第50話 疾走、紅蓮と瑠璃と蒼穹と
部屋を包囲する私兵は八名。入口の二名に、なだれ込んできた六名。
そのうち二名が壁際で、コットを力づくで押さえ込んでいる。
「俺らの邪魔をすんなら、いくらお貴族様でも許さねえぜ?」
バウアーの私兵を睥睨しながら、ガルファンは両手首の炎神の手甲をカチリと打ち合わせ、不敵な笑みを口元に刻んだ。
その濃紅の瞳には、武闘僧侶としての正義と、冷徹なまでの闘志がみなぎっていた。
「賊が調子に乗りおる。……捕らえろ! 抵抗するなら手足を削いでも構わん!」
バウアーが叫ぶと同時。円卓を蹴ったガルファンの身体が、低く鋭い弾道で宙を舞う。
「……このガキが! 死に晒せッ!」
そこへ突撃してきた先頭の私兵が、容赦なくガルファンの眉間へ刃を突き出す。
しかし、ガルファンはわずかに首を傾けると、赤熱し続ける炎神の手甲で、剣の腹を鋭く叩いた。
ガキンッ!
火花が散り、軌道を逸らされた切先が空を突く。着地して即座に懐へ潜り込んだガルファンは、低い姿勢から、相手の胴体めがけて右の掌を突き出した。
ドンという衝撃音と共に兵の巨体が弾かれ、背後に控えていたもう一人を巻き込んで、部屋の壁へ激突する。
さらに二人が、鋭い踏み込みでガルファンへ刃を突き出した。
床を滑るような高速の突進。だが、ガルファンは正面からその剣を受け止めなかった。
「はぁッ!」
左手首をわずかに外側に傾け、手甲の滑らかな金属面で、突き出された剣の側面を最小限の接触角で往なし、力を流す。
キィン、と火花を散らす甲高い金属音が響き、兵の剣の軌道が大きく明後日の方向へと逸らされた。
そのがら空きとなった背に蹴りを打ち込むと、勢いそのままに右方の壁へ激突し、うめき声を上げて倒れ込んだ。
怯んだ一人に対し、ガルファンは赤い炎と火花をまとった拳を、相手の剣の刀身へと直接叩き込む。
バキィィィンッ!!
凄まじい音と共に、鍛え上げられた鉄の刀身が、まるで床に落としたガラス細工のように砕け散る。
その欠片が宙を舞う間、兵の胸元へ潜り込むと左腕をがしりと掴み、その膂力で壁へ投げ飛ばした。
わずか十数秒の早業。あっという間に四人を無力化して見せた。
唖然とするバウアーとその左右を守る兵。
そして、その混乱を見逃すコットではなかった。
「ぐっ……ぬあああっ!」
歴戦の元近衛騎士団長は、自らを背後から押さえつけていた兵の鳩尾へ左肘を容赦なく叩き込んだ。
拘束が緩んだ刹那、その足を自らの踵で踏み付け、蹲った顔面へ膝蹴りを見舞う。
崩れ落ちる兵から剣を奪うと、もう一人との距離を詰め、柄頭をその右肩へ叩きつけた。
骨の砕ける音と、兵が呻く声が響く。
「小僧ども、扉を開けろッ!」
「ああ、言われなくてもな!」
ガルファンは身を翻し、バウアーを守る二名の槍兵が繰り出す穂先を紙一重でかわすと、赤熱する両拳を両開き扉へ叩き込んだ。
ズドォォォンッ!
轟音とともに分厚い扉が蝶番ごと吹き飛び、外の回廊へと砕け散る。
わずか数十秒。八名のうち六名が床に伏し、脱出路が完全にこじ開けられた。
「ぐぬぬ……。レオナ、なぜ分からんのだ!」
「貴様の御高説はもう結構だそうだ」
怒りに顔を歪めるバウアーの前に、奪い取った剣を構えたコットが立ちふさがる。
「コット!! 貴様、何をしているか分かっておるのか!?」
しかし、コットは不敵な笑みを浮かべた。
「あぁ、貴様よりも分かっておるよ。レオナ様のお考えを忠実に守る。それが私のなすべきこと」
剣を構え直し、バウアーを牽制すると、コットは後ろへ叫ぶ。
「ここは任せよ! レオナ様を連れて、大会議室へ急げ!」
「……すまねえ、頼んだぜ! ……行くぞ!」
「はいっ!」
レオナは未だ足元の覚束ない翔馬の右肩を抱え、ガルファンの背中を追って部屋を飛び出した。
直後、背後の部屋から飛び出してきたコットの怒号が回廊に木霊した。
「賊がレオナ王女殿下を拐かしたぞ! 追え、城門だ! 城門を閉鎖せよ!!」
(コットさん……!)
