第12話:猫耳の会計
雨は容赦なく降り続き、街を灰色に塗りつぶしている。
レンは一人、街の暗がりを歩いていた。ずぶ濡れになった外套の下、懐にはカインの無念を晴らすための現代通貨がある。
(カイン……喉をあんな目に遭わされて。あいつらのせいで、言葉を失ってしまった)
その痛みが、レンの胸の奥で復讐の炎として燃え上がっていた。その執念が、彼をマルタの店のあるあの路地裏へと引き寄せる。
「ようこそ、レン。雨の中、わざわざここまで足を運ぶとは……ご苦労なことだよ」
路地裏の奥から、外套をまとった老婆・マルタが、枯れ木のような指を杖にかけながら姿を現す。
その傍らには、かつてレンに完膚なきまでに叩き伏せられたガルドが、無言でマルタに洋傘をさしていた。
さらに索敵スキルで分かった事だが、周囲の高台や死角には、数名の炎系魔術師が配置され、レンの退路を完全に封じている。
マルタは濁った眼でレンを見下ろすと、ねっとりとした笑みを浮かべた。
「……観察させてもらったよ、レン。内部から破壊する芸当。5メートル、それに飛ばせる硬貨は5枚で紙幣は2枚らしいな、だからわざわざモンスターに近づいてから殺してたんだよな?」
まさかマルタが俺の固有スキル「空間会計」のことについて知っていることに俺は驚愕の顔を隠しきれない。
「気づかなかったよな?うちにも暗殺者のメロンがいるんだよ」
「我々側につかないかい? お前のその力があれば、ベンバル様の『掃除係』として一生安泰だ」
レンはギルドでおれをハメたであろうマルタを睨み激昂した。
「ふざけるな、だいたいお前のせいでカインや他の冒険者達は!!」
マルタは呆れた顔をして言った
「じゃあ仲間に入らないのかね?仲間の命…元仲間か。それは惜しくないのかね。」
俺は拳を握りしめ、震える声で絞り出した。
「……分かった。あいつらに手を出すな。俺は、お前たちに従う」
マルタの瞳が、怪しく光る。彼女の固有スキル【鑑定】が、俺の「従うという嘘」を冷酷に見抜いた。
(……フフ。このガキ、ワシの鑑定スキルを甘く見ているね。わしの固有スキルは「鑑定」で嘘も見破ることができる。わしは最初からこいつのホラに騙されていないかったが、あの時はまだ未確定なことが多くて逃げたんだよ。
こいつの射程は5メートル……この距離なら、徹底的に対策した私に触れることは絶対にできないよ)
マルタが手を挙げると同時に、空気が歪んだ。呪文が唱えられ路地裏が瞬時に業火の檻と化す。
レンはとっさに10円玉4枚と500円玉1枚を空中に展開し、自身の周囲に強固な防御壁を築こうとした。だが、炎の奔流は容赦なくレンを包囲する。
「ぐっ……!」
レンの射程外にいるマルタの放つ炎は単なる火球ではなく、対象の装備や魔道具を物理的に融解させる高熱の奔流だった。
レンの盾となっていた硬貨は、高熱に晒された瞬間に悲鳴を上げるような音を立てて熱歪みを起こす。
「防御が持たない!」
レンが必死に硬貨を回収するよりも速く、炎の渦が硬貨を飲み込んだ。
4枚の10円玉は原型を留めずに融解し、最後の盾であった500円玉も、黒ずんだ金属の塊となって回収する前に融解して消滅してしまった。
防御の要を失い、視界が焼け付くような熱と蒸気で真っ白に覆われたその刹那。
冷たい雨音すらもかき消す、かすかな衣擦れの音がレンの背後で響いた。
――シュッ!
音もなく死角から現れた刃が、レンの左腕を深々と切り裂く。
鮮血が雨と混じり合い、弾け飛んだ俺の腕と傷方からの出血が路面を赤く染め上げた。
レンは間一髪で致命傷を避けたものの、左腕から噴き出す血に呼吸を乱し、泥濘の中に膝を突いた。
「メロン、もういいよ。……あの子の隠し玉はもうない」
影の中から、猫耳を揺らした亜人の女、メロンが踊るように姿を現す。メロンは刃に付着したレンの血をなめ取ると、不敵な笑みを浮かべた。
「チッ、避けやがったか。心臓を狙ったのに」
レンは激痛に耐えながら、懐から即座に千円札2枚を取り出す。今のレンに残された、最後にして唯一の「資産」だ。
(止血が先だ。痛みに思考を支配されるな……!)
レンは強引に止血を試みる。千円札を傷口に押し当てるように、決済、回収し続けて血が噴き出すのを千円札で、肉が焼けるような痛みとともに、物理的な止血を強制的に行う。
「ぐっ……ぁぁッ……!」
追撃をしてこないおかげで出血は止まったが、攻撃手段である硬貨を全て失った。
マルタはレンの痛々しい姿を、まるで最高級の娯楽を見るかのような眼差しで眺め、勝ち誇ったように言った。
「おや、いけないねぇ。レンちゃん、そんな傷を負って……今の君のステータス、わしの鑑定スキルによると体力が残り10だよ」
マルタは愉悦に満ちた声で笑い、死の宣告を下す。
「もう逃げ場はないよ。メロン、とどめだ。その心臓をくり抜いておいで。わしらはベンバルにこのことを報告してくるから」
「あーあ、案外楽にこの仕事終わっちゃった♪もっとレンちゃんとのバトル、楽しみたかったのになー♪」
メロンの刃がレンの喉元に迫る。
レンの思考回路は、この絶望的な状況下でなおも高速で回転していた。
メロンの刃が、レンの喉元まであと数センチに迫っていた。
(第12話 完)




