第45話 包囲網、狭まる盤面
三日後。
予定どおりに開かれた第二回査問会の空気は、前回とは明らかに異なるものだった。
豪奢な長いテーブルへ用意された自分の席。そこへ着席したリーデルの視線が、右――前王派の重臣たちが座る席へと落ちる。
(……ふうん。一人……足りないね)
先代エンデルス王の代から仕えていた貴族、パルマンの姿がなかった。
代わって、上座の書記官が淡々と「パルマン卿は、突発的な体調不良により欠席される」と、手元の羊皮紙を読み上げた。
対する左――現王派の席には、前回にはいなかった若手の貴族が二名加わっており、こちらへ嘲笑を向けていた。
(……買収か、あるいはカストールによる脅迫か)
中央における前王派の地盤が、リーデルの目の前で崩れ始めている証左だった。
「――では、第二回査問を開始する」
ヘナスバスの静かで抑揚のない声がすると同時、内政担当のモルツが、相変わらず脂ぎった顔で書類を突きつけてくる。
「辺境伯閣下、ラグロ領における昨年度の備蓄食糧の数量について、中央への報告値と三万袋の齟齬があるとの指摘だが」
「端的に言うならば、飢饉に備えたものだよ。王国法により、地方領主は収穫高の五パーセントを独自裁量で予備枠として計上できるだろう? その控除分を計算に入れ忘れているのは貴殿の部下の方ではないかね?」
リーデルは肩をすくめると、眉ひとつ動かさず手元の台帳を開く。
パラパラとめくって該当の箇所を見つけると、そこをトントンと指で叩いた。
「ぐっ……な、ならば、この関税の端数処理は――」
「これも翌月へ繰り越し処理されているのだがね……。協定書の写しなら、こっちの台帳の四十八ページにあるよ。……読めないのなら、代わりに読んで差し上げようか?」
重箱の隅をつつくような、あまりに低次元な言いがかり。
リーデルの淀みない論理と証拠の前に、モルツはまたしても顔を真っ赤にして絶句した。
だが、前回と打って変わって、リーデルの胸中には何ともいえない居心地の悪さだけが残る。
王の隣に座るヘナスバスは、モルツが論破されようが特に気にする様子はない。
ただ淡々と、無表情に羊皮紙へとペンを走らせるだけだった。
(やれやれ……三日前と同じだね。単なる時間稼ぎのつもり……でもないか。実際に“座席”は減っている)
◇
同じ頃、ハルト王城近くにある貴族街。
その一角にあるシェガレット公爵邸。
重厚な執務室で、コット・ヴァンテ公爵は暖炉の前に立ち、一通の手紙を手に険しい表情を浮かべていた。
「……まったく。老いぼれてなお、恐ろしい男だ」
コットは苦々しく吐き捨てると、羊皮紙に走る端正な文字を指先でなぞった。
この手紙が届いたのは、二週間ほど前のこと。差出人の名前は、ラグロ領筆頭政務官ギルバート・レイン。
先代王エンデルスの懐刀として王国に君臨した元宰相、“ハルトの魔王”とまで呼ばれ、恐れられた男からの密書だった。
その手紙には、こう書かれていた。
――リーデル様は、査察後の言いがかりとも言える召喚に応じて、王都へ出立されました。
あの御方は、持ち前の慧智と豊富な法知識を以って、正面から現王派をねじ伏せるおつもりです。
しかし、権力に狂った者どものこと。正面から法理でリーデル様を崩せぬと知れば、別の手を取ることでしょう。
リーデル様を陥れるためならば、何をしてくるかすら分からない。
私には、それがよく分かる。
だからこそ、恐ろしい。
ゆえに、旧友たるヴァンテ卿にお願いがございます。
どうか、リーデル様のお力となっていただきたい。
追伸。
万が一、王都にレオナ様と――希望となる“黒髪の異邦の少年”が現れた際は、どうかご助力を賜りたい。
冷静さと悲痛さが入り混じる文面から目を離し、コットは深く、長いため息を吐き出して首を振った。
読むのは四度目だが、その度にため息が深く、長くなっていくのを自覚する。
そして窓の外をちらりと見やると、怪しい私服の男たちが数名、公爵邸を遠巻きに監視している姿が見えた。
「……まったく。あやつは一体どこまで“見えて”いるというのか……」
