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水鏡の光は誰がために  作者: 瑠玻 刃
第三章 王都ハルトイニア動乱
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第53話 新秩序の胎動、初代の記憶

 王城を揺るがした動乱から、数日の時が流れた。

 城内へ立ち込めていた緊迫感は、突如舞い込んだ一陣の風に洗い流され、ようやく落ち着きを取り戻しつつあった。


 ハルト城、白い大理石の大広間、玉座の手前に立つ近衛騎士団長フォスの声が朗々と響き渡っていた。


「――以上の理由を以って、王女レオナ、勇者エスティ、ならびにガルファンの一連の行動は、一部貴族の独断による武力の濫用と、王城警備の不手際に端を発した正当なる防衛行為と認定する。よって、王城内における器物の損壊および武力衝突に関する、その一切の罪を不問に処す。……ハルト王、エドアルド・フォーヌス・ハルトニアの名において、ここにこれを宣言する!」


 フォスが読み上げた分厚い羊皮紙の書状を厳かに巻き取ると同時、大広間に並び立っていた翔馬とレオナは、胸の奥でせき止めていた息を揃って深く吐き出した。

 あの騒動で、三人はバウアーの私兵だけでなく、ハルト城内の逃走劇で立ちふさがる多くの近衛兵をなぎ倒した。ガルファンに至っては、突破のために放った技で、フォスを始め数十人の騎士をあちらこちらへと吹き飛ばし、その仕上げと言わんばかりに、大会議室と回廊を隔てる年代物の大扉を――蝶番ごと派手に破壊していた。

 ハルトの法に照らせば、重罪に問われてもおかしくない暴挙。それが、形式上とはいえ、完全なるお咎めなしとなったのだった。


「……はぁ。よかった……」


「寛大なご処置に感謝いたします、エドアルド様」


「さすがはハルトの王様、懐の深さが段違いだぜ」


 三者三様の反応を見ながら、その隣に立つリーデルの脳裏には、まだ修繕の終わっていない大扉――細工や加工が終わらず、真新しい木材が痛々しく露出した姿が思い出される。端正な口元にいつもの意地の悪い笑みを浮かべて、チクリと刺した。


「お咎めなしで本当によかったね。もっとも、あの年代物の……王家の歴史が刻まれている大扉の修繕費用がどれほどの額になるか、私は考えたくもないんだがね。もし、ラグロニーネへ請求書が届いた場合、ガルファンのこれからの給金から、いったい何十年分を天引きすれば補填できるのか……」


 やれやれといった身振り手振りでそう言い、ため息ひとつ。

 ゆうに五メートルはあろうかというその高さと、大型の馬車が対面で通れるほどの幅を持つ巨大な扉。これだけでも修繕には相当の時間がかかることは想像に難くない。

 さらに、その扉は長い歴史を有するハルト王城の“威厳”そのものでもある。修繕費用は何桁になるのか、想像するだけで目が眩む。


「はぁ!? おいおい領主サマ! そりゃあねえだろ!」


 いきなり飛んできた特大の火の玉に、ガルファンは顔を引きつらせて、大慌てで両手をぶんぶんと振った。


「あの局面だと、あの方法しかなかっただろ!? 俺の絶妙な手加減とプロの技を褒めてほしいくらいだぜ! しかも、指示したのはエスティだぞ!?」


「……え? うえぇ!? 僕の指示!?」


「とぼけんじゃねえ! お前あん時『お願いします』ってキメ顔向けやがっただろうが!!」


 必死に弁明と言い訳を繰り出すガルファンの狼狽っぷりと、予想だにしていなかった飛び火に目を見開く翔馬。

 とっさに翔馬の頭の中で、あの時のことが映像のように再生される。思い当たる事実から、言い逃れができないと悟るやいなや、すぐに得意の算術による金勘定を行った。しかし、そこで気づく。そもそも給金らしい給金を受けていないことに。

 そもそも翔馬は、ラグロニーネの“食客”として、三食昼寝付きの待遇が維持されていた。唯一の収入といえば、テノラーダで例の三人の手伝いをしたことの“手間賃”と、王都へ向けて出立する際に、路銀としての“餞別”を少しばかり積んでもらった程度である。


「あー……えと、まさか“ガルファンさんが”そこまでするとは思っていなかったというか……意識していなかったというか……。扉の前まで行ったら、押せば開くんじゃないかな~って……」


