第58話 峠の向こう、風薫る緑の大平原
貿易都市テノラーダを出立してから、およそ二十日。
一行は道中で、湯煙の立ち込める温泉街ロメニアへと立ち寄り、旅で強張った身体を心地よい湯で芯からほぐした。
街道はロメニアから進路を南西へ変え、広大な田園地帯を抜けて高原へ、そしてケーニヒシアとファルーダを分かつ、険峻な国境地帯へと差し掛かった。
峠道では、ラグロニーネとテノラーダを結ぶ街道以上に、何度も対向の馬車へ道を譲ることになった。
「……うん。これ、本当に軽くて動きやすいな」
馬車の中で、翔馬は身に纏った薄手の半外套を軽く手で擦った。
深い灰色の生地は薄く、しなやかでありながら、山の冷たい風をしっかりと弾いてくれる。
肩から背中を覆う短い丈は、腰の剣を抜く際にも邪魔にならない。
胸元で鈍く光る紫黒石の留め具を指先でなぞりながら、翔馬はテノラーダの師たちの粋な心遣いを改めて噛み締めていた。
「うふふ。とってもよく似合ってる」
向かいの座席から、レオナが春風のような柔らかい笑みを向けてくる。
プラチナシルバーの髪には、あの日翔馬が贈った紫黒石の髪留めが揺れていた。
「ありがとう。……それにしても、一気に景色が変わったね。……街道ってのもあるけど、すれ違う馬車が多い気もする」
翔馬の視線の先、車窓を取り囲む風景は、すでにロメニア近郊の穏やかな田園地帯とはまるで異なっていた。
片側には赤茶けた荒々しい巨岩が幾重にも聳え立ち、その反対側は、足を踏み外せばそのまま転がり落ちていきそうな急斜面が見える。その合間を縫うように走る峠道は、馬車がすれ違える程度の道幅しかない。
対向の馬車が現れるたび、翔馬とレオナは窓の外へ視線を落とし、車輪と斜面との距離を確かめては、二人そろって無意識に身体を反対側へ傾けた。
乾いた風が岩肌の裂け目を擦り抜け、ヒュウと甲高い笛のような音を立てるようになると、二人はますます落ち着かなくなった。
「おーい、お二人さん。何やってんのか知らねえが、あんま暴れんなよ。……にしても馬車が多いな。気が抜けねえったらありゃしねえぜ」
前方の御者台から、手綱を握るガルファンの野太い声だけが飛んでくる。
馬車を曳くチャコとチャイは、足場の悪い道であっても息をぴったりと合わせ、軽快に蹄を響かせていた。
翔馬やレオナの心配などどこ吹く風とばかりに、長旅のリズムを身体で覚えている二頭には、迷いも焦りもない。
やがて、馬車がゆっくりと峠を上り詰めていくと、それまで斜面だった側にも張り出した岩壁が迫るようになり――頂上付近で鋭く曲がる道の先、その瞬間だった。
(……ん?)
翔馬の鼻腔をくすぐったのは、それまで岩肌を擦っていた乾いた砂埃の匂いではなかった。
ふっと、肌を撫でる風の質感が変わる。
峠道の轍には、数日前の雨でできたと思わしき水溜まりがところどころ残っていた。そのわずかな湿り気と、瑞々しい青草の濃い香り。そして――。
――ゴォッ……!
