第21話 静かなる防波堤、若き領主の知略
翔馬一行がラグロニーネを出発して数日後のこと。
城郭都市ラグロニーネ、領主館の執務室。
重々しくも高級そうな木製扉が乱暴に押し開けられ、甲冑の擦れる嫌な音とともに、数人の男たちが部屋へと雪崩れ込んできた。
先頭に立つのは、ハルト王国の本国中央から派遣されてきた査察官――派手な刺繍の入った貴族服を纏い、細い口髭を蓄えた気取った貴族の男、ドラス・フェリー・サバルキアだった。
その後ろには、威圧的な態度で剣の柄に手をかけた騎士たちが数名居並んでいる。
(誰が来るのかと思いきや、ドラスか……)
執務机の奥に座るリーデルは、その男の顔に見覚えがあった。
ハルト王城での晩餐会や舞踏会で挨拶を交わした程度だが、当時から自尊心が高く、嫌味なヤツという印象しかなかった。
「無礼であろう! ラグロ辺境伯殿!」
ドラスは、執務机に向かって静かに書類を読んでいたリーデルに対し、いきなり甲高い声で怒号を浴びせかけた。
「……これはこれは、本国からの遠路はるばるのご足労、ご苦労に存じます、ドラス査察官殿」
なぜドラスが怒り心頭なのか。
それは、リーデルがしきたりに則った対応をしなかったからだ。
今回であれば、査察官が事前予告なしに屋敷前へ馬車で乗り付け、領主は即座に屋敷の玄関前まで出迎えることになっている。
さらに、その場で査察官が口上を高らかに述べ、領主がそれを受け入れて屋敷内へ自ら案内する……というのが、ハルト王国の古くからの格式ある手順だった。
――が、リーデルは、そのしきたりを知った上で、あえて出迎えなかった。
「わざとらしいセリフを! 執事に出迎えさせておきながら、よく言えたものだな!」
玄関前に到着したドラスを出迎えたのは、ギルバートだった。
ドラスは老執事から『執務室まで勝手に入ってこい』といった趣旨の伝言を受け、ただの来客のように案内された。
領主の屋敷前で口上を述べる機会を奪われ、面目を潰されたと感じたドラスは、怒り心頭のまま騎士たちを伴い、この執務室へ怒髪天を突く勢いで押し入ってきたのだった。
そして、腕と肩をぷるぷると震わせ、キッとリーデルを睨みつける。
「それはそれは、とんだご無礼を。平にご容赦を」
悪いとは微塵も思っていないが、わざとらしく驚きの口上と共に頭を下げた。
ハルトの領主には、自治裁量権が認められている。
言い換えれば、領地で問題が生じたならば、中央によほどの影響がない限り、領主の責任において解決するのが筋である。そして、問題が解決したならば、中央へ報告書を提出すればよいだけだった。
重大な背信行為による問題の発覚であれば別だが、逆に、そんなことが明るみに出ようものならば、当然〝査察〟どころではない。
つまり、本国による領地査察はルールとして存在していても、滅多に行われるものではないし、実効性のない手続きでしかなかった。
それが行われた理由はひとつ。ただの嫌がらせだ。
「ラグロ辺境伯殿! 我らは国王エドアルド陛下のご勅命により、ラグロ領における支援物資の流用疑いに関する調査のために遣わされた! 直ちにすべての管理帳簿を差し出し、我が方の査察に全面協力されたい! これに背くことは王国への反逆と同義である!」
室内で仕切り直すように、事前に用意してきた口上を大声で言い放つドラス。
(うるさいな。それを言いたかっただけか。まったく、見栄と欲の男だね……)
サバルキア家は代々、ハルト北方のコムレーン伯爵領を治めている。
数年前に父親が没し、長子のドラスが家督を継いだはよいが、それまでの領地経営の拙さから、財政難の噂がラグロ領にも届いていた。
となれば、ドラスが査察官に名乗り出た理由もはっきりする。
(査察で功績を上げ、現国王派閥への忠誠をアピール。領地の安堵と中央での序列を跳ね上げたい……ってところかな?)