「あんだと!? 俺にまるっと責任負わせんのか!? 自分だけ逃げようったって、そうはいかねえぞ!?」


 ひとまず誤魔化そうと考えた翔馬は、明後日の方を向いたが、ガルファンがそれを許すはずもない。

 今にも飛びかからんと膝を屈め、さらに肩を怒らせている。翔馬は数歩あとずさりした。


「いや! でも! ガルファンさん! アレ完全に勢いでふっ飛ばしましたよね!?」


「勢い付くように煽り散らかしたのは、いったいどこの誰だってーんだ!?」


「う……ぐぅ……!」


 ギャースカと責任の押し付け合いを続ける二人に、レオナまで苦笑を浮かべている。

 なんだかこのやり取りにも慣れてきたと思いながら、リーデルは再びため息を吐く。しかし、それがだんだんと深く、多くなっていることに気づいて、妹と同じ表情をすることとなった。


「あのさぁ……二人とも。冗談だから……ね? あと、エドアルド王の御前だよ? それくらいにしておこうか……」


 歴史あるハルト城の大広間、それも王の前で言い合いを始める二人にジト目を向けながら、リーデルが制する。

 レオナも、もちろんエドアルド王やフォスまでもが、ふっと小さく笑みをこぼした。

 張り詰めていた大広間に、温かく、どこかむず痒い日常の余白が戻ってきた瞬間だった。


 ◇


 謁見を終えた翔馬たちが控室へと下がった後、王城の一角にある小会議室では、王国の未来を左右する実務者たちの円卓が囲まれていた。

 上座に座るエドアルド王の表情には、かつてのような迷いや苦悶の影はない。

 その脇を固めるのは、近衛騎士団長フォス、重鎮コット・ヴァンテ公爵。そして卓上には、法務局の重職であり、実務の頂点に立つ監理主任法務官ヘナスバスが整えた、膨大な調書と法制化の原案が並んでいた。

 対面には、腕を組み、冷徹な理知の光を瞳に湛えたリーデルの姿がある。


「……以上が、バウアー卿の私兵に関する査問および処遇の原案でございます」


 ヘナスバスの抑揚のない、だが寸分の隙もない声が響いた。


「バウアー卿はドルバトス領にて蟄居。私兵団は武装解除させ、関与の薄い者については個別査定の後、近衛の補給部隊へ再編、残余は除隊処分といたします。……また、カストール卿ら現王派の諸侯につきましては、不当な査問を主導した責を問い、軍事費の供出および権益の縮小を申し渡す手筈となっております」


「うむ。異存はない。ドルバトス領の警護は?」


「は。それにつきましては、本国周辺の兵から必要数を確保し、同地へ転属させる手はずとなっております」


 フォスの説明にエドアルドは頷き、署名と捺印を淀みなく進めていく。

 カストールら現王派の専横を削ぎ落とし、前王派の暴走を抑え込んだことで、長年ハルト王国を蝕んでいた派閥闘争は、急速に鎮静化へ向かっていた。

 何より、ヘナスバスの厳格な法運用と、リーデルの提示する緻密な行政ロジックとが噛み合い、滞っていた国政の歯車が力強く回り始めていた。


「……リーデル」


 書類の束を片付け終えたエドアルドが、ふと顔を上げ、甥を見つめた。


「そなたの才覚、見事という他ない。……どうだろうか? このまま王都に留まり、私を支えてはくれまいか。そなたの慧智があれば、この国はもっと早く立ち直ることができよう」


 叔父としての、そして国王としての切実な請願。しかし、リーデルは薄く口元を緩め、静かに首を横に振った。


「大変光栄なお話ですが……お断りいたしますよ、叔父上」


「……やはり、ラグロ領へ戻るか」


「ええ。ヴァルメイの最前線を支える物資補給は、一日たりとも止めるわけにはいきませんからね。それに……これ以上、私が王都で目立ちすぎては、せっかく静まりかけた貴族どもが、またぞろ私を担ぎ出そうと騒ぎ始めるでしょう」


 あえて自分を遠ざけることで、王権の求心力を保たせる――若き領主の合理的な判断に、コットが深く感嘆の息を漏らした。


「……ですが、叔父上。王都の古狸どもを黙らせ、真の王道を歩まれるためにうってつけの人材に一人、心当たりがあります」


 リーデルは不敵な笑みを浮かべる。


「私の右腕――ギルバートです。かつて“ハルトの魔王”と恐れられたあの手腕なら、叔父上の治世を支える最高の“教師”となるでしょう」


「ほう……ギルバートか」


「ええ。ラグロ領へ戻り次第、私から本人に相談してみますよ。……本人が承諾してくれれば、ですが」


 エドアルドの兄、前王エンデルスの懐刀として王国を支え切った名宰相の顔が、ふとエドアルドの脳裏を過る。主従の関係でありながらも、どこか友人のような関係の二人の表情が蘇った。