追撃を装い、あえて城内の指揮系統を引っ掻き回す老公爵の機転。だが、その声を引き金に、城内にけたたましい警鐘が鳴り響き始めた。
――ガァン、ガァン、ガァンッ!
◇
レオナは、かつて王城で過ごしていた日々の記憶を呼び覚まし、白大理石の王城の構造を熟知した確かな足取りで、廊下の先へと駆けていた。
「姫さん、どっちだ!」
「突き当たりを右、東翼の渡り廊下です!」
白大理石の回廊を、三人の足音が駆け抜ける。
角を曲がるたび、遠くから重厚な甲冑の擦れる音と、怒号が近づいてくる。
(くそっ……頭が割れそうだ……。でも、今やらなきゃ全滅する……!)
翔馬はこめかみを走る激痛を歯を食いしばってねじ伏せ、左手首の紫黒石を強く握りしめた。
意識を前方の空間へと解き放つ。
――シュンッ。
魔法が安定せず、ノイズだらけの不鮮明な映像が脳裏に浮かび上がる。
その中に、近衛兵たちの放つ気配が歪みとなって見えた。
「次の角、右から槍兵が四人! ……左の階段からも上がってきます!」
「はい! こちらへ!」
翔馬の言葉に従って、レオナは進路を即座に変える。
どこをどう通れば、大会議室へたどり着けるかは、身体が覚えていた。
(……エスティが危険を回避してくれる。私は、進路を紡ぐまで)
城内の緊急事態に対処する兵や騎士は、一向に捕らえられない“賊”に対し、徐々にいら立ちを募らせる。
そして、とうとう魔法や矢といった飛び道具まで持ち出すようになっていた。
「いたぞ!」
「魔法と矢を放て! 王女殿下には当てるな!」
「ヤツらの足を止めろ! 拘束魔法を使える者はいないか!?」
背後から聞こえる物騒な声に、ガルファンが叫ぶ。
「野郎ども! まともな判断すらできねえようだぜ!」
すぐさま数名の騎士が火球の魔法や、鋼鉄の矢を放つ。
それをちらりと見たレオナが右手を後方へ掲げた。
「……水よ!」
走りながらマナを放つと、翔馬たちの背後に立ちふさがるように、青く淡い光を放つ水壁が展開された。
刹那、背後から放たれた鋼鉄の水壁に突き刺さり、勢いを失って、カランと乾いた音を立てながら床へと転がった。
さらに続く数発の火球は、水膜へ触れた瞬間に激しく弾け、白い蒸気となって霧散した。
「ひゅー。姫さん、やるじゃねえか!」
「次……前方に多くの気配があります!」
「はい! それならば……!」
レオナが走りながら右手を宙へかざした。
美しく磨き上げられた水のマナを最大効率で編み上げ、前方の回廊に向けて解放した。
指先から吹き出した膨大な水のマナが冷気と混ざり合い、瞬く間に回廊全体を乳白色の濃密な霧が飲み込んでいく。
「な、なんだこの霧は!?」
「前が見えん! 止まれ、隊列を崩すな!」
角の向こうで、近衛兵たちの混乱した怒声が響く。
一寸先も見えない白の世界。だが、翔馬の空間解析には、霧の奥で立ち往生する兵たちの位置が克明に結像していた。
「ガルファンさん、正面を直進! 突っ込んで三つ数えたところに……左右四人ずつ!」
「おっしゃ! 任せとけ!」
ガルファンが霧の中へ弾丸のように突進した。
相手の視界が完全に奪われている中、手甲に火花を散らせながら右の兵の槍をへし折り、そのまま左の兵の胸当てへ鋭い掌打を叩き込む。
ドガッ! バキィッ!
