第12話 やさしくて、とても綺麗な嘘(前編)
ガルファンとの出会いから三日後、翔馬が補給廠で働き始めて約一週間。
その日の夜、領主執務室にて。
翔馬は、リーデルの執務机へ数枚の羊皮紙を置いた。
「リーデル様。補給廠での仕事を通じて得られたことを、僕なりにまとめました」
高級な椅子にかけながら、その書類を受け取ったリーデルは、淡い青い瞳をそこに走らせた。
書面に書かれていることは、第四輸送隊の事故回避ノウハウの標準化の方法、他隊への横展開の可能性。さらには、物流の隘路となっている箇所の具体的な改善策。
翔馬の算術と共に、整然と記述されていた〝提案書〟だった。
「……これを一人で?」
「はい。ところどころ、ギルバートさんに見てもらいましたけど……」
今の翔馬は、読みはどうにかできても、まだ書きが怪しいのだろう。
確かに、書類には誤字の修正跡が残っていた。
やがて、リーデルは心底感心したように息を吐く。
「……正直、驚いたよ。君は一週間で、ここまでのことをしたのか? ……あの日、ここで怯えるように私を見ていた少年と同一人物とは、到底思えない」
それはリーデルの、エスティに対する正当な評価だった。
ここで、何もしない置物になれと告げたあの日。
怯えながらも、その甘く優しい安寧に流され、受け入れるつもりだったはずの少年。
その少年が、自らの意思で立ち上がり、歩もうとした結果がこの書面だった。
リーデルは書類を執務机へ置くと、静かに語り始めた。
「だがね、エスティ。現実というものは、君の発想ほど柔軟ではないんだよ」
え……? といった疑問が翔馬の頭に浮かぶ。
「……この街にいる護衛騎士の姿を見たろう? 君のことだから、第四隊以外の輸送隊の記録も読んだはずだ。何を言いたいかというと、武に生きる者たちには、危険を避けることよりも、敵を打ち倒す武功や、名誉の負傷を誇りたがる者が一定数いるんだ。いや、ここではそれが大多数と言った方がいい」
だから、彼らにとってガルファンのやり方は『臆病者の逃げ腰』に見えてしまう。
他人の認識や、その他人が持つ〝誇りという壁〟は、そう簡単には崩せない。
それは君自身がよく分かっているだろう? とリーデルは続けた。
翔馬はハッとして息を呑んだ。
第四輸送隊の記録を見て、これこそがこの領地を、隣国を、戦線をもっと改善する有効打になると考えたまではよかった。
しかし、ガルファンの結果が〝異様〟と評価されるということは、すなわち少数派であるということ。逆に、その他が〝正常〟であり、多数派ということでもある。
それらに対して、〝異常こそ正常〟と説いたとして、素直に受け入れるだろうか?
……答えは明らか。ノーである。
翔馬の〝提案書〟は、ガルファン以外の立場から物事を見ることが、完全に抜け落ちていたのだ。リーデルの指摘はそこだった。
「もちろん」
リーデルは椅子から立ち上がり、窓の外に広がる暗い夜景を見つめながら、静かに言った。
「私にだって、彼らと同じような〝譲れない一線〟はある。ハルト王国の王子として、ラグロ領主として。そして、レオナの兄としてのね」
翔馬には、それがどことなく、寂しさを湛える声色に聞こえた。
それも、自分の知らないリーデルの一面なのだろうと考える。さらに、彼のいう〝譲れない一線〟が何を意味するのか、到底想像もつかなかった。
ただ、リーデルが背負っている〝重荷〟は、自分のような世間知らずが、容易に共感するにはあまりにも過酷だ。生半可な共感と慰めは、彼への礼節を欠く。
彼の〝正常〟を、自分の〝異常〟が乱してしまう可能性さえあった。
「……繰り返すが、エスティ。君の、あの日の姿からは到底想像ができない〝成果〟だと思うよ。前を向く柔軟な思考を誇りなさい。もしかしたら、君はいつか、理解の異なる者たちの〝壁〟を壊せるかもしれないからね」
願うかのような一声。リーデルが自分をただの居候ではなく、一人の対等な人間として見てくれていると感じられて、それが素直に誇らしかった。
であれば、もっと彼の力になれることはないか?
