イライザと過去の夢
『レジーがね、三日ちょうだいってさ。』
彼女の、その言葉だけが私の支えだ。
次の日職場に行くと想像通り、同僚の冷ややかな視線に迎えられた。
クラウスさんはいつも通りだったけれど、忙しい彼が私に付きっきりという訳にもいかない。
彼が離れると、私から話しかけても無視されるなどの嫌がらせのようなものもあった。
その上、役に立たないクズだとか、厚顔無恥と陰で悪口を言われるような中傷も受けた。
だから私はクラウスさんに確認の上で、倉庫内の整理を主な業務として三日間をやり過ごす事にしたのだ。
なぜなら倉庫には防犯カメラがついているから。
万が一、また冤罪を被せられそうになっても録画した画像を確認してもらえば何もしていない事が証明されるからだ。
…まさか自分が防犯カメラの存在をありがたく思う日が来るとは思わなかったわ。
棚の埃を払い、骨董品を整理しながら思わずため息をついた。
だって他の先輩からは電話も取り次いでもらえないし、発注も取らせてもらえない。
雑用でも倉庫に篭って作業ができるだけマシというものだろう。
そして、エレナさん達からはまだ何の連絡もない。
状況を聞きたい気持ちで一杯だったけれど、連絡しても誰も出ないし、お店の方も臨時休業になっていた。
弱気になりそうな自分の気持ちを奮い立たせる。
ここが踏ん張りどころ。
私は間違っていないのだから、自分を信じて頑張れ。
精神的に削られる時だからこそレジーさんの言った三日という期限は、とてもありがたかった。
そして四日目の朝。
出勤と同時に部署の皆に朝の挨拶をする。
でも昨日までと同様に返事はない。
こちらを見てひそひそと小声で何かを話しているだけだ。
クラウスさんも不在にしているようで、誰も取り繕うような態度すら見せない。
期待し過ぎたかな。
急速に気分が沈んでいく。
もしかしたらレジーさんの力でもダメだったのか。
今日から何を支えに頑張ろうかと、思い悩みながら悲しい気分で倉庫の扉へと手をかけた。
その時、背後で応接室の扉が勢いよく開く音がする。
「…イライザさん。ちょっと来てもらえるかしら?」
驚いて振り向くと険しい表情をした先輩が目の前に立っていた。
珍しく視線が合っているのに驚いたけれど、それ以上に顔色が悪い。
「先輩、どうしたんですか?なんだか顔色が悪いですよ?」
「そんな事いいから応接室に来てちょうだい!」
余裕のない様子で、大きな声を出した先輩に驚いて固まった。
彼女は自身の声に驚いた様子でハッと息を飲んだ。
そして視線を逸らすと私の手を引く。
「大きな声を出してごめんなさい。貴女にも聞いてもらいたい大事な話が話があるのよ。」
控えめな声で言い直したけれど、注目を引いた後だから皆にもよく聞こえたらしい。
黙って様子を見ている人もいるけれど、クビとか、自業自得だなどという無責任な会話が混じる。
もし万が一、冤罪が晴れたとしても彼らと蟠りなく付き合うのは無理そうだ。
一際大きなグループの中に彼女の姿を見つけて余計にそう思った。
先輩に促されて応接室に入ると、そこには珍しく怖い顔をしたクラウスさんが座っていた。
そして彼の目の前には中年の男性と項垂れた若い男性が座っている。
クラウスさんが私に気がつき、手招きした。
「おはよう、イライザ。ちょっとこちらに来てもらえるかな?」
「…イライザ?」
クラウスさんの言葉に、若い男性が反応した。
伏せていた顔を勢いよく上げて立ち上がると、いきなり頭を下げる。
「すいませんでした!!」
「は?」
突然の出来事に呆然としていると、隣に座る中年の男性が立ち上がった。
眉間に皺が深く刻まれ表情は真剣そのものだ。
「イライザさん、突然の訪問となり誠に申し訳ありません。私達は貴会の装飾品部門と取引させていただいている宝飾メーカー“カヴァレ”の担当者で、私はユアン=シュトラウスと申します。現在、私の部署ではカテリア国内における自社の商品の受注を窓口として一手に引き受けています。」
有名な老舗メーカーの従業員と聞いて、緊張で固まってしまった。
そんなすごい人達が、どうして私の前にいるのかしら?
