イライザと、先読みの魔女?
四人が応接室を出るとそこには、一種、異様な空気が渦巻いていた。
さきほどまでいた室内を陽とするなら、応接室の外は陰。
同室の四人を味方とするなら、外には敵しかいない。
彼らに共通することはただ一つ。
皆が一点、私だけを睨みつけていた。
ちょっと一体どんな力を使えばこうなるのよ⁉︎
想像するのも嫌で、ちょっとだけ現実逃避しそうになった。
あまりにも露骨な敵意にシュトラウスさんは息を飲み、ダリルさんは顔色を失う。
「……こ、これは一体?」
シュトラウスさんの呆然とした呟きに同意して、私は思わず大きく頷いた。
それは本気で私も聞きたい。
マリッサ先輩は漂う空気の悪さに一瞬呆然とした後、深々と息を吐き出した。
「たしかに、これは異様ね。」
「君もさっきまではあちら側の人間だったんだよ」
「信じられない。本当、どうかしていたとしか思えないわ」
クラウスさんの言葉に、マリッサ先輩は眉を顰めた。
クラウスさんは刺すような視線から私達二人を守るように、マリッサ先輩の前に出る。
マリッサ先輩は少しだけ安堵したように微笑んでから私の隣に並ぶと肩に手を置いた。
その労るような優しい手付きに、先輩はもう悪いほうへ態度が変わることはないと確信する。
やがて持ち直したシュトラウスさんが固い表情のまま、意を決したように言葉を紡いだ。
「皆様、突然の訪問となり色々混乱をさせたようで申し訳ありませんでした。私から説明いたします」
別室で打ち合わせたとおりの内容が、彼の口から語られる。
丁寧な口調でありながら、説明は簡潔明瞭に。
それでいて余計な憶測や横槍を挟まれないように注意を払って。
このあたりの呼吸と勘の良さは場数を踏んだ人だけが至る境地、経験の差だ。
さすが老舗と呼ばれるカヴァレで責任のある立場を任されてきた人だけある。
そして説明が進むごとに、人々の表情が少しずつ変わっていく。
最初は猜疑、それが驚愕に変わり、最後の方は呆然としていた。
まあそうでしょうね。
誰も私が冤罪であったなんて信じていないようだったから。
マリッサ先輩も、終始申し訳なさそうな顔をしている。
そしてシュトラウスさんの説明に続いて、ダリルさんが謝罪の姿勢をとった。
「このたびは私の不手際により、ご迷惑をお掛けいたしました。深くお詫びいたします」
彼の謝罪によって今回の一件は終幕した。
わずかでも禍根と付け入る隙を残さないよう、カヴァレは潔く自ら失態を認めたのだ。
さすがだと感嘆する……謝罪のお手本のようだわ。
その真摯に謝罪する姿勢を見て、商会の従業員は輪を掛けて狼狽えた。
そこに畳み掛けるようにして、マリッサ先輩が伝える。
「ハストンさんは、直接イライザさんに会って話をした上で、彼女とは会ったことも話したこともないという事実を認めたわ。電話で第三者と話している時にイライザさんの名前を教えてもらっただけだそうよ。だから当然、発注を取り消す電話も掛けていないし、そんな電話は掛かって来なかったと今はそう証言を変えています」
「はい、そのとおりです。重ね重ね、イライザさんにはご迷惑をお掛けいたし、申し訳ありませんでした」
そう言ってダリルさんは改めて謝罪の姿勢をとる。
はっきりと、私に向かってだ。
私は呆然と立ちすくむ商会員の顔を一つ一つ見回した。
さて、あなたたちはどうするのかしらね?
彼女のときのように、こぼれ落ちる心の声を拾うまでもない。
そんな馬鹿な……彼らの表情を見れば、そう呟く心の声がはっきりと聴こえてくるようだった。
「……嘘ね」
そんな混乱した空気を打ち破ったのは、やはり彼女の声だ。
いつもとは違い心底苛立っているような、人の神経を逆撫でするかのような声だ。
「イライザさん、カヴァレの担当者にまで謝罪させるなんて何をやっているの? サジタリウス商会の恥晒しね。もうあなたにはこの店を辞めてもらいたいわ、一緒にやっていけないもの」
そして興味をなくしたように視線を逸らす。
まるで私が辞めることが決定事項であるかのような傲慢な態度。
……この人、今まで何を聞いていたのだろう?
担当者が発注漏れを認めたのだ。今回の一件において、私の罪は存在しない。
さすがに周囲の人たちも引いている。
「ちょ、ちょっと。それは言い過ぎじゃない?」
「火のないところに煙は立たないのよ。その他にもミスは色々起こしているのだから、今回の騒動を誘発した謝罪の気持ちを込めて自ら潔く辞めるのが筋ってものでしょう?」
それって、どんな筋ですか?
