自由と現実と嫉妬
彼女達が応接室に入ったあとのことだった。
業務に戻っていいと言われたので、引き続き倉庫の整理をしていた。
応接室から戻ったあと、クラウスさんは溜まった仕事を捌くために忙しく別行動。
そこに、ふらりと支店長が姿を現したのだ。
「おつかれさま。よくやったね、君ならできると信じてたよ?」
タイミングからして彼はウインクをしているつもりなのだろう。
が、なぜか両目を閉じた。
怪訝そうな顔で首を傾げると支店長は苦笑いを浮かべる。
「実は片目を瞑ろうとすると、なぜか両目が閉じちゃうんだ。なんでだと思う?」
「知りませんよ、というかどうでもいいです」
「支店長なのに……、部下が優しくない」
「申し訳ありませんが、過酷な状況にある新人を放置するような人を上司とは認めたくありません」
「なかなか鋭いことを言うね。だって自分の立場をかけてまで君を守るべきか判断できなかったのだもの」
悪びれることなく、にこりと微笑む。
新人であるから実績がなく、勤務態度で評価できるほど長い時間を勤め上げているわけでもない。
辞めるなら、それまで。
でもこの過酷な状況でも生き残ることができるのなら手助けする価値はあると思っていたとのこと。
冷酷なわけではないけれど、博愛主義でもないのだろう。
「それに君にはクラウスという強力な味方がついている。私まで手を貸したら、それこそ贔屓だと君が謗られるだろう? 放置したのは私なりの優しさだ」
「あとからなら、どうとでも上手くいえますからね。それにしても……ずいぶんと分厚い猫かぶってましたね。今となっては優しいなんて、これっぽっちも思いませんが」
「こちらにも事情があるってことさ。」
支店長は口元を皮肉げに歪めた。
そうすると人の良さそうな仮面が少しだけ剥がれ、優しい顔立ちに影が差す。
まるで別人のように雰囲気が変わって、うろたえた。
「それにしても君はずいぶんと大物を隠していたものだ」
「えっ?」
主語が曖昧で、どうとでもとれるから余計に混乱してしまう。
前世のことか、エレナさんのことか、それ以外の何かか?
混乱する私の耳元に支店長は唇を寄せる。
「君みたいな女性が好みなんだ。私と付き合わない?」
「お断りします」
えらいぞ私、よく言った!
しかも呼吸するように言えたわ。
もしかしたら秒もかかっていないかもしれない。
「……少しは迷うとか、困るとかそういう初心な反応はないの?」
「ありません。下心満載のセールスはお断りするようにしているのです」
「おかしいな? 決して怪しい人物ではないはずなのだけど?」
支店長に生温かい視線を注ぐ。
ぎこちない仕草で可愛らしく首を傾げても騙されませんよ。
明らかに今の無害そうな顔は作り物です。
「真っ直ぐに口説いたつもりなのだけど、どこがダメだった?」
「全部です」
なにより態度が嘘くさい。
愛があって相手を求めるならば真剣に相手と向き合うはず、そうたとえば。
「あれイライザと……支店長? 珍しい組み合わせですね」
……クラウスさんのような。
そう思った瞬間に背後から彼の声が落ちてきて、思わず肩が跳ね上がる。
じわりと頬が赤らんだ。
「どうしたの、イライザ? ……支店長、彼女に何をしたのです?」
「えっ、クラウス君。なんか誤解していない? 何も悪いことはしていないよ?」
「でもさっきは、ずいぶんと彼女の近くにいましたよね?」
「ああ、それはコレを取っただけだよ」
慌てたような表情で掲げた支店長の指先は大きめの綿埃を摘んでいる。
「このあたりは売れ筋ではない商品が並んでいるからね。イライザさんが掃除している時に髪の上に落ちたのだろう。」
いえ、嘘です。
あまりにも堂々と誤魔化すものだから呆気に取られて、まじまじと支店長を見つめてしまった。
途端に、クラウスさんの機嫌が悪そうな声が降ってくる。
「またいつもみたいに、適当なことを言ってはぐらかそうとしていませんか?」
「え、ええっ! ど、どうしてそんな意地悪を言うのかな?」
「いい歳をしたおじさんがそんな困った顔をしても可愛くありませんよ? それとも、まさかこんな人目につかない暗がりで彼女を口説いていたなんて言いませんよね?」
「口説くって……おやおやー? なるほどね、だから君が必死になるわけだ!」
支店長はニヤニヤと笑う。
クラウスさんは正面に向き直ると、私の頭を撫でながら口を開く。
「いいかい。この人の本性はこれだからね、絶対近づかないように」
「……クラウスさんは支店長の本性をご存知だったのですね!」
彼は眉間に皺を寄せてうなずく。
支店長は、軽く唇を引き上げた。
「知っているのは、この店ではクラウス君とマリッサさんだけだな。その方が都合がいい人間には、こっちの態度で接してる」
「じゃあ、噂のような小心者で気が弱いというのは……」
「表向きの顔だね、侮られたほうが動きやすいからそうしている」
支店長は悪びれることなく、にこりと笑った。
完全に本性を見せないという選択肢もあったという。
ただ後始末をしてくれる人は欲しいから相手によって態度を変えているらしい。
この姿を見せられたことを光栄に思うべきか、否か。
どういうわけか素直に喜ぶことはできなかった。
「今回の一件で最終的に君をかばったのは、君が恩を感じて自主的に手伝ってくれているという理由を作っておきたかったからなんだ。だからごめんね? 放置した結果、ここまで拗らせてしまって。正直、彼女があそこまで変な人だとは思わなかったんだよ。」
