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4.影法師の猿真似

「あ、看守さんだ。ボクのドッペルゲンガーの話、聞いてってよ」


 囚人番号八○八に呼び止められたのは、ある日の巡視の途中、夕食後のことだった。

 またか、という気持ちが否応なしに湧いてくる。オーパーツ、地球外生命体、ツチノコと続き、今度はドッペルゲンガーと来たか。脈絡も益体もない話題をぶつけられても、もうあまり驚かなくなっている自分に辟易する。

 独房の鉄格子の向こうでは、細面(ほそおもて)の囚人が微笑を浮かべていた。一見して男女どちらともつかない、中性的な容姿を持っている。全身にまとった空気感も顔立ちも垢抜けていて、狭く装飾のない冷えびえとした牢に収容されているのがひどく場違いに見えた。


「話をするなら手短にしなさい」


 返事をすると、相手はぱっと顔を輝かせ、滔々と語りだした。



 まずドッペルゲンガーが何語か、看守さんは知ってる? そ、ドイツ語だよね。ボク、大学でドイツ語の講義を聞いてたから少しは分かるんだ。看守さんには釈迦に説法って感じだろうけどね。そうそう、ボクが行ってた大学の近くにドッペル坂っていうのがあって、そこを試験前に通るとダブってしまう、つまり落第するとかいう噂が……ああ、これは余計な話だったか。

 つまりドッペルっていうのは英語で言うとダブルに当たるんだね。同じ顔、同じ容姿の人間が二人いる、それがドッペルゲンガー。この世には同じ顔の人間が三人存在するなんてよく言うけど、それもドッペルゲンガーの一種なのかな? ……ドッペルゲンガーの一種、ってなんだか面白いね。ただの生き物の話をしているみたいで。

 伝承によると、ドッペルゲンガーっていうのは肉体から魂が抜け出た姿、という解釈らしいよ。生き霊みたいなものなのかなあ。それは死の前兆であり、そこからドッペルゲンガーに会うと死ぬという言説が生まれたみたいだね。ある病の症状で、自分自身の幻覚を見ることは実際にあるんだって。想像するとすごく怖いよね、突然自分と同じ顔の人間と出会(でくわ)すなんてさ。災難だよねー。これは本当か分からないんだけど、昔日本のどこかに巨大な迷路のアトラクションが作られて、そこに入った人が次々に自分の後ろ姿を見てしまい、迷路が早々に閉鎖されたってことがあったんだって……。ごめんごめん、ガチの怪談話をしちゃった。怖かったら忘れてよ。

 それで……何の話だっけ? ああそうそう、ボク自身のドッペルゲンガーについてだったね。ん? ボクはドッペルゲンガーを見たことないよ。意味分からないって? それを今から話すんじゃないのさ。焦りは禁物だよ、看守さん。

 これはまだボクが娑婆(シャバ)にいた頃の話なんだけど。ある時乗った電車で、めちゃくちゃ可愛い女の子を見かけたのね。そりゃボクだってなかなかの外見を持って生まれたけど、その子は別格。彼女の周り三十センチくらいが淡く発光して見えるくらいの美しさだったんだ。ビビビと来たね。これは運命だ! ってさ。

 そのあとの予定を全部放っぽって彼女をつけたら、その子は近隣の大学に通う学生ってことが分かった。……そんなに嫌な顔しないでよー。ボクが犯罪者ってことは最初から分かりきってるじゃん。じゃなかったらこんなところにぶち込まれてないんだしさ。

 ボクは毎日、その子と同じ大学に通うようになった。もちろん、入学したって意味じゃないよ。ほら大学って、講義に潜りこんで話を聞くだけなら、誰でもできるところが多いでしょう。学生じゃなくても学食だけ食べに来てる人とかいっぱいいるし。そうそう、ドイツ語の講義はそのときに聞いたってわけ。

 そうしてボクは外濠(そとぼり)を埋めてから彼女に接触した。ボクが同じ大学の学生だって、何も疑わず信じてたみたいね。めっちゃ純朴で可愛くない? そういうところも素敵だったなー。

 ボクらは気が合って、すぐに仲のいい友達になった。二人きりでいることも多かったよ。周りに誰もいないとき、彼女がトイレに立ったタイミングで、一人暮らしをしてるアパートの鍵番号を盗み見るのも簡単だった。鍵のナンバーさえ分かれば合鍵を作るのは難しくないからね。そうしてボクは、こっそり彼女の部屋に入ることが可能になった。

 看守さん、顔色悪いよ? ……友達なら普通に部屋に入れてもらえばいいだろ、って? いやいや、目的が違うんだなー。ボクは彼女と部屋で無駄な時間を過ごしたかったわけじゃない。その子がどういう間取りの部屋に住んでるか、コスメはどこのブランドか、好きな服のテイストはどんなか、いつも使ってる調味料は、化粧水は、シャンプーやコンディショナーは、歯ブラシは、歯みがき粉は、掃除用品は、トイレットペーパーは、そういう細々としたことを全部丸ごと知りたかったんだよ。

