第22話_嬉しかった。だから、違った
イヤホンの中で、北見が俺の長考を数えていた。
『真壁くん、まだ考えてる? じゃあ、あと五秒だけ待ちます。五、四……やっぱり、もう少し待つ。決めたら教えてね。今度は売れる方だよ。大丈夫。最後の一手、ちゃんと見てるから』
最後に、本人が小さく笑った。
俺も笑った。
火曜の六時半。机へ広げていた講義の資料を脇へ寄せ、届いたファイルをもう一度押す。
二十秒。
日曜にからかわれたところが、そのまま入っていた。数える途中で待つのは、配信でも彼女がたまにやる言い方だ。
届いたのは、リノの告知用の画面ではない。
いつもの、北見柚乃とのやり取りだった。
『作ってみた。真壁くん用』
俺は再生を終え、返事を打った。
『これは嬉しい』
『売れない方も取っとけばよかった』
『取っておくとまた出すでしょ』
机の前で、一人で声を出してしまった。
確かに出すかもしれない。
北見から、もう一つ届く。
『一日に先に着いても、これなら一緒と同じかな』
俺の指が、返事の欄で止まった。
日曜の予定は、もう分けてある。
二時に反射ゲーム。四時四十分に北見と合流する。あの台で一緒に遊べないことは、土曜に二人で残念だと話した。
音声の最後のところへ、指を戻しかけた。
ちゃんと見てるから。
実際には俺がどこを押すか、彼女には見えない。失敗しても、今の笑い声は同じところに残る。
俺は文字を打った。
『音声は嬉しい。でも隣で北見が笑うのとは別だよ』
送ってから、スマホを机へ置いた。
資料の端が肘へ当たっていたので揃える。返事が来たのは、その途中だった。
『うん。あの台で一緒に遊べないのは、私も残念』
『だから、せめてこっちで元気出たらいいなと思って』
『何回でも呼べるし、四時四十分まで、寂しくないようにした』
分かっている。
彼女が来られる時刻も、俺が一人で先に遊ぶことも。
俺は『ありがとう』と打ちかけた。
それも、言いたかった。さっき本当に笑ったし、この二十秒を俺のために作ってくれたことは、分かる。
けれど、『寂しくないように』をもう一度読んだ。
隣にいないのを残念に思う方まで、早く終わらせなければいけない気がした。
『来るまでずっと落ち込んでるつもりじゃないけど』
送信の印が付いた。
それを見て、言い方が違うと思った。今、伝えたかったのはその続きなのに。
北見の返事を待つ間に、俺は次を打ってしまった。
『リスナー扱いされるために誘ったんじゃない』
送った途端、机に置いていた手が冷たくなった。
リスナー向けのものではない。
北見が、俺に送ってくれた。
そこを飛ばした言葉が、二つ並んだ吹き出しの下に残っていた。
しばらくして、返事が来た。
『リノも私なんだけど』
『あれは、私が真壁くんに送りたかったんだよ』
返事の欄に『そうじゃなくて』と打って、止まった。
音声のファイルは、画面の上にまだある。
最初に送った『これは嬉しい』も。
書きかけを消し、もう一度音声を押した。
五、四、と聞こえたところで、再生を止めた。
次には、俺のために待ってくれる声が続く。
イヤホンを外し、机へ置いた。
*
夕飯に呼ばれ、いったん部屋を出た。
何を話したかは、あまり覚えていない。食器を流しへ置いた後、母に頼まれた空き袋を畳むのを忘れ、もう一度台所へ戻った。
部屋の時計は七時半を回っていた。
北見との画面に、新しい文は増えていなかった。
こちらも何も送っていないのだから、待っている場合ではない。
『さっきの返事、ひどかった。ごめん』
ここまでは、すぐに打てた。
その後に『でも』と続けかけて、消した。
土曜、残念だと話せた時は、彼女も自分の皿へ戻って、少し黙ってくれた。
今日は、その静かなところまで急いで戻したくなって、逆に自分から遠ざけた。
嬉しかったのは、本当だ。
同じではないと言いたかったのも、本当だ。
それを、彼女が俺を軽く見ているという話へ変えたのは、俺だった。
『音声を作ってくれたのも、北見が声で楽しませるのが好きなのも、いらないみたいに言った』
『明日、会って謝りたい。四時、空いてる?』
送って、スマホを伏せた。
何度も画面を起こす代わりに、机の資料を鞄へ入れる。途中のページが抜けて、もう一度並べ直した。
通知の音がした。
『四時なら空いてる。同好会の前、外のベンチでいい?』
俺はうなずいてから、文字で返した。
『うん。そこに行く』
約束が決まった。
それだけで、さっきの言葉がなかったことにはならない。
北見から、少し遅れてもう一つ届いた。
『同じって言ったのは、違ったと思う』
『それも明日、話したい』
俺は読み、短く返した。
『分かった。ありがとう』
今夜は九時から、いつもの配信がある。
その前に長いやり取りを求めるのはやめて、明日の四時を予定へ入れた。
音声は消さなかった。
取り消したいのは、もらった方ではなかった。