呼び出す人間を間違えているのではないの?
「たしかに私の名前はイライザですが…私は美術品部門の担当で装飾品部門ではありません。お会いするのも、お話するのも初めてですが、どなたかとお間違いではないでしょうか?」
それがこの状況に照らすと一番しっくりくる回答だ。
困惑しながらも私が営業用の笑顔を浮かべると、若い方の男性の肩がビクリと跳ねた。
それを見たシュトラウスさんが深くため息をついた。
「そのとおりです。どうしてこんな理由が何度も通用すると思ったのか…。」
シュトラウスさんはここに至るまでの説明を始めた。
その出来事は三日前の晩から始まった。
シュトラウスさんは、とある夢を見たのだ。
舞台は職場で、自分の部下が主人公になった夢。
仕事の夢を見る事はよくあるが、その内容は信じられないものだった。
部下が注文書と発注書を見比べている場面から始まる。
しばらくすると彼の顔色が青褪めた。
『どうしよう…発注漏れだ。』
注文書が大写しとなり、サジタリウス商会の伝票である事と商品名が明らかになる。
“あれは…クラウスさんに頼まれて急遽手に入れた品物じゃないか。注文を取り下げるという連絡があったと部下から聞いていたのに、後日、実は商会の新入社員の連絡ミスだったとか聞いていたが?おかしいな、彼の発注漏れだと…?“
部下は震える手で受話器を掴む。
番号から判断して、上司である自分へ繋がる内線のようだった。
あと一桁押す直前になって、唐突に、その受話器が下ろされた。
“どうした、発注漏れは報告しなければならないだろう!?”
上司の焦りをよそに部下はただ青白い顔で注文書と発注書を見比べる。
そしてカレンダーの日付を確認して、深くため息をついた。
『一ヶ月前の発注…どう考えても、今からだと間に合わない…どうしよう…。』
なんでそんなに放置していたんだ。
発注漏れがないよう、一週間に一度は必ず、注文書と発注書を照合して確認するよう指示していたのに。
仕事に慣れ、気が抜けていたのだろうか。
その時、彼の近くにあった電話が鳴った。
ビクリと肩を震わせて、周囲に誰もいないことを確認した彼は受話器を取る。
それからしばらく相手と話をして…最後は安堵したように受話器を置いた。
「そうか、彼女の言うようにイライザという新入社員がミスをした事にすればいいのか、簡単じゃないか。」
そして彼は発注書に“取消”の文字を赤字で書き、そして日付とイライザという名を書いた。
それから取消伝票の籠の中に伝票を投げ入れる。
「サジタリウス商会に関しては、今後もこの手が使えそうだ。」
彼は薄笑いを浮かべて電話器を見つめ、呟いた。
『彼女の言うとおりにすれば、ずっと幸せでいられる』、と。
夢の中特有の第三者目線で見る世界。
それにしてはずいぶんと鮮明だった。
だが所詮は夢の話。
最初は本気になどしていなかった。
…そこから続けて、同じ夢を見るまでは。
「二日目の晩も同じ夢を見て、さすがに違和感を覚えました。ですが夢の話と割り切ったところで出社すると、別の部下から相談されたのです。『彼が発注漏れをする夢を見た』と。それも部署の違う、彼とも面識のないはずの二人からでした。内容を詳しく聞くと、私の見たものと寸分違わぬ内容でした。それと同時に、支部の統括責任者である私の上司からも指示を受けました。『夢と切り捨てるには、実際にあったことみたいだ。本当にこういう事がなかったのか今後のためにも調査してみてくれ』と。そして三日目の晩…また同じ夢を見ました。今度こそ確かめねばと早朝に出社すると青白い顔をした社員が何人も私を訪ねてきたのです。そして事情を聞いてみると、彼らだけでなく、支部の社員全員が同じ夢をみていたのです。」
部署による差はないようで、後から聞くと支部に出入りするやビルの清掃員もだったらしい。
そこで昨日から体調不良で休んでいた部下の家に出向き、直接事情を聞くことにした。
「私の顔を見て覚悟したようです。全部、本当のことだと認めました。」
そこからは事情を聞くまでもなかった。
全てを見て、知っているのだから。
取消伝票の籠から注文書を探し出し、発注の有無を確認する。
上司として一抹の望みを抱いていたが…それを打ち砕くように発注はされていなかった。
これにより夢で見た話の信憑性が裏付けられる。
サジタリウス商会に商品が届かなかったのは、自分の部下の発注漏れのせいだった。
それを事実として受け止めたシュトラウスさんは、問題の部下を連れて謝罪に訪れたのだという。
「クラウスさんから緊急の連絡を受けた時に、もっと詳しく調べていれば貴女にご迷惑をお掛けすることもありませんでした。彼の慢心を招いたのも上司である私の怠慢が原因の一つです。誠に申し訳ありませんでした。」
シュトラウスさんは深々と頭を下げる。
場に沈黙が落ちた。
…なるほど、先輩に余裕がなかったのはこのせいか。
私のミスとされたものが、実は冤罪だったと判明したのだから。
それと同時に安堵する。
レジーさんの言葉は正しかった。
言葉どおりに、力によって真実を暴いたわけだ。
それにしてもレジーさんの力って何だろう?