事前にエドアルドからの密書もあり、これがただの演劇であることは明白だった。
前王の遺児であるリーデルとレオナに圧力をかけ、本国中央への復帰や余計な動きを牽制するための、現王派閥による強烈な揺さぶり。
ドラスがどこまで自覚しているかは怪しいが、国王派閥への手土産として成果を焦っているのは、リーデルからも見て取れた。
謂れのない指摘と、裏が見え透いた高圧的な威嚇。そんな中途半端な威圧など、リーデルにはには効果がない。
執務机の背もたれにゆったりと身体を預けていたリーデルは、プラチナブロンドの髪を優雅になでつけ、氷雪のような青い瞳で査察官たちをつまらなそうに見下ろす。
目線のあまりの冷たさに、殺気立っていた騎士が気圧され、一歩後ずさる。
その姿を満足そうに見つめたリーデルは、薄い唇の端をすうっと吊り上げ、冷酷なまでに美しく微笑んだ。
「ええ、勿論ですとも。当領としても、あらぬ疑いをかけられたままでは困りますからね。……ですが」
リーデルは机の上に置かれた一冊の重厚な羊皮紙の冊子――『ハルト王国・辺境伯領自治規程』を、コンコンと綺麗な指先で叩いた。
「当領は、ハルト王国において、古くから広大な独立裁量権を認められた辺境伯領でございます。……ゆえに、査察といえど、国法と我が領の自治規程、ならびに行政手続きに従っていただく義務がございます」
「何を生意気な! 我らは王命を受けておるのだぞ!?」
「だからこそ法に従っていただくのですよ、ドラス査察官殿。王命と述べる者が、王国の定める法と規程を破るわけには参りませんでしょう?」
リーデルは不敵に微笑むと、黙りこくるドラスににやりとした笑いを向け、パンパンと静かに手を叩いた。その合図とともに、廊下から数人の使用人や役人たちが、巨大な木箱をいくつも抱えて部屋へと入ってくる。
ドカリ! ドカリ! と応接机の近辺へ積み上げられていく、気が遠くなるほどの木箱の塔。
しばらくすると、重厚な執務室の広間の半分が、人の背丈を遥かに超える箱の壁で埋め尽くされた。
「な……なんだこれは!? 何のつもりだ!!」
絶叫するドラスに対し、執務室の入り口から進み出た老執事ギルバートが、恭しく頭を下げながら説明を始めた。
「本国及び当領の規程に則って付けられた、過去三年分の記録……その、半分にございます。こちらが、隣国支援および国防における各申請書原本。そこの一部に損耗廃棄報告書。その他、倉庫在庫照合票、神殿間交流記録目録などなど。およそ五千冊ほどございますが、更に必要とあれば、記録書庫をご案内いたしましょう」
「ご……五千冊……!? これが半分……!?」
驚愕に目を丸くしていたドラスは、キッとギルバートを睨みつけた。
しかし、その老執事からにやりと返され、顔から一瞬で血の気が引いていった。
「ドラス査察官殿」
リーデルは細い脚を組み、愉しげに顎を支える。
「当領の規程では、査察において、全ての書類をすべて監査の上、管理印の照合を行っていただくことになっております。そして、これは本国の規程に準じます」
口の端をいやらしく歪めながら、ふるふると腕を振るわせるドラスを見やる。
「万が一、不備や未確認のページが残っている場合、査察の効果はないものとなりますが……それでは王も良しとされないでしょうな?」
「ふ、ふ……ふざけるな! こんな膨大な量、監査できるわけなかろう!」
「おやおや、困りましたね。王命でしょう? まさか不正をされるおつもりですか? 査察は極めて厳格であると記憶しておりますが……私としても、正当な手続きを踏まない調査結果など、一切認めませんがね」
リーデルの氷のように冷たい瞳が、ドラスの顔を射抜く。
本国から遠く離れたこのラグロニーネにて、行政の法と規則を熟知し、それを以って支配しているのは、他ならぬ領主であるリーデルだ。
「……まあ、不眠不休で当たられれば、二か月と少々で終わるのではないかと。とはいえ、それも無体な話。どうぞ、ゆっくりとご監査ください。……お茶のお代わりならば、いくらでもお出ししますよ?」
そう言われ、青ざめた顔で箱の山に取り囲まれ、無言になるドラスたち。
リーデルは優雅にティーカップを傾け、唇を濡らす。
