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水鏡の光は誰がために  作者: 瑠玻 刃
第三章 王都ハルトイニア動乱
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第44話 初陣、白銀の檻の中で

 一台の豪奢な馬車が、緩やかな樹林帯の丘を駆け抜けていく。

 木立を抜けた瞬間、澄み切った冬空の下、白銀に輝く荘厳な巨城がその全貌を現した。


(……景色だけは変わらないね)


 城は、陽光を反射して眩いばかりに輝いている。絶対の美を誇るかのような白銀の城。

 その王城を囲うように街が形成され、中心部を二筋の川が流れている。それが“ハルトの宝石”と称えられる王都、ハルトイニアだった。


 馬車は丘を駆け下りると、石造りの美麗なアーチを描く大橋を渡って、王都の正面に位置する門へ至った。

 リーデルは窓枠に肘を預け、冷ややかに外を眺めた。街道から続く王都の門には、この時期に増える行商人や旅人で長蛇の列ができている。

 それ以上にリーデルの目を引いたのは、平時であれば顔パスで通過できるはずの貴族の馬車すら一台ずつ止められている事実と、城壁に配備された重装兵の異様な多さだった。

 貴族専用の門へラグロ領の馬車が着いてもそれは同様で、漆黒の胸当てを着けた兵士が無言で歩み寄ってきた。

 ラグロニーネから連れてきた護衛の兵士が国王エドアルド直筆の書状を渡すと、一応は形式的な確認だけで通過は許されたものの、王都に入っても巡回する兵たちの足音が途切れることはなかった。


(……なるほど。王都はずいぶんと物々しい状況になっているね)


