イライザ、俺を選んでよ
「じゃ、またね!」
支店長はクラウスさんの視線が突き刺さるのもかまわずに、にっこりと微笑む。
支店長は軽く手を振って、いつもの気の弱そうな表情を被り直すと倉庫から出て行った。
こんな人だったのかと、私は深々とため息をついた。
気まずい雰囲気が漂う中、クラウスさんと二人で倉庫に取り残される。
「なんというか……」
「うん、毎度ながら嵐のような人だよね。後始末する人間の苦労なんかこれっぽっちも考えてない」
クラウスさんは憮然とした表情で支店長の出て行った先の空間を見つめている。
毎度こんな感じだとしたら、相当苦労していそうだ。
とはいえ、後始末要員に指名されたとすれば明日は我が身。
嫌な予感ほど当たるものだと、つくづく思った。
「……支店長の言葉、気になる?」
沈黙に、ポツンと落ちたクラウスさんの声で現実へと引き戻される。
きょとんとした顔で一つ瞬いて、視線を彼に合わせると彼はどこか落ち込んだような表情をしていた。
「もっと広い世界を見たいとか……」
「そのことでしたら、全く気になりませんよ?」
なんだ、そっちのことか。
クラウスさんは驚いた顔をして目を見張る。
「支店長は、クラウスさんが見せる世界はキラキラだの夢だのと失礼なことばかり言っていましたけど、そんなことはありません。現実世界だって、しっかりとクラウスさんに支えてもらっています。今回の件だってクラウスさん以外は誰も助けてはくれませんでした。それを終わったあとから、実はこういう事情があってと言われても言い訳ですし心は動きませんよ。たしかに支店長のおっしゃることに面白いと思う部分もありますけれど、今後私がどんな生き方を選択するかについては想像の域を出ませんし、私が自由であるべきなんていうのは根拠のない理想論です。現実を生きる以上は私も働かなくては暮らせませんし、自由のために全てを捨てられるほど破天荒な生き方を望んでいるわけでもありません」
支店長の言葉は第二王子殿下のものとよく似ている。
現実と理想の隔たりが大きくて上手く噛み合っていないのだ。
そしてそれを噛み合わせるために、他者の助力を必要とする。
たとえば殿下にはアレクシス様、支店長には後始末要員であるクラウスさんが必要とされるように。
まあ無駄に権力を振り回さないぶん、支店長のほうがマシだと思うけどね。
どちらも自分の立場と言葉が他者の生命線すら奪う力があることを、もっと学ぶべきではないだろうか。
クラウスさんは、ふと苦笑いを浮かべる。
「イライザって、ときどき新人とは思えない至極現実的な発言をするよね」
「……そうですか? ええと、たぶん気のせいだと思いますよ?」
台詞が堅実すぎたらしい。
そうだよね。
夢に夢を見るような年頃なのだから、表面的に受け取って、褒められたとか浮かれていいはずだ。
とはいえ、どうにも苦労したころの感覚が抜けない。
「でも、なんでだろう。そういうイライザの側にいるとすごく安心する」
堅苦しくて、不器用で、でもそんなところも愛らしい。
甘く囁いて、クラウスさんが後ろから抱き締めるように私の肩へと腕を回す。
そして、そのまま首筋に唇を寄せた。
「ク、クラウスさん! ここ防犯カメラが……!」
「ナイショだけど、この区画だけ死角なんだ。たぶん支店長と俺しか知らない」
なんてこと、実は死角があったなんて。
これを無実の保証としようとしていたのに、時と場合によっては映っていないなんてことがあるわけか。
想定外だったと慌てる私の首にクラウスさんの吐息が触れる。
「だからこそ、さっきは二人の姿を見て腹が立ったんだ」
思わず、ぴたりと動きが止まった。
やがてじわじわと頬に熱が集まり、まともに顔を上げていられなくなる。
「未練がましいと思うけど、どうしても二人の姿を認めたくなかった」
呆然とした私の耳元で、クラウスさんは深々とため息をついた。
優しくて紳士的なクラウスさんが嫉妬なんて……それも私のことで嫉妬するなんて想像もしていなかったわ。
ダレルやアレクシス様のときは私が嫉妬する側だったものね。
嬉しいのか、悲しいのかわからない複雑な感情が胸の奥に湧き上がる。
そっと痛む胸を手で押さえると、クラウスさんは肩を抱く腕に少しだけ力を込めた。
「ね、イライザ。俺を選んでくれない?」
「……っ!」
「君が選んでくれるのを待とうと思っていたけれど、いつ横から奪われるか気が気じゃないんだ」
「い、いきなりどうしたんですか?」
「うつむいていた君が前を向いたからだよ。そうしたら皆が君の魅力に気がついたらしい。今まで無関心だったくせに、次々と惹き寄せられ囚われていく。ずるいと思わないか? さんざん君を追い詰めておきながら、君に価値があるとわかった途端に手のひらを返した」
