エピローグ
とある街の片隅、メイン通りを外れ住宅街の端っこに佇むレンガ調の一軒家。周囲は田んぼに囲まれ、人通りは多くない。
しかし、平日の夕暮れにも関わらず一軒家――喫茶店だろうか、その店にはぽつぽつと客足が続いていた。
「……よし、誰もいない」
一人の女性が入り口を開き、周囲をうかがう。小柄な体に水色のエプロンをまとい、艶のある黒髪が綺麗な女性だ。特筆すべきは顔の半分を覆う眼帯だろうか。
女性は店前の植木鉢の裏をゴソゴソと探り、自身の体ほどはあろう立て看板を持ち上げる。その様子を見ていた中年のサラリーマンが声を上げた。
「あれえ、もしかして今日終わり?」
「ええ、今日は午前営業なんです」
ごめんなさい、と勢いよく頭を下げて女性は店の中に引っ込んだ。どうやら人付き合いは苦手なようだ。
「いらっしゃいませー、って水那か。お客さんきちゃった?」
「看板出したら帰ったよ。今いるお客さんで最後」
「よしっ、あと少し頑張ろー!」
眼帯の女性は厨房にいたもう一人の店員――元気の良い女性と入れ替わるように厨房に入った。
「五番テーブルにアメリカンとカレーライス。八番テーブルは単品のカレーライス」
紙の注文用紙が厨房に投げ込まれる。喫茶店にも関わらずこの店の人気メニューはカレーらしく、店内の張り紙にもカレーを前面に押し出してPRしている。
眼帯の女性――水那は慣れた様子でカレーをよそうと、店内の様子をそっとうかがう。
(相変わらずカレーばっかだなぁ……嬉しいんだけど、他のメニューも出ないと悲しい……)
願いかなわず最後の注文もカレーであった。他のメニューの売り出しが課題、と心にメモる。
(火凜の言うとおり、あと少しがんばろう)
「いやー、今日もお客さん多かったね!」
明るい店員こと、諸星火凜はお客さんが完全に消えた店内を見渡し満足そうに腕を伸ばした。
「うん。SNSでの宣伝・アプリの登録、このお店が軌道に乗ったのも火凜のおかげ」
「いやー、それほどでも……あるかな! わはは」
火凜は昔と変わらない笑顔を見せつつエプロンを脱いだ。私も同様にエプロンを脱ぐ。
「でも私だけの力じゃないよ。水那が専門学校行って料理を勉強したから美味しいカレーをお客さんに出せるわけだし」
「それは……そうだね。私もが、がんばった」
私と火凜が喫茶店を経営し始めて数年が経った。
やはり最初はお客さんが一切来ず……なんてことはなく、初日から行列ができていた。あの列を見たときは人の量に目眩がしたものだ。私が八畳ワンルームを飛び出したあの日からの出来事について少し話そう。
私は高卒認定試験を火凜の力を借りてなんとか合格し、料理の専門学校に入学することができた。
入学後は以前ほど人間関係に苦しめられることなく、その面においては意外となんとかなった気がする。まあ授業は大変だったんだけど……。
当然火凜も大学に通っていたのだが……いつの間にやら会社を立ち上げていて学生企業家として有名になっていた。
詳細については正直私もよく分からない。たまたま本屋さんで立ち読みした雑誌に火凜が載っていなければ永遠に知ることはなかっただろう。
卒業間際、進路に悩んでいたら火凜に「一緒に喫茶店開こうよ!」と誘われ、最初は相手にしていなかったけど、かなり強引な勧誘もあって今にいたる。
その時見せられた口座残高から考えるに火凜は喫茶店の開業資金を貯めるために働いていたようだ。ああ、そうそう。開業資金が全額火凜持ちのため今の私たちは店主と店員という関係だ。
「どうせ将来は一緒の口座になるんだし、共同経営にしよ♪」
という恐ろしい一言もあったが当然拒否した。
「今日はお義母さんとご飯行くんだよね」
「うん、美味しいパスタ屋さんが近くにできたんだって。それと……まだお義母さんじゃないでしょ」
実家の近くに営業していることもあって私は頻繁に母親と顔を合わせている。美味しいパスタ屋さん――新メニューの参考にしようかな。
「まだ!? ってことは将来的にはそうなるってことだよね!」
「っつ、そ、そういうことじゃない! 抱きついてこないで」
一回りは大きい火凜の腕の中に私はすっぽりと収まってしまう。頭の上にちょうど柔らかいものが乗っかる。
以前に比べてどんどん火凜からの圧力が強まってきているような……。別に嫌な気分にならないのがなんか悔しい。
でも、口ではこんなこと言いながらも私と火凜はずっと一緒なんだろう。それは予想というより確信だ。
「いつ結婚式挙げようかなー! やっぱり六月がいいよね!」
「ま、まだダメ……」
こんな暮らしがあるなら、一緒に同じ時を楽しめる人がいるなら、私を好きでいてくれる人がいるなら、死ぬのなんてもったいないよね。
もし仮に、自分なんか誰にも望まれていない、自分を愛してくれる人なんて誰もいない、そんなこと思っちゃうひねくれ者の君に告げるよ。
私がいるよと。
あなたと同じように人生に、社会に絶望していた人間だから、世界が汚いと思える正常なあなたが死んでしまったら悲しいんだ。
一緒に生きて欲しい。
出会うことはないかもしれなけれど、同じ星空の下で胸を張って世界と戦うあなたには生きてほしい。
死なないでほしい。
一つだけ、声を大にして宣言しよう。
人は生きているだけで素晴らしい。それだけで誰かにとって価値あることなのだ、と。