 ……何のためにかって? ボクはね、その子になりたかったの。

 彼女について調べ尽くしてから、ボクはその子と会うのをやめた。連絡手段をいきなり全部ブロックしたから、相手にとっては心底意味が分かんなかっただろうね。それについては悪かったと思ってるよ。

 その子そのものになりたいと思ったら、あとは何が足りないと思う? 同じ間取りの部屋に住んで、同じメイクをして、同じものを食べて、同じ服装をして、同じ仕草と癖を身につけて、それでも足りないもの。そう、容姿だよね。そもそも容姿が違ったら確実に別人だもの。だから彼女になりきるために、ボクは顔を作りかえた。

 もちろん、文字どおりの意味だよ。美容整形ってすごくお金がかかるの、なんとなくイメージできるでしょう? まともな人は当然やらないね、あんなの。ボクは元々顔が整ってたし若かったから、この体にいくらでもお金を落としてくれる偉ーいオニイサンオネエサンがいっぱいいたんだよね。

 そうやってお金を作って、時間をかけて、とうとうボクはその子そのものになった。そこでふと、魔が差したって言うのかな。ドッペルゲンガーの言い伝えがふっと頭を過ったんだよね。この姿を目の前に現したら、あの子はどんな反応をするだろうって。

 あとの顛末は大体予想がつくでしょう? 彼女は幽霊でも見たみたいにびっくりして、階段を踏み外して、ぴくりとも動かなくなっちゃった。ボクは悪質なストーカーって扱いにされて、行き着いた先がここってわけ。

 なんであんな実験……いや悪戯(いたずら)をしちゃったんだろう。自分でもよく分かんないんだよね。でもやっぱり、ドッペルゲンガーに会うと死んじゃうっていうのは本当なのかもしれない。そう、これがボクのドッペルゲンガーの話。ドッペルゲンガーは実はボクでした! ってオチ。面白かった? え、悪趣味なだけ? 確かにそうだね。

 今は元の自分の顔をいじくったこと、後悔してるんだよ。どうしてか分かる? だってね。看守さん、元々のボクにそっくりなんだもの。顔も、体型も、雰囲気も。そっくりなんてものじゃない、瓜二つって言葉でも足りない、本当に何もかもが同じ。同じなんだ。

 ふふ。ドッペルゲンガーの真似事なんてしなくても良かったんだね、ボク。

 ボクのドッペルゲンガーは、看守さんだったんだ。 



「……」


 唐突に口を閉ざした囚人の前で、私は絶句する。いきなり自分自身が与太話に巻き込まれて、背中に冷水を浴びせられたみたいに肌が粟立っていた。こいつのドッペルゲンガーが私だって? 本当に?

 囚人は突然あはは、と無邪気な笑い声を上げた。


「ねえねえ。ドッペルゲンガーに会うと死ぬって話が本当ならさ、死ぬのはどっちだと思う? ボクかな、看守さんかな。それとも……二人とも、死ぬのかなあ? あは」


 私は一度目を閉じて、ぶるぶると頭を振った。棒のようになった脚に力をこめ、足早にその場を去る。

 あんな話、信じるに値しない。囚人と私の容姿がそっくりだなんて、あいつが勝手に言っただけの妄言に決まっている。元の顔など確かめる術はないのだ。おかしな思考回路の持ち主が喋ったことなど、全部忘れてしまえばいい。

 平常心を己に言い聞かせながら、正直気が気ではなかった。それから数日は死というものに敏感で、道を歩くときはできる限り車道から離れたし、階段ののぼり降りの際には必ず手すりを掴んだし、ホームドアのない駅には絶対に近づかなかった。

 変化に気づいたのは、囚人番号八○八と言葉を交わしてから十日ほど(のち)のことだった。あの囚人がいた独房が、いつの間にか(から)になっていたのだ。一時釈放や移送などの話も聞いていない。同僚に訊いてみると、相手は怪訝な顔をした。曰く、その独房には一年近く誰も収監されていないという。

 そんなはずはない、中性的な容姿の囚人がいただろう、私をからかっているのか、という主張は全く受け入れられなかった。記録を調べたが、同僚の言うとおり、囚人番号八○八の記述はどこにもなかった。

 このあいだからおかしなことばかり起こる。私はずっと冷や汗をかいている。私というドッペルゲンガーと顔を会わせたから、あの囚人は消えてしまったのか? ただ死ぬのではなく、存在を根こそぎ消されるのが、ドッペルゲンガーというものの作用なのか?

 あるいは――考えたくないことだが――正しいのは同僚で、私はいもしない人間の幻覚を見聞きしてしまったのかもしれない。オカルティックな話ばかり聞いて、私の頭はとうとうおかしくなってしまったのだろうか。

 だとしたら……それはいつからだ?



 水晶髑髏、宇宙人、トカゲ人間。それらの話を私にしてきた囚人たちも、果たして実在していたのか。

 囚人番号八○八の消息は、それきり調べていない。

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