第11話_今日はデートのつもりです
「今日は、デートのつもりで来たから」
改札の外で、北見は挨拶の次にそう言った。
一時まで、あと三分。俺は手に持っていたスマホをしまい、彼女へ向き直る。
「俺も、そのつもりで誘った」
「……そっか」
「うん」
北見は小さくうなずき、俺が隣へ来るまで待った。
「じゃあ、行こう」
「うん」
二人で改札を通った。
電車では、北見の薄い緑のスカートが空いた席の端で揺れていた。俺は向かいの窓に映る自分の襟を一度見て、襟元へ伸ばした手を戻す。
「何?」
「いや。服、変じゃないよな」
「さっきから見てたよ。似合ってる」
「先に言えって言う気持ち、ちょっと分かった」
北見は笑ったが、俺が彼女の服の感想を返すと、今度は聞き逃さないように少し顔を寄せた。
*
水族館へ着いたのは、一時半を少し回ってからだった。
入場券は北見が二人分をまとめて買った。自分の分の代金を渡し、館内図を開いていると、券まで二枚とも渡された。
「これ、北見のも」
「あ、そっちは私の」
「二枚出したら、俺だけ二回入るぞ」
「一回でいいよ。一緒に入って」
彼女は自分の券を取り、読み取り機へ先に進んだ。俺も一回だけ通って後に続く。
ペンギンの餌の時間まで十五分あった。
水槽の前の低い柵へ行くと、黒い背中がいくつも陸と水の間を往復している。一羽だけ、餌の出てくる扉の前でほとんど動かなかった。
「あいつ、分かってるな」
「何が?」
「最初に来る場所。無駄に泳がないで、そこで待つんだろ」
「真壁くん、あの子を応援するの?」
「効率がいいやつは嫌いじゃない」
北見は扉の前を見てから、端にいる小柄な一羽を指した。
「私は、あっち」
「遠くないか?」
「さっきから水の方見てる。泳ぐとこ見たい」
係の人がバケツを持って出てきた。
扉の前の一羽は真っ先に歩き出し、係の人の横を通って、別の岩へ上がった。餌はまだもらっていない。
「あれ」
「場所、譲ったね」
「余裕があるんだろ」
魚が投げられた途端、水槽の端から白い腹がひるがえった。北見の指していた一羽が、水の中で向きを変えて追いつく。
「速い」
「うん。そっちは、まだ岩の上」
「分かってる。見えてる」
北見が俺を見る。こちらの予想が外れると、ペンギンを見ていた時より楽しそうだった。
「今の判断は?」
「……陸では有利だった」
「陸でも魚もらってないよ」
俺は柵に置いた手へ額を寄せかけた。彼女が声を出して笑ったので、そのまま水槽へ視線を戻す。
北見の一羽は、もうどこへ泳いでいったか分からなかった。
*
クラゲの展示室では、青い照明の前で北見が立ち止まった。
丸い傘がゆっくり縮み、透けた縁にだけ光が溜まっている。画面の写真で見た時より、奥行きがあった。
「こっち、もう少ししたら色が変わるんだって」
「さっきの白いのと同じ種類?」
「そう。照明が違うだけで、縁のとこが――」
北見はガラスに近づきすぎないところで指を止め、説明の札を見た。
聞きやすい声だと思った。配信で道順を整理している時も、何が違うかを先に一つ挙げてくれる。
俺は、右の小さなクラゲを指した。
「あっちも同じ?」
「……あれは別。待って、私も今読んだとこ」
彼女が札を覗き込む。俺も隣から読むと、思っていたより短い名前が書いてあった。
「見た目の割に名前、普通だな」
「名前にまで注文つける?」
「もう少し、宇宙の何かっぽいのかと」
「勝手にこっちの仲間にしないでよ」
周囲の話し声に紛れるくらいの声で返された。俺が笑うと、北見も札から目を上げた。
「普段も、こういうの、先に調べる?」
「全部は無理。分からないところは聞いたり、止まって読んだりする」
「じゃ、俺も今ここで質問していいわけだ」
「いいけど、私も知りたいのあるからね」
彼女は、傘を縮めてもあまり進まない一匹を指した。
「何でずっと、あそこにいるんだろ」
「俺に?」
「一緒に見てるじゃん」
二人でしばらく待った。
流れに押されてようやく一匹が場所を変えた時、北見が小さく「あ」と言う。その声に俺も同じ方を見た。
解説の続きを聞いていたつもりが、いつの間にか、動いた一匹を二人で追っていた。
照明が紫へ移り、北見の頬にも薄く色が乗った。俺がそっちを見ていると、彼女はガラス越しに気づいたらしい。
「今、クラゲ見てないでしょ」
「ちょっとだけ」
「……ちゃんと、こっちも見て」
彼女は水槽の方を指したが、目は俺の方へ向いていた。
その後、見落とした小さな水槽へ戻り、喫茶店では何を飲むかだけ迷って、結局もう一つ展示を見た。
出口の案内が現れる頃には、四時が近かった。
「結構、いたな」
俺が言うと、北見は腕時計を見た。
すぐに袖を戻して、出口とは反対にある館内図へ目を向ける。
まだ何か見たいのかと聞こうとして、やめた。
北見は図を見ていなかった。俺が次に何を言うか、待っていた。




