第5話_今日は、二人で勝負したい
モールの入口で待っていた北見は、俺を見つけると一歩だけ前へ出た。
白い薄手の上着に、紺色のキュロット。
講義で見る時より髪がすっきりまとまっていて、耳元に小さな丸い飾りが揺れていた。
「おはよう」
「もう一時だけど」
「そういうのはいいから」
言い返した割に、北見はすぐには歩き出さなかった。
俺の目が自分の服へ落ちたことを確かめるように、上着の裾をつまむ。
「……どう?」
「動きやすそう」
「うん。それは、そうなんだけど」
何かを待たれている。
俺も今朝、シャツを二枚並べてから片方を戻したので、なんとなく分かった。
「可愛いって言ってほしかった?」
「それ、聞かれた後だと言わせたことになるじゃん」
「違うのか」
「今は違う。今じゃない」
「分かった。いったん忘れる」
「忘れなくていい!」
思ったより大きな声が返ってきて、俺は近くの案内板を見た。北見もそっちを見る。
知らない店のセールの日付を、二人で少し眺めた。
北見は俺の背中側を指した。
「先、食べよ。お腹すいた」
言われた通り歩き出したら、横に並ぶまで少し時間がかかった。
*
軽食の店で、俺は焼いたパンのサンドイッチを選んだ。
北見はポテトの載った皿を自分側へ引き寄せ、席に着くなりあの盤面をスマホへ出す。
「まず、これ」
「まだ覚えてたか」
「教えるって言った」
「こっちの角。一枚、残ってるだろ」
俺が示すと、北見は指先で画面を拡大した。
少し黙ってから、赤い四角をずらす。
「これなら?」
「今度は上が空く」
「真壁くん、穴探すの上手すぎない?」
褒めている顔ではなかった。
俺は笑って、サンドイッチの包みを開けた。
それから、自分のスマホを裏返して机に置く。
「昨日、撮影とか聞いたの、変だっただろ」
北見の指が止まった。
「火曜にさ。告白されたんだけど、それが罰ゲームだった」
聞かれていない名前は出さなかった。
撮った返事を遊びのグループへ送られたこと、昨日、もう一緒に遊ばないと伝えたことだけ話した。
北見は一度、俺の伏せたスマホを見た。
「……腹立つね、それ」
「うん」
「真壁くんが気にしすぎ、とかは思わない」
指でつまんでいたポテトを皿へ戻して、彼女は俺を見る。
「今日、しんどかったら言って。帰ってもいいから」
「いや。今日は来たかった」
「そっか」
北見は、そこで初めてポテトを食べた。
塩の付いた指を紙で拭いてから、もう一度言う。
「じゃあ、私と遊ぼ」
俺はうなずいて、まだ温かいパンをひと口食べた。
北見も自分の昼飯へ戻った。
*
ミニゴルフの受付で借りたクラブは、思っていたより短かった。
人工芝のコースに、低い坂や曲がった壁が付いている。全部で九ホール。小さい子が一打ごとに家族を振り返っていた。
「私たちも、ああいう応援いる?」
「どっちを応援するんだよ」
「真壁くんが打つ時は、私が」
「自分の負けに近づくけど」
北見は少し考えた。
「じゃあ、とりあえず入ったら褒める」
「対戦相手を?」
「いいプレーは褒めるよ」
北見は自分の青いボールを置き、慎重に構えた。
坂のてっぺんに届く前に、ボールが戻ってくる。
「……いい戻り方」
「そこは褒めなくていい」
俺の赤いボールも、一打目は穴を通り過ぎた。
強く打てば入るわけではないらしい。
三つ目のホールで、北見は壁に当てて曲げる方法を覚えた。
俺が横で見ている間に、二打で入れる。
「見た?」
「見た。上手かった」
「ありがと。これ、結構好きかも」
得点用の紙へ、彼女が小さく二と書く。
俺は自分の番で、壁へ向けていたクラブを少し戻した。