「ハッ! 完璧だぜ! エスティ、どこまで見えてんだ!?」
命は奪わない。武器を砕き、関節を外し、衝撃波で壁へと叩きつける。
ガルファンの圧倒的な武力が肉壁を粉砕し、レオナの霧が追手の足を止め、翔馬の解析が最短の活路を指し示す。
三人の意志が、狂乱の王城を疾風となって駆け抜けていく。
◇
回廊の霧が急速に薄れ始めたその時だった。
前方に現れたのは、東翼の最深部――突き当たりに見えるのは、黒鉄の装飾が施された、重厚な木製の巨大扉。
ハルト王城の大会議室。
大扉の直前は、左右から回廊が合流する丁字路となっていた。
その前には、白銀の甲冑に身を包んだ十数名の近衛騎士団が、長盾と抜剣した剣を隙間なく並べ、一糸乱れぬ鉄壁の陣を敷いていた。
その中央、背の大剣の柄に手をかけた男が、鋭い眼光で三人を見据えている。
近衛騎士団長フォス。
「……そこまでだ」
冷徹な声が回廊に響く。
同時に、左右の合流路から、抜剣した警備兵たちが雪崩のように駆け込んできた。
さらに背後――駆け抜けてきた回廊から、バウアーの私兵十数人が刃をギラつかせて迫る。
少し遅れて、衣服を乱し、頬に浅い傷を数カ所負ったバウアーが姿を現した。
「近衛騎士団長フォス! そやつらが賊だ! レオナを奪還し、賊を叩き斬れッ!」
バウアーの怒号が響き渡る。
前門の近衛、後門の私兵、左右を塞ぐ警備兵。
逃げ場のない丁字路の突き当たりで、三人は完全に四方を刃で囲まれていた。
「チッ……完全に袋の鼠だな」
ガルファンが舌打ちし、翔馬とレオナを背後に庇いながら手甲を構え直す。
「フォス……ここ“も”通してはくださらないのですね」
包囲を狭める近衛兵たちの間を割り、フォスが重い足取りで一歩前へ出た。
「レオナ王女殿下。……これ以上の乱行は見過ごせませぬ。王城を騒乱に陥れ、力ずくで押し通るなど……前王の血を引く貴女様といえど、これ以上は庇い立てできませぬぞ」
フォスの視線が、レオナの隣に立つ翔馬へと突き刺さる。
ハルト王国では極めて稀で異質な、黒髪黒目の容姿。海を越えた先の小国の民かのような、その見た目。
テノラーダのものと分かる、幾何学模様の意匠が施された外套。
そして――少年の腰に佩かれた、王家の蒼き剣。
「……そして、そこの少年。……お前は何者だ? なぜ貴様が、リーデル様の宝剣を持っている?」
氷のように冷たく冷静な問いかけ。
城門では呑み込んだ問いを、今度は近衛騎士団長として突きつける。
レオナが唇を噛み締めながら、翔馬の前に出ようと一歩踏み出した。
「この方はラグロニーネの客人であり、私の……大切な仲間です! そこを退きなさい! フォス!!」
フォスは、自らが見知ったレオナとは異なる悲壮な姿と、明確な意思を持ったその言葉に、ビリビリとした緊張を覚える。
まったく目線を外さない。むしろ、目線を外したら、即座にここを突破されてしまうのではないか。そんな危機感すら感じていた。
「……どうか、私に手荒な真似をさせないでいただきたい。……どうか、このまま降伏を」
レオナの、守ろうとする意思に対抗するかのような、フォスの視線が交錯する。
怯んだように一歩下がるレオナ。思わずよろめくが、今度は翔馬がそれを抱き留めた。
「エスティ……?」
「レオナ、大丈夫ですから」
翔馬は静かに息を吸い込み、視界を大扉の奥へと透過させた。
極限まで研ぎ澄まされた空間解析の波紋が、黒鉄の装飾と、分厚い扉の木目をすり抜けていく。
(――視えた)
冷え切った大会議室の中央。
貴族たちの冷たい視線に晒されながら、たった一人、孤立無援の椅子に腰掛け、疲労を漂わせながらも、不敵な笑みを浮かべている男の姿。
リーデル・グライアス・ハルトニア。
(……この奥に、リーデル様がいる……!)
