第11話 豪放なる異端児、ガルファン
ラグロ領主の屋敷。
朝の光が差し込む広間では、引き続きどこかむず痒い空気が漂っていた。
「エスティ、こちらの果実水をお注ぎしましょうか?」
「あ……はい、ありがとうございます。すみません、気を使わせてしまって」
「いいえ。エスティは毎日、記録とにらみ合っていて大変だと聞いています。これくらい当然です」
引き続き、お互いに〝様付け〟を外し、呼び捨てにしあっている。
しかし、交わされる言葉は徹底して丁寧な敬語のまま。
王女として躾けられた癖が抜けないレオナと、元王女であり巫女である彼女への気おくれが残る翔馬。お互いへの真摯な敬意と、一歩を踏み出したゆえの不器用な距離感が、その不自然な会話によく表れていた。
リーデルは、向かい合う二人のそんな様子を横目でじっと見つつ、デジャヴのように感じながら、静かにスープを口に運んでいた。
やがて、二人が食後の茶を楽しみ始めると、リーデルはナプキンで口元を丁寧に拭い、『お先に』と執務室へと向かう。
「……見たかい、ギルバート。あの妙に気遣いが見える、むず痒い会話を」
広間を出て、朝の静まり返った廊下を歩きながら、リーデルは後ろに控える老執事へ低く話しかける。白髪を端正に整えたギルバートの口元には、微かな、悪戯っぽい笑みが浮かんでいた。
「不器用な歩み寄りにございます。微笑ましい限りでございますな」
「……言っておくが、羨ましいわけじゃないからね」
「誰もそのようなことは申し上げておりませんぞ」
老執事のすまし顔に、リーデルはやれやれと肩をすくめた。
本国からの二通の不穏な手紙を、今すぐ払拭できるわけではない。しかし、今この瞬間だけは、この朝の平穏を甘受したとて、誰が咎められようかと、前を歩く若き主の背中を見つめながら、老臣は内心でそう思うのだった。
翔馬は、ギルバートと共に馬車に乗り込み、ラグロ補給廠へと向かった。二階の事務机に腰を下ろすと、昨日と同じように膨大な輸出運行記録の束を広げる。
解析が齎す頭痛には慣れてきたものの、それ自体が収まる気配はなく、チリチリとした脳を刺すような痛みに耐えながら、数字の羅列とにらめっこを続けた。
そして、資料を見れば見るほど、第四輸送隊の〝異様さ〟が際立っていく。
「……ギルバートさん。この第四輸送隊の隊長……ガルファンさんでしたっけ? 今どこにいるんですか?」
「ガルファン殿ですかな? 今回は……ヴァルメイの最前線へ物資を届ける旅程でしてな。既に帰途についております。予定通りであれば、あと三~四日ほどで戻って来られましょう」
「三~四日後、ですか……」
翔馬は、ガルファンに尋ねたいことが山ほどあった。
この記録から見える事実を、どのように実現しているのか。
出会える日を楽しみに待つこととし、再び書類の山へと意識を沈めた。
◇
それから三日後。ラグロ領主の屋敷、一階中央西奥。
皆で囲む朝食を楽しむレオナが、正面でパンをちぎる翔馬に尋ねる。
「そういえばエスティ、今日は補給廠まで歩いて向かうそうですね。ギルバートから聞きました」
「ええ。この街の空気や、人がどう動いているのかを、もう少し自分の目で見たくて。馬車から見るのとは、また違う発見があるかもしれませんし」
「まあ、素敵ですね。どうか、お気をつけて行ってきてくださいね」
「ありがとうございます、レオナ」
リーデルは、いよいよ二人のむず痒いやり取りに慣れ、鳥肌も立たなくなったが、ひとつ心配があった。それは翔馬を歩きで向かわせてよいものか、ということだった。
「ラグロニーネの道は存外に複雑なんだ。本当に馬車でなくて大丈夫かい?」
ラグロニーネは、歴史の中で幾度となく防衛戦を経験している。
ゆえに、城壁が幾重にもなっている。特に大通りから外れれば、どこも路地は狭く、地元の人間ですらで迷う地区すらあった。
一方、翔馬は、昔から一度通った場所を覚えていられた。地図を見れば目的地に苦労せず到達できるほど、方向感覚も優れている。
生まれてこのかた、迷子になったことがないことが数少ない自慢だったが、そもそも現代社会では特に生きることのない〝能力〟でもあった。
補給廠も、何度か馬車で通った道だ。地図で道筋のある程度記憶している。景色はもちろん、建物を頼りに道を辿ることくらいなら造作もなかった。
「はい。馬車で通った大通りを辿るほぼ一本道ですし、歩いても半刻とかからないはずですから」
「そうか。……とはいえ、ギルバートを同行させるよ。それは構わないね?」
