月下の攻防① 満月の下には秘密が埋まっている
ぽっかりと浮かんだ満月の下。
サジタリウスの描かれた黒いコンテナが埋もれるようにして横たわっていた。
まるで大小様々な大きさのコンテナで隠そうとしたみたいだ。
この暗闇の中、よく見つけたものだと感心する。
「それにしてもこの一角だけ明らかに不自然だよね。」
「コンテナの数が多いだけなら商売繁盛の証だし、それ自体はいい事だと思うよ?ただこの乱雑な積み方は作為的だと思うけどね。」
不安定に重ねられたコンテナはまるで積み木みたいで素人目にも、いつ崩れてもおかしくないと思える。
…港で働く管理者も従業員達も注意しないのかな?
ケイトさんは皮肉げに唇の端を歪めた。
「この件に関わった人間は、どいつもマトモじゃないって事だよ。」
つまり、関わりのある彼らも普通の精神状態ではないという事か。
夜だけに周囲へと視線を巡らせれば人の姿はどこにもなく、ただポツリと立つ赤い鉄塔と黄色の大型クレーンが見えた。
遠くに橋もあるし、レジーさんが言っていた場所はこの辺りで間違いないだろう。
ただ彼女はどうやってここにコンテナが隠されている事を調べたのだろうか?
「考えても無駄だよ、理屈じゃないから。」
心を読んだかのように、ケイトさんは笑う。
「それであのコンテナはサジタリウス商会のもので間違いない?」
「はい、ロゴを確認する限りでは間違いないと思います。」
コンテナには、確かに見覚えのあるロゴが描かれていた。
ただ通常使われるものとは違い、サジタリウスが馬の脚で疾走する姿が描かれている。
創業者の遊び心でそうなったとされていて、一般に流通する両脚で起立した姿勢のロゴとは違うのだ。
だからこそ、余計に本物と思えた。
「オーケー、じゃあ始めていいよ!!」
ケイトさんの声に、レイさんが片手を上げて応じる。
その男性的な仕草がさまになっていて、とても格好いい。
堂々とした態度が自信に満ち溢れていて羨ましいと、そう思った次の瞬間。
叫びそうになった悲鳴を無理矢理飲み込む。
レイさんが素手でコンテナを持ち上げた。
そしてボールのようにコンテナを片手で放り投げる。
重さという概念を無視したかのような軽やかな動きに視線が釘付けとなった。
だが放り投げられた先でコンテナがたどる未来を想像した途端、黙っていることはできなかった。
「ああっ、商品が壊れるっ!!」
エレナさんを助けるためには仕方のない事なのかもしれない。
だが、あの中にお客様の思い出の品とか、一点ものの客注品とかが含まれていたらどうしよう。
想像して青ざめた私の肩をケイトさんは笑いながら叩く。
「初めて見るとびっくりするよね!でも私達がそんな雑な仕事をするわけないでしょ。」
彼女の指先をたどれば、商品の落ちる場所の真下にはアリアさんがいた。
放物線を描いて飛んでいくコンテナの下で上空へと手を掲げている。
「あ、あ、危ない!!」
「大丈夫、よく見てて?」
最悪の事態を想像して反射的に目を閉じる。
だけど想像していたような轟音が響くことはなく、閉じた瞼を恐る恐る開いた。
視界の先ではアリアさんをめがけて落ちてきたコンテナが彼女の頭上で宙にふわふわと浮いている。
それも一つではない、二つ…三つも!
初めて見る光景に呆然としている私の目の前で、テンポよく地面へとコンテナが降ろされていく。
空中に優美な曲線を描くアリアさんの腕と指先。
音楽を奏でるような彼女の動きに合わせてコンテナが上昇し、下降する。
手早く、それでいてコトリとも音がしないなんて、どんな力が働いているのだろうか。
頭上を移動するコンテナが本来あるべき場所へと並べられていくのを私はただ言葉なく見守っていた。
一体、何をどうしたらこうなるの?