 やがて王城の内門へと到着したリーデルは、来客用の控えの間へと通された。

 ラグロニーネから連れてきた二名の護衛兵は、城外の兵舎へ隔離されて、ここからは完全に一人での戦いとなる。


「辺境伯閣下。恐れ入りますが、そちらの剣をお預けいただけますか?」


 案内役の衛兵が、リーデルの腰にある護身用の長剣を指し示し、抑揚なく告げた。

 ハルト王国において、王城を守護する騎士や兵士だけでなく、貴族にも城内での帯剣が許されている。

 リーデルは少しだけムッとした表情を浮かべ、不満そうに声を上げた。


「……おや、私から剣を奪うのか。“万が一のとき”は、一体誰が私の身を護ってくれるのかな?」


 王都を離れて久しいとはいえ、ハルト王国の王子であり、ラグロ辺境伯領の領主たる立場。

 その身を守る剣すら預けろとは、ずいぶんな対応ではないかと冷ややかな嘲笑を浮かべるリーデルに、衛兵は怯むことなく視線を扉の向こうへと向ける。

 すると重厚な軍靴が石床を叩く音が聞こえ、野太い声が部屋に響いた。


「……ご無礼をお許し願いたい、辺境伯閣下。しかし、すべては御身をお護りするためにございます。どうか、ご容赦を」


 そう言いながら部屋へ足を踏み入れてきた男の姿に、リーデルはわずかに眉を持ち上げた。

 短く刈り込まれた、白髪交じりの深い茶色の髪。端正に整えられた髭。刻まれた眉間の皺は、切り抜けてきた苦難を表すかのように深い。

 鍛え上げられた体躯を包む白銀の軽鎧と、その背に背負うのは、常人では振るうことも叶わぬ大剣。

 切れ長の双眸に宿る光は、百戦錬磨の将そのものであった。


「お久しゅうございます。リーデル様」


「……フォスか。久しぶりだね。息災だったかい?」


「はっ。リーデル様がラグロ領へ下向されて間もなく、近衛騎士団長を拝命いたしました」


 近衛の頂点に立つ男――フォスは、かつて仕えた若き王子へ向けて、慇懃に深々と頭を垂れた。


「へえ、団長か。出世したものだね。……ということは、この“歓迎”も叔父上の差配かな?」


 叔父であるエドアルド王が、リーデルに危害が及ばぬよう信頼できるフォスを差し向けたのか。

 あるいは、現王派の息がかかった何者かが、リーデルを無力化するために近衛を動かしたのか。


「…………」


 近衛騎士団長のフォスは、その言葉への回答として沈黙で肯定した。


「……変なところで真面目なのは相変わらずだね、君は」


 やれやれと言わんばかりに肩をすくめた後、仕方ないとつぶやき、リーデルは腰の剣を外した。

 フォスの鍛え抜かれた両腕に、ずしりとした重みがかかるが、フォスはその剣が予想と違うものであったことに驚いた顔をする。


「……王家の“蒼き剣”ではありませんな。ラグロニーネに置いてこられたのですか?」


「フフ、まさか。あの剣なら、今はテノラーダにあるよ」


「……テノラーダ?」


 リーデルは不思議そうな表情を浮かべるフォスに、ニヤリと口角を上げる。

 そして、何かを思い出すように窓の外を眺めながら、豪奢なイスへと腰掛けた。


「ああ。“相応しい者”の手に委ねてあってね。……ま、こちらの話だ。気にしないでくれ」


 フォスは訝しげに眉を寄せたが、それ以上は詮索せず、深々と一礼した。


「……では、お預かりいたします。……まもなく国王陛下ご臨席のもと、第一回査問会が執り行われます。大会議室へご案内いたします」


「まったく手厚いね。歓待、痛み入るよ」


 リーデルはため息を吐いて首を振る。そして冷徹な眼光を宿し、静かに立ち上がった。


 ◇


 ハルト王城、大会議室。

 幼き日。妹と走り回っては両親に叱られた、思い出の部屋。

 災禍の後。辺境伯への任官を言い渡された、因縁の部屋。

 そして今。辺境伯として赴いた、戦いの舞台。

 重厚な扉が開かれた瞬間、リーデルを包んだのは、真冬の空気よりも冷えた貴族たちの視線だった。


 長机の上座には、学者として生き生きと研究に没頭していた頃の面影すらなく、力なく座す叔父――国王エドアルド。

 両脇には、この査問会を取り仕切る法務担当官と、数名の書記官が目を伏せて控えている。

 その右に、父の代から仕える前王派の重臣が三名。左には、現国王を担ぎ上げて権力を牛耳る現王派の貴族たちが三名。

 現王派の貴族たちは、まるで獲物を品定めするような下劣な笑みを浮かべて座っていた。


「……これより、国王エドアルド陛下の命により、法務局担当官ヘナスバスの監督の元、ラグロ辺境伯リーデル閣下に対する査問を開始する」


 黒地に白と金のラインが入った服装から、ハルト王国の法務局に所属していることが窺える男。

 法務担当官ヘナスバスの乾いた宣言と同時に、現王派の最前列に座る肥満体の貴族――内政担当のモルツが、脂ぎった顔を歪めて口火を切った。


「辺境伯閣下。先日の査察報告によれば、ラグロ領におけるケーニヒシアとの交易量が、前年比で三倍以上に跳ね上がっているとある。まさかと思うが、不当な密貿易、あるいは国法に反する横流しで私腹を肥やしているのではあるまいな?」


「言いがかりも甚だしい」


 リーデルは、携えてきた分厚い台帳の一冊を無造作に机の上へ放り出した。

 バサリと重い音が静寂を破る。


「品目別の通関証明と、ケーニヒシアの捺印入り副本だよ。流通品の八割は武具と食糧、これらのほぼすべてがケーニヒシアの要請に応じたもの。正規の手順で国境を通過させ、記録は全四十二冊。これはドラス殿も確認済みだがね。貴殿は、報告書に目を通すという知能すら持ち合わせていないのかな?」


「ぶ、無礼な……! で、では、増加分の収益に対する本国への納税はどう弁明されるのか! 領民からだけでなく、相手国からも不当に搾り取った金を、中央へ納めず隠匿しているとの密告があるのだぞ!」


 リーデルは鼻で笑い、足元からもう一冊の束を放り投げた。


「国法第九十六条第三項、およびラグロ領規定第十二条に基づく追納分の受領証だ。国王陛下の御璽もあるが、この程度ならば財務局へ確認すればよいだろう。国王陛下のおわす場で確認することかい?」


