はこのような作品をどうして作ったのか」

「たとえば名もなき一人の女性へ捧げるために、でしょうか」


私は鑑定書と共に添付した写真を指す。

それは収められていた箱の一つに残されていたメッセージを撮影したものだった。


愛する君に、我が薔薇を捧ぐ。


飾り気のないカードへ綴られたメッセージ。

鑑定など必要ない、間違いなくリシャールが書いたものだ。


『本物は上手く育てられないから、代わりに薔薇を描くんだ』


追い出されるようにして家を出た私がたどり着いたのは、芸術家の卵達が多く住む集合住宅だった。

近所には服飾を生業とする人も多く住んでいて、下請けのような仕事だが需要があるからと紹介された。

その集合住宅で隣の部屋に住んでいたのがリシャールだ。

絵付師の息子であった彼は、若い頃から絵の才能を認められていたという。

熱心な愛好家もいて、彼の描いた薔薇からは本物の芳しい香りがすると評されていた。

そんな彼は成長するに従い、陶磁器そのものも興味を示すようになり工房に弟子入りして腕を磨く。

資金を貯めて独立した今は、陶器職人として名を知られるようになったのだ。

若くして才能を認められた彼ならば、もっといい場所に住むことができただろう。

それでも彼がこの場所にこだわったのは、美しい薔薇の咲く庭があるから。

部屋の窓から写生する彼の背中を見つけた日、手元にある絵を見て、一瞬にして才能に魂が奪われた。

そこに偶然が重なって、ベランダ越しに会話を交わすようになる。

やがて私の誕生日と生誕祭の日に食事や贈り物を交換する親しい友人と呼べるような関係になった。

そのときに贈られたのが、ここにある薔薇の描かれたティーカップとソーサーだ。

一人暮らしのがらんとした食器棚に色鮮やかな薔薇が咲き乱れる。

彼こそ才能の塊のような人、芸術の神が遣わした愛し子だった。

そして迎えた五度目の春。

満開の薔薇が見守る中、リシャールは私の前にひざまずいた。

緊張した面持ちで、私の指先に口づけを落とす。


「結婚してほしい」


呆然とした私は、ただ目を見開くことしかできなかった。

美しいわけでもない凡庸な自分と才能豊かな芸術家、全く釣り合わないと思った。


「……どうして私を?」

「君といる時間が幸せだからだよ」


静寂すら愛おしいと彼は答えた。

そして返事は急がなくていい、いつまででも待つとまで言ってくれたのだ。

ただ正直なところ、このときの私は自分が彼を愛しているかわからなかった。

愛を失った記憶しかない私が、女として愛されるなんて欠片も想像もしたことがなかったからだ。

リシャールに対しては隣人愛のようなものはあると思う、でも今はそれだけ。


ただその一方で、次の人生こそ素敵な男性を愛し愛されたいという願いが成就する瞬間は目の前にあった。


ならば、臆することなくこの手をとってしまえばいい。

今は友人でも、素敵な彼のことをいつか愛するようになるはず。

それなのに……脳裏にはクラウス様の影が浮かんで、(のろ)いのことが過ぎった。

もしクラウス=アンダーソンの魂を引き継ぐ者に出会ってしまったら望まずとも脇役は死んでしまうのだ。

命を奪われるのが自分だけならいい。でも私の知る運命は脇役に残酷だった。


もし彼を巻き込んだら?


神に愛された彼を志半ばで死なせるわけにはいかない。

はいと、言いかけた台詞を無理矢理飲み込む。

でもいいえとは、どうしても言えなくて……。

ずるい私は微笑みを浮かべ、ただ首を振った。

そして胸の内で彼が他の女性を愛するまで、このまま夢を見させて欲しいと願った。

 

断られたと知って、悲しみに歪む彼の顔。

それでも優しい彼は、もう一度いつまででも待つと答えてくれた。


そこから共に過ごして、さらに五度の春を重ねた。

相変わらず私の隣には寄り添うようにリシャールがいた。

今年も変わらない満開の薔薇を二人並んで窓から眺める。

やがて管理人から客人がきたと教えられた彼は、誰だろうと首をかしげながら部屋を出て行った。


ぽつんと一人、静寂の支配する部屋へ取り残される。


リシャールと出会って十年経った。

クラウス様の影から逃げて隠れるように生きて十年も過ぎたのだ。

十分に待ったし、これ以上ないほどにリシャールを待たせた。


もう逃げ切ったのではないだろうか?