全てはクラウスさんへの歪んだ愛による執着ゆえ。
クラウスさんは深々とため息をついた。
「それで、彼女の処遇はどうするのです?」
「ん、どうもしないよ? イライザさんや君に対する勘違いの責任を取らせたら、彼女だけでなく商会員のほとんどがいなくなってしまう」
「……そうですか」
「まあ、不満は残るよね。一番の被害者は君達だもの」
支店長は眉を下げて、困った顔をした。
私も同じように眉を下げる。
不満というよりも、主に対人面で明日からの業務に支障がないか不安なだけだ。
「正直なところ嫌がらせとか面倒なのでやめて欲しいです。」
「クラウス君がある程度は潰していたけど、小さいものなんかは限界があったからね。それについてはこちらで対処するよ。君は堂々と、いつもどおりに仕事をしてくれればいい」
「……」
「ポケットにメモ帳を入れて、しっかりと手順を確認しながら作業してくれるよね。出荷品の梱包や得意先に納品する手荷物の包装が指示どおりに仕上がっているから非常に助かっているよ」
「ご存知だったのですか?」
「地味な作業だけど結構大事なんだ。お客様が真っ先に目にするのは包装や梱包だからね、雑だと品質まで疑われてしまう」
クラウスさんが補足すると支店長はうなずく。
放置されていたけれど、仕事ぶりは見てくれていたのだな。
ほっとして表情が緩んでいたらしい。
支店長は笑いながら、からかうような表情で目を細めた。
「イライザさんは、そういう気が抜けた顔が普段と違ってとても可愛らしいね」
「支店長、さりげなく口説かないでください。イライザ、気にしなくていいからね?」
そんなに間抜けな顔をしていたのかしら?
ちょっと不安になって両手で顔を隠すと、支店長が明るい笑い声を立てた。
どうやら、人をからかうのが好きな人らしい。
クラウスさんはもう一度私の頭を撫でてから、支店長を軽く睨んだ。
「イライザを巻き込むなんて聞いていませんよ?」
「仕方ないよ、彼女自身だって言っていたじゃないか。もう部外者とは呼べないだろうと」
支店長はクラウスさんの真正面に立つ。
そしてなんの感情も浮かんでいない顔に、作ったような笑みを浮かべた。
「真綿で包むように守って危険や困難を排除する。それが君の愛情表現なんだね?」
「いけませんか?」
「いや全然、素晴らしいことだと思うよ⁉︎ ただ私はどちらかというと共に現実を歩みたい主義でね」
まだ暖かい時期のはずなのに、空気が急に薄ら寒く感じた。
支店長はクラウスさんの背後に隠れている私の顔を覗き込む。
「さっき証明されたじゃないか。イライザさんは守られるだけの存在じゃない。自身の知性と才覚で戦える女性でもある。彼女を目の前にある問題から遠ざけて、固く守ることが彼女自身のためになるのかな? キラキラした夢ばかりを見せては彼女の成長する機会を潰すことになると君は思わないかい?」
触れるクラウスさんの背中が一瞬だけ固くなる。
そして支店長から視線を逸らしたのはクラウスさんのほうが先だった。
「いつか彼女は、めくるめく万華鏡のような世界が物足りないと思うようになる。もっと広い世界を、現実を見たいと望むようになるだろう。そのとき、君はどうするのだろうね?」
籠の鳥を自由にできるのか、それとも閉じ込めてしまうのか。
「私は優しいからね、鳥は自由であるべきだと常々思っているのだよ」
支店長は指を伸ばして、私の頬に軽く触れた。
その手を、クラウスさんが軽く叩き落とす。
ほんの一瞬だけ交錯した支店長の視線から仄暗い熱を感じ取る。
「特に美しい鳥には、ね」
冗談だとわかっていても、口説かれているのかと思ってしまった。
クラウスさんのまとう空気が刺々しくなり、いたたまれなくて誤魔化すように視線を泳がせた。
「冗談ではないよ? 美しいものに惜しみない賛辞を贈るのは芸術を愛する者の性だ」
心を読んだかのような台詞に、思わず目を丸くする。
そして急に不安になった。
男性に魔女の力は発現しないものだと思っていた。
でももし、知られていないだけで本当は力を使える者がいたら?
この人が……もし相手の心の読める人なのであれば、どうしたらいいのだろう。
「支店長、あんまりからかわないでください。イライザが困っています」
彼の視線から引き剥がすようにして、クラウスさんが私の体を引き寄せる。
触れられた手に思わずビクリと慄いた私の顔を覗き込んで、クラウスさんは深々とため息をついた。
「君は顔に出やすい質なんだ。そんなふうにわかりやすくうろたえたら相手の思う壺だよ」
「なんというか、この発展途上な不安定さがそそるよね。自分の手で思うように育ててみたくなる」
支店長は柔らかく目を細め、口角を引き上げると口元に軽く手を添えた。
なんというか、仕草からダダ漏れる色気がすごい。
二面性どころか、三面、四面すらありそう。
あまりにも作り込みすぎて、どれが本物か自分でもわかっていなさそうだわ。
支店長は警戒する私の瞳を覗き込んだ。
覗き込んだ瞳の奥には思わず引き込まれてしまいそうなほどの、深い闇が広がっていた。
「今回は君の騎士に免じて引くけれど、覚えておいて? 色々な世界を知りたいなら私が見せてあげよう」
そういえば誰かが言っていた。
危険であればあるほど、人は魅力を感じるものだと。
お楽しみいただけると嬉しいです。
よろしくおねがいします。




