第13話 やさしくて、とても綺麗な嘘(中編)
翌朝。ラグロ補給廠。
次なる遠征に向けて馬車と資機材を点検するガルファンの元へ、一台の黒塗りの馬車が滑り込んできた。
人だかりを割り、木々から舞い散る落ち葉を車輪で踏み砕きながら。
知的な身なりの老執事によって手際よく開けられた扉から、一人の男が降りてくる。
プラチナブロンドの短髪に、淡い青の瞳。上質な外套を羽織ったその男――ラグロ領主、リーデル・グライアス・ハルトニアだった。
自分に向かって歩いてくるその姿を視界の端に認め、ガルファンは手を止めて身構えた。
「……おや、こーんな朝っぱらから領主サマ自ら、埃っぽい倉庫に何のご用で?」
貴族という〝種族〟にいい感情を持たない彼にとって、領主の突然の来訪は、警戒以外の何物でもない。
日頃、現場の泥臭さを理解しようともしない騎士や役人どもから『ノロマ』『腰ぬけ』と小言を言われ続けている身。
その頂点に立つ領主の顔を見なくて済むのなら、それに越したことはない。
そう考えるガルファンだが、前に立つリーデルの醸し出す空気は、気取った本国の貴族のそれとは異なっていた。
「……第四輸送隊隊長、ガルファン。君に話がある。少しだけ時間を貰えないかな? なに、取って食おうというわけではないよ。安心してくれ」
リーデルの静かな一言に、ガルファンは訝しげに眉をひそめたが、その真剣な目つきと、ただならぬ雰囲気に気圧された。
静かに頷く姿をみやり、リーデルは満足そうな表情を浮かべる。
「ま、ここではなんだから、場所を変えようか」
補給廠の二階。普段、翔馬が仕事をしている事務室の廊下を挟んで向かい側の会議室。
やわらかい秋の朝日が差し込む室内で、中央に配された長机を挟み、リーデルはガルファンに向けて切り出した。
「……君の『第四輸送隊』の過去三年の実績を精査させてもらった。見事な手腕だね。遭遇戦の回避と、損害を極小にするノウハウは、ヴァルメイへの物資支援において、計り知れない価値がある」
お小言だろうと考えていたガルファンは、面と向かって絶賛され、一瞬、拍子抜けしたように目を丸くした。
先日、ハルト本国から来たという、商家の面白い次男坊に次いで、こいつまでもが?という疑問が脳内を巡る。
「……そりゃどうも。でも、そんなことを言うために、わざわざお出ましになったわけじゃあないんでしょう?」
ガルファンの慇懃さの欠片もない物言いに、リーデルは気にすることなく頷き、少し表情を陰らせた。
「話が速くて助かる。……実は、君に極秘の仕事を依頼したい。……あの面白い少年の命がかかっている仕事をね」
その名を聞いた瞬間、ガルファンの眉がピクリと跳ねた。
「エスティの……命?」
「……ここから先は他言無用。君だから話すということを理解してほしい」
言外に『信用している』という意図を滲ませつつ、ガルファンの拒否反応がないことを確認し、リーデルは言葉を重ねる。
「本国中央の醜い貴族が、近いうちにこのラグロニーネへやって来る。……問題はエスティだ。詳しくは言えないが、彼の出自はいろいろと複雑でね。本国が彼の力に気づくようなこととなれば、やがて政争に巻き込まれかねない。下手を打てば、消される可能性も含めて」
ガルファンには政治のことはよく分からない。
エスティの考え方に興味はあるが、出自は正直どうでもいい。
ただ、頭の切れっぷりからすると、いい教育を受けてきたお坊ちゃんなんだろうな、ということは分かっていた。
同時に、これは相当面倒くさい話なんだろう、とも。
「だから私は、彼をここから遠ざける。具体的には、物流運用の実態調査という名目で、北方ケーニヒシア王国の貿易都市テノラーダへ赴かせる」
「……捕まるとマズいから、外に出しておくってことかい」
「その通りだ。そして、同じく外に出したい人物がもう一人いる。……私の妹だ」
ガルファンは記憶を辿る。
そういや以前どこかで見かけたことがある、確か神殿関係者だったはずだ、と思い当たる。
「妹も、老害たちの格好の餌食になりえる。だから、私は妹も、貿易都市の炎神の神殿へ〝親善〟に出向かせようと思っているんだ」
「ふうん?」
「……だが、旅慣れない二人。道中は危険もあろう。なにせ、エスティには戦う力がないからね。そこで私は、ぜひ君を護衛に付けたい……。いや、これは嘘だな。君以外に護衛の選択肢がない、が正しい」
言わんとすることをそれとなく理解したガルファン。しかし、ひとつ気になることがあった。
「……なんで俺以外の選択がないんだ? 護衛を任せられる騎士なんざ、この街には山ほどいるだろうに」
「……もっともな質問だね。簡単に言えば、彼らには〝任せたくても、任せられない〟のさ」
リーデルは自嘲気味に息を吐いた。
