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水鏡の光は誰がために  作者: 瑠玻 刃
第三章 王都ハルトイニア動乱
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第47話 白き城門、交わる思惑

 翌朝。

 冬の冷気が包む王都の空は、今日も雲ひとつなく澄み渡っていた。


 宿の裏手では、白い息を吐くガルファンが、チャコとチャイの鼻面を撫でながら、手際よく蹄鉄を点検していた。

 やがて、きしむ木戸の音とともに、宿の勝手口から二つの影が現れる。

 レオナは外套の襟元をきつく握りしめ、フードを目深にかぶる。緊張の面持ちで、左右の路地へと小刻みに視線を走らせていた。

 昨夜の出来事が、まだその脳裏に焼き付いている。加えて、これから向かう王城から、兄を救い出さねばならないという重圧が、華奢な肩に重くのしかかっていた。


「……準備はいいな?」


 ガルファンが二頭の馬車留めを締め終え、振り返った。

 レオナの強張った表情を真っ直ぐに見据えると、革の手甲で自らの首筋をガシガシと掻く。


「こっから王城までは一直線だ。……あいにく俺は政治なんざこれっぽっちも分からねえ。実力行使なら俺が全力でぶつかってやるが、そこまでは姫さんとエスティ、二人の舞台だ。……頼んだぜ」


「…………」


 レオナはうつむき、握りしめた指先にギュッと力を込めて小さく頷いた。

 その隣に、そっと並び立つ翔馬。薄く隈が浮かんでいる目元には、警護のために夜を明かした疲労が滲んでいた。だが、レオナと視線が交わると、黒い瞳を柔らかく細め、頼もしい笑みを浮かべてみせた。


「……レオナ、大丈夫ですよ。僕も、ガルファンさんもいます。……さぁ、行きましょう」


 その声の温もりに触れ、レオナの強張っていた口元が、ふっと小さく綻んだ。

 胸元に手を当て、深く吸い込んだ冬の冷気が、迷いを払っていく。


「ありがとう、エスティ。そうですね……そのために、ここまで来たのですから」


 レオナの表情から、不安が少しだけ和らいだ。不安が消え去ったわけではないが、それでも、隣に並び立つ少年の存在が、彼女の足を前へと踏み出させた。

 ガルファンが御者台へ飛び乗り、低く合図を出す。

 チャコとチャイが力強い鼻息を漏らして蹄を鳴らし、馬車は朝の光の中へと疾走を始めた。


 ◇


 馬車は、朝日に輝く美しい市街を抜け、北西の小高い丘に聳える白い城へと向かっていった。

 やがて速度を落とし、巨石で組まれた城門の前で完全に停止する。


 馬車を降りた翔馬の佇まいは、一介の民間人のそれとは明らかに異なっていた。

 身に纏うのは、テノラディアの領主カルロから贈られた、緻密な幾何学文様の刺繍が施された最高級の外套。黒髪黒目という、ハルトでは極めて珍しい容姿も相まって、居並ぶ衛兵たちの目を引きつける。

 何よりもその腰には、かつてリーデルが己の半身として佩き、旅立つ翔馬に託した王家の長剣が、静かに光を放っていた。


 翔馬の手を借りて馬車を降りたレオナは、目深に被っていた外套のフードを背中へ払い落とすと、正面の大門をキッと見据えた。

 紫黒石の髪留めが冬の光を反射し、風にプラチナシルバーの髪がふわりと広がる。

 胸元で輝く水の巫女のブローチをそっと指先で確かめると、翔馬とガルファンを従え、門兵たちへ向けて凛然と歩み寄った。


「ラグロ辺境伯が妹、レオナ・グライアス・ハルトニア。兄リーデルがハルト王城へ召喚されていると聞き、その身を案じて参りました。直ちに開門を!」


 冬の冷気を震わせる凛とした声音に、門兵たちが息を呑んだ。突然現れた本物の王女の姿に現場がざわめき立つ中、詰所の扉がギィと軋みながら開き、甲冑の擦れる音とともに一人の騎士が駆け寄ってきた。

 白髪交じりの深茶色の短髪に、眉間の皺が深く刻まれた男。白銀の軽鎧と対比するように、背に負った大剣が圧倒的な存在感を放っている。

 それは、かつてレオナが幾度となく王城内で顔を合わせた男――近衛騎士団長フォスだった。


「……れ、レオナ様!? なにゆえ王都へ……!?」


「久しぶりですね、フォス。息災なようで安心いたしました。……積もる話もありますが、今は一刻の猶予もありません。通していただけますね?」


 レオナはさも当然といったように、淡々と告げる。しかし、フォスは苦渋に満ちた表情で視線を落とし、重々しく首を横に振った。


「……申し訳ございません、レオナ様。たとえ貴女様であっても、ここをお通しするわけには参りません」


「なぜでしょう? 私は前王の娘であり、王族である以上、入城許可など不要なはず。それに……私がここまで来た理由も、貴方ならば分かっているはずです。余計なおしゃべりをしている暇はありません。今すぐそこを開けなさい」


