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水鏡の光は誰がために  作者: 瑠玻 刃
第二章 貿易都市、その懐にて
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第18話 魔法、それは意思の力

 寒気の混じった風が、宿屋の窓枠をカタカタと揺らす。

 ハルトとケーニヒシアの国境を越えた先。山魔狼《グラウバルグ》と遭遇した地点から、およそ半日進んだ先の小さな宿場町――クロイツ。

 その一角にある古い宿屋の二階で、翔馬は痛みと熱に苛《さいな》まれていた。


「っ……うっ……」


 荒い息が漏れ、額からはじっとりと汗が吹き出す。

 レオナはそれを丁寧に拭き取ると、祈るように翔馬の手を取る。

 自身も、あの獣に襲われた瞬間の恐怖と、その後の安堵が入り混じる激しい感情に揺さぶられた。しかし、翔馬の苦しみの前では、それすら矮小《わいしょう》だと言わんばかりに、ひとときもその側を離れようとしなかった。


 翔馬の意識は深い闇の中で、夢を見ていた。

 山魔狼《グラウバルグ》との不意の遭遇、レオナに向かって跳躍した獣の姿。

 視界から色彩が削ぎ落とされ、緩慢な世界が広がる。

 空間を網目のように捉える奇妙な感覚に陥る。

 ギルバートから教わり、基本通りに振るった剣。

 その剣から伝わる、肉と骨を断つ感触。

 ――そんな夢が脳内を吹き荒れ、神経を灼いていた。


「エスティ……。お願い……しっかりして、エスティ……」


 混濁する闇の中、翔馬の意識の網に、切実な声が届く。

 どこかで聞いた覚えのある、銀の鈴が風に揺れて響くような声が。

 次に、額の冷たい感触が心地よく沁み通っていることに気づく。

 深い闇から、意識が現実に浮き上がるまで、そう時間はかからなかった。


 薄っすらと曇る視界の端。寝台の脇で、手を重ねるレオナの姿があった。

 プラチナの美しい髪が、部屋に灯された行灯の明かりを受けて微かに揺れ、その瑠璃色の瞳は真っ赤に腫れ上がっていた。


「レオ……ナ……?」


「あ……! エスティ! 気がついたのですね! よかった……!」


 小さくとも確かな温もりが、翔馬の手に伝わってくる。

 それと対照的に、額の上に感じるひやりとした感触。

 濡らした手巾が、丁寧に、優しく当てられ、痛みを訴える頭から熱を奪っていた。


「……ここは……?」


「ご安心を。ここはクロイツの宿場です」


「クロイツ……」


 朧気な意識の中、翔馬は、剣を薙いでからの記憶がないことに気づく。

 ただ、目の前の少女を助けることができたと認識した。


「レオナ……僕はあの後どうなったんですか……? ここは……?」


 レオナは、その問いに答えなかった。

 万全ではない状態なのは、見れば分かる。

 開ききらない眼《まなこ》を向ける翔馬を見つめ返し、優しい笑顔を向ける。


「……エスティ。今は何も考えずに、ゆっくりとお休みになってください。私が隣にいますから……どうか安心して……」


 その穏やかな声と、美しい色の瞳に翔馬は安心を覚える。そして再び深い、深い眠りの底へと沈み込んでいった。幼少の頃、熱を出して魘《うな》される自分を看病する、優しい母を思い出しながら。