狭い岩壁の割れ目を抜けた刹那、視界を塞いでいた左右の岩肌が一気に後方へと飛んだ。
「……あ!」
翔馬は、息を吸い込むことすら忘れて、車窓に見とれた。
右にも、左にも、前にも。視界を遮るものが、何ひとつない。
地平線の果ての果てまで波打つ、圧倒的な緑の海。緩やかな起伏を描きながらどこまでも続く草原が、吹き抜ける風に押されて、幾重もの波となってうねっている。
頭上には、吸い込まれそうなほど高くどこまでも澄み渡る青空が広がる。遥
か彼方、緑の地平が尽きるその果てに、空の青とは明らかに異なる、深く濃密な紺碧の帯が一本の線となって横たわっていた。
その遥か向こうでは、稲光を放つ積乱雲までが一望できる。
「わぁ……!」
隣で、レオナが思わずといった様子で窓枠に手をかけ、身を乗り出した。
吹き抜ける風にプラチナシルバーの長い髪がふわりと広がり、光を浴びてきらきらと輝く。瑠璃色の瞳をいっぱいに見開き、無邪気な歓声を上げていた。
「エスティ、見て……! すごい! どこまでも緑が続いて……あんな遠くに海まで!」
「……ホント……すごいね……」
翔馬は、ただその言葉に掠れた声を返すのが精一杯だった。
この世界に放り込まれてから、人の営みの中では、いつも石の建物や城壁が視界にあった。
あの険しいゴラン峠で見た景色のように、目の前に広がる世界にただ驚くだけだった。
(……僕、本当に……知らない世界にいるんだな……)
何ひとつ自分を縛るもののない世界の広さそのものが、全身を突き抜ける風となって翔馬の胸を打つ。
ただ呆然と、果てしない大地を見つめる青年の背中へ、御者台からカラッとした笑い声が降ってきた。
「ダハハッ! 魂を抜かれたってツラしてやがんな!」
ガルファンが振り返る。そして、ニヤッとした笑いを浮かべた。
「俺もこっち来るのはガキの頃以来だがよ。……こっから先が、風と草原の国ファルーダだ」
◇
峠を下り、大草原のただ中を貫く土の街道へと降り立つと、風はいっそう力強さを増していた。
波打つ背丈の低い若草を掻き分け、チャコとチャイが実に気持ちよさそうに速度を上げる。平坦で見通しの良い大地は、馬たちにとっても走る歓びに満ちているようだった。
その開放感に浸りながら走ること半刻ほど。不意に、大地の微かな振動が響いてきた。
――トトトトトトッ……ドロロロロロ……ッ!
リズミカルで、しかし凄まじい地鳴りのような響き。
翔馬がハッとして進行方向の左手を見やると、緑の丘の稜線の向こうから、砂煙を巻き上げながら疾駆してくる影があった。
「……馬!?」
「おー、あっという間に追いつかれちまったな!」
ガルファンが手綱を引き、馬車の速度を緩める。現れたのは、四騎の騎馬兵だった。
ハルトやケーニヒシアで見慣れた、重厚な鉄の甲冑を着込んだ騎士たちとはまるで違う。その身に纏うのは、鮮やかにたなびく濃紅色の布と、しなやかな革を組み合わせた軽装の鎧。
乗り手たちは鐙を踏みしめ、まるで鞍の上に仁王立ちしているかのような姿勢で、手綱を一切乱すことなく翔馬たちの馬車と並走していた。
背には短弓、腰には反りのある細身の曲刀が見える。それはファルーダの国境を守る、騎馬巡視兵たちだった。
「止まれ! 旅の馬車よ! 国境を越えた者の改めを行う!」
先頭を走る、彫りの深い精悍な顔立ちの男が鋭く声を張り上げた。
その身のこなしには一切の無駄がなく、四騎が息を合わせたように馬車の四方を隙間なく取り囲む。
まったく隙がない。しかし、それは敵意によるものではなく、国境を預かる者としての、研ぎ澄まされたプロの警戒心からだった。
思わず、翔馬の背筋に緊張が走る。
「あいよ、今止まるぜ!」
ガルファンが慣れた手つきで手綱を引くと、チャコとチャイが緩やかに速度を落とし、馬車を路肩の草地へと滑り込ませた。
すかさず二騎が後方の荷台へ回り、別の二騎が御者台のガルファンの手甲や、馬車から降り立った翔馬の腰の長剣へと、鋭い視線を注ぐ。
人数、荷の量、武器の有無。一連の確認は驚くほど手際よく、わずか数瞬で完了した。
「俺らはラグロニーネからテノラーダを経由して、草原の国へ向かう旅の者だ。これがテノラディア侯爵カルロ様から預かった身分証だぜ」