ここまで出会うことがなかったのだ、彼は見知らぬ場所で別の人生を歩んでいるに違いない。

彼が幸せならば、私だって幸せになってもいいでしょう? 

浮かび上がったクラウス様の影を無理矢理押さえ込む。


今思えば、このときの私は欲が出たのだ。

静かな愛を捧げてくれたリシャールに、ずっとそばにいて欲しいと願った。

色々な繋がりを捨てた代わりに、せめて彼だけは私だけのものにしたいと浅はかにも望んでしまったのだ。


さようなら、クラウス様。

もうあなたの影を追うのはやめて、今度こそ幸せになります。

思い描いていたような結末とは違うけれど愛されるという願いが叶うなら、それで充分。

愛に包まれていれば、いつしか彼らよりもリシャールを愛するようになるだろう。

だから、これでいい。


リシャールを受け入れる覚悟を決めた私は、今すぐ彼に思いを伝えようとした。

離れている一秒でも惜しかった私は、甘い未来に思いをはせ、弾むような足取りで彼の部屋の扉を開ける。


「リシャール……! っと、ごめんなさい、お客様がいらしてたわね」

「いや、大丈夫だよ十年ぶりに姉が会いに来ただけだから」

「……え、リシャールのお姉さん?」

「ようやく会えたわね! リシャールったら、こんな可愛らしい彼女がいたなんてちっとも知らなかったわ」

「まだ彼女じゃないよ。それに姉さん、自分のことばかりで僕の話なんて興味ないじゃない」

「そんなことないわ、こうして十年ぶりに国を跨いで遊びに来るくらいは興味があるわよ。ああ、自己紹介するわね! 私はリシャールの姉よ。そしてあそこに隠れているのが娘たち」


視線の先にいるのは、かわいい女の子が二人。

父親らしき男性の足元に隠れたまま、小さくこちらに手を振った。

愛らしい仕草に、自然と笑顔が浮かんで手を振りかえす。

そして何気なく視界に入った男性の背中が、見慣れた誰かものと重なって心臓が嫌な音を立てた。

リシャールのお姉さんの視線が、その背中を慈しむように見つめている。


「それで彼が私の旦那様よ」


体の芯から凍りついた。

心臓の音がうるさく響く。

リシャールのお姉さんの声がどこか遠いところから響いているみたいだ。

振り向いたその人は足元に子供達をまとわりつかせたまま、柔らかい笑みを浮かべて手を差し出した。

その穏やかな微笑みが、記憶の奥にある()()のものと寸分違わず重なる。


嘘よ、こんなことって……。


「はじめまして、リシャールの義理の兄だ」

「……!」


私は呆然としたまま言葉を失い立ち尽くした。

彼は端正な顔立ちに、訝しげな表情を浮かべる。


「……あれ、もしかしてどこかで会ったことがあるかな? 君とは初めてあった気がしないよ」

「あら、人の顔を覚えるのが得意なあなたが珍しいわね?」

「うーん、リシャールからずっと彼女とのことを相談されていたせいかな?」

「って、義兄さん! こんなところで暴露しなくてもいいでしょう! 僕のことをからかって、恥ずかしいなあ、もう!」


慌てたようなリシャールの声、それと重なるように笑い声が響く。

リシャールを中心とした家族の触れ合いは完成された絵画のようだった。

……眩しくて、涙が出てしまいそう。

そこに私の溶け込む隙間なんてなかった。


なんだ、リシャールも主役だったのね。


彼の捧げる静かな愛に目が眩んで、自分と同じ立場にいるものと勘違いしてしまった。

思えば彼は若くして才能を認められた芸術家であり、家族にもこれほど深く愛された弟なのだ。

才能もなく家族にも愛されない私とは、何もかもが違う。

空気を壊さぬようすぐさま踵を返して、ひっそりとリシャールの部屋をあとにした。

冷え切った自室の扉を閉めて崩れるように寄りかかる。


リシャールは、追いかけてきてもくれなかったわ。

ほんの少しだけ期待してしまった自分の浅ましさを嘲笑う。


ギチギチと鎖のような何かが強く私を私を縛った。

……もう、それほど時間が残されていないみたいね。

繰り返してきた人生が、嫌でも死の足音を教えてくれる。

薔薇に彩られながらリシャールと過ごした色鮮やかな思い出が脳裏を過った。

そして、それを上書きするように黒々とした彼の背中が瞼の裏に浮かぶ。

涙が次々と浮かんでは落ちる。


どうして最後になって邪魔をするのよ、あなたがいなくても幸せになったっていいじゃない! 