 目の前に立ち塞がる歴戦の巨漢に対し、レオナは一歩も引かず、冷たい光を宿した瞳で射抜く。

 フォスは、周囲の兵のざわめきを手で制すると、レオナの前へゆっくりと歩み寄り、葛藤を押し殺した低い囁き声を落とした。


「……“査察”の一件以来、現王派と前王派の対立が抜き差しならぬものとなっていることはご存じでしょう。そのような現状、国王陛下の許諾なしに王城へ足を踏み入れれば、王女殿下といえど、現王派の者どもに何をされるか分かったものではございません。……どうか、どうか今はご辛抱を」


 だが、レオナの瞳に宿る決意は、フォスの懇願に似た声色でも揺るがなかった。


「この状況で、私があっさり引き下がるとでもお思いですか? ……フォス、三度は言いません。そこを開けなさい」


 レオナの脳裏に浮かぶのは、昨夜の襲撃未遂。

 翔馬とガルファンの行動で事なきを得たが、ここで門前払いを食らい、市中へ放り出されるようなことになれば、次はこの二人にも危険が及びかねない。


(……私と兄様のために、二人を危険に晒すわけにはいかない……。使えるものは何でも使わないと……)


 覚悟を決め、睨むような視線を送ると、やがてフォスはやれやれと言わんばかりに首を振った。


「……どうしても引くおつもりはない、と……」


「ええ。引く理由がありませんので。……ひとつお教えしましょうか。昨夜、私は何者かの“襲撃”に遭いました。幸い、後ろの従者が撃退いたしましたが……これでも私を市中へ追い返すと?」


「なっ……!?」


 フォスの眉が跳ね上がった。


(王族に対する襲撃……!? ……王都で何が起きているのだ……?)


 近衛を預かるフォスにとって、それは王都の治安を揺るがす大事件である。

 貴族派閥の対立が激化している中、これが表沙汰になれば次に何が起こり、どこまで事態が波及していくか、フォスにも見当がつかなかった。


 レオナの言葉の真偽を確かめるよう、フォスの鋭い眼光が、レオナの背後に控える“従者”へと向けられる。

 赤茶の短髪に鍛えた体躯の男と、テノラーダの意匠が施された外套を纏った細身の少年。

 フォスの視線は、翔馬で止まった。ハルトでは極めて珍しい、黒髪黒目の異質な容姿。

 そして何よりも、少年の腰にごく自然に佩かれている剣――鈍銀に輝く、王家の紋章――。


(……待て。あれは……リーデル様の、“蒼き剣”ではないか……!?)


 フォスの脳裏に、数日前にリーデルと交わした言葉と、悪戯っぽいニヤリとした笑顔が鮮烈に蘇った。


 ――あの剣なら、今はテノラーダにあるよ。“相応しい者”の手に委ねてあってね。


(まさか……リーデル様が仰っていた……!?)


 この少年こそが、“相応しい者”なのだろう。レオナに従い、リーデルから剣を託されるほどの人物が何者なのか。

 確認すべきか否か、考えが頭をぐるぐると巡るが、フォスはギリリと奥歯を噛み締めると、少年への追及の言葉をあえて呑み込んだ。


(……いや、ここは静観せねばなるまい。……彼はレオナ王女殿下の護衛なのだ)


 現王派の目が光るこの城の前で、この少年の素性を暴き立てて騒ぎを起こせばどうなるか。

 それこそ、リーデルはおろか、レオナの命すら危うくなる。

 しばし瞑目して、はぁと深くため息をつくと、その視線をレオナに向けた。


「……少々、お待ちいただけますかな」


 フォスは短く告げると、踵を返して城門の奥へと駆け去っていった。


 ◇


 冷たい風の中、待つこと数分。

 開け放たれた大門の向こうから、フォスに先導されて大股で歩み寄ってくる壮年の男の姿があった。

 重厚な外套を翻し、威厳に満ちた足取りで現れたその男――シェガレット公爵コット・ヴァンテは、レオナの姿を認めるなり、その厳めしい顔を歪めて臣下の礼をとった。


「おぉ、レオナ様……! ご無事で何よりにございます!」


「ヴァンテ卿!? 貴方も王都にいらしていたのですね!」


「リーデル様の一件を耳にし、居ても立ってもいられず駆けつけました。……我が君の妹君に、再びお目にかかれるとは」


 まるで自らの娘の無事を喜ぶかのような温かな眼差し。だが、顔を上げたコットの視線は、即座にレオナの背後に佇む二人へと向いた。

 一人は、短く刈り込んだ赤黒い髪と、野性味と情熱を感じさせる濃紅の鋭い眼光が特徴的な男。

 鍛えられていることが分かるその肉体には、鎧というには軽装な防具を乱雑に羽織っている。

 もう一人は、黒髪黒目の容姿に、全身を覆うテノラーダの外套。

 腰からは細身の剣が下がっており――その紋章を目に止めたコットの眉がピクリと跳ね上がる。

 脳裏に去来するのは、遠き辺境にいる旧友――“ハルトの魔王”の企み顔だった。


(……なるほど。あやつが希望と書き残した“黒髪の少年”とは、お主のことか)