そんなことはない。
そう否定したかったのに、触れた肌の熱に浮かされて唇はちゃんと動いてくれなくて。
回された彼の腕に火照った顔を埋めて隠すことしかできなかった。
「ときどき君がそっと胸を押さえるのは何か辛いことがあったときの癖だよね。そんな君の癖がわかるくらい近くにいるのに、君が俺ではない誰かを選ぶなんて耐えられそうもない。君が俺ではない誰かを愛するのを俺は受け入れたくないみたいだ」
腕の中でくるりと前を向かされて、真摯な眼差しと真正面から向き合う。
焦茶色の髪と瞳。
クラウス様のありふれた色合いでさえ万華鏡の外からはとても美しいものに見えた。
今こうして間近に同じ色合いを見ても、やはり美しい色だと思う。
「イライザ、俺を選んでよ」
ダレルのアクアマリンみたいな青い瞳も、アレクシス様の黒真珠のような漆黒の瞳もそれぞれに美しかった。
けれどやはり欲しいと思うのは、琥珀のようなこの瞳だ。
クラウス様と同じ色で、でも視線はもっと甘く蕩けるようで。
柔らかく細めた瞳に、私だけが映っている。
だから私はクラウスさんがいい。
「将来的には私を選んだことを後悔するかもしれませんよ?」
「……うーん。用心深いのも君の美点ではあるけれど、やっぱり手強いね」
クラウスさんは苦笑いを浮かべる。
そのままじっと見つめられて、耐え切れなくなった私は視線を逸らす。
「君は美しい。清淑な容姿の美しさだけでなく、努力して手に入れただろう深い教養も気真面目な性格も、君を形作るものはどれもキレイだ。真珠のように何層にも重なる深い陰がより魅力を際立たせる」
彼の親指が私の唇の形を確かめるように、ゆっくりとなぞった。
指先の感触がもどかしく、甘く痺れるような感覚にとまどう。
覗き込まれ、受け止めた視線の先では彼の目尻が羞恥によってほのかに赤く染まっている。
どうしよう、目が離せない。
「それから……ちょっとおてんばが過ぎるとは思うけれど気が強いところはかっこいいし、困っている表情をしてるときは儚げで手を差し伸べたくなる。あと、美味しそうに食べているときなんかは、すごく可愛い」
私への賛辞は途切れることはなく、そのせいで余計に追い込まれる。
視線は逸らされることもなく、真っ直ぐに私へと注がれたままだ。
こんなに見られたら、心まで見透かされてしまいそう。
「だからもう逃がしてあげられない、ごめんね」
切なく響く甘やかな声が鼓膜を揺らして、限界を超えてしまった私は両手で顔を隠した。
ただ純粋な好意だけで触れてくる相手に、どういう反応をすればいいのか……。
ダレルとは護衛以上の関係になることはなかったし、アレクシス様との交際は政略だとわかっていたから好意の根底には義務感があった。
こんなこと、今まで経験がないのよ。
顔を隠した私の手を、彼の手が優しく外す。
彼は逡巡したあと、覚悟を決めたように口を開いた。
「本当は君が俺を見る目に、得体の知れない悲しみが時折混じることにも気がついていたんだ」
ひゅっと息を飲んだ。
王女の失望も、伯爵令嬢の憤怒も、名もなき女の諦念も。
そしてはじまりであったイライザの憧憬も。
私を見つめ続けたばかりに、彼は知ってしまった。
昇華されず抱え続ける闇があることを彼に知られてしまったのだ。
「……それであれば、なおのこと不思議です。忌避されていることをわかっていて、どうして私を望むのですか?」
クラウスさんにすれば面倒な相手なのだ。
私に残る過去の記憶が彼にはない。
もしかしたら過去を思い出しては、理不尽な怒りを彼に向けてしまうかもしれないというのに。
幾重にも運命の糸は絡まって、もはや私の力では解すことなどできなかった。
そしていつかそれがクラウスさんにとって負担になる日がくるだろう。
お互いのためには、ここで頷いてはいけないのよ。
でもそんな私の迷いを振り払うように、クラウスさんは私を強く抱き寄せた。
彼の鼓動が、痛いほどに伝わってくる。
「俺は君に触れるたびに、失ったものを取り戻した喜びを感じるんだ。なんでこんなに深く君を求めるのか、この焦るような感情がなんなのか、俺にはわからない。君の幸せを願うなら、本当は見守ることが最善なのかもしれないけれど、君をまた失ったら俺は絶対に後悔する。どんな理由があるのかわからないけれど、俺は君をずっと探して、ずっと探し続けて……」
ようやく、君を見つけたんだ。
琥珀色の瞳から涙が一つこぼれ落ちる。
透明な涙は何にも染まっていない代わりに、万華鏡みたいな色鮮やかな世界を映していた。
思わず手を伸ばして、その涙を拭う。
「……お願い、泣かないで」
この心躍るような、満ち足りた気持ちはなんだろう。
クラウスさんの抱く焦燥が彼らの記憶の残渣ならば、失ったあとも私のことを気にかけてくれていたのだろうか?