「君も知ってのとおり、ここの騎士は礼儀はもちろん、その武功を重ねることを是とする傾向がある。危険を甘受してでも、だ。……魔物の討伐や、物資輸送が目的ならば、別にそれで構わない。しかし――」
君は違うだろ、とリーデルは続けた。
「ハッ! なんだか知らんが、最近、俺の調子を崩したいヤツが多くて困るな」
ガルファンは考える。領主自らが、一介の傭兵である自分の〝無事故の価値〟を正当に評価したからこそ、今回の〝輸送の護衛〟を依頼しに来たことを。
ガルファンはそう考えると、思わず可笑しさがこみあげてきた。
それをおくびにも出さず、頭をガシガシと掻いてそっぽを向いた。
「どいつもこいつも。まったく、買いかぶられたもんだ!」
その姿を見て、リーデルは満足そうな表情を浮かべる。
「そうかい? 正当な評価だと私は思うがね。……もちろん、タダでとは言わない。君さえよければ、テノラーダからの帰還後、君を補給廠全体の総管理職へ抜擢する。騎士たちの鼻をあかすだけの権限と、待遇を約束しよう」
一介の傭兵、十六ある輸送隊の隊長に対する破格の提示。
いかにも貴族らしいと考えたガルファンは、即座に『ケッ』と吐き捨てるように言う。
「断る。お偉いさんの仲間入りなんて俺のガラじゃねえからな。……その代わりに、ひとつだけ約束してくれ」
「なにかな?」
「エスティが言っていたあの……『第四輸送隊のやり方を全輸送隊に広める』ってやつだ。俺が戻った後、威張り散らす騎士どもが何と言おうと、あれを補給廠の基本運用として浸透させてくれ。俺は、無駄に死ぬ奴らを減らしたいんだ」
リーデルは、言外に『この街で指図するのは俺ではなくお前だ』という意図があると理解した。それを割り引いても、自らの出世ではなく、他の命を守るため、エスティの提案の実現を求めた言葉。
一瞬目を見張り、それから心底嬉しそうに口元を緩めた。
「フフフ、いいだろう。リーデル・グライアス・ハルトニアの名において、必ずやそれを推し進めると約束しよう」
「じゃあ、決まりだ」
ガルファンは、手甲を嵌めた拳をパンと叩いた。
「あいつと領主サマの妹は、この俺が〝無傷〟でテノラーダまで送り届けてやるよ!」
◇
その日の夜。ラグロ領主の館、執務室にて。
窓の外からは、季節の進みを知らせる冷たい夜風の音が響いていた。
呼び出された翔馬は、重厚なデスクに向かい合うリーデルの前に立っていた。壁際には、老執事ギルバートが静かに佇んでいる。
「エスティ。君の申し出、改めて検討させてもらった。その上で私から、君にひとつの公務を命じたい」
「……公務、ですか?」
そう言って、翔馬は背筋を伸ばした。
「君の申し出を正式に承認し、出張を命ずる。君の提案が、このラグロ領……いや、ハルトに適応できるかどうかを見極めるための調査だ。行き先はケーニヒシア王国の貿易都市テノラーダ」
「テノラーダ……」
どこかの書物で見た街の名前。
たしか、ラグロニーネの遥か北にある町の名前だと記憶している。
「そう。かの都市は、ハルトを含む周辺諸国からの流通物の集積点で、ケーニヒシア国内の隅々まで品物を行き届かせる要衝だ。国家規模の仕組みをその目で確かめ、君のやり方と比べてどうなのかを確認・検証してくること」
翔馬の胸に、激しい喜びと覚悟が満ちあふれた。
単なる子供、ただの居候、無能な置物。そう扱われた自分が、領主から正式な役目を与えられたのだから。
無気力に生き続ける無色な自分は遠い過去。そう実感するに足る命令だった。
「ぜひ行かせてください!」
「それは重畳。……一応言っておくが、これは領主として正式な命だからね。君に『必要そうなもの』は、すべてこちらで準備させてもらう。差し当たっては……」
リーデルはそう言うと、机の脇に立てかけてある剣を手に取る。
美しい黒革製の鞘に収められた一振りの美しい長剣。見るからに量産品と異なるそれを、執務机の前に立つ翔馬へと差し出した。
「リーデル様?」
「受け取ってくれ」
翔馬は、おずおずとその剣を受け取り、見つめた。
まるで夏の青空をそのまま映したかのような、美しく艶のある持ち手。
鈍銀色の鍔と柄頭。全体的に細身で、丁寧な彫金の装飾が施されている。
しかし、けっして観賞用でないと分かる重量。
それによく見ると、鍔にはどこかで見たことのある文様が入っている。
「リーデル様……まさかこれ……」
「見ただけで気づくとはさすがだね。そう。ハルト王家の紋章だよ。かつて父王から戴き、ラグロ領に封ぜられるまで帯びていたものだ」
翔馬の両手に横たわる剣を懐かしそうに見ながら、リーデルはそう言った。
そして翔馬は考えた。
王家の血筋以外の人間が、王家の紋が入った剣を所持してもよいのだろうか?