 黒髪の少年から漂う凛とした空気を見つめ、コットの口元に微かな笑みが浮かぶ。


「そなたらが、レオナ王女殿下の護衛殿か。お初にお目にかかる。私はシェガレット公爵領領主、コット・ヴァンテ。……お名前を伺っても?」


「ガルファン・レニム。ラグロ辺境伯から護衛の依頼を受けた傭兵だ」


「……僕はエスティと申します。ヴァンテ公爵閣下……」


 ガルファンは何かを窺うようにコットを見据え、対する翔馬は礼儀正しく頭を下げる。

 コットはその受け答えに深く頷き、視線をレオナへと戻すと、ニヤリと笑みを浮かべた。


「……このコット、レオナ様のご到着を一日千秋の思いでお待ちしておりましたぞ。長旅でさぞお疲れのことでしょう。さあ、こちらへ!」


「え……?」


 レオナが目を丸くし、背後のガルファンが再び怪訝そうに眉をひそめた。だが、翔馬は目を見張った。

 コットの言葉に宿る、奇妙なまでの安堵と割り切りを感じ取り、その瞬間――翔馬のこめかみの奥に、ピリピリとした微細な熱が走った。

 すると、空間解析を発動させていないにもかかわらず、コットの全身から、微かな白い“モヤ”のような光の粒子が立ち上って見えた。


(……? なんだろう、これ……)


 これが何なのか、翔馬には判断が付かない。ただ、昨夜感じた冷たい気配とはどこか違う、それだけが奇妙な違和感として伝わってきた。

 見間違いではないかと目を擦ると、“モヤ”は視界から消えたが、こめかみにはかすかな痺れが残っていた。


(……?? ……いや、そんなことより……。このままじゃあ城の中に入れない。……コットさんの話は、たぶん助け舟だ……)


 翔馬は瞬時にそう判断すると、きょとんとしたままのレオナへ向けて、努めて自然に微笑みかけた。


「……いやだなぁ、レオナ。忘れちゃったんですか? “もともと”ヴァンテ公爵閣下のお招きでここまで来たんじゃないですか。ほら、ね?」


「え? え……? そんなこと……。……あ」


 突然脈絡のない話を始めた翔馬に、レオナは戸惑いながらコットと翔馬とに視線を泳がせる。

 が、即座に翔馬の視線からその意図に気づき、慌てたように、こくこくと頷いた。


「……そ、そうでしたね! ヴァンテ卿、私としたことが大変な失礼をしてしまいました。ご容赦を」


 翔馬が意図を掴んで話を合わせたことに、コットは豪快に喉を鳴らして笑った。


「カッカッカ! ようやく思い出していただけましたか! 従者の方は大変優秀と見える! さあさ、外は冷えます。私の私室へご案内いたしましょう。……フォスよ、レオナ王女殿下は私の大切な客人だ。異存はあるまいな?」


 フォスは瞑目したまま、無言で深く頭を下げた。

 高位貴族が“個人的に招いた客人”ならば、「勝手に王女を通した」のではなく、「公爵の客人を通した」という言い分が立つ。

 フォスは、それ以上何も言わなかった。

 翔馬は内心でホッと胸を撫で下ろすと、珍しくあわあわと戸惑いの残るレオナと、未だ周囲を警戒するガルファンの背を押し、コットと共に白銀の大門をくぐり抜けた。


 ◇


 ――その緊迫した一幕を、遥か上空から冷たく見下ろす視線があった。

 白く聳え立つ王城の三階。

 第四回査問会を控え、自らの息のかかった貴族たちを動かすべく回廊を歩いていた一人の老貴族が、バルコニーの欄干に手を置いて立ち止まっていた。

 コットと並ぶ前王派の筆頭格にして、王国北部を統べる名門ドルバトス侯爵家の前当主――バウアー・ドルバトス。

 隠居の身でありながら、リーデルの失脚に乗じて中央の権力を強固なものにせんとする現王派を止めるべく、王都へ乗り込んできた男だった。そのバウアーの鷲のような鋭い双眸が、中庭を歩くプラチナシルバーの髪を捉えた。


(――む。あれは……レオナ王女殿下ではないか?)


 前王の血を引く無垢なる王女の姿に、思案に耽り続けたバウアーの皺深い口元が、わずかに弧を描く。


(……これは千載一遇。これならば……くだらん派閥争いに終止符を打ち、この国にあるべき姿と秩序を取り戻せよう……!)


 白銀の巨城の内部へ、運命の役者たちが次々と足を踏み入れていく。

 それぞれが守るべきものを胸に抱き、それぞれが異なる答えを持って集まり始めた。

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