「……これ以上の“教師”はないな。リーデルよ……そなたの深慮、感謝してもしきれん。頼んだ」


 そう言いながら席を立つと、一国の王でありながら、甥であるリーデルへ向けて深々と頭を下げた。


「……叔父上、頭をお上げください。実現すれば叔父上はギルバートの“弟子”……言い換えれば、私の“弟弟子”となるのです。……“兄”が“弟”を心配するのは、当然のことでしょう?」


 そう言ってのけるリーデルに対し、眉を吊り上げたエドアルドは、今度こそ破顔した。


 ◇


 その夜、王城の最深部にあるエドアルドの私室へ、四人の影が足を踏み入れていた。

 壁一面を埋め尽くす重厚な書架と、机の上にうず高く積まれた羊皮紙や古文書の山。

 王冠や豪奢なマントを脱ぎ捨て、袖を捲り上げた質素な服を纏ったエドアルドが、湯気を立てる素朴な陶器の茶杯を四人の前に並べていた。


「堅苦しい挨拶は抜きにしよう。ここはただの研究室だ。……まずは、皆に礼を言わせてほしい」


 エドアルドは居住まいを正し、四人を見据えて深く頭を下げた。


「すまなかった。私の弱さが、リーデルを追い詰め、そなたたちに死線を越える覚悟を強いてしまった。そして……ありがとう。そなたたちの覚悟が、私に王たる責任を思い出させてくれた」


「頭をお上げください、叔父様。私たちは、自分たちの意思でここへ来たのですから」


 レオナが柔らかく微笑む。エドアルドは顔を上げて頷くと、その視線を、向かいに座る黒髪黒目の少年へと注いだ。


「……エスティ殿」


「は、はい」


「そなたの姿を見たとき――そして、何よりも“水鏡の勇者”の名乗りを聞いたとき、長年追っていた記録の断片が、ひとつに繋がったような気がしたのだ」


 きょとんとする翔馬の横で、リーデルが茶を啜りながらくすりと笑った。


「叔父上は即位前、歴史研究を専門とする極めて優秀な学者だったのだよ。エスティ、叔父上は君と同じ“本の虫”だが……王城の書庫に籠もらせたら、たぶん君よりも厄介だろうね」


「リーデル、人聞きの悪いことを言うでない」


 エドアルドは苦笑しながらも、机の引き出しの最奥から、紫色の布に包まれた一冊の書物を取り出す。厳重な封印が解かれ、現れたのは、経年で飴色に変色した羊皮紙を束ねた、極めて古い手記だった。


「これはおよそ千年前、オラニム帝国時代に編纂されたと伝わる古文書だ。さらに古い時代に遺された、“初代勇者”の記録を、当時の学者が写し取ったものらしいのだが……」


 エドアルドがそっと開いた頁を、翔馬の前に滑らせる。

 墨のようなインクで走り書きされている、かすれた文字。そこには、ハルトの文字とは全く異なる、見覚えのある曲線と直線で構成された記号がある。


「問題がひとつ。この千年の間、この古文書を読めた者が歴史上一人もおらんことだ。勇者の名が記されていることだけは伝承で分かっているのだが……どうかね、君なら読めないか」


 思わず、翔馬の息が止まる。そこにあるのは――漢字、ひらがな、カタカナ――解析の魔法を発動するまでもない。自分が十八年間慣れ親しんできた、故郷の文字だった。


「ところどころ掠れてはいますけれど……読めます……」


 エドアルドが驚きに眉を上げる。

 翔馬は思わず声に出して、古文書の一部に記述された文字を読み上げていた。


「ヒガシ? アズマ? トモノリ? 名字と名前かな、これ……」


「……アズマ?」


 エドアルドが弾かれたように身を乗り出し、目を見開いた。


「古い伝承に残る名、それは“アースム”だ……」


 エドアルドは興奮を抑えながら、古文書から翔馬へと視線を移す。


「アースム……? あ、そうか。……アースム、アーズム、アーズマ、アズマ……東智則……」


「……まさかと思うが、エスティ殿がいた“世界”の人間かね?」


 四人の視線が翔馬へと注がれる。名前が漢字で書かれている以上、同じ世界どころではない。


「……そうですね。世界どころか、同じ国の生まれだと思います」


「そうか……」


 翔馬の中で色々と思い当たること、不思議に思うことはある。しかし、今はそれを口にする場面ではないと考えて呑み込んだ。

 エドアルドはそんな翔馬の表情を、その黒い瞳を真剣に見つめていたが、やがて深く頷いた。


「西のヴァルメイが今まさにそうであるように、世界に魔の脅威が満ち始めている。それに呼応するかのように、水鏡が再び光を放ち、そなたの国から勇者を呼び寄せた……。……もっとも、これは歴史屋の勝手な推論に過ぎんが……私にはそう思えてならんのだ」


