第10話 崩れる平穏、二本の毒針
「なんだこれ?」
翔馬は呟いた。
第四輸送隊。その隊の記録だけが異常だった。
他隊に比べて、進軍速度が特段に早いわけではない。むしろ、天候が崩れそうになれば真っ先に進軍を止め、先の状況が怪しい街道を迂回している。
報告書の記述も『〇〇の森で危険を察知し、これを大きく迂回』『〇〇街道にて天候不順。夜間通過を避け、一日待機。以後進行し、遭遇戦ゼロ』など、極めて地味。
武威こそ正義とする他の隊の記録から見れば、臆病とすら言える内容だった。
しかし、現実は違う。
翔馬が見た第四輸送隊の、過去三年間の記録が示すことは、転倒などによる怪我人はあれど、魔物などの襲撃による人的被害がゼロ。
天候による遅延もあるが、毀損はほぼゼロ。
徹底して危険を排除し、最も確実で、最も安全なルートを執念深く選択し続けているかのように見える。つまり、遭遇戦を戦って勝つのではなく、そもそも遭遇しないことによって、確実に物資を届けることこそが最大の勝利であるといわんばかり。
驚異的な足跡があった。
現代風に言えば、徹底したリスク回避策だ。
これこそが、自分が求めている究極の答えではないかと、翔馬は直感する。
「……ギルバートさん、ちょっといいですか?」
片手は鶏肉を挟めたサンドイッチ、もう片方は記録の書かれた羊皮紙。
視線を書類から外さずに、エスティは隣のギルバートに呼び掛けた。『どうなさいましたか?』といつもの落ち着いた声が返ってきたのを確認し、書類を彼の前に置く。そして、人差し指でその文字を指し示す。
「この〝第四輸送隊〟を率いているのは、誰なんですか? ずば抜けて事故を起こしてないのが気になりまして」
翔馬が尋ねると、書類を整理していたギルバートが目を見開いた。
まさか、実務初日の少年が、膨大な書類の中から、本国中央の役人すら、地味で遅い無能な隊と切り捨てるその本質――事故を起こしていないこと――に気づくとは思っていなかったのだ。
「……その隊を率いるのは、ガルファンという名の男にございます。年の頃はエスティ殿と同じか、少々上くらいでしょうか。北のケーニヒシア王国で生まれ、こちらへ流れてきた傭兵でしてな。彼が来て、もう四年ほどになりましょうか」
ラグロニーネの護衛をしている騎士ではなく、傭兵という言葉が気になった。
別の国で生まれ、わざわざハルトで輸送隊を率いているのには、何かしらワケがあるのだろうかと興味が湧く。
「腕の立つ男で、直情的ではありますが、決して粗野ではない。戦場の危険を誰よりも察知し、絶対に無駄な血を流さない、へそ曲がりの凄腕にございます」
ギルバートはそう言った後、周囲に聞かれぬよう一段声を潜め、さらに続けた。
「聞けば、実家は炎神の神殿の武闘僧侶の家系。将来を嘱望される兄や、重職に就く両親を持ちながら、自らの進むべき本当の道を見つけたいという、求道的な熱意を抱いて神殿を飛び出してきたとか。その出自ゆえか、頑なに無駄な犠牲を嫌うようでございます」
「へぇ……。そんなにも優秀な人が、ここで輸送隊の隊長をしているんですね」
翔馬は、ギルバートの説明に感謝を述べつつ、その名を脳裏のノートに深く刻み込んだ。流されて死なないための、そしてこの理不尽な盤面を生き延びるためのピースを見つけた予感があった。
午後、翔馬が立ち上がって背伸びをし、気晴らしに一階の荷揚げ場へ階段を降りていくと、汗と油に塗れた荷役頭の老人が、木箱を抱えながら声をかけてきた。
「ああ、エスティの坊ちゃん。二階の書類仕事はもう飽きたのかい?」
「あ、いえいえ。少し頭を休めようかと思いまして。……あの、差し支えなければ教えていただきたいのですが……第四輸送隊って、現場でどういう評判ですか?」
翔馬が尋ねると、荷役頭は表情を可笑しそうに歪め、『ケッ』と唾を吐き捨てた。