呆然とした表情の私に気付き、アリアさんは微笑んだ。
中世の肖像画に描かれる淑女のような、凛とした微笑み。
動き回るほどに際立つ彼女の優雅な物腰と、細くすらりとした長い手足。
そして恐ろしいほど整った顔立ちに、雲一つない青空みたいな色の瞳。
まるで古い映画に出てくる女優さんみたいだ。
容姿の美しさだけでなく、体から滲み出るような品性を感じる。
世の中に、綺麗な人は沢山いる。
けれど女性の理想とする要素を十二分に持ち合わせている人が身近に存在するとは思わなかった。
正直なところ、相手が女性ってわかっているのにドキドキするのって初めてかも。
緊張する私の横で、のんびりと二人の流れ作業を眺めていたケイトさんが満足げに頷く。
「重力の軽減とコンテナ内部の固定、おまけの消音機能。我ながら良い仕事したなー!」
「いい仕事って、えっ、それはどういうこと?」
「そのままの意味だよ。私がそうなるように調整したの。まず、レイが投げているコンテナの重さを十分の一まで低減、さらにコンテナ内部にある商品が破損しないよう空気ごと固定する。だから投げても受け止めても重さを感じにくいし、固定されていれば商品が傷付くこともない。こうすればコンテナと商品に問題はないでしょう?そしてオマケにつけた消音効果がコンテナを置いたときに発生される大きな音を吸収までしてくれる!!ねー、凄くない?褒めて、褒めて!」
「…まさか、あのコンテナ全部に改良を加えたっていう事?」
「はは、まさか。全部、普通のコンテナだよ。ただ私の作った道具によって後付けで効果を付与したというだけ。」
ケイトさんの指差す先で、アルスさんがコンテナの壁に丸い形状のものを貼り付けていた。
それは設置された瞬間にわずかな眩い光を放つと壁に滲むようにして姿を消す。
「ちなみに時間限定の使い切り、だから回収しなくてもいいという優れものー!」
「ケイトさんは、そんなすごいものが作れるのね…。」
「うん。だけど力の弱い同族には無理かな?私は…ううん、私達は満月の娘だから…満月の女王の力を引き継いだ後継者だからね、持っている能力が規格外なんだよ。」
言うなれば、純血。
能力を与えられるというということはそういう事なのだとケイトさんは微笑んだ。
ふと脳裏に”まんげつのおはなし”の一節が蘇る。
満月の女王は自分が死ぬときに六人の月の姫に力を分け与えた。
あの時、ルーテさんは六人の姫というのは女王の直系の娘達の事だと教えてくれた。
そこにずっと違和感を感じていたエレナさんの衰えることのない容姿の謎が重なる。
私は彼女も自分と同じように生まれ変わったのだと思っていた。
だけどもし彼女が…彼女達が純血だというのなら、予想は根本から覆る。
彼女達は生まれ変わったのではなく、死んでいないのではないか。
そして、その生が満月の女王が亡くなってからずっと続くものであるのなら。
一体どれだけ長い時を彼女達は生きているのか。
「そんな大切な事を私に話してしまっていいの?」
「うん?だってイライザちゃんは特別だもの。」
「特別?」
「そう、特別。」
彼女の特別という言葉が、妙に引っ掛かる。
…実のところ、もっと深い意味が込められているのではないか。
それを感じ取った瞬間、心臓が嫌な音を立てた。
まさか今まで、ずっと試されていたのか。
合格だったらいい、でもそうでなければ…。
内心で焦る私を感情の読めないケイトさんの瞳が写していた。
「私はね、愛する相手を守るために自らの死を望むような人間がいるとは思わなかったよ。」
「それは…。」
「イライザちゃんは、心の声が導くままに相手の男を殺してしまえばよかったんだ。」
「ど、どうして…それを。」
記憶を見透かしたような台詞に戦慄する。
それは私が伯爵令嬢であった当時のことだった。
『手に入らないのなら、彼の命を奪ってしまえ』
繰り返し囁く、誰かの声。
ある日、とうとう心の声が自分の欲望を代弁するものだと気がついてしまった。
声の主が自分であることを知って、耳を塞いだ。
浮かんだ欲望を醜いと、邪悪であると何度打ち消したことか。
以降、何度生まれ変わっても芽生えるのが、こんな浅ましい願いだったなんて言えなかった。
悪魔のような心を持つ娘と思われたくなくて誰にも明かしたことはなかったというのに。
彼女は私しか知らないはずの心の声を、どうして知っているのか。
「代償さえ支払えば呪いは効力を失う。たかが愛なんかのために、イライザちゃんの命を代償として支払う必要はなかったんだよ。」
約束を違えた代償ならば、彼の命を捧げるべきだ。
言うのは容易い。
だけど現実に彼の命を奪うなんていうことが果たして出来ただろうか。
御伽噺のように邪悪な魔女に唆され、呪いを解く鍵となるナイフを渡された自分を想像する。
王子様の心臓を刺せば呪いが解けると教えられて、絶望したに違いない。
殺せるわけがないわ。
命の代わりに愛する人の命を奪った、その先に残された人生が幸せとは思えない。
彼の心臓へと振り上げたナイフはきっと自分の心臓を貫く。
たかが愛のために自分の命を捧げるなんて、愚かだと思っていた。
だけど現実の私は命の前では瑣末なはずの愛なんかのために自分の命を賭けたのだ。
それを彼女はどうやって知った?
エレナさんからそれらしきことを聞いたとか?