ガルファンが懐から取り出した羊皮紙を手渡す。
隊長らしき男は、手袋を外した手で書状を受け取ると、そこに捺された猛々しい鷲の刻印と、流麗な署名をじっくりと検分した。
そして――厳しかった男の眉間が、ふっと和らいだ。
「……確かに。これはテノラディア侯爵家の印。正式な身分証に相違ない」
隊長は書状をガルファンへ返却すると、パッと屈託のない、白い歯を見せて豪快に破顔した。
「よし、確認完了だ! 疑って悪かったな、旅人たちよ!」
「なぁに、素早い仕事に感謝すんぜ!」
ガルファンの返しもあってか、張り詰めた空気が嘘のように、一瞬にしてカラッとした快活な空気が広がる。
隊長は馬首を巡らせると、御者台の前で鼻息を鳴らすチャコとチャイを感嘆の目で見つめた。
「それにしても……見事な脚並みだ! 毛艶も素晴らしい。あの険しい岩山を越えてきたというのに、少しも疲労の色が見えん。余程腕の良い御者と、丁寧な手入れを受けていると見えるな!」
馬を何よりも愛し、誇りとするファルーダの民らしい、心からの賞賛。
ガルファンが照れくさそうに鼻を擦り、翔馬も自然と笑みをこぼした。
「ありがとうございます。テノラーダでしっかり休ませてきましたから」
「そうか! 草原の風が、お前たちを歓迎しているぞ! ……そうだ、旅人よ。このまま街道を進むのもいいが、ちょうど俺たちも交代の時間でな。この先の一族の天幕へ戻るところだ。良ければ立ち寄っていくといい。水と肉くらいなら振る舞えるぞ!」
「へぇ、そいつはありがたい! どうする、大将?」
「ええ。遠慮なく寄らせてもらいましょう」
翔馬が即座に頷くと、隊長は嬉しそうに高笑いを上げ、手綱を軽快に鳴らした。
「よし、ついて来い! 案内してやる!」
◇
巡視兵たちに先導され、街道から少し外れた緩やかな谷筋へと進むと、清らかな小川のほとりに、白く丸い天幕が十数張り、身を寄せ合うように立ち並んでいた。
木の骨組みに、羊毛フェルトのような分厚い布を幾重にも巻きつけた、移動式の住居だった。
(……なんというか、モンゴルのゲルにすごくよく似てるな……)
翔馬が物珍しそうに天幕を見つめる中、馬車がその前に滑り込む。
脇に馬車を止め、手綱を外されたチャコとチャイは、見渡す限りの柔らかい若草を前に「フシュルル!」と嬉しそうに鼻を鳴らし、夢中で草を食み始めた。
長旅で乾燥した干し草ばかりだった二頭にとって、瑞々しい草原は何よりのご馳走らしかった。
「さあ、入ってくれ! 狭いところだが、外の風は防げる!」
案内された天幕の布扉をくぐると、翔馬とレオナは思わず感嘆の声を漏らした。
外の強風が嘘のようにピタリと遮断され、室内は驚くほど穏やかで温かい。
円形の床には色鮮やかな模様の描かれた絨毯が隙間なく敷き詰められ、壁面には、これも色彩豊かな刺繍布や織物が何枚も飾られている。
中央の炉からはパチパチと心地よい薪の爆ぜる音が響き、頭頂部の丸い天窓から差し込む陽光が、立ち上る白い湯気を照らし出していた。
「お前たち、客人を連れてきた! 峠を越えてきた旅人たちだ!」
隊長が声をかけると、炉の前に座っていた恰幅の良い女性――天幕の女主人が、満面の笑みで立ち上がった。
丸みを帯びた顔に刻まれた日焼けの跡が、大らかで温かい人柄を物語っている。
「まあ、よくおいでくださったね! 峠の風は冷たかっただろう! さ、火のそばへお座りなさい!」
女主人は手際よく木製の低い円卓を囲むように毛皮の敷物を整えると、炉に掛けられた巨大な鉄鍋の蓋を豪快に外した。
その瞬間――ジュワッという熱い蒸気とともに、野性味あふれる濃厚な香りが天幕いっぱいに広がった。
「うわぁ……!」
翔馬の鼻を直撃したのは、ラグロニーネの洗練されたハーブスープとも、テノラーダ名物の香草肉ともまるで異なる、純粋な肉の香りだった。
大鍋の中でぐつぐつと煮立っているのは、大ぶりにぶつ切りされた骨付きの肉。この草原で飼われている家畜の肉だという。
透き通るような黄金色の脂がスープの表面に浮かび、具材は肉とわずかな根菜、そして塩のみという、極めてシンプルな仕立てだった。
「まずは熱いうちにこれをおあがり!」
深めの木椀に、スープとともに骨付き肉がゴロリとよそわれ、一人ひとりの手元へと差し出される。