「あぁ、第四隊か? あいつらは他の隊から、腰ぬけのノロマって笑われてるよ。空が怪しくなりゃすぐ足を止めやがるし、ちょっとでも怪しい噂がある街道は大きく遠回りしやがる。他の威勢のいい騎士様の隊みたいに『魔物を叩きのめした!』なんて派手な手柄はひとっつもねえ」
老荷役は表情を少し引き締め、傍に積まれていた木箱をポンと叩いた。
「……だが、俺たち荷役にとっちゃ、苦労して仕立てた荷が無事に届くことが一番だ。あいつらに預けた荷だけは、どんなに荒れた時期でも絶対に無傷で届く。だから、俺たちが一番信頼できるのは、あんな臆病なノロマどもなんだがね」
翔馬は、老荷役の言葉から、第四隊の動きこそ、この地で真に求められているものなのではないかと考える。
支援のための物資は、届いて初めて意味がある。物資を受ける側からしてみれば、予定した日数で、必要とする数量が届けば願ったり叶ったりだからだ。
「そうなんですね……。ありがとうございます」
「俺はここに勤めてもう四十年になる。気になることがあったら、なんでも聞いてくれ」
そういう荷役頭に礼を言い、翔馬は補給廠で働く男たちを見回した。誰しもが、遥か遠くの地に荷を届けるために、奮戦していることは確かだ。
しかし、ガルファンという男は、その中でも目的をきっちりと見据えて、目的を達成するために、確実な手段を選択している。
記録を読んだ翔馬は、現場の生の声を聞いて、改めて深く頷いた。
数字の羅列の裏にあった考えが、確信に変わった瞬間だった。
◇
その頃、館の執務室に戻ったリーデルの元に、二通の手紙が届けられていた。
一通は、贅沢な羊皮紙に本国中央の刻印。
高級な蜜蝋で封印された書状。それは、前王派閥……つまり、亡父についていた貴族連中の一人である、バウアーからのものだった。
リーデルは、その姿を思い出しながら顔を顰めた。
バウアーは、ハルト北部を治める侯爵家の一人で、リーデルやレオナとは親戚筋にあたる。すでに家督を譲っているが、前王派でも特に力のある貴族の一人だった。
いまだに現王を引きずりおろそうと、何やら画策している噂は聞こえており、それもあってこの手紙を読む気になれない。
とはいえ、相手が相手。このまま放っておくといいこともないと考え、リーデルは封書の蜜蝋をパキッと割り、書状を取り出した。
――ラグロ領における「水鏡の異変」の噂、本国にも届いている。神話の勇者ともなれば、それはハルト王国の、否、世界の至宝である。
勇者顕現が事実であれば、貴君と共に、王都ハルトイニアへ臨席されたし。
お前が次期国王となるのに相応しい、最高の〝土産〟であろう。
こちらから護送用の馬車を仕立て、遣いを送ることもできる。必要ならば返信せよ。
なお、魔族との泥臭い戦いなど、ヴァルメイの連中に押し付けておけばよい。お前はいずれ王となる存在。それをゆめゆめ忘れるな。
リーデルは、読み終えたその手紙を、乱暴に机に放り捨てた。
「相変わらず虫唾が走るな……予想通りだが」
本国の前王派は、水鏡の異変を聞きつけ、翔馬という強力な〝勇者〟を政争の道具にしようとしている。リーデルを玉座へ押し上げ、自らの派閥の権力を盤石にするための、〝都合のよい旗頭〟として、勇者を王都へ送れと言っている。
噂は噂と無視することはできるが、言い換えれば、噂にすがらざるを得ない状況になっている、とも言えた。場合によって、こちらの要不要など関係なく、〝使者〟を送ってくる可能性すらある。明確な脅迫だった。
そして、傍らのもう一通。
それは、粗末な紙に書かれ、読み終われば燃え尽きる魔術が付与された、現国王である叔父エドアルドからの秘匿郵便だった。
――リーデル、レオナ。息災か。……王都の一部貴族連中が、お前たちの動向、特に神殿の不審な動きを嗅ぎつけた。
奴らは、領地運営の確認名目で、そちらへ査察官を送り込む腹積もりのようだ。