 悪夢はなかった。


 ◇


 翌日の昼過ぎ。窓から差し込む秋の陽が、部屋の床に長く伸びていた。

 光に瞼の裏を刺激され、ゆっくりと目を開けた翔馬は、天井の木目を見つめる。


 猛烈な頭痛と吐き気は、とうに引き去っていた。

 倦怠感がやや残ってはいるものの、思考と視界は驚くほど鮮明だ。

 自身の身体の状態を確認しながら、ゆっくりと身を起こす。


「……起きたか」


 起き上がったままその先を見ると、壁際の椅子へ腰を下ろし、干し肉を齧っていたガルファンがいた。視線だけをこちらに向けている。


「……ガルファンさん……。僕……」


「ああ、姫さんに感謝しろよ。お前の傍で、寝ずに看病してたからな」


 ガルファンが翔馬の横を指す。そこには、看病疲れからか、椅子に腰掛けたままベッドに突伏して、小さな寝息を立てているレオナの姿があった。


「あ……。すみません。あの後どうなったか、まったく覚えていなくて……」


「謝るこたあねぇ。……あの後、お前がぶっ倒れてな。泣き喚《わめ》く姫さんと、意識を失ったお前を抱えて、このクロイツまで来たってワケだ」


 やれやれといったように肩をすくめて笑うガルファンに、翔馬は迷惑をかけてしまったと、申し訳なさそうな表情を浮かべた。


「気にすんな。お前があの土壇場で腹括ってくれなきゃ、姫さんがどうなってたか」


 ガルファンは干し肉を飲み込むと、そう言って立ち上がる。

 レオナへの配慮か、足音を殺して翔馬の寝台の脇へと歩み寄った。


「体調はどうだい。エスティ」


「はい、おかげさまで……怠《だる》さはありますが、頭はスッキリしてます」


「そうかい。そいつは何よりだ」


 その言い方に、翔馬は少しの違和感を覚えた。軽妙な野性味とは違う、極めて真剣で、どこか探るような。


「……起き抜けに悪いが、体調が落ち着いてんなら、ひとつ聞かせてもらうぜ」


 濃紅の瞳には、鋭い光が宿っている。

 ガルファンは腕を組み、上から翔馬を見下ろした。


「エスティ。お前、あの時……一体何をした?」


「……え?」


「お前が剣を抜く直前……〝空気〟が一瞬で張り詰めた。素人がやって出せる空気じゃねえ」


 ガルファンは翔馬に顔を近づけ、低い声で続けた。


「お前は、何の迷いもなく踏み出した。完璧な間合いと瞬間で、あの狼の首を斬り落とした」


 その言葉に、翔馬の右手に蘇る。

 ざくり、ぼきりという音とともに、命を断つあの感覚が。


「あ……」


「ギルバート《あのジイさん》から基礎を習ったとは聴いたが、そんなもんじゃできる芸当じゃねえんだよ。……お前、本当は何者だ? どんな『技』を使った?」


 その真剣な真紅の瞳の奥に、翔馬は一灯の炎を見る。

 ガルファンの追及は、敵意や疑心からではない。素人が見せた、素人離れの一刀に対する純粋な驚きと、それを実現せしめた〝何か〟を知りたいという疑問。その両方が混ざり合っているような。

 ガルファンに、自分が体験したその瞬間を伝えようと、口を開いた時。


「……ん……。エスティ……?」


 ベッドに突伏して居眠りをしていたはずの少女が、その声と同時にもそもそと動き、ゆっくりと身を起こした。


「レオナ……。すみません、起こしてしまったようで……。それに、ずっと居てくれたんですね……。ありがとうございます」


 レオナは、翔馬のぎこちない謝辞に、にっこりと微笑んで頷いた。

 そして『よかった』の一言に、翔馬も笑顔を返す。


「……ちょうどいい。姫さんにも聞いてもらったほうがいいな。エスティ、お前があの時何をしたのかを」


 催促するかのようなガルファンの声に、翔馬はレオナをちらりと見た後、布団の上での右手を見つめる。いつもの傷ひとつない綺麗な手がそこにある。

 だが、あの瞬間の感覚は、今も脳裏へ鮮明に刻み込まれていた。

 翔馬は誤魔化さず、自分の身に起きた違和感を、そのまま言葉にした。


「……実をいうと、僕にもよく分からないです。あの獣がレオナに跳びかかった瞬間、頭の中で、キンって音がして……」


「音?」


「はい。そこから周囲がすごくゆっくり動き始めて、視界から色が消えて……。僕を中心に、周囲のすべてが見えているような感覚がありました。どこに何があって、獣がどこからどう跳んできて、レオナやガルファンさんがどこにいて……。そして、僕がどうやって剣を振れば獣に届くのか、光の線が見えたんです」