ついに幕が降りてしまった。

これでもう、出番を終えた脇役は退場しなくてはならない。


こんな笑えない結末ってある?

だって全く知らなかったのよ、十年前に家を出た彼の姉が国外で結婚しているなんて。

それに誰が想像できるの?

彼の義兄となった人が、クラウス=アンダーソンの魂を引き継ぐ者だったという結末を。


リシャールとの出会いが、私の破滅への序曲。

彼の描いた薔薇が私の墓標へ捧げる献花だなんて、当時の私は思いもしなかったのだ。


 

「……どうした、イライザ?」

「失礼しました。少々考えをまとめていたのです」


クラウスさんの囁く声が四度目の人生から今世へと意識を引き戻す。


四度目の人生は、この出会いから数日後に幕を下ろした。

私の死をリシャールがどう受け止めたのか、ティーカップとソーサーがどのような運命をたどったのか……今世をイライザとして生きる私に知る術はない。

だから一周回って手元に戻ってきたようなこの茶器を、どう扱うか最後まで悩んだ。

手をつけずに取っておいて、商会を退職するときの退職金代わりに貰い受けることも考えた。

けれど結局は最後まで一緒にいられないのよね。

私が死ねばまた、どこかの商会で死に在庫に戻るかもしれないと思うと胸が痛む。


手放したとしても愛が枯れるわけじゃない。


自己満足のために打ち壊すなんて美への冒涜、歴史の損失だ。

それならば末永く大切にしてくれる人達の手元で大切に使ってもらいたい。

それだけの価値がこの作品にはあるのだから。

私が生きているうちに、大切にしてくれる誰かに託そう。

目の前で繰り広げられる駆け引きは、そのための布石。

意識とともに視線を戻せば私の提示した資料をめくる真剣な顔が並ぶ。

商会長が、資料の一つに目を止めた。


「市場の動向も資料に添えたのだね、この意味は?」

「大衆の嗜好が流行や大量生産品から、個性ある限定品や希少品といった数量の少ないものを求める傾向に移りつつあることをご理解いただければと思い、添付いたしました」

「なるほど。君の推す品は希少である一方で、薔薇という人気の(がら)でもある。少なくとも売れ残ることはないということか」

「はい、大量の売れ残りを余剰在庫として持ち続けることもありません」


彼女は顔を顰め、在庫の管理を任されている財務部長が大きくうなずいた。

彼女の推す商品は爆発的に売れるけれど、流行が沈静化すると途端に売れなくなるそうだ。

残った在庫を販促するのが大変なのだとマリッサ先輩が教えてくれた。

上層部は特に余剰在庫の処分には頭を痛めていたのだろう。

商いにおいてどこまで在庫を絞ることができるかは、いつの時代も変わらず課題の一つ。

一時的な流行が過ぎて売り物にならなくなるような在庫を持ち続けるなんて、もってのほか。

そのためには、どのくらい売れるかという見込みや裏付けが必要であり、それを踏まえて在庫数を考える。


売れるだけではダメなのだ、それが利益とならなければ。

彼女は唇を噛み、悔しそうな表情で私の資料を眺めていた。

舐めてかかって手間を省くから恥をかくのよ。

商会長が沈黙を破った。


「天才と呼ばれたリシャール=ボネの未発表の作品、ティーカップとソーサーのセット。彼の知名度は低いが今でも熱心な蒐集家がいるし、なにより恋人に贈ったという背景もある。これなら間違いなく売れるだろう」


自分でもこの商品は間違いなく売れると思う、でも……。

商会長は厳しい表情で、最後にこう付け加える。


「だが、足りない」


出会った瞬間に終わっていた四回目の人生はこんなお話でした。

悲恋というには物足りませんが、お楽しみいただけると嬉しいです。

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