まるで気分を害した彼女に対して責任を取れと言われているみたいだ。
クラウスさんは首を傾げた。
「君のいう嘘って、どういう意味なのかな?」
「全部よ、全部。私が知る未来ではないわ」
「言っている意味がよくわからないけれど……それとも君はカヴァレのお二人が嘘をついているとでも言いたいのかな?」
彼女から少し離れた場所には、厳しい顔つきのシュトラウスさんとダリルさんが並んで立っている。
取引先の従業員の言葉を、証拠もなく嘘だと決め付けた。
それは相手に対する礼を失した行いでもある。
ようやく夢から覚めたような表情で、彼女は狼狽える。
「あ、あっ!違うのです!イライザさんが嘘をついていると……」
「私は今のところ、何も話していませんよ?」
「っ…!」
いや、あの睨まれても本当に何にも喋っていませんけれど……。
呆れたような視線を向ければ、彼女は悔しそうに表情を歪める。
分が悪いと思ったのか、今度はクラウスさんとマリッサ先輩に縋るような視線を向けた。
「ねえ、二人も責任を感じてイライザさんを庇うことはないのよ? サジタリウス商会に勤めたいという新人はたくさんいるの。彼女の代わりなんていくらでもいるわ」
はい、それはそのとおりです。
ですが、それは人前で言ってはいけない台詞でもある。
当然のように、部下を育成する立場にあるシュトラウスさんは不愉快と言わんばかりの表情を浮かべた。
そしてクラウスさんは呆れたような表情で口を開く。
「そうやって君は何人の新人を辞めさせてきたのだろうね? 君の下で働いてきた新人が長く続かないことは、有名な話だよ」
「だって彼女のような役に立たない人間はいらないでしょう?」
「君は彼女と一緒に仕事をしたことはない。それなのに役立たずと決めつける理由は何?」
「だって信じられないミスばかりしてきたでしょう⁉︎ 大切な発注伝票を捨てたり、内容をわざと間違えて伝えたり……商会員という以前に、人としておかしいわ!」
「じゃあ、君は見たんだね? 彼女が伝票を破棄するところや、内容をわざと間違えて伝えたところを」
「それは……」
「それとも見ていて、彼女が何をしているか知っていながら止めなかったとでもいうのかな?」
「そんなことはないわ!」
「では彼女がやったとどうして言えるの?」
「み、見ていなくても、結果的にはそうなっているのだから彼女の責任でしょう⁉︎」
「違うよ、彼女はまだ入社して一ヶ月半しか経っていない新人だ。しかも成人したばかりで社会人経験もない。だから発注をする時は指導係が付いている。つまり彼女が犯したミスは、そのまま指導係である私の責任だ。新人教育って、そういうものじゃなかったっけ?」
クラウスさんの言葉に、皆が驚いた表情で私を凝視する。
ええそう、私はまだ商会で働き始めて一ヶ月半の新人です。
指導係がばっちり付いていて、厳しく指導を受ける身の上ですが、何か?
驚いた顔つきの中にシュトラウスさんやダリルさんが含まれるのは仕方ないとして……マリッサ先輩がそこまで驚くのは何故でしょうね?
