第19話_選びたい仕事がある
「私、これ、やってみたいんだ」
北見がスマホを机へ置いた。
金曜の五時。大学近くの喫茶店の奥の席で、彼女は注文を済ませた後、小さな声でそう言った。
「夜島マオさんとのコラボ。十一月二十二日に、できそう」
「本当に?」
「うん。向こうのチャンネルで、二人用の謎解き」
俺も活動名は知っていた。
ただ、北見の仕事相手としてその名前を聞くのは初めてだ。本人に会ったこともない。
彼女は画面をこちらへ押しつけず、自分で日付を見直してから、俺を見た。
「この前の配信、見てくれたんだって。道を間違えたところ」
「そこ?」
「うん。すぐ正解する方じゃなくて、その後の聞き直し方がよかったって」
北見が両手で持ったグラスには、まだほとんど口をつけていない。
声がいつもより少し速い。家で好きなコースを選んだ時と同じように、先に試したいことがいくつもあるらしかった。
「どんなやつ?」
「『灯台航路』っていうゲーム。別々の地図を見て、船を通すの」
「別々?」
「私が見えてるものが、相手には見えない。逆もある。だから、言い方を合わせていかないと進めなくて」
彼女の指が、コップの横で左右へ動く。
俺もついスマホへ目を向けたが、北見は画面を伏せた。
「今、問題を見せるわけじゃないよ」
「見れば分かるかなって」
「見えないから、喋る必要があるゲームなんだけど」
「最初から間違えたな」
北見が笑って、メニューの裏に挟まれた店のメモ用紙を一枚取った。
持っていたペンで、丸を三つ、離して描く。
「これ、私が今描いただけの図ね。ゲームの問題じゃなくて」
「うん」
「例えば、三つ目に行ってって言う」
「右?」
「真壁くん、どっちから数えた?」
「左から」
「私、上から言ってる」
俺が紙を覗こうとすると、彼女は手で半分隠した。
「だから、こっちは見ないで」
「丸三つも見せてもらえないのか」
「今、見たら、もう話すことなくなるでしょ」
俺は椅子の背へ体を戻した。
何があるのか聞かないと、三つというだけでは、並び方も分からない。
「じゃあ、まず一番上に丸があるのか?」
「うん。左下にもある」
「あと一つは」
「右下。じゃ、左から数えたら?」
俺が言いかけると、北見も同時に口を開いた。
二人で止まる。少し間を置いて、彼女が紙の向きを変えずに俺を見る。
「今の、順番も決めないと駄目だね」
「俺、分かったつもりで答えるとこだった」
「私も、説明したつもりだった」
北見が隠していた紙を出した。
三つの丸が、少し歪んだ三角形になっている。俺が想像していたものと、端の一つだけ位置が違った。
「実際のゲームだと、もっと違うんだろ」
「そう。だから、面白そうなんだよね」
彼女は描いた丸へ線を足しかけ、やめた。
その先まで新しい問題を作ると、飲み物を頼んだことを忘れそうだった。
俺がグラスを指すと、北見はようやく一口飲んだ。
「本番、俺も観たい」
「うん。観てほしい」
「説明が分かったら、ちょっと得意になるかも」
「本番は、真壁くんも知らない問題だからね」
「分かってるって」
机の上で、彼女が笑った。
私生活の話をしている時より遠いとは思わなかった。俺にとっても好きだったリノの仕事が、本人の楽しみにしている言葉で聞ける。
*
「その前に、動作確認とか、あるんだよな」
飲み物が半分ほど減ってから聞くと、北見はうなずいた。
「うん。接続とか、声の聞こえ方とか。別のテスト用のところで試す」
「いつ?」
「候補は来週末。時間、明日には決まるって」
「……一日も、入ってる?」
「入ってる。だから、決まったらすぐ話したい」
俺は、昨日入れた二時の予定を思い出した。
あの台は四時まで。その数字まで一緒に浮かぶ。
北見も、手元へ目を落とした。
「昨日の約束、忘れてないよ」
「うん」
「でも、仕事も、やりたいと思ってる」
言いにくそうではあったが、断れないからとは言わなかった。
俺はグラスを置き、彼女がさっき描いた紙を見た。丸の位置を伝えようとして、二人で同時に喋ってしまったところを思い出す。
「面白そうだった。今の話」
「……うん」
「だから、日程が分かったら聞かせて。俺も、何時なら会えるか考える」
北見はスマホを取り、画面を開いた。
通知はまだ来ていないらしく、すぐに閉じる。
「ありがとう。明日、会って話せる?」
「昼なら」
「一時、ここでもいい?」
「うん」
俺は予定を入れた。
嬉しそうな声をもっと聞きたいと思った。それと同時に、昨日決めた二時間がなくならないでほしいとも思った。
六時前に店を出ると、北見は自分から駅へ足を向けた。今夜九時からは、いつもの配信がある。
彼女が帰ってからやることを短く数える横で、俺も明日の午後を空けた。
十一月一日の欄は、まだ変えなかった。