この手紙によって、コットは居ても立ってもいられなくなり、リーデルに先んじてハルト王城へ登城した。
そして、数日前から、リーデルは城内で孤立を深めつつある。
遠く離れた南の辺境にいながら、ギルバートはすでに何手も先へ布石を打っているかのようにすら感じられた。
「……気になるのは、この“黒髪の少年”か……。あやつがそこまで肩入れするならば、ただ者であるはずがなかろうが……」
コットは、手紙を折り目に沿って丁寧にたたむと、革鞄の中へと仕舞い込む。
そして、外の監視の目を睨みつけ、歴戦の将は力強く拳を握りしめた。
◇
それからさらに三日後。
第三回査問会の空気は、いよいよ抜き差しならない殺気を帯びていた。
前王派の席は、発言する気力すら奪われたかのように沈黙しており、上座のエドアルド王の顔色はもはや病的に青白い。
そして、現王派のモルツが、これまでにない邪悪な笑みを浮かべて立ち上がった。
「辺境伯閣下。これまでの事情聴取において、帳簿上の細工がいかに巧妙であるかはよーく分かった! ……だが、どれほど書類を取り繕おうとも、貴殿には隠しきれぬ“大罪”がある」
「……はて、何の話かな? 全く身に覚えがないのだが」
リーデルは、もはやモルツに感情を向けることすらしなかった。
それをニヤリと見ると、モルツは芝居がかった仕草で手を叩いて、会議室の扉を指し示した。
「証人を呼んでいる。入れ!」
扉が開き、室内へ足を踏み入れてきた人物の姿に、リーデルの背筋が少しだけぞくりとする。
仕立てのいい官吏服に身を包んだ、神経質そうな細身の男。
先般、ラグロ領へ査察に入り、公文書の山を前に涙を浮かべていた査察官――ドラスだった。
「辺境伯閣下、お久しゅうございますな」
ドラスは唇の端を吊り上げ、慇懃無礼に一礼する。
つかつかと歩みを進めるその双眸には、暗い復讐の炎が宿っていた。
「証人ドラスに問う。……そなたがラグロ領にて掴んだという、“重大な嫌疑”とは何だ?」
モルツが促すと、ドラスは朗々とした声で大会議室に爆弾を投下した。
「はっ! ……先般、私はラグロ領へ査察官として赴きました。資料精査の最中、ラグロニーネの地を観察していたときのことです。……民の間で、まことしやかに囁かれている噂がありました。それは、水神の神殿において、神話の存在たる“水鏡の勇者”が顕現した、というものでございます!」
大仰な身振り手振りを交えながら、勇者顕現がまるで事実であるかのように述べる。
ざわりと大会議室に異様な空気が立ち込め、居並ぶ貴族たちが息を呑み、上座のエドアルド王が弾かれたように顔を上げる。
見開かれたリーデルの眼が、ゆっくりとドラスへと向かう。
「な、何だと……!?」
「水鏡の勇者だと!? まさか……!」
「でっち上げではないのか!」
「辺境伯閣下、この話は真か!?」
ドラスはざわめく貴族たちを睥睨すると、リーデルを指差した。
「辺境伯閣下は、勇者の存在を本国へ一切報告せず、あまつさえ自らの手中に収めようとした! 査察の手が伸びると知るや否や、実妹たるレオナ王女とともに、勇者と目される者を他国――ケーニヒシア王国へと不法に出国させたのです! 世界の至宝たる勇者を私物化し、他国と結託して反逆の時を窺っている……これこそが、ラグロ辺境伯の真の狙いにございます!」
両腕を広げ、ヘナスバスを勝ち誇った顔で見下ろす。
静寂。やがて、沸騰するような糾弾の視線がリーデルへと集中した。
リーデルの心臓が、早鐘のように激しく脈打つ。それまで余裕を見せていた表情が焦りを帯び、ここに来て頭が高速回転を始める。
(チッ、なぜドラスが知っている? 神殿の対応は完璧だったはずだが……酒場の噂話に尾ひれがついて、ドラスの耳に届いたか……?)
それまで、ほぼ即座に答えを打ち返していたリーデルの声が、聞こえない。
その事実に、ペンを走らせていたヘナスバスの手が止まったが、リーデルは気づかなかった。
(……どうする。……いや、焦るな。ここで取り乱せば、あの子たちに火の粉が及ぶ……!)