彼女が見せたいものを、夢を媒体にして他人に見せることができるらしいことはわかった。
だけど、どうやって実際に過去で起きたことを調べたのか。
あの摩訶不思議な色合いをした瞳には、過去すら見透せるというのか。
「何か、言いたいことはある?」
クラウスさんの言葉で、ハッと我に返った。
顔を上げれば、彼の心配そうな眼差しとぶつかる。
いけない、別のことに気を取られたせいで変に冷静になってしまったわ。
改めてこの状況で何か言いたいことがあるか、と考えてみる。
強い怒りはある。
彼は叱責を逃れるために、全くの無関係な私へ罪を負わせようとしたのだ。
なぜ信じてもらえないのかと、何度思ったことか。
能力が足りないから失敗を犯すけれど、人道的にやっていい事と悪い事の分別くらいはつく。
今回私がしたとされた行為は、やってはいけない事だ。
それも信用を失うだけで私が得る利益なんて何もない。
それなのに、やっていないという私の主張を先輩方は信じてくれなかった。
…クラウスさんだけは信じてくれたけれど。
彼は、信じてもらえないという状況がどれだけ人を追い詰めるのかを知っている。
だから自分だけは最後まで信じようとしてくれたのだろう。
それにレジーさんやケイトさん、他の皆も何かしら協力してくれたに違いない。
信じてくれる人がいるだけで、ずいぶんと余裕が生まれるものなのだな。
この状況なら罵っても怒鳴りつけても許されそうだけれど…。
それだけで許せるほど、私は素直な性格をしていない。
「まずは確認させてください。貴方は、私と直接電話で話したことはありますか?」
「ありません。」
「お会いした記憶もないのですが、そちらはいかがでしょう?」
「私の方も、ありません。」
「では貴方は顔も知らないし、話したこともなく、でも私の名前だけは知っていたという事ですね?」
「はい。」
「誰から私の名前を聞きましたか?」
「…。」
「どうしました?」
不自然なまでに青褪めて、部下の男性は黙り込む。
シュトラウスさんは顔を顰めた。
「それについては私も彼に聞きましたが…彼は貴女の名前を教えてくれた電話の相手が誰だったか覚えていないそうです。」
最初はただの世間話だったという。
そのついでに自分が発注漏れをしてしまって困っていると話したら、相手の方からサジタリウス商会にはイライザという新入社員がいて、失敗が多く、皆が後始末に振り回されて困っていると言われたらしい。
そして彼女ならば普通ではやらないような失敗をしているし、彼女のせいだと言えば間違いなく皆信じるだろうとだけ話して相手は電話を切ったという。
「それはまた…ずいぶんと意地の悪い世間話ですね。」
じわりと、苦い思いが胸に湧き上がる。
隣に座る先輩は、疑うことなく信じた自分を恥じているのか終始俯いていた。
私は、ふと思いついた言葉を口にする。
「もしかしてその誰かわからない相手に『私のせいにすれば、ずっと幸せでいられる』とでも言われましたか?」
「「ど、どうしてそれを!!」」
シュトラウスさんも、部下の男性も呆然とした表情を浮かべた。
先程は言わなかったが、夢に出てきた部下は電話を切った後にそう呟いたという。
クラウスさんは、ため息をついた。
「…サムさんと同じだな。」
「そうみたいですね。」
事情聴取の時、サムさんが虚な目で繰り返し同じ言葉を呟いていたのだ。
シュトラウスさんは訝しげな表情を浮かべた。
「どういう事ですか?」
「私も最近知ったのですが、彼女を必要以上に悪く言っている人物がいるのですよ。」
