月下の攻防③ 運命の神の嫌がらせ
私を睨みつける管理人の目には、見覚えのある光が宿っていた。
王女時代に、一瞬だけ見ることができたもの。
明確な、殺意。
「両手を挙げ、ここへ来い。抵抗すれば殺すぞ!!」
「ちょっと待て、落ち着け!!殺すは明らかにやり過ぎだぞ?!」
まるで狂犬のようだわ。
ただ吠え牙を剥き、見境なく襲う。
彼は何に囚われ、これほどの怒りを抱いたのだろうか。
とにかく、この異常な空気に飲まれてはいけない。
心を落ち着かせるよう、軽く目を瞑る。
そして、にっこりと微笑んだ。
「はじめまして。私はサジタリウス商会の美術品部門所属、イライザと申します。」
ゆっくりとした仕草でカバンから取り出した身分証明書を掲げた。
相手が関係者と知った二人は同じような驚いた表情を浮かべている。
ここはサジタリウス商会の荷受け場。
時間帯は微妙だが、この場に私がいても不審ではない。
立場的に言えば、怪しまれる要素などないのよ。
ダメ押しとばかりに、もっともらしい理由を説明する。
「私は商会に勤め始めて間もないのです。新人のお仕事として在庫の管理も任されておりますので、どのように荷が運ばれてくるのか興味があってこちらに伺いましたの。夜分にお邪魔したのは作業員の皆様の作業を邪魔しないように配慮したつもりだったのですが…不慣れなために、申し訳ありません。」
私は申し訳なさそうな表情で頭を下げ、謝罪する。
手順をすっ飛ばしたのは新人で不慣れだからだと思ってもらえると嬉しい。
さて、ここからは商談と同じ。
次の手をと思ったところで、もう一人の管理人がぽんと手を叩く。
「ああ、お前さんがそうか!」
「え?」
「ここにくる前、サジタリウス商会のクラウスさんから連絡があったんだよ。『新人が一人、そちらに向かうからよろしく』ってな。出発前にバタついて忘れてた、こっちこそ疑って悪かったな!」
「クラウスさんが、連絡を…?」
「そうか、そうか。お前さんがそうなんだなー、色々納得だ。」
無精髭を生やしたワイルドな男性がニヤリと笑う。
よくわからないが、勝手に納得されてしまった。
彼は唐突にこちらへ手を差し出す。
顔付きは怖いけれど、笑った表情にはなんだか愛嬌があって憎めない。
彼の手は挨拶のために差し出されたものと判断して、こちらも手を差し出して軽く握り返した。
「俺はジェイコブ、管理室で主任を務めている。クラウスさんと馴染みなんだよ。荷受け場で何か困った事があったら俺に聞いてくれ。」
「ではここへ来る前にまずは管理室へお伺いすべきでしたね!気が回らなくて申し訳ありません、以降気をつけます。」
「まあ、初めて見る光景に浮かれて忘れてたってだけだろうからな。次、気をつけてくれればいいよ。」
ただ明るく笑うだけのジェイコブさんの表情に安堵する。
エレナさん達のことを言わない罪悪感はあるけれど、なんとか誤魔化せそうかな。
そう思ったのも束の間、隣に立つ男性が再び声を荒げた。
制服から判断して同じ管理人のようで、ジェイコブさんの同僚らしい。
「イライザ…ってあんた、他人の足ばかり引っ張って迷惑かけるくせに、男に色目を使うのだけは上手いっていう新人だろう?迷惑なんだよ、こんなところでコソコソして。もしかして男と相引きでもしてるのか?」
「えっ、そんな事してませんよ!」
「それとも商品を盗む気じゃないだろうな?!ジェイコブさん、この女を不審者として警察に通報しましょう。人に迷惑ばかりかけるような新人はサジタリウス商会には不要です。」
「おいおい何言ってんだ、サム。関係者でもないお前がいう台詞じゃないだろう、どうしたんだよ?すまんな、こいつはちょっと今、気が立っているみたいで…。」
なんで私の事を知っているの?
しかも初めて会うこの人にまで貶されるのか、理解できない。
呆然として言葉を失った私に詫びた後、ジェイコブさんは困惑した表情で彼を嗜める。
サムさんというのか…彼のせいでせっかく和んだ空気が台無しになった。
それに人に迷惑ばかりかけるってことは、もしかして商会の従業員に私のことを聞いているのかな?
