第17話_お客様には、言わないおすすめ
「真壁くんが、休みの日に行きたいとこは?」
文庫の棚を案内した直後、北見に聞かれた。
火曜の四時半。レジから戻ると、彼女が旅行の本の並ぶ方へ顔を向けていた。
「店のおすすめじゃなくて?」
「うん。真壁くんの」
答えかけたところで、入口側から本を探している客に声をかけられた。
北見はすぐ半歩下がり、手にしていた本を棚へ戻す。
「そっち、先にどうぞ」
「悪い。少し見てて」
「大丈夫。まだ選んでないから」
俺は注文用の端末へ向かった。
取り寄せできる日を調べ、客の希望を聞く。伝票を作って戻ると、北見はさっきと違う棚の前にいた。ページを開き、どこかの写真をじっくり見ている。
俺が働いている間も、自分で面白そうなものを見つけて待てる人だった。
時計を見る。まだ交代の時間には少し早かった。
「もうちょっとで、十分だけ休憩」
「うん。急がなくていいよ」
彼女は手元の本の表紙を見せた。
俺が行きたいと思っている港とは、海も山も違っていた。
*
五時前に同僚へ確認し、先に短い休憩をもらった。
北見のいた棚から港のガイドを一冊取り、通路の端の閲覧台へ置く。
「ここ。一回、行ってみたい」
「船?」
「うん。大きいのじゃなくて、港をぐるっと回るやつ」
写真には、低い屋根の船と、岸沿いの歩道が写っていた。
前に棚を整えた時は、船に乗るまでの道を確かめた。今日は、岸沿いの歩道へ先に目が行く。北見と並んで、店を覗きながら乗り場へ向かうところが浮かんだ。
北見は隣のページに載った地図を見た。
駅、乗り場、桟橋。その順に、紙の上へ触れないくらいの高さで指を動かす。
「駅からなら、こっちが近いね」
「俺は反対から回りたい」
「それ、離れるよ」
「こっちにパン屋がある」
「またパン」
「店の名前だけでも、ちょっと気になるだろ」
北見が写真の小さな文字を読み、口元を緩めた。
そのまま次のページをめくると、路地の奥の店も載っている。
「これも行くの?」
「開いてたら」
「それだと、船に乗る前にお昼にならない?」
「昼の船でもいいし」
普段の配信なら、彼女は目的地と途中の分かれ道を、先に整理して話す。
今も同じように道をまとめようとしていたのに、俺が横道を指すたびに、地図へ戻る回数が増えていった。
「ここから入って、戻って、こっち?」
「戻らなくても、この道でつながってる」
「そこ、さらに遠回りだよ」
「知らないところ歩きたいんだよ」
「……案内しがいがない人だなあ」
北見が笑った。
でも、閉じようとしたページを止め、港の向こう側の写真へ指を移す。
「ここは?」
「見てなかった。階段?」
「上まで行けるなら、海、もっと見えそう」
「そっちも行ってみたい」
今度は俺が地図へ戻る番だった。
北見は一つ先のページを押さえ、最短の道を探すのをやめた。
「真壁くん、船、乗れるかな」
「そこは残してくれよ」
「うん。そこは、ね」
俺は笑って、閲覧台の端へ置いたスマホを見た。
もう休憩の終わる時間だった。
「悪い。戻る」
「ありがと。これ、見てていい?」
「もちろん。別の本でも」
「これがいい」
北見がガイドを自分の方へ引き寄せた。
俺は名札を直し、レジの向こうへ戻った。
*
次に彼女が来たのは、その本を買う時だった。
手には小さな付箋の束も持っている。会計を終え、袋に入れて渡すと、彼女は出口横の台へいったん寄った。
買ったばかりのガイドを出し、さっき見た階段のページへ付箋を挟む。
紙の色を一つ選ぶだけなのに、考えている顔があまりに真剣で、袋を整えていた俺までそちらを見た。
「……何?」
「最短経路に戻してるのかと」
「違う。私も行きたいところ、探すの」
「ああ、うん」
彼女の指の先で、付箋の端だけが表紙から少し出ていた。
まだ歩いたこともない道に、北見の行きたい場所の印が付いた。
「見つかったら、一緒に行こう」
「うん。もう少し読んでからね」
「できれば、船に乗れる方で」
「そこは忘れないって」
北見は本を袋へ戻し、鞄の内側へ丁寧に収めた。
五時二十分。そろそろ帰るね、と声を落とす。俺も短くうなずいた。
「また大学で」
「うん。仕事、頑張ってね」
彼女が出ていくと、入口のベルが鳴った。
俺はレジ横へ溜まった袋を補充し、次の客の本を受け取る。視線を上げた時には、ガラスの向こうに北見の姿はなかった。
休憩の十分は短かった。
けれど、彼女の買った本には、俺が話していないページにも付箋が増えていくのだろう。それを次に見せてもらうことを考えると、今度は本を選んでもらう側になるのが楽しみだった。