「……くっ、書類の件は追って確認させてもらう! ……だが、もう一つだ、ラグロ辺境伯殿!」
木箱の壁に気圧され、劣勢を悟ったドラスは、なおも食い下がるように目を吊り上げた。査察の目的はもうひとつあった。
「先ほどから、妹君たるレオナ王女……いや、レオナ殿のお姿が見えぬようだが、一体どうされたのか!? まさか、中央に無断で領外へ逃亡させたのではあるまいな! 本国では、『神殿に不審な動き在り』との報も上がっておるのだ!」
本国での政治利用を見据え、あわよくば人質として監視下に置く――それがドラスたち現王派の裏の思惑でもあった。
しかし、リーデルはピクリとも動揺せず、可笑しそうに笑った。
「フフフ、逃亡とは人聞きの悪いことを仰る。レオナは水神の神殿の巫女として、北方のケーニヒシア王国にある炎神の神殿へ、正式な親善使節として外遊中ですよ」
「なっ……!? 他国への外遊だと!? 中央の許可もなく勝手な真似を――」
「おやおや、ドラス査察官殿。『不審な動き在り』との報告はどちらから? 本国は神殿の自律性にまで口を挟まれるおつもりなのか?」
リーデルの冷徹な一言に、ドラスは息を呑んだ。
世界各地の精霊を祀る神殿は、世俗の国家権力に属さない中立組織である。
……というのは建前で、その地に長く在る神殿こそ、その都市はおろか、地域や国家の文化形成や、宗教観にも影響を与えていた。
その神殿はもとより、神殿の代表たる立場の親善使節》》に口を出すことは、他国をも巻き込むことになり、国際的な宗教的・外交的禁忌に触れかねない。
「一国の査察官が、神殿の正当な儀礼や活動を妨害した……などと本国や隣国へ知れ渡れば、ハルト王国は当然、サバルキア家の立場はどうなるでしょうね?」
「ぐ……っ、うぬぬ……!」
リーデルの完璧な名分によって退路を完全に断たれ、ドラスは額に脂汗を滲ませて今度こそ言葉を失った。
古今東西、現実世界にしても、異世界にしても、法やルールについて指摘をするならば、その法やルールに明るくなければ、相手に太刀打ちができないのである。
「さて……ギルバート。査察官殿は長旅でお疲れのようだ。西の別邸へご案内してくれないか」
「御意に」
「さぁさぁ、皆さまお疲れでしょう? 今日のところはどうぞごゆるりと。皆さまには私の別邸でお過ごしいただくよう、準備を整えておりました。お食事と、査察に必要な書類は、後ほどすべて届けさせましょう」
そして満面の笑みを浮かべた。
「くっ……くそう……っ! 覚えていろよ……ラグロ辺境伯……!」
ギルバートに促され、査察官ドラスと、そのお付きの騎士たちが執務室から去る。
肩を怒らせながら出ていくドラスと、すっかりリーデルに気圧された騎士たちの対比が、リーデルにはたまらなく面白いショーに見えた。
残された木箱の山を前に、リーデルはフッと息を吐いた。
「やれやれ。何とか上手くいったね」
リーデルの作戦は、規程で縛り、それに準じて作成された書類の山に埋もれさせることにある。
疚しいことなど一つもない書類を精査されたところで、現王派に有利となる証拠など出るわけがなかった。そして、功を焦る相手が考えることはひとつ。
それは、一刻も早く終わらせること。
ただし、時間のかかるからといって、行政手続きを蔑ろにはできない。
それをやってしまえば、サバルキア家の威信にも関わる。
代替わりから間もない立場、領地の財政不安、現王派での地位、掲げた王命。
もはやドラスに逃げ道はなかった。
「……フフッ。やろうと思えば、金貨を積み上げて見せて、服従させる……なんてこともできそうだ」
それはそれで楽しそうだと意地の悪い笑みを浮かべる。
査察名目で飛び込んできたドラス一行を、少なくとも二ヶ月はラグロニーネに閉じ込められる。水神の神殿には緘口令を敷いているが、仮に水鏡の勇者にかかる噂を耳にしても、調査までは手を付けられないだろう。
翔馬とレオナの二人をテノラーダへ遠ざけておいて、本当に正解だったと考えた。
(何か嗅ぎつけられても、後を追うような真似もできまい。せいぜいここでたっぷりと時間を浪費させてやるさ)
大切な妹と、自らの意思で歩み始めた少年を守るための、リーデルの防波堤が、見事に機能していた。