「なんというか、淡々と仕事をこなすから忘れていたわ」
新人らしさがなさ過ぎて一人で何でもできると思われていましたか、そうですか。
思い返せば、商売の基礎は昔と今ではやり方が違うだけで、やらなくてはならないことに大きく違いはない。
一回目のときは仕入れのためにお父さんが不在の時もあって、一通りの業務はこなせた。
三回目のときなんか、自分で築いた販路も持っていたくらいだから発注も伝票の整理も自分で行っていたし、過去の知識を現実と擦り合わせるのに一生懸命で、新人らしいミスをする自分の姿なんて想像もしてなかったわ。
私は、彼女を含めた商会員へと視線を向ける。
「皆さんにひとつ確認したいのですが、私が一人で電話を掛けたり伝票を整理する姿を、実際にご覧になった方はいらっしゃいますか?いらっしゃったとしたら、いつ、どのような状況の時であったか教えていただきたいのですが?」
誰からも声は上がらない。
間違いなくそうだろうな、と思う。
「先日も申し上げたとおりに、私は指導係がであるクラウスさんか同じ部門の先輩方に同席していただいて、発注の電話を掛けたり、伝票の整理をしています。なぜなら電話であれば応対やマナーを教えていただくと同時に質問された内容にどう答えるかを側で教えてもらう必要があるからです。そして伝票の整理であれば不備不足がないか、あればそれをどう確認するのかを教えてもらわなければ処理できないからです。そんな誰かに聞きながらでないと一人前の仕事ができない私が、一人で取引先に電話を掛けて発注を取り下げたり、個人的な判断で伝票を勝手に破棄するなんて発想をすること自体があり得ないのですよ。」
だって、新人ですから。
責任を負ってくれる先輩と一緒に仕事をしているのに、わざわざ自分一人で責任を負う理由はない。
あらためて私の置かれた理不尽とも思える過酷な環境を認識したダレルさんは肩を叩いてやりたいくらいに萎れているし、マリッサ先輩に至っては下を向いてしまった。
私としては今更だし、二人が新人だったことを認識してくれたからもういいです。
ただ、いまいち理解できていないようなので他の方には補足を。
「勤めてから今まで、一人で仕事をしたことがありません。ですから、そもそも仕事を一人でするというという認識すら今の私にはないのです。だから仕事をする前にお願いしていますよね、『教えてください』と。そして次からは『そばで見ていてください』とお願いしています」
あわよくば自分たちの失敗を私のせいにしたかったのかもしれませんが、残念でした。
私の場合、教えてくれた人や見ていてくれた人にも責任が生じるのです。
私は一人一人の目を見つめて、にっこりと微笑む。
「大変申し上げにくいのですが、皆さんが想像する私が勝手に一人でやって失敗したという状況は、一人で仕事をすることが許された方ならではのものなのです」
そう答えたら途端に顔色を悪くする人が続失した。
なるほどね、ずいぶんと迷惑を掛けられていたものだわ。
たまに睨み返してくる人もいるけれど、それは彼女に依存している程度の差かな?
ちなみに今の私の立場で発注ミスを起こしたとすれば、誰かに付き添ってもらったのにも関わらず失敗したということになってしまう。
むしろ、そっちの方が私の資質を問われそうだと思うのだけどなぁ。
自分のことなのに、ふと意地の悪い思考が浮かんで眉を顰めた。
どうして彼女は不自然な状況を演出してまで私に責任を負わせようとしたのだろう?
クラウスさんは彼女の方を向いて苦笑いを浮かべた。
「君の言う役立たずは、私のほうだったみたいだね。君の理論では辞めなくてはならないのは私だ」
「違うわ! そんなこと、貴方には言っていないの! ひどいわ、イライザさん……私のことが嫌いだからってこんな誤解を招くようなことをして……」
彼女は瞳を潤ませ、声を震わせる。
可憐な容姿の彼女が泣くと、そこここから可哀想だという声が上がった。
……だから、なんで矛先が私なのよ。
それなら全従業員の前で、役立たずと罵倒された私は可哀想ではないのか?
疲れ切った表情を浮かべた私の肩をクラウスさんが軽く叩く。
「君はイライザになら役立たずと言ってもいいと思ったわけか……そのほうが人として問題じゃないかな?」
「それは…彼女が取引先であるカヴァレに対して、とんでもないことを仕出かしてくれたからでしょう?!今回の件でマリッサは徹夜までしたのよ? すっごく大変だったじゃない! ねえ、マリッサ、あなただってずいぶんとイライザさんに対して怒っていたでしょう? それを忘れちゃったの?」
潤んだ瞳と感情が昂ったような声、それだけなら本気でマリッサ先輩を心配しているように聞こえる。
だけど私には、あのときと同じ嫌な気配を感じていた。
まるで彼女の言葉に『そうだと頷け』と言われているような……思わず従ってしまいそうになった自分を思い出して、マリッサ先輩を見上げた。
だけど視線の先にいる彼女は、ただうっすらと微笑んでいるだけだ。
そして視線は、憐れみを込めて彼女に注がれている。
答えもなく、ただ不自然な沈黙が落ちる。
「マリッサ?ねえ、聞いているの?」
彼女が訝しげな表情で首を傾げた。
