第9話:毒薬の会計
時間を巻き戻すこと5日前。
「……なるほどねぇ。あのガキの『一瞬で喉や心臓を潰す暗殺技』は、奴の周囲5メートルの空間でしか発動しないのかい」
薄暗い鑑定所の奥で、マルタが不気味な笑みを浮かべていた。その背後、影の中から猫耳の女、メロンが音もなく這い出してきた。
「メロン、何度も張り付いて観察しちゃった。どんなに強そうな魔物さんもね、あの子の5メートル以内に近づいた瞬間に、みーんな内側からパチンって弾けて死んじゃうの。あは、ウケるよねぇ♪」
利害と悪意が噛み合い、二人は醜い計画を練り上げた。あの生意気なガキを、肉体じゃなく『精神』から徹底的にブチ壊してやる――。
5日後。恐ろしい事件は完璧なタイミングで発生した。
「がはっ……!? の、喉が……心臓が……ッ!!」
冒険者ギルドの酒場。俺の隣でジョッキを傾けていたカインが、喉を激しく掻きむしり、床に突っ伏した。
同時に、酒場にいた十数名の冒険者たちが一斉に喉を掻きむしり、泥人形のように崩れ落ちていく。全員が、心臓と喉を内側から潰された、俺のスキル特有の「痕跡なき即死」だった。
「みんなッ!? ……くっ、ヒール!!」
トアが必死に叫び、聖なる光を放つ。だが、その光は無慈悲にもほとんどの死体には届かない。かろうじてカインの心臓だけが微かに再起動したが、その代償はあまりに重かった。
「……あ、あ……っ」
カインは喉を抑え、掠れた声を絞り出そうとするが、言葉にならない。トアが必死に癒やそうとしても、カインの声帯は修復不能なほどに内側から粉砕されており、彼女は二度と声を出すことができなくなった。
「うそ……嘘だろ、これだけの人数が……どうしてこんなことに……ッ!!」
トアの悲鳴がギルド中に木霊する。
騒然となるギルド内。その混乱を切り裂くように、拡声の魔道具を持ったマルタの声が響いた。
『騙されるんじゃないよ、若い冒険者たち! その暗殺者ジョブのガキのスキルは【手元会計】! 手のひらに小銭を出すだけのゴミスキルさね! そんなゴミが、なぜ急に魔物を傷一つなく倒せるようになったと思う!?』
マルタは俺から確実に5メートル以上離れた安全圏から、勝ち誇った顔で指をさした。
『こいつは内側から肉体を破壊する邪悪な「呪殺の魔道具」を隠し持っているんだよ! 今回の大量殺人も、魔道具の威力を試すために仲間を実験台にしたのさ! 現に、声すら奪われたカインの無惨な姿を見ておくれ!』
その言葉が響いた瞬間、俺の背後にいたハルや、憔悴しきったトアの身体が、絶望に震え始めた。
「……レン。あんた、俺たちに何か隠してる……?」
ハルの問いに、俺は口を閉ざした。本当の力を隠していたという『秘密主義』が、最悪の形で牙を剥いたのだ。
「答えてくれよレン! マルタの言う通り、俺たちを騙して、仲間を実験台にして殺すための魔道具を隠し持ってたのかよ!?」
トアが泣き叫ぶ。声も出せず、ただ苦痛に顔を歪めるカインを抱きしめながら、彼女は俺を睨みつけた。
――違う。俺が使っているのは魔道具なんかじゃない。俺自身のスキルだ。
そう言おうとして、俺は再び口を閉ざした。今更真実を話したところで、声を奪われたカインを前に、「俺は人を内側から簡単に殺せる」と告白するのは、自分を怪物だと認めるのと同じだ。
「……勘違いするなと言ったはずだ。俺はお前たちを俺の利益のために利用していると、最初から」
俺は冷徹に突き放すしかなかった。
「利用って……そんな意味だったのかよ!?」
トアが激しい怒りとともに首を振った。
「仲間を実験台にして殺すような奴の命なんて、俺は……二度と癒やしたくないッ!!」
「最低だよ、レン。見損なった。もうお前なんて、おれたちの仲間じゃない!」
ハルとトアが、俺に明確な拒絶の背を向けた。
たった一つの「計算違い」のせいで、誰よりも強固だと思った合理的絆は、ガラスのように粉砕された。
「ヒャッハハハ! 仲間からも見捨てられたねぇ、大量殺人犯のモヤシっ子!」
遠くで笑うマルタと、その隣でせせら笑うメロン。
向けられる無数の刃。信じていた仲間からの拒絶。激しい怒りと、胸を締め付けるような冷たい絶望の中、俺はフードの奥で、完全に心を閉ざした。
(第9話 完)




