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水鏡の光は誰がために  作者: 瑠玻 刃
第三章 王都ハルトイニア動乱
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第46話 王都突入、暗闇の刃

 美しく整備されたハルト中央街道。

 二頭の馬に牽かれた特別仕様の高速馬車が、行き交う商人や旅人の合間を縫って駆け抜けていく。


 アルアバの峠を越え、商都ニデルを過ぎてからおよそ十日が過ぎた。

 空間解析によって、馬と自分たちの身体を適度に休ませつつ、道中に魔物や獣の影すらない街道を順調にひた走った。

 翔馬は時に馬車を降り、街道の土を踏みしめ、冬の空気を吸い込み、その時に備えていた。しかし、王都ハルトイニアに近づくにつれて、地方の宿場町や商都ニデルにあった温かみのある街の色は、徐々にその姿を消していった。

 代わりに街道を覆い始めたのは、重苦しく、肌をピリピリと刺すような張り詰めた空気。本格的な冬の空気と異なるそれは、街道沿いで繰り返される検問の厳重さとなって漂い、すれ違う武装した兵たちからの品定めするような鋭い視線となって現れた。

 まるで、目に見えない巨大な蜘蛛の巣が、王都を中心に張り巡らされているようにすら感じられる。


(カルロ様の言うハルト内部の争いって、これなのかな……?)


 ハルト王国で繰り広げられている派閥の争いと、テノラーダで学んだ共生の知恵とのギャップとが、翔馬の心に暗い影を落とした。


(……それでも、リーデル様を助けなきゃ……)


 揺れる車内で、ハルトの闇を伝えるカルロの言葉を思い出しながら、左手首に巻かれた紫黒石のブレスレットにそっと右手を重ねる。

 レオナから贈られたそれは、いつの間にかお守りのようにもなっていた。


「エスティ。……不安ですか?」


 心のうちに渦巻く不安を見透かすかのように、瑠璃色の瞳が翔馬を見据えている。

 表情に出てしまっただろうか、余計な心配をかけてしまっただろうかと反省し、翔馬は首を横に振った。


「いえ。不安というよりは……。土地勘はないんですけど、もうそろそろ着くのかなぁ、って思ってました」


 レオナにさらなる心配を掛けまいとしたのだが、答えになっていない答えになってしまった。

 彼女は、翔馬のその言葉を面白そうに笑った。


「……ふふ。エスティはたまに呑気なことを言いますね。……ハインラッドも過ぎましたし、この先の丘を越えたらハルトイニアです」


 レオナの視線が窓の外へと向く。

 ここ数日、鈍色の雲が低く垂れこめ、気分の晴れない天候が続いていたが、今日は珍しく、心の内とは裏腹に突き抜けるような青空が広がっていた。


(レオナが一番不安なんだ。自分が何とか支えないと……。……支える? 僕が? はは……)

 

 ふと、元の世界で、ただ日を重ねていた頃の自分を思い出す。

 何も選ばず、誰の期待にも応えてこなかった自分が、こんなことを考えるなんて、と心のうちで自分に対して苦笑した。


(たくさん失敗したし、学んできた。ガルファンさんもいる……。大丈夫。大丈夫だ)


 この冷気の奥で一人牙を剥き、自らの身を“戦線”に投じて格闘するリーデルの不敵な笑みと背中が、脳裏にありありと浮かんだ。

 恐れることはない。考えすぎないように、と頭を切り替える。翔馬の黒い瞳に、覚悟の光が静かに宿った。

 そして、自らを奮い立たせんがごとく、レオナに一言。


「レオナ。何があっても僕が……いえ。みんなでリーデル様を助けて、みんなでラグロニーネに帰りましょう」


「……ありがとう、エスティ。……ギルバートも待っていますしね」


 レオナは翔馬の目の奥に宿る覚悟を見て、優しい笑顔を浮かべた。

 やがて馬車は、王都近くの樹林帯へと差しかかる。

 街道沿いの木々はとうに葉を落とし、窓の外は、色彩の乏しい冬の景色を映している。


「あ……」

 

 翔馬の瞳が、ハッキリと“それ”を映し出した。

 緩やかな樹林帯の丘を登りきった瞬間、前方の視界が劇的に開け、澄み切った青空の下に見える白い塔。

 青空を突き刺さんばかりに聳え立つのは、荘厳なハルト王国主城――ハルト城だった。

 テノラーダを包んでいた、熱を吸い込むような“重厚な紫黒”とは実に対照的な、冬の低い陽を反射し、眩いばかりに輝く“白銀の美”。翔馬の目には、その息を呑むような美しさとは裏腹に、欲望や泥沼の闘争を覆い隠す、白い仮面のように見えた。


