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5.異界招きの鍵共

「ああ、看守さん。時に、きさらぎ駅をご存じですか」


 囚人番号五五五に突然話しかけられたのは、夜勤明け間近の巡視の途中、明け方のことだった。

 独房の鉄格子越しに、こちらを()っと見つめる男のぎょろついた目玉が見える。相手は何やら、私をずっと待っていたかのような口ぶりだった。男が纏う超然とした雰囲気にどこかうすら寒さを感じたものの、夜勤の終わり際という時間帯も相まって、深く考えるのが億劫に感じられる。

 私は無言のまま、小さく顎をしゃくって発言を許す合図を出した。相手は静かに、かつ書いてあるものをすらすら読み上げるように、滔々と語りだした。



 きさらぎ駅について語る前に、話の枕といきましょうか。世の中には、乗り物に関する怪談がごまんとありますね。それこそ数えきれないほど。

 一番有名なのは、タクシーに乗ってくる女の幽霊でしょうか。深夜、ひと気のない道を走るタクシー運転手が髪の長い女を見つける。女はタクシーをとめて乗車するんだけれど、いつの間にか女の姿は忽然と消えていて、座席には濡れた跡だけが残されている……てな内容です。海外の例じゃあ幽霊船の話なんかよく聞きますな。濃い霧の中からぬうっと現れる難破船……船体はぼろぼろだけれども、船室には食事途中の光景が広がっている……だのに人間の姿はどこにもない。ついさっき、そのテーブルで何人もの人間が歓談していたように見えるにもかかわらず。

 変わり種で言やあ、エレベーターの怪談なんてのもあります。同乗者が明らかに人間じゃないとか、存在しないはずの階にとまるとか、特定の手順を踏むと異界に繋がるとか……。私が思うに、乗り物ってのは閉鎖環境になりやすいでしょう。しかも、見ず知らずの人同士がひとところにいることが多い。そういう心理的な不安を生みやすい状況が、怪談の揺りかごになったんじゃないかと思うわけです。いやいや、学のない人間の戯れ言ですがね。

 ここらでそろそろ、きさらぎ駅の話をしましょう。このきさらぎという名前の駅、日本に実在はしておりません。いや、ないことになっている、と言うべきでしょうか。

 看守さんは、ネットロアというものをご存じで? 昔ながらの民間伝承なんかをフォークロアと言うのに対して、例えばインターネット上の掲示板で生まれる、不可思議な体験談などをネットロアと言うんですってね。きさらぎ駅もそのひとつですな。

 ある人物が電車に乗っていたところ、きさらぎ駅なる見知らぬ駅に行き着く。彼または彼女はそこで降りるものの、どうも自分が知っている世界とは雰囲気が違う。どうにか家に帰ろうと四苦八苦するけれどもついには消息不明になる。まあ、こう言ってしまえばありがちな話かもしれませんな。でもこれらの体験が、リアルタイムで実況されるのがネットロアの面白いところです。

 どこまでが本当か分からないと言うんでしょう? ……ええもちろん、すべてが作り話という可能性だってある。それがネットロアのみならず、怪談の性質ですから。

 でもね、きさらぎ駅は実在しますよ。なんで断言できるかって? 私自身も行ったことがあるからです、きさらぎ駅に。

 ……そうですね。私があなたの立場なら、鼻で笑っていたでしょう。でもどうか最後まで聞いて下さいな。きさらぎ駅に迷いこんだことが、私の人生の転換点でした。私はね、以前はあなたの(がわ)に近い人間だったんです。いやいや、看守じゃあありませんよ。前は警察官――捜査一課の刑事をやっていたんですわ。

 刑事は警察の中でも花形ですがね、内実はまあ大変なもんです。捜査本部に泊まりこみしたり、徹夜で聞きこみや監視カメラの映像の確認をしたりね。組織の歯車に徹するのが刑事の秘訣です。俺が手柄をあげるんだ、なんて野心は持つだけ邪魔ですな。日本一泥臭い職業じゃないかと思いますよ、刑事ってものは。

 その頃、私は重大事件にかかりきりになっていました。捜査一課ですから、基本はコロシです。何日も家に帰れず、くたくたになった体を引きずりながら、久しぶりの休みを自宅で過ごすため電車に乗りました。ひどく疲れていたんでしょうね、うとうとしてしまったようで、目が覚めると知らない駅に停車しておりました。

 それがまた妙なんです。乗客は人っ子ひとりいないし、いつものうるさい車内広告も流れていない。終点でもないのに電車は動く様子がない。変だなと(いぶか)りながら開きっぱなしのドアから外に出てみますと、駅名にはきさらぎとありました。……もちろん、私がきさらぎ駅のネットロアを知る前のことです。

 途方に暮れて携帯電話を見るも、無慈悲に圏外の表示。駅から続いていた歩道を覚束なく歩いていると、不意に怒声と乱雑な足音が聞こえてきました。誰かが追いかけられているのかな、とぼんやり思っていると、やにわに迫ってきた人々に囲まれ、いきなり引き倒されたんです。本当に唐突で、意味が分かりませんでした。

「逃げられるとでも思ったか」とか、「逃亡者確保!」とか、野太く感情的な叫び声が交わされていたのを朧気(おぼろげ)に覚えています。でもそのあとは混乱の中に放りこまれて、何も分からなくなって……気づいたらここに、刑務所の中にいました。私は自分が追ってたコロシの犯人として、有罪判決を受けたことになっていたんです。