翔馬の胸の奥で、迷いの欠片が消え去った。
あとは、動くタイミングをどうするか。
「……ご質問に答えます。三か月ほど前、テノラーダへ赴く前に、リーデル様からこの剣を授かりました。……いざというときに、自分を守る砦としろって」
静かに瞳を閉じる。翔馬の脳裏には、あの時のリーデルの表情と言葉がありありと浮かんでいる。
一歩前へ出る。
「僕はあの時、とても“剣を振れる”ような、そんな人間ではなかったのに……」
さらに一歩前へ。
進み寄りながら言の葉を紡ぐ翔馬に、周囲の騎士や兵士が全員その姿に引き込まれ、息をのむ。
やがて、ガルファンの隣まで来ると、ゆっくりと瞳を開いた。
翔馬の視線は、兵士たちの奥にある大扉へ、そしてフォスへと移った。
「……僕がこの剣に相応しい人間になれたかは、まだ分かりません。でも――この奥にリーデル様がいる。だから今度は、僕がリーデル様を助けに行きます」
その黒い瞳の奥底に見える意思に、フォスは微かに眉を動かし、重々しく口を開いた。
「……リーデル様がお前にその剣を託した理由が、少しだけ分かった気がする。……だが、その続きは、取り調べの場で聞くとしようか」
フォスが背中の大剣に手をかけ、じりじりとにじり寄る。
一触即発の雰囲気に、翔馬はフォスを見据えたまま、小さく口を開く。
「……ガルファンさん」
「……何かいい案でもあんのか?」
ガルファンは構えを解かず、視線を周囲の包囲網に向けたまま、低く応じる。
「ええ。ほら、昨日の夜、決めておきましたよね?」
じりじりと迫る兵士たち。
張り詰めた空気の中、翔馬の声だけが静かに、だが凛と響いた。
「万が一、囲まれたとき……正面突破は、最後の手段だって」
一拍の、静寂。
ガルファンの口元が、微かにピクリと動いた。
「……いいんだな?」
「……お願いします」
その言葉を聞いた瞬間。
赤黒い髪の傭兵は、獰猛な牙を剥き出しにして、凶悪な笑みを浮かべた。
「――上等だぜ。だからお前はおもしれえ!」
ドンッ!!
ガルファンが地面を踏みしめると同時に、両腕の手甲が真っ赤な輝きを放ちながら、爆発的な炎を噴き上げる。
熱風が白大理石の回廊を吹き荒れ、詰め寄ろうとしていた近衛兵たちが思わず腕で顔を覆った。
「大技いくぜ! 姫さん! 防壁頼んだ!」
「はいっ!!」
レオナが翔馬を引き寄せ、両手を天へ掲げると同時。三人を包むように、青く澄んだ水の防壁が半球状に展開した。
ガルファンはそれを満足そうに確認すると、その外へ数歩踏み出す。
「総員、構えろッ! 防御陣形!」
フォスが大剣を一気に引き抜き、叫んだが、それよりも速く――ガルファンは腰を深く沈め、両の手甲を交差させて前方の大扉へと突き出した。
手甲から放たれる闘気が、周囲の空気を纏いながら、燃え盛る熱の渦となる。
「吹き飛べッ! 流炎渦ァァッ!!」
螺旋を描いて解き放たれた火炎の暴風が、回廊を真っ直ぐに突き抜けた。
空気を引き裂く轟音と圧倒的な衝撃波が、立ち塞がっていた十数名の近衛兵たちを大盾ごと左右の壁へと薙ぎ払う。
「ぐ……おおおおッ!?」
歴戦の騎士団長フォスの巨躯すら数歩後退させ、大扉の前が完全にがら空きとなった刹那。
炎の渦を突き抜けたガルファンが、宙へと跳び上がった。
体重と闘気を乗せた渾身の右蹴りが、黒鉄の大扉の繋ぎ目へ深々と突き刺さる。
バゴォォォォォンッ!!
爆音とともに、王城が誇る重厚な大会議室の大扉が、蝶番を引きちぎって吹き飛んだ。
白煙と火花が、厳粛なる回廊の静寂を無惨に引き裂いていく。
「行くぞ!!」
ガルファンの咆哮に背を押されるように、翔馬とレオナは、白銀の粉塵が舞う嵐の中へと駆け出した。