 御者台の小窓が開き、手綱を引くガルファンの低い声が聞こえてくる。


「おい、お二人さん。王都ハルトイニアだ。……ここからが本番、腹を括れよ」


 馬車はハルトイニアの外郭へゆっくりと進み、行商人と旅人が多く並ぶ検問の列の最後尾へ。

 レオナは外套のフードを目深にかぶり、翔馬も蒼穹の剣が見えないよう、外套の内へ隠す。

 そこからたっぷり半日をかけて列を進み、ようやく入口から市街へと滑り込んだ。


 城門から先の市街地は、ラグロニーネやテノラーダ、ニデルでは見ない、格式高そうな店舗が数多く立ち並んでいる。

 露天商や、行商人の立てる簡易店舗の姿はない。代わりに、仕立ての良い服装に身を包んだ市民が闊歩する。

 これまで、泥臭く過ごしてきた翔馬にしてみれば、まったく文化の異なる都市。王都とは格式によるものなのかと目を丸くした。


「……時間が時間だ。今日のところは宿を取るしかねえな」


 ガルファンの判断通り、空はすでに黄昏色から夜の帳へと移り変わり、冷たい石畳を橙色の街灯が照らし始めていた。


 ◇


 一行は、職人街の外れにある旅人向けの静かな宿へ馬車を滑り込ませた。

 ガルファンが手際よく手配を済ませ、翔馬とガルファンが街道に面した二人部屋、レオナはそのすぐ隣の小部屋に落ち着いた。


 簡素ながら、温かい食事を素早く胃袋に収めた後、三人は翔馬たちの部屋へと集まった。

 中央の丸テーブルに、レオナが羊皮紙を広げ、ペンを置く。

 暖炉の薪が爆ぜる音だけが響く中、張り詰めた作戦会議が始まった。


「これが、王城の大まかな構造です」


 レオナの白く滑らかな指先が、羊皮紙の上に素早く城の輪郭を描き出していく。


「兄様が尋問を受けているとすれば……場所は東翼にある大会議室か、その奥にある控えの間です。ここはかつて、父が重臣たちを集めて執務をしていた場所でもあります」


 翔馬とガルファンは身を乗り出し、描かれた図面を食い入るように見つめた。

 二人は王城の内部構造など知る由もない。城内を歩くには、レオナの道案内が絶対条件だった。


「問題は、どうやって城へ乗り込むかだが……」


 腕を組んだガルファンが、唸るように言った。翔馬は顎に手を当て、考えを組み立てる。


「正面から僕とレオナが、リーデル様の使者として名乗り出るのはどうでしょうか」


「……んー……。却下とは言わねえが……」


 ガルファンが首を捻る。


「相手さんも簡単に通してくんねえだろう。姫さんだけならまだしも、俺らは連行されかねねえぞ?」


「……うーん。混乱を起こして正面突破……ガルファンさんが強引にこじ開けるというのは……」


「やれと言われりゃやってやるが、城全体を敵に回しちまうぞ」


 翔馬は苦笑しながら頷いた。力技は最後の最後、破れかぶれの手段でしかないのは分かっていた。


「やっぱり、入れてくれとお願いするしかないですかね……」


「……だな」


 翔馬とガルファンが頭を振りながら図面を見る。

 レオナは、ある一点を見つめながら再度ペンを握ると、城郭の北西、崖に面した水路のあたりに小さな丸をつけた。


「……関係者しか知らない裏口です。幼い頃、兄様とよく“探検”した場所で……ここ。厨房裏の食糧庫へ通じています。城内からの排水路も兼ねていますから、今も通れるのではないかと」


「へぇ……」


 ガルファンが指をパチンと鳴らした。


「明日の朝、城門で探りを入れる。問題なさそうなら正面から名乗る。少しでも怪しい気配があれば即座に引く。姫さんの言う抜け道から侵入する。……万が一、城内で見つかって囲まれた時は、俺が暴れて道を切り開く。これでいいな?」


「はい。それでいきましょう」


 翔馬が強く頷く。レオナも不安を振り払うように微笑み、立ち上がった。


「では、今夜はしっかり身体を休めましょう。エスティ、ガルファン様、おやすみなさい……」


「ああ、しっかり寝ろよ」


 レオナが部屋を出て、隣の部屋の扉が閉まり、鍵がカチャリと掛かる音が響いた。


 ◇


 部屋には男二人、静寂が戻った。

 翔馬は窓辺に立ち、外の冷え切った闇を見つめながら、無意識に左手首の紫黒石を指先でなぞっていた。


(……待っていてください、リーデル様)


 思考を巡らせようとした、その時だった。


 ――チリッ。


 首筋に、針で刺されたような微かな悪寒が走った。風の音ではない。宿の前の通りからの音でもない。

 すぐそこ――廊下の床板が、ほんのわずかに軋んだ。その微小な振動が、翔馬の研ぎ澄まされた感覚に引っかかった。


(……誰か……いる!?)