心配になって見上げる私と、先輩の視線が交錯する。
「大丈夫。私は味方よ、イライザさんの言ったとおりだなと思っただけ」
「マリッサ先輩……」
「隙は誰にでもあるということなのね。自分だけは大丈夫だって、思っていたみたい」
その油断が隙になったと、マリッサ先輩はどこか痛みを堪えるように微笑む。
そして彼女の言葉を聞いたダリルさんが顔を上げた。
「今回の件にイライザさんは関係していません。実際に会って話をして、すぐにわかりました。誰かはわかりませんが、電話は間違いなく彼女ではない人物が掛けてきたものです。」
「あら、どうしてそう言い切れますの?」
「声と口調が違います。電話越しですから声は違って聞こえるかもしれませんが、実際に話をしてみたら、口調は明らかに違う。それに彼女は相手の話を聞くことができる人だったけれど、電話口の相手は違った。こちらの話を聞かず、一方的に話すだけ話して、彼女を独善的に諸悪の根源だと決めつけていた。その時、相手はこう言っていました。『彼女に巻き込まれただけであなたは何も悪くないのだ』と。自分の弱さで、その甘言に乗ってしまいましたが……でも、今の自分ならわかります。私の失敗に彼女は巻き込まれただけだということを。それに、イライザさんは一方的に他人を貶めるような人じゃない。自分の至らなさを振り返って反省点を見出せる人だ。そんな人が自分で自分を嵌めるような、意味のない電話を掛けてくるとは思えません」
「ずいぶんとイライザさんに同情されていらっしゃるのね。そのせいで冷静な判断力を欠いているのではなくて?声なんていくらだって変えられるし、口調だって同じでしょう?」
「いえ、根拠はそれだけではありません」
「何かしら?」
「もし意図的に声や口調を変えたのだとすれば、自分が誰かを相手に悟られたくないからでしょう? 普通に考えて、悟られないようにわざと声や口調を変えたのならば、名乗ることもしない。だって名乗らなければもっと確実に身元を隠せる。でもあなたの理論では、イライザさんが自分だと悟られないように、わざと名乗ったとしている。その上で、声まで変えたのはどうしてでしょうね? 身元を隠そうとして名乗ったと仮定した時点で矛盾しているのです、あなたの理論は」
「は? 何ですって?」
「誰かがイライザさんの名を騙ったと考えるよりも、イライザさんが自分の身元を隠すためにわざと名乗ったとする考え方のほうが特異で、彼女に対する偏見に満ちていると思います。それに、その一方的で独善的なものの言い方、まるで……」
まるで電話を掛けてきた人と同じだ。
呆然としたようなダリルさんの言葉に誰かの息を飲む音がした。
だけど彼女は悠然としてダリルさんに憐れむような視線を向ける。
「失礼ですけど、誰かもわからない相手の電話で言われたことを鵜呑みにして、対応を誤るようないい加減な仕事しかしない人が何を言っても説得力はありませんわ」
「…!」
「厚顔無恥というか、今回のような騒動を起こしておいてよくこの場に顔を出せましたよね? 今すぐ帰って、下積みからやり直した方がよいのではないですか? まあ、カヴァレに席が残っていればですけれど……ダングレイブ商会に対して失礼を働いた従業員をカヴァレが雇い続けるとは思えませんもの!」
「あなたは……自分が何を言っているのか、わかっているのですか?」
「もちろんよ。だって私には、その力があるもの」
彼女はダリルさんを嘲るような顔で笑う。
普段の愛らしさはなりをひそめ、禍々しいほどの色艶が滴り落ちた。彼女と親しい人達は皆、うっとりとした表情で彼女を見つめている。
その視線に触発されたように、彼女は自信に満ちた表情で口を開いた。
「ダリルさんのような欠陥品は、由緒正しいカヴァレには相応しくありませんわ。ねえ、シュトラウスさんもそう思うでしょう?」
……他社の従業員を欠陥品って言ったよ。
その一方で、さほど親しくない人達はドン引きしていた。
シュトラウスさんとダリルさんの口も、パッカリと開いている。
わかるわ、取引先相手に喧嘩売るなんて正気とは思えないもの。
クスクス、クスクス。
それを心底可笑しいと彼女は笑う。
「イライザさんだって、そうよ。あなたも、もうすぐいなくなるでしょうね」
「それは…どうしてそう思うのですか?」
「だって私には、わかるのよ。未来の景色が見えるから」
彼女は嫣然と笑う。
その強気な表情が、今の彼女の態度にはとてもよく似合っていて、不本意にも美しいと思ってしまった。
「それはね、私が……だからよ。」
誇らしげに、胸を張って彼女は言葉を紡ぐ。
彼女はどうにも根拠のわからない自信に満ちていた。
「……ねえ、彼女なんて言ったの?」
私の耳元でマリッサ先輩が囁く。
マリッサ先輩は、言葉の一部が早送りしたように潰れて聞こえないと怪訝そうな表情でそう言った。
他の従業員も、クラウスさんやカヴァレの二人も一部だけ聞き取れなかったようで、困惑したような表情を浮かべている。
だけど私には、彼らの聞き取れなかった部分がはっきりと聞こえていた。
彼女はこう言ったのだ。
私が先読みの魔女だからよ、と。
あけましておめでとうございます!
今年もよろしくお願いします!