仕事の方は心当たりがあるだけに反論できないけれど、盗みを働くような人間と思われるのは心外だ。
そこはきっちり否定させてもらおう。
「私は盗みなんてするつもりはありません。第一、鍵のかかっているコンテナからどうやって盗むんですか?」
「そうだぞ!コンテナの鍵は俺達が管理しているだろうが!管理室に寄ってもいない彼女が鍵を手に入れられる事は絶対にない。そのくらいお前にだってわかるだろう?!」
「ですがっ、人の持ち物を盗るのが得意なその女ならやりかねないって…、イテッ!!」
ジェイコブさんが拳で彼の頭を叩く。
結構いい音がしたが、大丈夫だろうか?
「誰に何を吹き込まれたか知らねえが明らかに言い過ぎだ!!謝罪しろっ!!」
場に沈黙が落ちる。
サムさんは不本意とでもいうような憮然とした表情を浮かべた。
「ですが俺は正しい事しか言ってませんよ!」
「正しい事?」
「そうです!!」
彼は私に蔑むような視線を向け、吐き捨てるように言った。
「この女のような害虫は生きている価値もありません。早急に駆除べきでしょう。」
「…お前、自分が今何言ってるのかわかっているのか?」
害虫、しかも駆除って…。
さすがにそこまで言われるような事をした記憶はないのだけど。
どういうわけか、話せば話すほどにサムさんの表情が失われていく。
まるで誰かに言わされているみたいで、それが余計に不気味だ。
彼の様子を見ていたジェイコブさんは申し訳なさそうな表情で私に頭を下げた。
「取引先の人に対して失礼な事を言って申し訳ない。理由はわからないんだが、こいつは今ちょっとおかしいんだ。上とも相談して対処するから許してもらえないだろうか?」
「勤務時間外の事ですし、私が来た事で混乱を招いた自覚はありますからかまいませんよ。」
私も大事にならない方がありがたい。
その代わり、早く解放してくれないかな…。
エレナさんやコンテナに隠れているだろうレイさん達の状況がとても心配だ。
だけど納得しない表情のサムさんは、今度はジェイコブさんに食って掛かる。
「ジェイコブさん!俺の方が後輩ですけど、ここは言わせてもらいますよ!窃盗は犯罪です。それを知り合いに頼まれたからって、見逃す気ですか?!」
「まだ言うか…じゃあ彼女が盗んだと言う証拠がどこにある?」
「あの黒いコンテナです!あのコンテナを盗もうとしたに違いありません!」
「黒いコンテナか…まあ確かに黒は不自然だが…ん?」
先程まで黒いコンテナのあった辺りを凝視したジェイコブさんが目を見張る。
そしてゴシゴシと目元を擦った後、急に安堵したような表情を浮かべた。
「なんだ…あのデカいコンテナの色、よく見ると黒じゃなかったのか!!」
「え?そんな馬鹿な!絶対に黒だ!!」
「なら、もう一度自分の目で見てみろ。」
ジェイコブさんの指差す方を見たサムさんは瞬きした後、茫然とした表情で固まる。
「そんなバカな…さっきまで確かに…。」
正直なところ、私も同じ気持ちだ。
先程まで黒いコンテナがあった場所に、今は臙脂色のコンテナが横たわっていた。
「臙脂…そんな馬鹿な…。」
「臙脂色もあまり見かけないが…まあ、ない事もない。そうか!!お前は見た事がないから臙脂色を光の加減で黒と勘違いしたんだな!!」
ジェイコブさん曰く、コンテナの塗装に使われる色は、青、緑、黄色など明るい色合いが多いらしい。
海上で事故に遭って海の底に沈んでもすぐ見つけられるように、なんだそうだ。
それが黒なんて、暗い海の底に沈んだら見つかる可能性はゼロに等しい。
つまり普通なら絶対に選ぶ事はあり得ない色だ。
話を聞いてる間も目視で確認したけれど、確かに他のコンテナの色は青や緑だった。
どれもサジタリウスのロゴが入っているから間違いなくうちの商会のもの。
でもさっきまでは確かに黒いコンテナだったはず、あれはどうしたんだろう?