翔馬は、これはリーデルの念のための〝保険〟なのだろうと察した。
確かに、黒髪黒目の容姿は目立つが、領主の屋敷に本国のお客人が来ている、で通せる。また、翔馬が水鏡の勇者であることなど、補給廠の誰も知らないし、神殿にも徹底した箝口令が敷かれている。
とはいえ、その気遣いに感謝しながら、リーデルの申し出に頷いた。
朝食を追え、支度を整えた後に屋敷を出る。
朝露に濡れる庭の花々を見やりながら、屋敷前の大通りから石畳を踏みしめ、歩き始めた。
広場に面する市場から漂う香辛料と、焼いた肉の香ばしい匂い。
荷車を行き交わせる威勢のいい声も響き渡る。
そして、街の隅々まで目を届かせるよう、どこかぴりついた雰囲気を纏いながら巡回する騎士たち。
ラグロニーネは朝から活気に満ちていた。
翔馬にとっては、まるでゲームの中のような光景だが、平和な現代社会とは根本から異なる、活気と緊張が同居する街の日常がそこにある。
(自分も、ここで生きている……)
流されるまま生きていた自分と、この街で懸命に生きる人々。それが同居する街。
一歩一歩踏みしめる足裏から、それが静かに伝わってくるようだった。
補給廠に着くと、翔馬は一階の荷上げ場へ向かう。
この数日で、翔馬は現場の作業員たちともすっかり顔なじみになっていた。
「おう、エスティ! 今日も書類の検分かい?」
「はい、荷役頭さん。いつもお邪魔してすみません」
「ハハ、構わねえよ! 俺たちは書類仕事が苦手でな。エスティが書類の不備を先に見つけてくれるおかげで、俺たちの積み下ろしが無駄にならねえんだ。みんな感謝してるくらいだぜ」
本国から来たボンボンではなく、現場の苦労を数字の精査で支えてくれる事務方。現場の人間たちからのそうした評価を、翔馬は少しずつ肌で感じていた。
その時だった。補給廠の広大な敷地に、ガラガラと重い車輪の音が複数響き渡る。
そして――。
「第四輸送隊! 帰還!!」
入口の門で立哨する騎士がそう声を張り上げると同時に、長旅の砂や泥に汚れた数台の馬車が、次々と荷上げ場に入ってくる。
そして、先頭の馬車から、ドサリと軽快に飛び降りた男がいた。
年は翔馬よりも少し上だろうか。短く刈り込んだ赤黒い髪と、野性味と情熱を感じさせる濃紅の鋭い眼光が特徴的な男。
鍛えられていることが分かるその肉体には、鎧というには軽装な防具を乱雑に羽織っている。そして、剣や槍といった武器らしい武器を帯びていない。
代わりに、両手首には頑丈そうな革の手甲を巻いていた。
(あの人が……ガルファンさん……?)
一階の荷上げ場の隅から、翔馬はその男の動きを注視した。
馬車から飛び降りたその男は、すぐさま後列に並ぶ荷馬車から大きな木箱を下ろしながら、手際よく作業員たちに指示を出している。その動きには一切の無駄がない。
何より、空荷のはずの馬車から、ヴァルメイ特産らしき織物や、果実酒の樽が手際よく下ろされていた。
ただ往復するだけでなく、帰路すらも商取引の物流として活用しているのかと、翔馬は感嘆した。
――作業が一段落し、ガルファンが二階へ上がっていったのを確認すると、翔馬も階段を上り、後を追った。そして、控え室の入り口で静かに声をかけた。
「……あの、あなたが……ガルファンさんですか?」
ガルファンは汗を拭いながら振り返り、緑のチュニックを着た細身の少年を、胡散臭そうに眉をひそめて見上げた。
「あん? なんだお前? ……ああ、領主様から遣わされた新しいお役人か?」
彼の言葉の〝お役人〟という言葉に棘を感じつつ、翔馬は首を横に振る。
「あ、ええと。本国の商家の者で、リーデル様のご厄介になりながら、先日からここで物流や輸送の実務を学ばせていただいている、エスティと申します」
微妙にズレているガルファンの認識を、ひとまず翔馬は訂正しておくことにした。
差し当たり、リーデルが用意した自分の仮の素性を並べる。彼が言っていた『時には嘘が必要な場面もあるのだよ』という言葉を心の中で繰り返しながら。
「商家の、ねえ……? まあいいや。で? 領主様のお客人が俺に何の用だ?」
ガルファンは翔馬の姿をジロジロと見たあと、鼻で笑い、肩をすくめてみせた。荷揚場で荷役の連中から『新入りが来た』との話は聞いていた。大方、世間知らずの貴族のボンボンが偉ぶりたいだけだろう、と踏んでいたガルファン。
正直、眼の前の少年が商家の人間なのか、役人なのかなどどうでもよかった。
「第四隊は『帰還が遅い』とか『速度を上げろ』とか、現場の苦労を知らねえお役人から、これでもかってくらい嫌味を聞かされていてな。お小言なら、なるべく勘弁してほしいんだが」
