第6話 死ねない理由
生きる理由なんてない、けど人は死んではいけない。矛盾した問いにようやく答えを出せた。ならば一歩踏み出そう。
すでに太陽が星を隠し、朝日が差し込んでいた。はやる心臓を押さえ私は水色のスウェットに袖を通す。いつものジャージを捨て、変わることへの決意として。
眼帯も忘れずに装着して、準備は万端。時計の針は六時を指していた。ドアノブに手をかける。
(よし、まだ大丈夫だ)
指先に力を込める。力の入れすぎで手が震えているのか、もしくは緊張か。きっと両方だ。手首を回すと途端に世界が広がる。
安心安全、無味無臭、静謐安寧の世界から一転した混沌とした世界。嫌な記憶、人間の醜さに震える。
だけれども、それだけじゃない。外の世界にはあの星空のような美しさがあると知っているから。気絶しそうな意識を保ち、足をふんばる。境界を超える、超えるんだ!
踏み出した一歩は想像していたよりも辛くて、だけど過ぎ去ってみればあっという間で、私は世界を飛び出した。
木材がきしみ音を立てる廊下を歩く。まだ現実味がない。一歩一歩ふらつきながら、私は階段を降りる。そして一階に入ってすぐ、右の部屋に入る。
我が家で一番大きな部屋。大きなテレビに緑色の観葉植物、やかんの置かれたキッチン。どれもが懐かしい。
ドタンバタン、となにかが倒れる音がした。早朝とは思えない騒音をかき鳴らして、その人はやってきた。
「……水那っ!」
「……おはよう」
泣いていた。泣かせてしまった。罪悪感が胸に浸る前に私の体は包まれた。
「もう大丈夫なの……?」
「うん、心配かけてごめんね」
見つけ出した答え、一晩中悩みに悩んで導き出した答えが正しいことを確信する。それはきっと……。
「ささ、ご飯食べましょう!」
袖をまくり上げてキッチンに駆け込もうとする母親はとても浮き足だっていて、嬉しそう。だからこんなこと言うのは憚られるけれども、
「ごめん、今から火凜に会いにいくよ」
「そ、そう」
見るからに落胆して肩を落とした母親につい一言「だから、また明日ね」と告げる。
そう、これからは毎日あるんだ。もう自分の世界に引きこもらない。
「うん。明日から一緒に食べましょ」
真っ白な光が視界を染め上げる。あまりの眩しさに思わず目を瞑ってしまう。全身を突き抜ける風と揺れる草花の音。
ゆっくりと薄目を開ければ、世界の半分を占める蒼穹。そしてがっしりとした地面の感触。
ふわふわと空を飛ぶように制御不能となった体に私は酔いしれる。
(世界はこんなに綺麗だったんだ)
きっとゲームの中では味わえない。現実みたいなグラフィックを持っていても、どんなに性能が高くなっても決して現実の美しさには敵わない。
(ずっと恐れていたはずなんだけどな……)
自分の変わり具合に笑えてしまいそうだ。私は数秒景色を堪能した後、隣の家の敷地を跨いだ。
チャイムを押すと「……はぁい」と眠そうな声が。起こしてしまったのだろうか、だとしたら悪いことをしたな。
けど、伝えたいんだ。私があなたによって辿り着いた答えに。茶色の扉がガチャリと音をあげて開く。火凜の双眸が私を捉える。
一瞬その顔は驚きを見せる。そして、段々と表情は緩まり、口角が上がった。
「ようやく気づいたんだね。聞かせてもらおうかな。水那の出した答えを」
さあさあ、と中に案内される。一軒屋の一室――火凜の自室と思わしき部屋に案内される。壁にはギター、机にはパソコン、部屋の隅には本が積まれていて火凜の趣味が詰め込まれている。
部屋の中央に腰掛けた私たちは視線を交わす。もう余分な話題は必要なかった。大きく息を吐き、私は答えを述べる。
「人が死んではいけなくて、生きている理由……それは人は生きているだけで素晴らしいから。誰かを幸せにしているから。生きる理由が自分の中になくても、私を愛してくれる誰かがいるから生きなければいけないんだ」
母親が笑顔になったわけ、火凜が私を助けてくれる理由。そんなもの私のことが好きだからに決まっている。
私が外に出ただけで喜んでくれる人がいる。
私の料理が食べたいと言ってくれる人がいる。
誰かに必要とされているから生きていなければいけないんだ。
その人たちを悲しませないためにも死んではいけない。
それが私の生きている理由。死ねない理由だ。
「死ねない理由が『愛』なんて言ったら馬鹿にされそうだけど……結局それ以上はないよね」
「今、水那が見える世界はどんなかんじ?」
「とても汚くて、残酷……だけど、綺麗だよ」
「ふふ、水那の世界を変えられたみたいで良かった」
そう言った火凜の目尻はうっすらと濡れていた。この親友にはずいぶんと心配をかけていたことを自覚する。
あっ、と不意に火凜が大声をあげた。
「突然大きな声だして……なに?」
「告白の返事聞かせてよ⁉」
……二の次と言ったら失礼だがもっと大事なことを見つけた気がしてすっかり頭から抜け落ちていた。だけど、
「ま、まだダメ」
「振られたああああ!」
今の私はまだダメダメだから。あなたの隣を胸を張って歩けない。高校も辞めてしまっているし、料理すら満足にできないもの。
だけど、いつか私が自分の足で、今みたいにふらつくことなく地に足を付けて歩けるようになったら……その時は……。
とある街中、火凜と私でカレーを作っている未来――そんな未来もあるのかな。