さらに、炉の内壁にペタペタと貼り付けて焼かれていた、丸く平たい薄焼きの――翔馬の目にはナンのように映る――パンが、湯気を立てながらカゴに盛られて運ばれてきた。
卓上には、小皿に盛られた白く硬そうな乾燥したチーズのようなものと、少し酸味のある香りを放つ発酵乳の壺も並ぶ。
「うおぉ、コレだコレ! ガキの頃、親父に連れられてきたときに食った覚えがあるぜ! よっしゃ!」
ガルファンは歓声を上げるや否や、熱々の骨付き肉を両手で豪快に掴み取り、ワイルドにかぶりついた。
ジュワリと溢れ出す肉汁。骨際の柔らかな筋まで無我夢中でしゃぶり尽くし、手甲を外した手で口元を拭って「うんめぇぇっ!」と唸る。
「……あはは、ガルファンさん、本当に美味しそうに食べるなぁ」
翔馬も苦笑しながら、木匙を手に取った。
運ばれてきた瞬間は、独特の野性的な香りに少し身構えたが、ふうふうと息を吹きかけ、澄んだスープを一口含むと――。
「……っ!?」
翔馬は目を見張った。臭みや嫌なえぐみなど、微塵もない。
舌に広がるのは、澄み切った塩のスープの味と、噛むほどに溢れ出す純粋な肉の甘み。
塩だけの素朴な味付けなのに、大草原の豊かな草を食んで育った命の力強さが、そのまま濃厚な旨味となって身体の隅々へ染み渡っていく。
「……すごいや、全然臭みがない。甘くて……塩だけで、こんなに美味しくなるんだ」
「だろぉ!? 新鮮な肉をその日のうちに煮込んでるからな! この平焼きパンをスープに浸して食ってみろ、ぶっ飛ぶぞ!」
ガルファンに促され、翔馬は焼き立てのパンをちぎってスープに浸した。
表面はカリッと香ばしく、中は驚くほどもっちりとしたパン――何度見てもナンに見えるそれ――が、旨味の染み出したスープをぐんぐんと吸い込んでいく。
スープの滴るまま口へ運べば、麦の素朴な香りと肉の甘みが合わさり、たまらない味わいとなって口いっぱいに広がった。
「ほふ……! こえ、ほいひいへふへ! はふ!」
行儀が悪いと思いながらも、翔馬は思わず声に出した。
「ふふ、本当……とっても美味しい」
隣で、レオナも両手で丁寧に木椀を抱え、愛らしげに目を細めていた。
ハルトの王城や、ラグロニーネの屋敷で供される豪奢な銀食器の料理とは天と地ほども違う、素朴な郷土料理。
だが、レオナはごく自然に素手で平焼きパンをちぎり、骨付き肉に小さくかぶりついては、美味しそうに頬を緩ませていた。
翔馬の目には、その横顔が気高い王女でも神聖な巫女でもなく、ただこの土地の味を心から楽しむ、一人の旅人のものに見えた。
「おやまあ! 見かけによらず、いい食べっぷりだねぇ、お嬢さんは!」
器をすっかり空にして満足げに息をつくレオナを見て、女主人が目を細めて破顔した。
「細いのに、気持ちがいいくらい綺麗に平らげてくれる! ほらほら、これも持っていきなさい!」
女主人はそう言うと、手元にあった干し果物と、濃厚な塩気のある乾燥チーズ……のようなものを、これでもかというほど布に包んでレオナの膝へ積み上げた。
「えっ……あ、あの……こんなにたくさん、良いのですか……?」
「いいのさ! 美味そうに食べてくれる旅人に、これでもかってくらい振る舞うのは、この国の掟みたいなもんさ! ほら、遠慮しないで!」
「……ふふ、ありがとうございます!」
両手いっぱいの包みを抱えて満面の笑みを咲かせるレオナに、横から翔馬が小さく吹き出した。
「レオナ……結構食べてたのに、まだもらうんだね」
「……もう! エスティったら! せっかくのご厚意なんだから、美味しくいただくのが礼儀でしょう!?」
少し頬を膨らませてジト目を向けてくるレオナの飾らない表情に、翔馬も思わず口元を緩めた。
炉の炎が優しく揺れ、天幕の中は、旅人たちと遊牧民の快活な笑い声に包まれていた。
◇
天幕の集落を出立した頃には、既に陽は西の地平へ向けて傾いていた。
風に揺れる大平原。見渡す限りの緑の海は、いまや黄金色に輝く波へと姿を変えている。
心地よく吹き抜ける夕風が、翔馬の羽織る薄手の半外套をパタパタと揺らしていた。
空を見やれば、茜色から深い紫紺へと、息を呑むほど美しい濃淡を描いている。
馬車の揺れに身を任せながら、翔馬は窓枠に肘を預け、流れていく夕暮れの地平線を静かに見つめていた。