「ぐっ……!」


 質問に対し、間髪を入れずに繰り出される法の引用と公文書。淀みない答えだけでなく、リーデルがちくりちくりと刺す。

 モルツが絶句すると、王の横に座るヘナスバスが、じっとリーデルを見つめながらボソリと言葉を放つ。


「……ひとつ、確認いたします。辺境伯閣下は、“交易の拡大”そのものについてはお認めになる、と」


「……? そのとおりだよ。君は法務官なのだから、何か問題があるのなら指摘してくれたまえよ」


 リーデルの視線が、顔を赤くしながら睨むモルツから、エドアルドの横にいるヘナスバスへと移る。

 しかし、何を考えているか窺い知れない。リーデルをちらりとすら見ることなく、さらさらとペンを走らせ続ける。


「いえ。それが分かれば結構です。……ありがとうございます」


 無と言っても差し支えないその表情に、リーデルは少しだけ怪訝な表情を浮かべた。


「そうかい? ……それならばよいのだが」


 リーデルがそう言い終わるや否や、ヘナスバスとモルツの間に座る、冷酷な目つきの老貴族サッカスが低く陰湿な声を放つ。


「……辺境伯閣下。聞き及ぶところによれば、ラグロ領の私兵を倍増させ、武装強化を図っているとか。中央の預かり知らぬところで軍備増強し、あまつさえ領民は国王陛下よりも閣下を崇拝しているという。……これは、“王に対する反逆の企てあり”と受け取られても、やむを得ないことではないか?」


 部屋の空気が凍りついた。事実確認から露骨な“反逆罪の疑い”。

 リーデルは瞳の奥に絶対零度の冷気を宿し、老貴族を真っ向から見据えた。


「ケーニヒシアを隣に持つわが領の防衛計画が、貴殿の頭では反逆の準備に見えるのか。哀れだね。領兵の増員は一年前、軍務局から防衛線増強の要請に端を発する。公文書があるにも関わらず、この“尋問”までの間にそれすら調べていないのかな?」


 リーデルの棘のある答えに、サッカスも表情を変えない。

 机の上で両の手を組み、視線を真っ向から受けてみせた。


「……それは失敬。後ほど書面を確認させてもらおう。それと、もうひとつ。……国の有事に、王命と辺境伯の命が衝突した場合、ラグロの領民はどちらに従うとお考えか?」


 まるで挑発するかのようなサッカスの表情に、リーデルが違和感を覚える。

 この場は尋問であり、ラグロ領の統治に関わる事実確認のはずと思考を巡らせ、ひとつの答えにたどり着く。


(どう答えても私が不利になるな。……こういう手合いは面倒だね)


 リーデルは目を閉じると、肩をすくめた。


「……起きてもない事態で忠誠を測ろうとは、ずいぶんと便利な天秤をお持ちのようだ。事実について問いたまえ。これは“尋問”だろう?」


「黙って聞いていれば、先ほどから何だその態度は! 無礼が過ぎるぞ!」


 サッカスとリーデルの間に、モルツが顔を先程よりも赤くして割り込む。

 もはや我慢ならないと言わんばかりの表情で気炎を上げたが、リーデルは相変わらずつまらないものを見る目を向ける。


「……モルツ殿。私の態度や思考に関する質問かな? 同じことを言わせないでいただきたい。……他にご質問は?」


 現王派三人目の貴族が恐る恐る手を上げる。


「……よろしいかな? 隣国との直接協議を、王都へ事前報告しなかった件については?」


「辺境伯特権によるものだね。……法条については……割愛させてもらうよ」


 やれやれとばかりに目で往なす。


「……こちらの件も、記録いたします」


 ――その後も、質問者は一様にラグロ領における“悪辣な統治と企み”を並べ立てたが、リーデルは淀みなくすらすらと反論を続けた。

 質問が出なくなったことを確認すると、リーデルは、現王派の貴族たちではなくエドアルド王へ視線を向けて、言葉を紡いだ。


「せっかくなので、卿らにひとつ私見を述べる。……私は思うんだ。民が誰を慕うかなど結果論に過ぎない、とね。それに、領民の敬愛を集めて罪になるという法規が、この誇り高きハルトのどこにあるのか。ご存知であれば、ぜひご教授願いたい」


 真正面のエドアルド王は、ハッとしてリーデルへ視線を向けたが、すぐに目を伏せた。

 その沈黙を見届けると、リーデルはほんのわずかに口元を歪め、目を細める。そして、それ以上、言葉を重ねることはしなかった。


「……本日の聴取は、ここまでとする」


 法務担当官ヘナスバスの静かな声を以って、一刻に及ぶ第一回目の聴取は幕を閉じた。


 ◇


 大会議室を後にし、回廊を歩くリーデルの足取りは、決して軽くはなかった。

 窓の外には、鈍色の雲が低く垂れ込め、まるで自分の心のうちのようだと内心で自虐する。


(……薄気味悪いな。まるで、私の反論など最初からどうでもいい、というような顔をしていた)