 だからねえ、看守さん。きさらぎ駅に行くとね、何もかも反転しちまうんですよ。私は投獄されているけど、法に触れることは何ひとつしちゃいない。完全なる無実なんです。きさらぎ駅が、私に濡れ衣を着せたんですよ。



「……」


 私は内心、幾ばくかの落胆を覚えていた。無実の訴えという話の帰着は、この業界ではありふれたものであったからだ。男の泰然自若とした空気感に、ある種の期待を抱いていたのかもしれない。それが裏切られた――と言うのは理不尽であろうが。

 看守らに身の潔白を主張してくる囚人は珍しくない。しかし、当人に罪が有るかどうか判断するのは司法であって、その手続きを経て彼らがここにいる以上、私たちが口を挟む余地は微塵もないのだ。

 私たちの責務は、刑務所の秩序を守ることであり、受刑者たちが規定の刑期を全うできるよう気を配り手を尽くすこと。それだけである。そもそも、この男が警察官だった記録はないはずだ。お決まりの妄想だろう。

 男は静かにこちらを見つめ、穏やかな口調で言った。


「看守さん、私の話を信じちゃいないでしょう。別にそれでもいいんです。あなたに話すこと自体に意味があるんですから」


 私の心を読んだかのような台詞に、ぞっと総毛立つような心地がした。


「……今までの話に何か意味があるのか? その意味とはなんだ? 今までおかしな話を聞かせてきた人間も、みんなグルだったのか?」

「私が言わんでも、いずれ分かるでしょうよ。頭がいい人は、ばらばらのものを関連づけるのが得意でしょうからな」


 囚人番号五五五は、それきり貝のように口を閉ざした。

 業務の引き継ぎを終え、刑務所の最寄り駅から自宅に向かう電車の中で、私はむっつりと黙りこみ思索に耽っていた。頭の中ではこれまで囚人たちに聞かされたオカルト話がぐるぐると渦を描いている。水晶髑髏、宇宙人、トカゲ人間、ドッペルゲンガー、そしてきさらぎ駅。この世に存在しない、しかし彼らが認識する世界では存在するらしい物事について。考えるだけ無駄だと理解しているのに、思考が無意識にそちらへ引っ張られてしまう。

 ふと、電車の様子がどことなくおかしいことに気づく。なかなか次の駅につかないのを不審に思って見渡せば、座席には私以外誰もいないではないか。いくら早朝とはいえ、いつもこの時間には登校する学生や出社するサラリーマンがそれなりに乗っている。車両に一人もいなくなることなどほぼありえない。

 もっとありえないことに気づいて私はぞっとした。今は朝のはずなのに、車窓の外が真っ暗なのだ。黒い絵の具を塗りこめたような圧迫感のある闇が、窓の外に広がっている。間違えて地下鉄に乗ったとしても、こんな黒々とした暗闇が見えるはずがない。外を見つめていたら、そこに見てはならないものを見てしまうのではないか。そんな不可解な予感に襲われ、私は窓から目を逸らした。いつしか掌にじっとりと汗をかいていた。

 すると、アナウンスも何もなく、減速した電車がするすると駅のホームに停車した。一面の闇の中、ホームだけが白々とした灯りに照らされている。しばらく待ったが、電車は動き出す気配を見せない。私は確信に近い予感を抱き、ホームへと降りた。

『きさらぎ』

 やはり、そうか。駅名表示にはしっかりしたゴシック体でそう記されている。ならばこのあと待ち受ける運命はどんなものか。私は薄々諦めを抱いていた。

 この運命はいつから定まったのだろう。きさらぎ駅の語りを聞いたときか、水晶髑髏の話を聞かされたときか、もっとずっと前なのか。あるいは五つの話に関連があるのでは、と考え始めたときからか――。

 後方からどやどやと複数人の足音が迫ってくる。口々に何事か叫んでいる。もう逃げても無駄なのだろう。引き倒されて痛い思いをしなくて済むよう、私は両手を挙げてその場に(うずくま)った。



 看守としての私の話は、これきりでほぼ終いだ。

 今ではもう、自分が看守だった頃のことが夢と同じくらい曖昧に感じられる。特にこの侘しく底冷えのする独房で、堂々巡りする思考を弄びながら、眠れぬ夜を過ごしているときには。

 自称元刑事の話をなぞるように、捕らえられた私は多大に見覚えのある刑務所の独房に収監された。驚いたことに、刑務所には既に私がいた。囚人としてではない。自分と同じ顔をした人間が、看守の服を着て見回りをしているのを、私は目撃したのだ。思わずアッと高い声を出すくらいに、私は驚いた。

 しかし今は、それを証明する(すべ)もない。私の声や、顔や、姿は、長年慣れ親しんだ自分のものとは異なってしまっているからだ。この身体は誰のものなのだろう。私は一体、誰なのだろう。五人目の囚人が反転と言っていた、その結果がこれなのか。

 囚人たちが語り聞かせてきた話は、異界をそばに招くための『鍵』のようなものだったのではないか、と今の私は考えている。異界の扉はきっと、普段は固く閉ざされている。一人目の囚人が自らの頭蓋を指して言った、密室のように。私に異様な体験談を語り、私の前から忽然と消えた彼らは、今はこちら側のどこかで自由を謳歌でもしているのだろうか。

 これからは囚人の立場で語るべき話が、私の中にもあると感じている。それについて今から詳しく話そうと思う。五人の囚人たちが私を呼びとめ、彼ら自身の闇の底を垣間見せてきたように。



 そう、私の姿を見て、声を聞いて、認識しているあなた。私はあなたに語りかけている。

 あなたは、――を知っているだろうか?

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