それまでの自分には決して生まれなかった思いが胸に湧き出て、渇望となる。
「……リーデル様。ひとつお願いが――」
◇
翌日夜。
リーデルは、ギルバートの私室を訪れていた。
主がソファへ腰かけたのを確認し、ギルバートは扉の錠前をがちゃりと下ろす。
周囲に密室の防音魔法が広がったことを肌で感じ、彼は主の方を振り返った。
「本国からの『査察官』の到着まで、一ヶ月もなさそうだね」
「……左様でございますな」
「奴らは私を、レオナを政争の道具にしようとするだろうよ。水鏡の勇者のことは気づかれていないはずだし、実際に勇者が現れたという確証もないだろう。しかし、嗅ぎ付けられると厄介だ。あの存在は、絶対に知られるわけにはいかない」
ギルバートが重々しく頷く。
前王派は、目の前の主を若き王として据え、その庇護に入ることが目的だ。そのためであれば、心優しい妹君だろうと、この世に平和を取り戻す可能性のある勇者だろうと、使えるものは何でも使おうとするだろう。
一方の現王派の連中は、できれば、この主をこの辺境に閉じ込め続ける事を考えるだろう。あわよくば、この兄妹や、それに与する者たちを、この世から永久に消し去ることすら望んでいるかもしれない。
そして、水鏡の勇者は、どちらの陣営にとっても鍵になりうる。
ギルバートは、先般の主の願いから、ラグロ領内でエスティとレオナを匿えそうな場所をいくつか見つけていた……のだが。
もし、嗅ぎ付けられてしまったら?
もし、あの異質な存在を、領内で匿っていたとの疑いを向けられたら?
当然、主の立場も危うい状況に追い込まれることは、想像に難くない。
目の前の老臣の険しい表情に対し、リーデルは笑みを浮かべ、指先で机をトントンと叩く。ギルバートが音の方向を見やると、見覚えのある羊皮紙が数枚置かれていた。
「実は昨日、エスティが面白い提案をしてきたんだ。第四隊のやり方を全体に広めてはどうか、とね。ギルバート、内容はよく知っているよね?」
「はい。私も微力ながらお手伝いさせていただきましたゆえ」
「微力……ね。まあいいや。その上で聞きたいんだけど、率直にコレどう思う?」
こういう質問を投げかけてくるとき、ある程度主の中で答えは決まっている。
長年一緒にいれば、さすがにそれくらいのことは分かるのだ。
「私見を述べさせていただきますと……エスティ殿の一案、大変興味深く拝見しておりました。しかし、現実的に見て、難しいとも」
リーデルは満足そうに頷いた。
「そうだね。私も同じ意見だよ。だから、エスティにはそう伝えた」
もちろん、提案することはよいことだと褒めたし、誇れと励ましたからね、と言い訳のように続けた。その姿を見て、不器用なお方だと心の中で苦笑する。
「……で、ここからが本題。私の指摘に対して、エスティから〝お願い〟が出たんだ。なんだと思う? ふふふ、事もあろうに、『もっと流通の多いところで勉強してみたい』と言ってきたんだよ」
ギルバートに投げかけた疑問に答える間も与えず、リーデルはそういった。
楽しそうにしている主を前に、ギルバートの老練な瞳が、かすかに見開かれた。
「……なんと」
「これ、使えると思わないかい?」
ラグロニーネから、水鏡の勇者を遠ざける格好の理由ができる、というわけだ。いざとなれば、理由を問わず、無理矢理にでも領の外へ出すこともできるのだが、できる限り自然にできるのであれば、より不安や心配を与えずに済む。
頷く老臣を満足そうに見つめながら、リーデルはその考えを述べる。