リーデルは奥歯を噛み締め、警鐘を鳴らす頭を無理矢理に鎮めると、冷徹な仮面の下へ動揺を押し込んだ。
そしてドラスに冷たい視線を向け、その勝ち誇った顔を蔑むかのように、低く滑らかに笑い声を漏らした。
「……フフフ。……フフ……アハハハハ!」
狂気すら孕んだ冷笑に、ドラスが気圧されて一歩後ずさる。
「何がおかしい! 事実を指摘されて血迷ったか!?」
「……いや、これは失敬。……だがね、これがおかしくて笑わずにいられるかい?」
リーデルは机をトンと軽く叩いて立ち上がり、ドラスを氷のような瞳で見下ろした。
「妄想の国家反逆罪をでっち上げるために、おとぎ話すら尋問に持ち込むとは。いささか驚いたよ……。よろしいかな、諸君。神殿は、古来より世俗の権力が及ばない絶対不可侵の領域だ。それにね、査察官ともあろう者が、酒場の噂程度の世間話を真に受け、あまつさえ神殿の差配に口を挟む。これは、国家による神殿への侵略行為以外の何物でもないのではないか?」
さらにリーデルは一歩、ドラスへと歩み寄る。
「さらに、テノラーダへの使節団派遣は、かねてより定めていたことだ。神殿間は当然、正当な外交手続を経て、テノラディア領のシュタイン侯爵から賛同も得ているのだよ?」
ふうと息を吐き、肩をすくめ、侮蔑的な視線を送る。
「それを『不法な出国』『他国との結託』などと騒ぎ立ててみたまえよ。ケーニヒシアとの間にどれほどの摩擦を引き起こすか、貴殿はそれが理解できないのかな? ……ま、ここまで壮大な妄想を描けるのだ。卿は戯曲作家にでも転身されてはいかがかな?」
「ぐ、う……っ! リーデル! 貴様……貴様ァ! 一度ならず二度までも、この私を虚仮にしおって!」
ドラスは怒り心頭で机を両の手で叩き、叫ぶような声を上げる。
「おや、そこまでお怒りになるとは……。どうやら、痛いところを突いてしまったかな?」
「火のないところに煙は立たぬ! 現にレオナ王女はラグロニーネを離れ――」
「……何度も言わせるな、ドラス。根拠のない噂話で王族の名誉を傷つけ、隣国との国交を危機に晒す。……貴様のその軽挙妄動こそが、王国に対する利敵行為ではないのか」
再びレオナの名を口にしたドラスに対し、射殺すかのような視線を向ける。
その身に纏うは絶対零度の威圧感。冬の青空のような瞳は、じっとドラスを睨みつける。
「そ、そのような考えが、この私にあるはずなかろう!」
「それは私とて同じだ」
リーデルの威圧と反論、国際問題まで突きつけられ、ドラスは顔面を真っ赤にし、歯を食いしばった。
さらに反論を重ねようと息を吸い込んだ。だが――。
「……双方、そこまで」
重々しく響いたのは、これまで沈黙を保っていた法務官ヘナスバスの声だった。
ヘナスバスはゆらりと立ち上がると、無機質な視線をリーデルへと向けた。
「辺境伯閣下の弁明、極めて理路整然としております。……しかしながら、王女殿下が他国へ滞在しているのは事実。そして“勇者顕現”という噂が、ラグロ領内に流布している。もしこれが事実であるとするならば、世界の均衡を揺るがしかねない重大事案であります」
「ヘナスバス殿……?」
リーデルの眉が微かに跳ね上がる。
ヘナスバスは感情の籠もらない声で、隣のエドアルドへ向き直る。
「王よ。本件の真偽、および辺境伯領の専断の是非については、より踏み込んだ調査が必要であると判断いたします。……よって、改めて三日後に第四回査問会を招集し、本件に関する最終査問の場とすることを提言いたします」
最終査問。その言葉の響きに、現王派の貴族たちが口元を歪めた。
しかし、ヘナスバスはまったく気にする素振りを見せず、瞳を閉じて隣の王の決議を待つ。
しばしの沈黙の後。エドアルドは力なく、ヘナスバスへと答えた。
「……よきに計らえ」
エドアルドは力なく立ち上がると、従者に支えられながら大会議室を後にした。
後に残るのは、居心地の悪い空気だけだった。
◇
あてがわれた客室に戻ったリーデルは、暖炉の前に崩れ落ちるように腰掛けた。
心底疲れたと言わんばかりに天井を仰ぎ、手足を放る。
冷や汗で背中にじっとりと張り付いた衣服に、今更になって気づいた。
そして考える。
もし、この場にレオナやエスティがいたならば、どうなっていただろうか、と。
(……考えるまでもないね。いいようにされて終わりだ。……何とかしなければ)
ラグロニーネから持ち込んだ資料と、必死に確認した記録の数々をいくら積み上げても、査問が終わらない。
書面と弁明を以って、自分が正しいことを伝え続けるだけでは、もはや何も守れない。
三日後――現王派は、ありとあらゆる“戦力”を動員してくるだろう。
もしかすると、現王派の重鎮カストールが姿を見せる可能性すらある。
(……何とか……何とか、あの子達を守らなければ……。……ギルバート。……いや、せめてヴァンテ公爵に……)
だが――。
「三日後、か……」
残された時間は、あまりにも短い。
ラグロニーネへ連絡できず、味方であるはずのコット・ヴァンテとの接触も絶たれている。
前王派の貴族たちは恐怖で口を閉ざし、尋問では一言も発しない。
叔父に至っては、日に日に顔色を悪くするばかり。
次第に狭まっていく選択肢が、若き領主の心に焦りとなって迫る。
(……そうか。自分がすべてを被ればよいのか。でっち上げられた疑いだろうが、罪を背負い、責を取れば、あの子たちだけでも守り抜ける。……それで手打ちとするのも悪くはない)
――リーデルの脳裏に、そうした妥結案が浮かんで消えた。




