第16話_それ、俺と会う日に着て
「どっちがいい?」
北見が、ハンガーを一つずつ持ち上げた。
薄いグレーと、くすんだ青。形は似ているが、青い方は袖口が少し広い。
「俺と会う日に着るなら、青」
「……そういう条件、付ける?」
「別の日の服を俺が決めてもな」
「参考に聞いてるだけかもしれないじゃん」
「じゃ、参考に。そっち着てる北見と歩きたい」
彼女の手から、グレーの方が少し下がった。
俺も言ってから棚の横へ目を逃がす。あの青を着て、次に俺を見つける顔まで、一緒に想像してしまった。
日曜の一時半過ぎ。
駅前の商業施設で、北見は一着を腕へ掛け直した。値札を裏返し、もう一度表へ戻す。
「理由は?」
「さっき当てた時、顔のところが明るく見えた。あと、その袖、手を動かすと変わるのがいい」
「手を動かすと?」
「説明してる時、結構使うだろ」
彼女がハンガーを持った手を止めた。
「……画面に出てないとこも、そんな見てるの」
「目の前なら見えるよ」
北見は俺を見た。
今度は値札を触らずに、試着室の方を指す。
「じゃ、着てみる。ちゃんと待ってて」
「帰らないって」
彼女を見送ると、俺は通路の端へ寄った。
今、服のことだけ言っていたつもりなのに、会う日の話になると急に言葉を選ぶ。
*
カーテンが開いて、北見が半歩外へ出た。
青い服の袖口へ指を通し、鏡の前で片腕を曲げてみる。さっきより、自分の服になっている感じがした。
「どう?」
「うん。そっち、いい」
「感想、急に短い」
「さっき先に言ったから」
「着た後のも、聞きたいんだけど」
俺はもう一度見た。
北見は視線を鏡へ向けたまま、返事を待っていた。
「可愛い。次のデートで見たい」
「……うん」
彼女は袖を折るのをやめた。
それから、鏡越しに俺の上着へ目を移す。
「じゃあ、真壁くんも」
「俺は今日、買うつもりじゃ」
「予定がないなら、一着だけでも」
北見が指した棚には、襟のしっかりしたジャケットが並んでいた。
値段を見てから腕を通す。俺のいつもの服の上へ着ると、急に肩のあたりだけきちんとした。
鏡の横で北見が顎へ指を添えた。
「……上、すごく合ってる」
「下は?」
「今の靴だと、急に走ってきた人みたい」
「来る途中で予定が変わったんだろうな」
俺の靴は、歩きやすさで選んだスニーカーだった。
鏡の中に並ぶと、北見は新しい服で余裕があり、俺だけ借りてきた上半身に見える。
「私、待ち合わせの場所、間違えたみたい」
「一緒に選んだ顔はしてくれよ」
「してるよ。じゃ、こっち」
今度は柔らかい生地の上着を渡された。
肩の力を抜いたら、ようやく自分の首が戻ってきた感じがする。
「これなら、歩けそう」
「最初のでも歩けるけどな」
「じゃあ、どっちで私と歩く?」
「こっち」
答えると、北見は満足そうにうなずいた。
俺がさっきした聞き方を、そのまま使われた。
鏡の中で、青い服の彼女と、落ち着いた色の上着を着た俺が並んだ。
スマホを出そうとは思わなかった。このまま外へ行くなら、と考える方が先だった。
「これ、買う」
「いいの? 急に」
「急だけど、着る用事はあるし」
北見も鏡の中を見た。
それから、俺の方を直接見て笑う。
「うん。あるね」
*
会計は、それぞれ自分の服を持って並んだ。
北見が支払っている間、俺は買った服の袋を持ち、通路のベンチで待つ。いつもの上着に戻ったはずなのに、さっきより袖が気になった。
北見が持って戻ってくる紙袋には、あの青い服が入っている。
次にいつ会うか考えた時、ゲームの箱より先に、あの袖口が浮かんだ。
ああ、そういうことか。
週末の予定を空けたいのも、家で笑った声を何度も思い出すのも、別々の理由ではない。
北見が好きなんだと思った。
北見が戻ってきて、俺の袋を覗いた。
「やっぱり、そっちにしたんだ」
「うん。北見と出かける日に着る」
「……じゃあ、私も、その日にする」
彼女は紙袋の口を軽く押さえた。
それだけで、次に会う日がまた特別になるのは、少しずるい。
休憩してから、別の階の小物も見た。
四時半前に駅へ戻る頃には、北見の袋から、丸い柄の靴下の包みも見えていた。青い服とは関係がなさそうだったので、あえて聞かずにおいた。
「今日の、すぐ着ないの?」
「次、真壁くんと出かける時まで取っとく」
「大学で会ったら?」
「そういう揚げ足、取らなくていいから」
彼女は笑って、袋を持ち替えた。
今夜は七時半から配信だ。いつもどおりの時間に帰るのに、今日は改札へ入る前の方が落ち着かなかった。
「俺も、それまで置いとく」
「約束ね」
俺はうなずいた。
彼女の袖口に見とれたことも、その日までに、もう少しちゃんと言葉にしておきたかった。