「その人物がイライザさんの名を騙っているという事ですか?」
「彼女は新人です。シュトラウスさんもご存知のとおり、新入社員が仕事に慣れるまでは多少の失敗はあることですよね?」
「まあ、程度は様々ですが…一般にはそうでしょう。」
「ところが彼女は入店して一ヶ月、新人らしい単純な失敗を全くしなかったのです。それどころか、他の従業員のフォローさえしていたくらいでした。」
「えっ、そうなのですか?それは私の聞いた彼女の噂とは全く…。」
「指導係だった私が保証します。彼女は初日から即戦力でしたよ。」
クラウスさんは誇らしげに胸を張る。
まさかこんな場面で褒められると思わなかった私は目を見開き、少しだけ頬を染めた。
一回目と三回目の人生経験が活かされたらしい。
商売は効率よく無駄のないものが生き残る。
店も人も、知識だってもちろんそうだ。
収支の帳簿の付け方、在庫の管理方法、報告や連絡の優先順位など。
蓄積した知識を現実に擦り合わせた結果、無事に通用する事がわかって深く安堵したものだ。
「それが一ヶ月を過ぎた辺りで、急に失敗が目立つようになった。もちろん慣れてきた頃に失敗することはままある事でしょう。ですが…質が違ったのです。」
机に置かれていたはずの発注書がなくなったせいで注文ができなかった。
伝票に書かれている数量より多く、もしくは少ない数に発注が変更されていた、等々。
初歩的な失敗と呼ぶには微妙に悪質で、徐々に彼女の評価が下向いていった。
クラウスさんのフォローと本人の根性がなければ、クビになるか、居心地の悪さに辞めていただろう。
彼がいなければ戦えていたかどうか…取り巻く環境の過酷さに、イライザは背筋に寒いものを感じていた。
「そんな中で、今回の出来事が起きました。」
今度こそクビになるだろう。
クラウスさん曰く、実際そういう話も出ていたらしい。
どこから知ったのか、本部からも、いつ辞めさせるのかと支店長に圧力がかかっていたとの事だった。
知らぬは本人ばかり。
周囲の人間からすれば、たしかに厚かましいと思うよね。
ただ辞めさせるにしても、どうしてこんな事をしたのか理由がわからないままだった。
次に採用する人間が同じことをすると困るので、辞めさせる前に話を聞いておきたいと思っていたらしい。
そんな時に起きたのが倉庫の一件だった。
管理会社の人間が勝手にコンテナを開けたという事で、本部や各支店の従業員が確認と復旧に掛かりきりとなった。
その間に三日経って、本日無事に容疑が晴れたというわけだ。
「ではコンテナの一件がなければとっくにイライザさんは辞めさせられていたわけですね。」
シュトラウスさんは表情を固くする。
部下の男性も、自分がついた嘘によって間接的にでも誰かの人生を狂わせようとしていた現実を突きつけられて顔色が真っ青だった。
予想以上に狼狽えている彼の表情に、エレナさんの言葉が脳裏に浮かぶ。
『言霊には二つの面があるの。使い方次第で人に幸いをもたらす呪いともなるし、災いを呼ぶ呪いともなる。』
なぜ想像できなかったのだろうか。
自分の一言が誰かの不幸の引き金になることに、どうして思い至らなかったのだろう。
そして虚偽の果てに、彼は一体どんな幸せを思い描いたのだろうか?
沈黙の落ちた応接室に、クラウスさんの冷ややかな声が響く。
「今回の件でわかったのは、商会の誰かが失敗した尻拭いにイライザの名が使われた可能性があることです。」
いかがでしたでしょうかでしょうか?
お楽しみいただけると嬉しいです。