命まで捧げた私の愛が、ほんの少しだけ報われたような気がした。
色鮮やかなこの涙がその証だというのなら、それを信じたい。
私は差し伸べた手で、彼の頬を包み込んだ。
「私も、ずっと待っていました」
……あなたが、この手に戻ってくるのを。
運命に抗い続けた私達が求めたもの、それは最後まで変わることはなかった。
囁くような音量だったから聞こえていないはずなのに、クラウスさんは嬉しそうに目を細める。
そして私の手のひらに頬を寄せて、幸せそうに微笑んだ。
「ありがとう、こうしてそばにいてくれて」
「ですが、お返事するまえに少しだけ私に時間をいただけませんか?」
温もりに包まれていた私は、名残りを惜しむ気持ちを振り払ってクラウスさんの胸を軽く押した。
クラウスさんは少しだけ表情を動かしたけれど、笑顔で頷いてくれた。
今回の件を含めて私の環境が多少改善したとしても、スタート地点に立っただけ。
今はまだ、負けたままだ。
優秀なクラウスさんの隣に立つことを、誰もが認めてくれるような存在にならないと。
競争率の激しい中を選抜されただけあって、サジタリウス商会の商会員は皆、有能で容姿も美しい。
マリッサ先輩だけでなく、他の先輩も個性的で磨き抜かれた宝石のように輝いている。
先ほど田舎娘と見下されたけれど、それも納得してしまうくらい差はあった。
もちろん、彼女とも。
唯一無二の個性を際立たせるという点についての努力は賞賛に値すると思う。
だから彼女に一つでも勝ちたいと、そう思った。
ーーーーーー
「ただ、どう頑張ったらいいかは模索中で……」
あれだけ嫌だと言いながら絆されるなんて甘いと思われているかしら?
気まずい気持ちで視線を下げた私だったけれど、話を聞き終わったエレナさんは口角を上げる。
「仕事が嫌になっているかと思っていたけれど、全く問題はないみたいね」
「そうですね、正直なところ仕事に関しては自分でもやっていけそうだと手ごたえを感じて安心しました。思えば嫌がらせのたぐいは王女時代のほうが酷かったですし、水面下での中傷合戦や、えげつない足の引っ張り合いは伯爵令嬢時代のほうが難易度高めでした。それに比べると手数は多くて面倒ですが、誤解が解けてしまえば耐えられないほどでもなかったように思います。それに……」
クラウスさんが、いてくれたから。
呟く程度の言葉だったけれど、エレナさんの耳にはちゃんと届いたらしい。
にんまりと笑って、カップを軽く掲げる。
「天と地と精霊に感謝を。そしてイライザの勇気ある選択に祝福を!」
言霊の魔女が捧げる祝福の冷涼な空気に包まれ、私は頬を赤らめる。
とにかく支店長のこととか、クラウスさんとの……あれこれとか省いた部分はあるけれど、大事だと思うことは全部隠さず話すことができてよかった。
「最初に言ったでしょう? クラウスさんは魂を引き継ぐ者であっても、別人なのだと。それはイライザも同じ。向かい合うことを決めたのなら反対はしないわ」
「ありがとう。それで、これから皆はどうするの?」
「彼女のことについては私達のほうも動くわ。商会のほうもゴタゴタするかもしれないけれど、しばらくの辛抱だから頑張って! ああ、それと忘れないうちに渡しておくわね。レジーから預かったのよ。」
「レジーさんから?」
首を傾げる私にエレナさんは、数枚の紙を手渡した。
紙面にびっしりと書かれた情報と思しき文面に目を丸くする。
レジーさんは私に『備えておくようにと伝えて』と、そう言ったのだとか。
全体にざっと目を通して、息を飲んだ。
「これって……」
「預かったときに渡せばわかると言われたのよ」
「はい、なんとなくわかります。教えてくれてありがとうございますと、伝えてください」
情報は大きく分けて二種類あった。
もしこれが全部当たりだとすれば……情報なんてレベルじゃない。
間違いなく、彼女の瞳には未来が見えている。
未来視の魔女という単語が脳裏を過ぎった。
エレナさんは笑みを浮かべる。
「お礼は直接レジーに言ってくれないかしら?」
「もちろん、またお会いする機会があれば」
「ルーテと食事をする約束をしていたでしょう? 今度、一緒にどうかしらと思って?」
「嬉しいです、是非ご一緒させてください」
人形のように美しいレジーさんとまた会えるのだ。
何が好きだろうか、どんなふうに話すのかな?
夢が膨らんで心が弾む。
「うふふ、レジーと同じ表情!」
「そうですか?」
「レジーったら、あなたのことばかり気にしているのよ。よほど波長があったみたいね」
エレナさんはにっこりと微笑んだ。
また連絡するわ、というエレナさんと手を振って別れる。
祝福のおかげか、レジーさんとまた会える喜びが勝ったのか……。
疲れていたはずなのに、お店を出た時よりもずっと足取りは軽かった。
お楽しみいただけるとうれしいです。