もしかして…アリアさんやケイトさんあたりが何かしたのかな?
内心は絶賛混乱中だったけれど、それを表情に出すわけにはいかない。
仕方ないのでただ困惑しているだけのような表情を浮かべた。
「私にも黒ではなくて臙脂色に見えますね。」
「な、そうだろう?」
「嘘だ、黒いコンテナをお前が隠したんだろう!!」
「ですがあれだけの大きさのものを、どうやって隠すのです?」
すかさず言い返すとサムさんは言葉に詰まる。
音もなく重いコンテナを動かすなんてこと、普通はできない。
一瞬アリアさんの顔が浮かんだけれど、彼女は特別なのだという事にした。
とりあえず何とか誤魔化せたかな?
「そうか!見た目だけ色を変えて、中身はきっと変えていないはずだ!」
そう叫んだサムさんはジェイコブさんの手を振り払いコンテナへと走り出す。
どうしよう、あそこにはレイさん達が隠れているはず!!
「お、おい!ったくもう、何なんだよ!」
サムさんの後を追い無言で走り出した私の後ろをジェイコブさんが続く。
息を弾ませコンテナに辿り着くと、サムさんが入口の鍵を開けたところだった。
彼の腰に鍵の束が垂れ下がっていたから、それを使ったのだろう。
ジャラリという音がして彼の足元には錠前の繋がった鎖が無傷のままに落ちている。
レイさんが引き千切ったはずなんだけど…。
だけどこの程度では、もう驚かなくなってきたわね。
それが喜んでいい事なのかは微妙なところだ。
「はあ、はあ…おい、サムっ!取引先に断りもなく勝手にコンテナの鍵を開けるのは厳罰だぞ!」
ジェイコブさんの止める声も聞かず、サムさんはコンテナの奥へ駆け込む。
そして狂ったような彼の叫び声が聞こえた。
「そんな馬鹿な!!」
ガタガタと大きな物がぶつかる音がする。
覗き込んだコンテナ内では、サムさんが手当たり次第に木箱の蓋を開けている。
ゴロリと無造作に床へ転がされた骨董品の数々に血の気が失せた。
「それ売り物なのよっ!」
「あんの馬鹿!!ちょっと退いてくれ!」
慌てて飛び込んだジェイコブさんが無理矢理コンテナの外へと引きずり出す。
扉を固く閉めて、再び彼が開くことのないように立ち塞がった。
サムさんは血走った目を私に向ける。
「お前が隠したのか!彼女の素晴らしい研究成果を!!」
「研究…成果?」
「お前が彼女の才能に嫉妬して、アレを奪い取ったに違いない!!無能なくせに、調子に乗りやがって!!ふざけるな!!」
サムさんは歯を剥き出し、私を罵倒する。
こんな場所にも彼女の影が。
彼が彼女と呼ぶ人物像が、私の中でひとりの女性の姿と結びつく。
昼間に職場で繰り広げられた偽りに満ちた一幕を思い浮かべる。
彼女の悲しそうに歪めた顔を覆う手の隙間から一瞬垣間見えた嘲笑。
まるで御伽噺に出てくる悪い魔女のようだった。
もし彼のいう彼女が、あの人なら…私の悪口を吹き込まれていることも頷ける。
だけど彼女はこんな場所で、何の研究をしていたのだろうか。
ひとつだけわかるとすれば、それはサムさんのように人を狂わせるようなもので…。
決して良いものではないということだけだ。
「おい、返せ!!返せよーーー!」
「危ない!!」
叫ぶジェイコブさんの声で我に返った。
こんな危機的状況の中、物思いに耽るなんて油断し過ぎよね。
スローモーションのように振り上げたの拳がすぐ目の前に迫って、思わず身を竦ませる。
「いやっ…!!」
怖い…!
悲鳴をあげると手を顔の前に翳し、目を瞑った。
だけどいつまでたっても衝撃は襲ってこない。
それどころか、優しく温かい温度に包まれる。
腕の力強さも、ほのかに香る匂いも。
記憶に残る誰かと重なって困惑する。
覚悟を決め、恐る恐る目を開けた。
どうしてここにいるの?