 降りかかる火の粉はすべて振り払った、どころか押し返し“口撃”も加えた。

 それにもかかわらず、現王派の面々の瞳にあったのは、敗北の屈辱ではなく、粘つくような暗い余裕だった。


「リーデル殿!」


 不安な表情を浮かべたまま歩く背に、不意にかけられた力強い呼び声。

 リーデルが足を止めて振り返ると、重厚な衣服を纏った壮年の貴族が歩み寄ってくるところだった。


「シェガレット公爵閣下……!」


 声の主は、古くから王国の武門を支え続けてきた忠臣にして、大都市ハインラッドを擁するシェガレット公爵領の主。コット・ヴァンテ公爵だった。

 コットはつかつかとリーデルに歩み寄ると、その肩をがっしりと掴んで声を震わせた。


「息災で何よりだ。貴殿が不当な召喚に応じたと聞き、居ても立ってもいられず駆けつけておったのだ! 我らヴァンテ家は、いかなる時も亡き先王の血統たる貴殿の味方だ!」


 頼もしきその言葉に、リーデルの口元がわずかに緩む。だが――。


「申し訳ございません、シェガレット公爵閣下」


 リーデルの背後に控えていたヘナスバスが、冷ややかに割って入った。


「査問期間中の聴取対象者と、外部有力者との私的接触は、規定により固く禁じられております。どうかお控えを」


「……なに? 黙れ、小役人が! 私は王国公爵にして先代よりの重臣だ! 甥同然の青年に声をかけて何を咎め立てされようか!」


 コット公爵が雷のような怒号を浴びせ、ヘナスバスを一喝する。

 しかし、怯むどころか、薄ら笑いすら浮かべて深々と頭を下げた。


「公平性に疑義を持たれぬための処置にございます。……公爵閣下とて、辺境伯殿の立場をこれ以上危うくするおつもりはないはず」


「……貴様……!」


 激昂するコットの腕を、リーデルがそっと制した。

 尋問の席でも、表情が窺い知れなかった相手。これ以上の騒ぎは、相手に口実を与えるだけだと察した。

 コットは忌々しそうに息を吐き、舌打ちをすると、リーデルの耳元へ顔を寄せ、微かな囁き声を落とす。


「……カストールらが地方領主へ手を回し、前王派の切り崩しが始まっているとの噂がある。ここに長く留まるな、リーデル殿」


「切り崩し……? ……分かりました」


 短く視線を交わした後、コットは法務官を睨みつけ、外套を翻して去っていく。

 その背中に心の中で一礼し、リーデルは回廊を再び歩き始めた。


 ◇


 あてがわれた豪奢な一室へ戻ったリーデルは、暖炉の前に歩み寄り、深く息を吐き出した。

 ふと視線を走らせると、出立時にはなかった一枚の羊皮紙が、執務机の上に置かれていることに気づいた。

 手に取り、流し読みした瞬間、リーデルの眉が冷たく跳ね上がる。


 『第二回査問の儀、三日後に執り行うものとす』


「……三日後?」


 リーデルの脳裏に、法廷での貴族たちの薄ら笑いが思い浮かび、コット公爵の警告が激しく結びついた。


(……なるほど。私を裁くつもりなど端からないか。面倒なことこの上ないね)


 現王派の描いた筋書きを、自分ならどうするかと思考する。

 ――三日後。羊皮紙の上にしたためられた数字を眺めているうちに、法廷で浮かべていた貴族たちの薄ら笑いと、コットの言葉が一本の線で繋がっていく。


(私をここへ置いておけば十分、なんだろうね。その間に外を崩す。……フフフ。自分が逆の立場であったなら、そうするだろうね。まったく、あの子たちを、巻き込まなくて本当に良かった)


 窓の外、王都の冬空はとっぷりと暮れ、冷たい夜の闇が白銀の城を呑み込もうとしている。リーデルは羊皮紙を乱暴に机へ投げ捨てると、闇の向こうを見据え、氷のように冷たい笑みを浮かべた。


「上等だ。古狸どもめ。……この私を、そう簡単に捕まえ続けられると思うなよ?」

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