 ――ギルバートの教え通り、剣を抜いて振ったら当たった――翔馬の告白を聞いていたガルファンは、目を見開いたまま固まっていた。


「光の線? どういうこった? 姫さん分かるか?」


「……〝魔法〟ではないかと思うのですが……。ただ、仮にそうであるとしたら、エスティのそれは、あまりに異質です……」


 レオナは胸元に手を当て、混乱と戸惑いに瞳を揺らしながら、ゆっくりと首を横に振った。


「……魔法……?」


 翔馬は、この世界に魔法があることを、書物から得た知識として持ってはいる。

 しかし、元の世界ではゲームや物語の中の不思議な技。異世界に来たとはいえ、到底自分には使えるようなものではないと思い込んでおり、詳しく調べもしなかった。

 それゆえ、自分の使ったアレが〝魔法〟と言われても、いまいちピンとこない。


「そもそも、魔法って何ですか?」


 翔馬が問いかけると、レオナは居住まいを正し、『少し説明させていただきますね』とつぶやいた。


「魔法とは、平たく言えば〝意思の現象化〟です。『こうしたい』と思ったことを、自分のできる範囲で生じさせることをいいます」


 この世に生きるすべての命――人や獣、草花に木々……そして魔物でさえも、その生命維持のために、大気に満ちる〝マナ〟を体内に取り込んでいる。

 そのマナを自らの〝器〟へ取り込み、器にあるマナを自らの意思で特定の精霊へと捧げることで得られる対価が〝魔法〟と呼ばれていた。


「魔法を発動させるには、四つの条件があります」


 ひとつ、どうしたいかを明確に思い描けること。

 ふたつ、マナを器に取り込むこと。

 みっつ、取り込んだマナを精霊に捧げること。

 よっつ、マナの取り込みと、精霊へ捧げるために〝印〟を結ぶこと。


 レオナはそう言いながら、数え立てた指を翔馬に見せた。

 右手の人差し指と中指にリングがはめられている。銀色に輝くそれには、どこかで見たことのある文字が刻まれていた。


「〝印〟は様々ありますが、そのひとつが装飾品です。このリングには、水と氷の印が刻まれています。印は、世界と身体の境界で、マナの流れを整えるものです」


「俺のはこれだ。火炎の印が刻んである」


 ガルファンはそういって手甲を見せた。幾何学模様のようなものが刻まれている。


「……でも、僕は〝印〟を身に着けていません。ただ、レオナを助けなければと思っただけで……」


 その時の光景が、脳内で生々しく再生される。


「……〝印〟もなしに魔法を発動させた。そこが異質なのです」


 レオナの声色に困惑が混ざる。

 翔馬の説明は、周囲に満ちるマナの動きを読み取り、解析し、最適な運動軌道まで推測したということだ。咄嗟のこととはいえ、そんな芸当のできる人間が存在するとしたら、それこそ伝説の勇者以外にない。


(それこそがエスティの、勇者としての資質かもしれない……)


 レオナはそれを言葉にせず、胸にしまい込んだ。


「魔法とは〝意思の力〟です。印もなしにとなれば、器に大きな反動が起きたと考えられなくもありません」


「……なるほどな」


 話を聞いていたガルファンが、深く、重い溜息を吐き出した。そして、ガシガシと頭を掻き回すと、呆れたように、しかし危惧を含む眼差しで翔馬を見た。


「要するにだ、エスティ。お前はいろんなことを無視して、よくわかんねえ技を発動させたかもしんねえ。気を失ったのもそのせいだ」


 あのとき、翔馬は気づいていなかった。

 書庫で分厚い年代記を前に、必死に『読みたい』と願った。

 文字を理解できたが、頭痛や倦怠感となって表れた。


「まさか……」


 そして、翔馬はおぼろげながらに気づいた。

 狼に襲われたとき、必死に『レオナを助けたい』と願った。

 救うことはできたが、その後に意識を失った。


 理由がはっきりしつつある中、翔馬はゾッと背筋を凍らせた。

 得られた効果に比例するかのように、身体への反動も大きくなっていた。


「いいか、エスティ。せっかく身につけかけた凄え才なんだろうが、命を守るためのそれで自分が死んじゃ世話ねえんだ。……無闇にその〝才覚〟に頼るな。五感を研ぎ澄ますことを覚えろ」


 翔馬の不安そうな表情に気づいたか、ガルファンが翔馬の両肩をガシッと力強く掴み、まっすぐに目を見て言った。


「五感を、研ぎ澄ます……?」


「あるものを、あるように感じるんだ。第四隊《おれら》が遭遇戦を避けるために使う、初歩の初歩さ。体調が戻ったら、少しずつ教えてやる」


 ガルファンの不器用だが温かい配慮。翔馬は、その重みを感じながら深く頷いた。


「ありがとうございます……ガルファンさん。よろしくお願いします」


「ふん、礼なら無事にテノラーダに着いてから言いな」


 ガルファンはニッと野性味のある笑みを浮かべると、『ちょっと下の様子を見てくる』と言って部屋を出ていった。


 しかし、翔馬はまだ理解に及んでいない。

 元の世界で、周りの空気を読み、自分を消して生きるために、おのずと研ぎ澄まされていた観察眼を。

 その身に染みた無意識下の行為が、この世界のマナと結合し、空間を解析する魔法として発芽しかけていることを。

 それを扱うための肉体と器が、まったく追いついていないことも。

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