「心配になって来てみれば、これは一体どういう状況なのかな?」
本日、二度目。
言っておくが生まれてからカテリアに来るまでの間、暗闇で襲われた経験など一度もない。
今後、物騒な記録が更新される事もないだろう。
彼はサムさんを睨みつけながら口元だけで器用に笑う。
腹立たしいことに…その凛々しい表情は彼にとても良く似合っていた。
「イライザは、最近なんだか災難続きだね。運命の神に嫌がらせされるような心当たりはないの?」
「全くないから困っているのですよ…クラウスさん。」
引きこもりを舐めないで欲しい。
かつての私は神様の興味どころか衆目すら引くことはなかった。
「二人とも、大丈夫か?!」
ジェイコブさんは激しく暴れるサムさんをようやく取り押さえる。
応援を呼んだようで駆け付けた管理人さん達の手で彼はどこかへ連れて行かれた。
さらにコンテナを無断で開けたという事で、警察とサジタリウス商会の本部の人間にも通報するそうだ。
そうして警察と到着した本部の人間から事情聴取を受け、全てが終わったのは深夜。
エレナさんのこともあって、全てを話せない私の代わりにクラウスさんが上手く処理してくれた。
おかげで円滑に取り調べが終わり一応無事に解放されたのだ。
色々思うところはあるけれど…これについてはクラウスさんに感謝しかない。
そしてジェイコブさんに誘われ、管理室にお邪魔することになった。
管理室に入った途端、ジェイコブさんは椅子に崩れ落ちる。
「ほんと疲れた…。」
「すみません、ご迷惑をお掛けしまして。」
そもそもイライザが無防備にウロウロしていたのが原因である。
クラウスさんにも慣れない事をするからだと嗜められ、余計に心が痛む。
「いや、君のせいという事ではなくてな。普段は大人しいサムの奴が…あんな風に豹変するなんて思わなかったから驚いたんだ。そのせいで対応が後手に回ったなと思って反省してるんだよ。イライザさんにも怖い思いをさせてしまって悪かったね。」
「いえ、大丈夫です。それにあんな風に暴れる人だとは思いませんでしたから。」
拳が降りてきた瞬間を思い出すと、今もまだ身が震える。
その背中をクラウスさんがそっと撫でる。
労るような手つきに、じわりと涙が滲んだ。
「そうだね、いつもの彼とは別人のようだったよ。」
「どうしたのでしょう?体調が悪いようには見えなかったのですが…。」
完全に我を忘れて暴れる姿には、異常者を見慣れているはずの警察官すら引いていた。
面識のない本部の担当者すら『変なのに絡まれて大変だったね』と同情してくれたくらいだ。
「ここまで大事になっては俺でも庇いきれない。あとは上が処理するだろう。」
商品にまで損害を与えたとすれば、ここではもう働けない。
今までそれなりに仲良くやっていたんだと、どこか寂しそうな表情でジェイコブさんは言った。
場に、沈黙が落ちる。
「それで、そっちの方はどうなんだ?」
「ああ、この件は本部経由で処理してもらうから詳細は本部に聞いてもらった方が…。」
「違うよ、サムの件じゃなくてな。…二人は今後どうするのかなって?」
先程まで暗かったジェイコブさんの表情が一変して、ニヤニヤと笑っている。
意図せずクラウスさんと目が合った。
赤みを帯びた頬を隠すように、急いで顔を背ける。
「ってことは、その子がクラウスさんの好きな子か!」
「ええ、これから口説くつもりです。」
「いいねえ、若いっていうのは!頑張りなよ!」
何言ってるのよ!
呆然と目を見開いて固まる。
ジェイコブさんはクラウスさんの肩を叩く。
私にはクラウスさんがどんな表情をしているのかなんてわからなかった。
ただ心底楽しそうなジェイコブさんの笑い声だけが耳に響く。
「二人とも初々しいね!どれだけ難しい商談でも表情を崩さないと評判のクラウスさんですら形なしだ。」
「違います!!だって彼には婚約者がいるのですよ!」
婚約者がいるのに、私の出番なんてない。
ジェイコブさんが表情を歪めた。
「そんな…まさかイライザさんもか!!」
長くなったために、キリのいいところで半分にしました。
残りは、明日効果します。