実態は、無理矢理にでもお前の失態を作り上げること、その目的は、お前たちを王都から永久に排除することだろう。
水鏡の噂も気になるところだが、本国中央の泥沼に巻き込まれぬよう、しばらくは決して身動きを大きくするな。今は耐えてくれ。
手紙は青い炎を上げて、跡形もなく燃え尽きた。
リーデルは静かに目を閉じ、背もたれに頭を預けてため息ひとつ。そして考える。
前王派の老害どもが、自分を担ぎ上げるために牽制を行い、あわよくば勇者を取り込もうとしている。
そして、それを阻止しようと、現王の地位を盤石にしたい現王派が、領地査察という大義名分を掲げて〝刺客〟を放ちつつある。
ラグロニーネは遠からず、本国の泥沼の政争の戦場になりかねない。
自分たちを道具としか見ていない老害どもへの激しい嫌悪と、自分たちを辺境へ逃がして守ってくれた叔父への複雑な情義。
そして何より、このままエスティをここに置いておけば、現王派の放つ刺客の刃が、確実にあの少年の喉元にまで届きかねない。
リーデルは、再び深いため息をつくのだった。
◇
その日の夕刻。
補給廠での仕事を終えた翔馬とギルバートが屋敷に戻り、食堂には久々に穏やかな夕餉の時間が訪れていた。
「エスティ、はじめてのお仕事はどうでしたか? お身体は痛んではいませんか?」
「ありがとうございます、レオナ。身体は大丈夫です。ギルバートに助けられっぱなしだったけど……すごく勉強になりました」
朝のやり取りと同様、温かいスープを前に、ぎこちなくも微笑み合う翔馬とレオナ。二人の間には確かな信頼と、柔らかい空気が流れていた。
しかし、そのテーブルの上座で静かにグラスを傾けるリーデルの胸中には、冷たい暗雲が垂れ込めていた。
(この平穏も、長くは続かないかもしれないね……)
和やかに会話を交わす二人を横目で見ながら、リーデルは深く、秘かに決意を固めていた。あの日、むき出しの恐怖に震えていた少年が、今や妹の呪縛を解き、自分の足でこの領の現実を支えようとしている。
その純粋で気丈な芽を、本国中央の汚らわしい政争の狂気に、決して踏み荒らさせてはならない。
リーデルは、二人の姿を見て、ひとつの決意をする。
食後、レオナと翔馬が各自の部屋へと戻った深夜。
ギルバートの私室を訪れたリーデルは、施錠による防音効を確認した後、その部屋の暗がりで重々しく口を開いた。
「……本国から連絡があった。老害どもからの牽制……まぁ、これはいいとして。問題は叔父上からの手紙でね。現王派の過激派が、査察名目でこちらに人を送ってくるようだ」
ギルバートは老練な瞳を細め、静かに息を呑んだ。
「……左様でございますか。本国がにわかに慌ただしいとは存じておりましたが、一刻の猶予もありませんな」
「ああ。事ここに至っては、エスティをラグロニーネの外へ出すほかないね。奴らの手の届かない場所……ハルトの影響力の及ばない場所、本国の牙も届かないような……」
リーデルは苦笑しながら、『面倒なことになったね』とつぶやいた。
「畏まりました。選定と手配はお任せください。ご心配が及ばぬよう致します。……しかし、懸念がひとつございます。……レオナ様です」
ギルバートの問いに、リーデルはフッと自嘲気味な笑みを漏らした。
「ハハハ、聞くまでもないよね、それ。あっちの老害どもにしてみれば、レオナは私と違って、〝どうとでも洗脳できる、都合のよい道具〟だ。立場が立場ゆえ、ある意味エスティより性質が悪い。できることなら、あの子も外に出したいが……」
「御意に。……しかし、そうなるとしばしの間、寂しくなりますな」
「フン、懸念がなくなるんだよ? ありがたいことじゃないか。それに、屋敷が静かになるし、書庫も荒らされずせいせいするだろう?」
強がりを叩く若き領主の背中に、老執事は深く深く一礼した。
早朝の小さな平穏から一転、運命の濁流は少年と少女を、乱世の荒野へと押し出そうとしていた。