無理に狙わなくてもいいかと思った。
さっき、楽しそうだったし。
手前へ弱く転がしたボールは、坂の途中で止まった。
「……今、狙わなかったよね」
北見が言った。
クラブの先を芝へ置いて、俺を見る。
「真壁くん、さっきは壁の当たり方まで見てたじゃん」
「まあ」
「私が二打だったから?」
俺が黙ると、北見は得点の紙を裏返した。
「それだと、私の二って何なの」
「いや、別に下手だと思ったとかじゃ」
「そうじゃなくて。勝ったら、自分が上手くやったから勝ったって思いたい」
受付の方から、ボールの転がる音がした。
俺は坂の途中に止まった赤い球を見る。
さっき盤面の穴を教えたら、北見は即座に別の置き方を考えた。
今だって、さっさと次へ行かずに、俺の返事を待っている。
「……悪い。次から、ちゃんと狙う」
「今のも、その続きからね」
「打ち直しなしか」
「当たり前でしょ。一打は一打」
許してはくれるが、打数は減らないらしい。
俺はクラブを構え直した。
坂の向こうへ越えるだけの強さで打つ。
球は穴の縁を半周して、それから落ちた。
「あ」
「入った」
「……入ったね」
北見の声が少し低い。
紙を表へ戻しながら、自分の二の隣へ、俺の二を書き足した。
「褒める約束じゃなかった?」
「……うまい」
「感情は?」
「悔しい」
正直だ。
俺もようやく、入って嬉しい方の気分になれた。
その後は本気でやった。
北見も俺の球筋を見て真似するので、一度うまくいった方法が、次には相手の点になっていた。
最後のホール、俺は壁へ当てた球を一打で入れた。
北見の球は縁に触れて止まる。
「風」
「室内だぞ」
「空調」
最後の一打を入れてから、北見は合計を二回計算した。
どちらも俺が一打少なかった。
「次は勝つ」
「もう次の話?」
「今日は仕組みが分かったから」
説明書のある場所では、必ず聞く言い分だ。
クラブを返した帰り、俺は北見と歩く速さを合わせた。
「その服、似合ってる」
「……今?」
北見が俺の顔を見る。
俺はうなずいた。
「うん。さっき言いそびれたけど、可愛いと思った」
彼女は上着の袖口を二度折り返した。
さっきまで得点の紙を細かく辿っていた指が、今は服の端で止まっている。
「……忘れるって言ったのに」
「無理だった」
上着も、髪も。会った時、もう見てしまっていた。
北見は唇を結んで俺を見た後、袖口を折るのをやめた。
「なら、いいけど」
北見が口元を緩めた。
視線は、さっきまでいたコースの方へ向いている。
「今日さ、江崎とかも呼べたんだけど」
「うん」
「呼ばなかった。二人で来たかったから」
俺は少し返事に迷った。
彼女が自分の袖を離す前に、口を開く。
「じゃあ、明日は俺の好きなとこで遊ばない?」
「明日も?」
「古いゲーム置いてる店。北見、多分好きだと思う」
北見が足を止めた。
次の一歩では、俺より少しだけ前へ出る。
「明日も、二人?」
「俺は、そのつもりで誘ってる」
空いていると分かっているのに、俺は日曜の予定を開いた。北見もスマホを出す。
俺の方は、まだ空欄の昼の予定をしばらく眺めていた。
「……何時?」
「一時から。四時半には出れば、夜の配信に間に合うだろ」
「うん。間に合う」
彼女はうなずくと、すぐに予定を打ち込み始めた。
俺も、日曜日の昼に北見の名前を入れた。
「今度は俺が案内する」
「ちゃんと勝負もしてね」
北見はそう言ってから、俺のシャツを一度見た。
「あと、服の感想は、聞く前に言って」
明日の服まで、もう選ぶ気らしい。
俺はうなずいて、今度は自分から彼女の隣へ並んだ。




