3.地底国に憧れて
「そこの看守さーん! ツチノコって知ってますかあ!」
囚人番号四二五に呼び止められたのは、ある日の巡視の途中、未明のことだった。
独房の鉄格子の向こうにいるのは、異様な風体の若者だった。露出している肌という肌はトライバル柄というのだろうか、曲線が目立つタトゥーで埋め尽くされている。スキンヘッドの頭皮も含めて、だ。耳や鼻や唇には数多のピアスの穴が空き、何より目立つのは額からにょっきりと生えている二本の角である。人体改造、という言葉が脳裏を過る。私はピアスや外科整形などはリスクを知った上で個人の自由にすればいいと思う人間だが、それでも若者の容姿には毎回ぎょっとさせられる。
相手はきらきら、というよりはぎらぎらとした眼光でこちらを見つめていた。ここは立ち止まってしまった自分の負けだ。しかし今度はツチノコか。オーパーツだの地球外生命体だの、なぜここの囚人たちは私にオカルト話ばかり披露してくるのだろう。
「ツチノコならもちろん知っているとも」
返事をしてやると、口元から二つに割れた舌を覗かせながら、その若者は滔々と語りだした。
ツチノコって可愛いっすよね~、あの丸々としたフォルムとか特に。愛嬌があるって言葉、ツチノコに一番似合うと思うんすよね。俺、トカゲとかカメとかヘビとか爬虫類が大好きなんすけど、そん中でもツチノコが一番すね。ああ、もちろんツチノコを直接見たことはないっすよ。看守さんはありますか? ……そりゃま、ないっすよね。
ツチノコって昔、全国的にすげえブームになったことがあるらしくて。俺が生まれるずっと前だから、その頃の世間の空気感っていうのかな? そういうのはあんま分かんないけど。看守さんも当然生まれてないすよね。時間と情熱を注いで、本気でツチノコを捕まえようとしてた人もいたとか。めっちゃ青春っすよねー! そういうのなんか憧れません? 俺もその頃に生まれてればなー。
今でもツチノコを生け捕りにしたら、現金とか貰える市町村もあるらしいっすよ。それも、けっこうたくさん。看守さんは物知りそうだから知ってますかね。だって賢い人の顔してますもん。
俺も小さい頃にツチノコの話を聞いて、ずっとほんのり好きではあったんすよ。んで、ある時ふと思ったんすよね。ツチノコってこれだけたくさん目撃証言があるのに、なんで確実な捕獲例がないんだろ? って。そこで色々調べるうちに、点と点が繋がって、ハッと閃いたんすよ。
そうだ! ツチノコは、トカゲ人間の幼体なんだ、って。
……そんなポカンとしないで下さいよー。知らないすか、トカゲ人間て。聞いたことない? あ、そう。
ヒト型爬虫類、ドラコニアン、レプトイド……呼び方は色々あるんすけど。その名のとおり人間みたいに二足歩行して、器用な手も持ってる爬虫類のことすね。トカゲ人間は地下に王国を作ってて、秘密裏に人間社会にも影響を与えてるって話もあるんすよ。
いやいや、待って待って! 話の大事なところはここからなんですって。
ほら、仮にツチノコがトカゲ人間の幼体だとしたらどうです? ツチノコが成長してトカゲ人間になるとすると……腑に落ちることが多くないすか? トカゲ人間は小さい時だけ、ツチノコみたいなむっちりした姿なんすよ。ある程度成長したら手足が生えてきて、土の中に潜って、トカゲ人間が住む地底の王国の一員になる。地下は食べ物が少ないすからね、成長期には地上でたっぷり栄養を摂る必要があるんでしょう。そうなると、いわゆるツチノコの姿を見るチャンスはかなり限られてるから、なかなか目撃されないし捕まらない。どうすか? この説。割と説得力ありません?
……ええ? 俺自身がツチノコの成長した姿で、実はトカゲ人間だ、とか言いだすんじゃないかって? まっさかあ、そりゃ思考が飛躍しすぎってもんです。さすがにそこまでとち狂ってないすよ。俺のこの体見てそう思ったんでしょ? これは全部人工っすからねー、非常に残念ながら。
ただ、地下王国とトカゲ人間に憧れてるのは確かっす。
トカゲ人間になりたかったんです、俺。ほら、こういう風に外見を爬虫類っぽくしていったら、いつかトカゲ人間が見つけてくれて、地下王国から使者が来て、お前を地底に招待するって言ってくれんじゃないか、ってね。
えー? 俺は正気ですって。ツチノコがいると信じて全国を探し回った昔の若者と変わらないっすよー。
まあ……地下に行く方法の実験に付き合わせて、何人かダチを生き埋めにしたのはちょっとやり過ぎたかもなーって反省してますけど。だって俺の体で試してうっかり自分が死んだらヤじゃないすか。そういうの何て言うんでしたっけ。元も子もない? 本末転倒? とかでしたっけ。
うん、あれですよ。貴重な犠牲、ってやつ。
「……」
ツチノコの話題からここまで救いようのない話を聞かされるとは思わず、私は盛大に顔をしかめていた。若者は自らを正気と評したが、どこからどう見ても異常な妄想に取り憑かれているとしか思えない。以前にオカルト話を聞かせてきた二人には抱いたほのかな哀れみを、このへらへらと締まりなく笑う男に対しては微塵も感じることができなかった。
「あれ、看守さん? 待って下さいよ~」と取りすがる声を背中に聞きながら、私は囚人番号四二五の独房を後にした。
刑務所で騒動が起こったのは、それから二週間ほど経ってからのことだった。囚人たちが屋外で日課の全体体操をしていたとき、運動場の一角が前触れなく崩れ落ちたのだ。
私はその瞬間を直接見てはいないが、唐突に地面が崩落し、出現した直径三メートルほどの穴に、あの人体を過度に改造した若者が巻き込まれたという。
場は騒然とし、運ばれてきた強力な光量のライトで穴の底まで照らしたものの、囚人はなぜか見つからなかった。転落したという複数の証言があったにもかかわらず。
私も穴を覗かせてもらったが、そこには何もかもを吸いこまんばかりの黒洞々たる闇が、不気味に蟠っているばかりだった。
その後の調査により、穴の底には横穴が続いていたことが判明した。いま運動場になっている敷地は、戦前には監獄が建っており、当時の囚人が脱獄を目的として密かに穴を掘っていた名残であるかもしれないという。しかしながら横穴は土砂で完全に埋まっていて、巻きこまれた囚人の生存は見こめないばかりか、二次被害の可能性があるとしてそれ以上の調査は打ち切りになった。
所長の埋め戻せという指示を受けて平らに均された運動場を見る。地下王国に憧れを持つ若者が、偶然できた縦穴に落下する。そんな偶然があるのだろうか? 若者は待ち望んでいたとおり、ついにトカゲ人間からの招待を受け、地底へ旅立ったのではないか。そんな非論理的な考えをしてしまうのは、私が少なからず良くない影響を受けているからだろう。
あの若者がいなくなったこと以外、刑務所では変わりばえのない日々が続いている。だが、それは本当だろうか? 水晶髑髏、宇宙人、トカゲ人間。何か面妖で異常な事態が動き始めていて、私を取りこもうとしているのではないか。そんな気分がずっと頭の片隅に居座っている。
どこから入りこんだのか、刑務所の廊下にぽつんと落ちていたヘビの脱け殻を、私は誰にも言わず処分した。
彼がいた独房には、ツチノコとトカゲ人間を描いた紙の切れ端だけが残されていたという。
囚人番号四二五の痕跡は、それきりしかない。