 翔馬は息を呑み、即座に意識を集中させた。

 手首の紫黒石から穏やかなマナが引き出され、五感を一気に押し広げる。


 ――シュンッ!


 空間解析の波紋が、壁を透過して外の廊下を立体的に結像した。

 翔馬の脳裏に、鮮明な映像が浮かび上がる。自分たちの部屋の前ではない。

 隣の部屋――レオナの部屋の扉の前に、黒い外套をまとった痩身の人影が、息を殺して張り付いていた。


(レオナの部屋……?)


 視線を下に向けると、その両の手には、細身の短剣が一本ずつ握られていた。


「ガルファンさん!」


 翔馬は叫ぶと同時に、壁に立てかけてあった蒼穹の剣を抜くと、扉を蹴破る勢いで廊下へ飛び出した。


「誰だ!!」


 翔馬の叫び声が、深夜の宿の静寂を切り裂いた。

 レオナの扉の前にいた黒い影が、弾かれたようにこちらを振り返る。覆面の奥から覗く双眸が、驚愕に細められる。

 翔馬が剣を構え、間合いを詰めようとした瞬間、影は敏捷に身を翻して、階段へ向けて駆けだした。


「……チッ! 逃がすかよ!!」


 部屋から飛び出してきたガルファンが、俊敏な身のこなしで翔馬の横をすり抜け、黒い影の後を追う。


 ドタドタドタッ!


 階段を駆け下りる激しい足音。階下から、異変に気づいた宿主の「な、なんだぁ!?」という悲鳴が聞こえ、すぐさま扉がドンと激しく開かれる音が響き渡った。


「待ちやがれコラァ!!」


 ガルファンの怒号が、夜の王都へと消えていく。

 翔馬は追撃を踏みとどまり、すぐさま隣の扉を激しく叩いた。


「レオナ! 僕です! レオナ!」


「エ、エスティ……何が……?」


 内側から鍵が外され、青ざめながら、胸に手を当てたレオナが姿を現す。

 怪我はない。翔馬は心底安堵の息を吐き、蒼穹の剣を鞘へ納めると、彼女の肩を抱くようにして自室へと引き入れた。


 ――しばらくして、冷たい夜風を身体にまとわせたガルファンが、荒い息を吐きながら階段を上がってきた。

 その顔は怒りに歪み、強く拳が握られていた。


「……裏に馬を用意してやがった。動きといい、手慣れてやがる。ただのコソ泥じゃねえ」


「そんな……。どうして私たちの居場所が……」


 レオナが震える声で呟く。

 検問では正体を隠していた。目立ちにくい旅人向けの宿を選んだはずだ。

 それなのに、王都に入った初日の夜に、ピンポイントでレオナの部屋を狙われた。

 翔馬の頭がぐるぐると計算を始めるが、答えは出なかった。


「考えられるのは……」


 ガルファンが手甲を苛立たしげに打ち鳴らし、低く唸った。


「俺たちの正体を知ってるヤツが、城門で馬車を目ざとく見つけやがったか……王都全体に、最初から網が張られてやがるか」


 王都全体に、自分たちの知らない何者かの網が張られているような感覚を覚える。

 翔馬の背筋を、冷たい汗が伝った。


「……もしかして、途中の街の検問も……」


「さぁな。相手が誰なのか、目的が何なのか分かんねえし、今動くのは危険だ」


 不安に瞳を揺らすレオナの姿を見て、ガルファンが部屋の扉を固く閉め、鍵をかける。


「姫さん、今夜はこの部屋で寝ろ。ベッドを使え。見張りは俺がやる。エスティ、お前も寝ておけよ」


 翔馬は、震える手首で揺れる紫黒石のブレスレットをそっと右手で包み込み、ゆっくりと深呼吸をしてガルファンを見た。


「……いえ、交代にしましょう」


 そう言うと、翔馬は長剣を鞘ごと握りしめて、レオナの隣に腰を下ろした。

 レオナの肩が、微かに震えている。ニデルの宿で顔を真っ赤にして部屋を譲り合っていた、あの他愛のない温もりはない。

 ここにあるのは、一歩間違えれば命を刈り取られかねない、冷酷な気配だけだった。


「……そうかい。お前がそうしたいなら止めねえ。……じゃ、最初は任せる。なんかあったらでけえ声で叫べ」


 ガルファンはそう言うと、荷物から厚革の敷物を取り出し、暖炉の脇へ敷いた。

 そして、こちらに背を向けて横になる。


「分かりました。……レオナ、大丈夫ですからね。僕たちが絶対に護ります」


 暗闇の中、翔馬の力強い囁きに、レオナは手元で髪留めの紫黒石を強く握りしめ、小さく、だが確かに頷いた。

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