それにこの剣は、もしかしたらリーデルの――。
翔馬の脳内に疑問がぐるぐると駆け巡り、結論を出す。
どう考えても、自分が手にしてよいものではない。
「……さすがにこれを受け取るわけには……」
「今の君だから必要と判断した。君が剣を振るえないことなど百も承知しているし、だからこそ護衛も付ける。しかし、旅というものは何が起こるか分からない。いざという時、自分の身を守る最後の砦として、身に着けておきなさい」
間髪を入れないリーデルの言葉。
翔馬は、その剣の重量以上に、ズシリとしたリーデルの思いを受け止める。
「今は振れなくてもいい」
そして、真っ直ぐに翔馬の目を見つめる。
「だが……危機に、脅威に出遭ったとき、自ら剣を振って進める男になれ、エスティ。そして、無事に戻ってくるんだ。それが、君への私からの本当の〝命令〟だ」
翔馬は、その言葉から、この美しい剣は、リーデルの過去の記憶そのものであり、共に歩んできた剣なのだと直感する。
それほど大切なものを自分に渡すという覚悟。そのリーデルの心に応じなければ、きっと自分は前に進めない。
「分かりました……必ず。必ず、満足してもらえる結果を持ち帰ります……」
目を潤ませながら、深く一礼。
改めて腰に帯びたその剣と共に、誇らしげな表情で執務室を辞していく翔馬。
その背中を見送った後、リーデルは静かに息を吐いて、傍らの老臣に視線を向ける。
「……ま、こんなところかな」
「……あの剣をお渡しになるとは……よろしいので?」
「今の私よりも、エスティにこそ相応しいだろう? そこは本心だよ」
ギルバートは思い出す。
あの美しい蒼い剣を、先代王がリーデルの成人の祝いにと与えた日のことを。
ギルバートは、先代王からの相談に対し、この先のハルトの強さと安泰を願い、次期王となりうる王子へ、一振りの剣を贈ってはどうかと進言した。
先代王は、ハルト王国に数振りある宝剣から、その一本を選んだ。
それがあの剣。名を〝蒼穹の剣〟という。
リーデルは父王から託されたその剣に大層喜び、どこに行くにしても、何をするにしても、常にそれを佩いていた。
まるで、その剣で自分の国を、愛する家族を、守らんとするかの如く。
そう、あの時も――。
「さ、ギルバート。ボーッとしてないで、レオナを呼んできてくれないか」
「……申し訳ありません。畏まりました」
ギルバートは、主の声に意識を現実へ戻したあと、恭しく頭を下げて退室した。
残された執務室。リーデルは机上の羊皮紙に目を落とし、静かに思案に耽る。
(すまない、エスティ。君の熱意を利用させてもらうよ。……だが、君なら本当にテノラーダで何かを掴んで帰ってくる……そんな気がしているんだ。あの剣は、いわば〝私の期待〟の賭け金のようなものだ。私のできなかったことを、やってくれると信じているよ)
そして、いつぞや、老臣が自分に向かって放ったあの言葉を思い出す。
――あの少年が持つ『生きたい』という泥臭い意思の力が、少しずつでも溶かしていくのではないか。私は、年甲斐もなく賭けてみたくなったのです。
「ふふふ。私も同意するよ、ギルバート。まったく、思慮深い臣下を持つと、楽しくて仕方がないね」
誰にも聞かれないリーデルの思いは、ただ、部屋の闇に吸い込まれていった。