 エドアルドはふっと表情を和らげると、その貴重極まりない古文書一式を整え、両手で翔馬の前へと差し出す。

 翔馬はぽかんとしたまま、エドアルドへ視線を向けていた。


「これを持っていきなさい、エスティ殿。棚で埃を被らせ続けるより、読める者の手にある方が、この書にとっても本望であろうよ」


 エドアルドは静かに首を振る。


「だが、私はそなたに『勇者として世界を救え』などと命じる気は毛頭ない。誰かに都合のよい役割を押し付けることの愚かしさは、そなたたちに教えられたばかりだ。だから、そなたがこの世界へ来た理由を確かめ、これからの進路を選ぶための道標として、活かしてもらいたい」


 一国の王が、人生の手引きを委ねるように差し出してくれた古き記憶。翔馬は、古びた羊皮紙の束を恐る恐る受け取る。実際の重さ以上の、歴史の厚みと重みを、両手でしっかりと受け止めて。

 指先から伝わるのは、今となっては遠い故郷の誰かが遺した、確かな息遣いだった。


(……アースム……か。これから先も、何があるのか分からない。……でも――)


 不安が消えたわけではない。それでも、翔馬は顔を上げた。


「ありがとうございます、陛下。……僕、行ってみます。世界で何が起きているのか、僕自身の目で確かめに。……そして、大切な人たちが笑っていられるように、僕ができることをやりたいです」


 翔馬の意思がこもった言葉に、エドアルドが頷いて応える。


「では、“学者”からの助言をひとつ。……これは後年の創作もあろうが、勇者アースムは自らの力を正しく測り、御するために、世界各地の神殿を巡ったという記録がある。……ラグロニーネの『水神』、テノラーダの『炎神』。そして、ハルトの北西、騎馬兵が駆ける草原の国ファルーダにある『嵐神』、あるいは海を越えた東の大陸、魔法都市カーレオンの近郊にある『岩神』……。そなたが世界を知りたいと願うのであれば、これらが次なる路に繋がるであろう」


 エドアルドに頷いて見せる翔馬の横。レオナがふわりと微笑みながら立ち上がった。


「私も、エスティと共に行きます。兄様もお許しくださいましたから」


「……え? ……えっ!? レ、レオナも……!?」


 翔馬は目を丸くして、隣のレオナを凝視した。


「ええ、当然でしょう? ……あら? 私と一緒に行くのは何かご不満でも?」


 レオナはすっと細い眉を寄せ、口の端が上がる。しかし目は笑っていない。

 いつぞやテノラーダで見たような表情に、翔馬の背筋が凍り付く。


「い、いえ! ご不満なんてとんでもない! ただ! 神殿のお仕事や、王女様の立場は……!? たぶん危険ですし、僕なんかと一緒だと、かえって迷惑なんじゃないかと……!」


 両手と首を猛烈な勢いでぶんぶんと振る翔馬に、レオナはジト目を向けながら、腰に手を当てた。わざとらしく、不満げに頬を膨らませている。


「私は、エスティの隣を歩むと覚悟を決めたのです。……それを拒絶されるのですか?」


「い、いや、そ、そんなつもりは……!」


 たじろぐ翔馬の情けない姿に、部屋の隅で茶を呷っていたガルファンが吹き出した。


「ぶっハハハ! お前らさぁ、王城の扉をブチ破った英雄の会話かよ、それが!」


「……まったく。私室とはいえ、王の御前だからね? それくらいにしておきなさい」


 リーデルが、レオナのマネをするかのように、口元は笑っているのに目の笑っていない表情で窘めると、部屋の中にどっと温かな笑い声が溢れ出した。

 しかし、腕を組むリーデルの瞳には、誇らしげな兄としての、そして領主としての慈愛が満ちていた。


「……君たちが切り拓く未来が、どんなものなのか楽しみだね。まったく」


 春の胎動を告げる夜風が、王城の窓を優しく揺らしていた。

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