そうして目の前の少年に向ける刺のある言葉。
しかし、翔馬は全く腹を立てなかった。むしろ、その言葉の裏にある、現場の泥臭さを無視する上層部への不信を、それとなく理解していたからだ。
「いえ、説教なんてとんでもない。僕はただ……第四輸送隊の運行記録を見て、驚いたんです」
「はぁ?」
「大きな事故もなく、荷物の破損はほぼゼロ。他の隊より徹底して危険を避けて、最も確実なルートを選択している。一体どうやってそれを実現しているのか? どうしても、それを直接聞きたかったんです」
翔馬の口から、すらすらと一切の淀みなく飛び出したのは、ガルファン率いる第四輸送隊への責め苦ではなく、純粋な感嘆と敬意だった。
ガルファンは、鳩が豆鉄砲を食ったような顔で固まったあと、こいつは何を言っているんだと思案した。
「……はあ? お前……第四隊の運行記録、全部読んだのか?」
「はい。ガルファンさんが隊長になってからの記録はすべて」
ガルファンは再びあっけにとられる。それはつまり三年分だ。
「他の隊は魔族との戦闘で荷物を壊したり、けが人が出たりしています。でも……僕には、第四輸送隊は、〝あらゆる危険をできる限り避ける〟ことを最優先にしているように見えます。西の山脈の裾野に広がるあの森を迂回した判断も、夜間の街道を避けた判断も、物資と隊の消耗を下げるためですよね?」
翔馬は止まらなかった。
記録から見えたものについて、目の前の男にその真偽を確かめたかったからだ。
真剣な眼差しでありながら、しかし疑問を確かめるというよりも、舞台演劇の感想を熱っぽく語る観客ようにすら見え、ガルファンは終始呆気にとられた。
それから急に『ハッ!』と大声で笑い出す。
「ハハハハ! なんだお前? お役人どもは皆、第四隊を『腰ぬけのノロマ隊』ってバカにすんだぜ!? なのに、お前……そこを褒めるのかよ!!」
ガルファンは腹を抱えてひとしきり笑った後、ガシガシと頭を掻いて、ニッと野性味のある口元を弛ませた。
「おもしれえやつだな、お前! エスティっつったか? いいぜ、そこまで言うなら教えてやるよ。俺たちがどうやって危険を嗅ぎ分けてるかをな!」
翔馬の顔に期待が映る。
粗野な言動やその見た目とは裏腹に、無駄な損失を生じさせないために必要な行動を取るクレバーさ。それは、出自によるものなのか、はたまた他の理由があるのか。
ぜひとも聞いてみたいと心が踊る。
「……だがな、俺にゃまだ仕事が残ってんだ。だからよ、終わった後にメシ行こうぜ、メシ。そこで教えてやるよ!」
翔馬は、ちらりと横のギルバートを見やった。
老執事はそれに気づき、軽く頷いて静かに目を瞑る。
言外に「どうぞご安心を。ごゆっくり」という意を受け取った翔馬は、ガルファンの申し出をありがたく受けることにした。
この世界で、最前線に向かう輸送業務は命を賭すのに等しい。
それを完璧に遂行するガルファンから得られる教訓は、自分がこの世界でどう生きていくべきかの指針になる。そして、その知見は、西方の戦線を維持し、間接的にリーデルの助けになる。
さらに、兄を想うあの優しき少女の心の霧を、少しでも晴らすことにつながるかもしれない――そう考えた翔馬は、ガルファンに連れられた彼馴染みの食堂で、これでもかというほど、熱量たっぷりに言葉を浴びせ続けた。
ガルファンが途中で翔馬の熱量に引き始め、なおも止まらない質問攻めに対し、『わーったわーった! また時間取ってやるから!』とストップをかけて、ようやくお開きとなったのだった。
やがて、ギルバートが手配した迎えの馬車の中で、翔馬は満足げな表情を浮かべていた。
(楽しい時間、充実した時間はあっという間に過ぎるんだな……)
窓の外に流れる街の夜景は、翔馬がかつて過ごした、何の色もない時間とは真逆のように、色鮮やかに見えた。
……はずだったのだが、彼はひとつの失態を犯した。
楽しすぎて時間を忘れた。
それは、帰宅の刻限を大幅に過ぎていることに気づかったことを意味する。
翔馬の内心では、『ひょっとしたらマズいかもしれない』と、小学生のような考えが脳裏をかすめたが、ガルファンとの会話を優先した結果がこれである。
馬車が屋敷の入り口前に横付けされ、楽しさの余韻半分、不安半分で屋敷に入るや否や、『いくら何でも遅すぎる(ます)!』と、入口で仁王立ちする兄妹からこっ酷く叱られたのは、微笑ましい(?)後日談である。
なお、兄妹の後ろに控えたまま、ギルバートはまったく助けようとしなかった。