「エスティには『提案の内容が実用に耐えうるかを検証するため、より大きな都市に出向き、実態調査せよ』と、公務を与える」
「……肝心の行き先はどちらを?」
「ヴァルメイ方面……と言いたいところだけど、現実的に貿易都市テノラーダかな。あそこならエスティの〝目的〟を達成できるし、こちらの〝目的〟にも合致する。国家間の問題になるから、奴らの牙は届かない」
リーデルは、肩をすくめて見せる。
「ルートは当然ながら、北の街道だ。そうなると腕の立つ護衛が必要になるが、そこに第四輸送隊長をつける」
「……なるほど。ガルファン殿ならば、より安全なルートをご存じのはず。しかも、炎神の神殿にルーツを持っておられます」
第四輸送隊の輸送報告書に光を見たのは、翔馬だけではなかった。
ギルバートは、かつて〝異常な結果〟を出し続けるガルファンについて、以前、主へ報告したことがある。
「そのとおり。ヤツには凄まじい〝戦果〟がある。だから、今回の〝輸送〟では、ある意味で最強の護衛といっていいだろう」
ギルバートは感心したように目を細めた。若さだけでなく、過去のほんの少し話題に出したことまで、よく覚えておいでだ。
その知略。かつて仕えたあの王の姿が重なって見えた。
しかし、老執事は、ふと思い出したように、静かに尋ねた。
「……先日もお尋ねしましたが、近頃のお二人の最近のご様子から察するに、エスティ様が遠出されるとなればレオナ様も……」
「……あぁ、それを言わないでくれよ。頭が痛い」
リーデルは心底参ったように額を押さえた。
「あの子のことだから、『エスティの健康管理のために同行する』とでも言い出すだろうね。……だが、かえって好都合でもある。この前言った通り、レオナもラグロニーネから遠ざけたいからね」
「……」
ギルバートは何も言えなかった。
政争に身を投じる連中にとっては、妹たるレオナも十分〝使える〟存在だ。
こちらも、本国の毒牙にかからない場所を選定しなければならない。
「そんなわけで、レオナは、エスティの旅に同行させようかと考えている。なにせ、エスティの行き先がテノラーダならば、神殿間の〝親善〟という御題目を使える」
この世界には、全部で六つの神殿があるとされており、うち一つが、ここラグロ領にある水神の神殿である。そしてもう一つは、北の隣国ケーニヒシア王国は貿易都市テノラーダにある〝炎神の神殿〟だ。
神殿は国家に与せず、自律した組織である。しかし、神殿同士横のつながりはあるため、親善で人を遣わし、交流することは珍しくもない。
「連中がこの地にやってきたときには、〝神殿の巫女〟が〝親善目的〟で〝隣国へ外遊中〟だ。言い訳として十分すぎるだろう? これでは奴らも強引に追いかけることはできまい。そして、ガルファンの表向きの護衛対象はレオナだ」
前王派の老害にせよ、現王派の査察官にせよ、リーデルは、自分ひとりであれば何とかできる自信はある。
だが、守るべきものが多ければ多いほど足枷となり、守るべきものが自分に近ければ近いほど、相手に利用されるリスクがある。そのリスクはなるべく避けたい。
だからこそ、外に出した方がいい。多少無茶であってもだ。
リーデルは皮肉を込めて言い放った。
「ま、これで厄介払い計画が完成を見る。あとは実行するだけだ」
「……相変わらず、妹君想いの見事な深謀遠慮にございますな」
「うるさいよ、ギルバート。……まったく、難儀なものだね」
リーデルはやれやれと溜息を吐き、苦笑いを浮かべた。
「……明日、私自ら補給廠へ赴き、第四隊隊長に直接打診する。手配を頼む」
「御意に」
男二人の密談は、こうして決まったのだった。