狼狽える私に、ケイトさんは御伽噺に出てくる悪い魔女みたいな表情で嗤う。
「忘れちゃったの? 私も魔女なんだよ。呪いと呪いは、魔女の専売特許なんだ。だから魔女の血を引く者は、捻くれた因果を持つ呪いを解く方法が感覚的にわかるようにできている。そして心の声は、それを伝えてくれる大切なもの。だからどうしても聞きたかったの。裏切られ捨てられるとわかった時点で、なんで彼の命を奪わなかったのか、と。」
そうすれば呪いなんかに振り回されずに済んだのに。
ケイトさんは、無邪気な表情で首を傾げる。
「ねえ、どうして?」
「…だって知らなかったのだもの。自分勝手で醜悪とも思える願いが本当に呪いを解くための鍵だったなんて。」
滲むような紫の瞳が一瞬だけ黒く濁ったように見えた。
闇の奥にある、何か得体の知れないものを覗き込んだような恐怖が私を支配する。
握りしめた手に、じっとりとした汗が滲んだ。
「知らなかったじゃ済まさないよ? エレナに出会わなければ、今回も裏切られたかも知れない。魔女の血を引く者が、心の声の意味を知らなかったとは言わせない」
闇に塗り潰されたような紫の瞳とぶつかって、思わず視線を逸らす。
中途半端な答えでは、逃してもらえなさそうだ。
「私だって、何も対策を考えていなかった訳じゃないわ。逃げるのが嫌で運命に抗ったこともあった。ただ…足掻くほどに自分が惨めに思えて仕方なかったの。だって相手の心には私への愛情なんてないのに、いつも私だけが愛に囚われているのよ?このままそばにいたら、いつか憎しみに駆られて本当に彼らの命を奪ってしまう。そんな事をすれば人々は好き勝手に噂するわ…愛されてもいないのに執着して罪のない男性を殺した罪深い女だと。私がどうして、彼らの分まで罪を負わねばならないのよ!」
最後の方は、まるで悲鳴みたいだった。
愛したのが罪だなんて虚しいだけだ。
だから逃げたのよ。
逃げ続けたのは誰かを傷つけたくないという優しさからじゃない。
本当は自分が傷つきたくなかった。
改めて言葉にすると、なんて醜い恋をしていたのだろう。
「それでも命を奪う機会はいくらでもあった」
「……」
「裏切られても殺せなかったのは彼らを憎むと同じくらいに愛していたからなんでしょう?」
再び愛されると期待していなかったというのは、嘘。
ケイトさんは真実を見極めようと目を細め、淡い瞳を滲ませた。
私は覚悟を決めて、口を開いた。
「そんなに邪魔なのなら…いっそ私の命こそ奪って欲しいと何度も思ったわ」
ダレルも、アレクシス様も。
武術や権力という容易に命を奪う術を持ち合わせているのに、なぜかいつも手に掛けることはなかった。
ただ私を深く失望させ、遠くに追いやるだけ。
その事が余計に私を追い詰めていたなんて、彼らは一欠片も思ってもいないに違いない。
憎もうとするほど、心は囚われたまま離れない。
否定しても、彼らとの美しい思い出は心の中で色鮮やかに甦る。
もしかしたら、次の人生こそは愛されるのではないかと。
愛し愛されるような、めくるめく世界を見せてくれるのだ、と。
「結局、繰り返しを望んだのはイライザちゃん自身だったんだねー。」
軽い口調でそう締めくくったケイトさんには、さぞかし滑稽に映っているのだろう。
だけど視線の合った彼女は、思いの外、穏やかな笑みを浮かべていた。
「あのね、命のために愛を捨てるのが人間なんだよ。寿命という宿命を背負う人間は、自分の命を何よりも尊ぶ。だけど寿命という理の外にある魔女はね、愛なんかのために命を捧げることができるんだ。だからイライザちゃんは特別。人間でありながら魔女の感覚に近いイライザちゃんだからこそ、教えておかねばならないことがある。今後のためにも知っておいた方がいいだろうと思ったから、教えたの。」
他の人にはナイショだよ。
ケイトさんは唇に指を当て、にっこりと微笑む。
ただ今後のためにも、ってどういう事だろうか?
「覚えておいて。魔女にとって満月の日は力が最も強くなる。だから満月の下では、隠されていたアレコレが表に晒されることが多いんだ! 満月の下には魔女にとってワクワクするような秘密がいっぱい埋まっているんだよ! だからイライザちゃんも色々な真実を知る覚悟をしておいた方がいい」
「真実を知る覚悟……」
コンテナを軽々と投げるレイさんに、飛び交うコンテナを優雅に操ったアリアさん。
それ以上の秘密なんて、この場所にあるのだろうか?
「例えば、あのコンテナにはどんな秘密が詰まっているんだろうね?ああ、素敵すぎて辛いわー!」
「ケイト。はしゃいでいるところで悪いけれど、邪魔なコンテナは全部移動したわよ。」
いつの間にか側にはアリアさんが立っていた。
何も言わないけれど、私達の会話の内容は、ある程度聞かれていたに違いない。
だけどそれに触れることなく淡々とした表情でコンテナだけを見つめている。
闇の中、姿を現したコンテナは墓地に横たわる黒い棺のよう。
…今にも蓋を開けて何かが這い出してきそうだわ。
そう思わせるに相応しく、禍々しい気配に満ちていた。
別のお話を書いていて、更新が滞っていました…申し訳ありません。
お楽しみいただけると嬉しいです。