「……僕たち遠くまで来たんだね。なんか、本当に旅をしているって気になってきた」
ぽつりと零れ落ちた言葉。隣に座るレオナが、同じように窓の外の黄金色の海を見つめながら、柔らかく目を細めて頷く。
「ええ。……ラグロニーネを出て、テノラーダへ行って、王都へ走って……今はこんなに広い草原にいるんだもの。なんだか不思議な感じだけど……とっても素敵な旅ね」
「うん。本当にそう思うよ」
翔馬の胸の奥で、炎神の加護が赤い熾火のように、静かな熱を放つ。
旅に出て、本当によかった。馬車に揺られながら、二人は言葉を交わすこともなく、沈みゆく夕陽をただ静かに眺めていた。
――だが、そんな優しくて美しい旅情を、御者台からの盛大な舌打ちがぶち壊した。
「……チッ! ……そうかぁ……」
ガタゴトと鳴る車輪の音に混じり、何やら低い声が響いてくる。
翔馬が何事かと前方の小窓へ顔を向けると、小休止のために手綱を引いたガルファンが、御者台の脇にある革の小物入れから地図を引っ張り出していた。
その表情は、苦虫を百匹ほど噛み潰したようなものだった。
「……ガルファンさん、どうしたんですかその表情……何かまずいことでも?」
「……あ? いや、この先の道程を確認してたんだがな。この街道をまっすぐ進むと、ファルーダ最大の港町フェリッサに着くんだが……」
ガルファンの歯切れの悪さに、レオナも小首をかしげる。
「フェリッサ……大きな港町なのですよね? 何か問題があるのですか?」
「いや……問題っつーか、その……」
ガルファンは地図を乱暴に小物入れへ突っ込むと、心底嫌そうに鼻っ柱にしわを寄せ、盛大に首を振った。
「港町ってこたぁ、当然海だろ? ……あー、くそっ。生臭え魚ばっかり並んでる街なんざ、俺は立ち寄りたくねえんだ」
翔馬はしぱしぱと目を瞬かせた。
「魚? あー、港町なら新鮮な海の幸もありますよね? この国は、色々と美味しいものが楽しめそうですね!」
「あぁ!?」
ガルファンがかつてないほどの速度で振り返ると、まるで親の仇でも見るかのような形相で翔馬を睨んだ。
「いいかエスティ! 魚ってのはな、骨は細かくて喉にゃ刺さる! 身はペラッペラで食った気がしねえ! 皮はぬめぬめしてやがる! おまけに、皿の上に乗っかってるくせに、死んだ目玉でこっちをじーっと見つめてきやがるんだぞ!? 人間はな、四つ足の肉を骨ごとガシガシ食ってりゃいいんだよ!」
「……はい……?」
翔馬とレオナは、完全に虚を突かれて顔を見合わせた。
山魔狼を素手で叩き伏せ、王城の分厚い扉を渾身の技で吹き飛ばす豪快な男が、魚の目玉がこっちを見てるという理由だけで、子供のように顔を青くして喚き散らしているのだ。
そもそも、旅の途中で干し魚を使った料理だって作ってきたというのに。
「ぷっ……あはははは!」
静寂を破ったのは、レオナの堪えきれない笑い声だった。両手で口元を押さえながら、肩を震わせて鈴を転がすように笑っている。
「ふふっ、あはは! いつも豪快で強いガルファン様にも、苦手なものがあるのですね! なんだか……とっても可愛らしい一面を見てしまいました!」
「か……!? 可愛くねえ! 笑うんじゃねえよ姫さん! こっちは真剣なんだ!」
ガルファンは顔だけでなく、耳まで真っ赤にして怒鳴り散らした。
翔馬もたまらず吹き出し、お腹を押さえて笑い声を上げる。
「あはは! はいはい、ガルファンさん! フェリッサに着いたら、僕が意地でも美味しい肉料理店を探してあげますから!」
「エスティてめえまで! くそっ……! いいか!? 俺は絶対に魚を食わねえぞ! 宿は肉を出すところだ! 絶対だからな!」
夕暮れの風が吹き抜ける大草原に、三人の屈託のない笑い声がどこまでも高く響き渡っていった。
「……でも、大きな港町フェリッサか。どんな街なんだろうな」
翔馬は、ガルファンが恐れおののく活気に満ちた魚市場や、林立する巨大な帆船の姿を思い描きながら、穏やかに微笑んだ。
西の空には、沈みゆく夕陽を受けた茜色の雲が、長く、どこまでも雄大に伸びていた。
三人のあたたかな笑い声を乗せた馬車は、まだ見ぬ港町を目指し、黄金色に染まる大平原を軽やかに駆け抜けていった。




