第2話 幼馴染がみる世界
雨音が窓を叩く。久しぶりの豪雨で気分がいい。
雨の日は8畳しかない私の世界において唯一自然を感じられる特別な日。いつも通りベッドの上で、火凛曰く死んでいるように私は時間の波に身を委ねていた。
侵入者が来ない午前中は大抵、いや毎日こうして過ごしている。真っ白な天井を見つめていると、誰かが扉を叩いた。
時計を見る。針が12を指していることを確認。ベッドを抜け出す。自分の世界に閉じこもるようになって一年。体に染みついた動きで自分で改めて意識する変な気分だ。
ドアノブに手をかけると木製の白い扉は歪んだ音を立てて世界を広げた。それと同時に強烈な不快感が私を襲う。扉は私にとって部屋と恐ろしい世界の境界線。
時間の止まった自室から見る外の世界はひどく騒がしく汚らしい。立っているだけで軽く眩暈がした。
外の世界の住人――母親と目が合った。きつい目つきが私を捉えている。
一応言っておくと彼女は怒っているわけではない。生まれつきの目つき、迫力がある顔と表現するのが正しいのだろう。ただ私と同じで感情が顔にでない。そのため常に怒ったような顔をしている。
「今日のご飯ね。焼きそばとサラダ、それと……」
「ゼリーだけでいい」
お盆に載ったゼリー飲料だけを受け取る。決して境界の外には出ないように手だけを伸ばして。
「だめ、それだけだと栄養が偏っちゃうわよ。しっかり食べないと健康によくないわ」
「別にいつ死んでもかまわないよ。生きる理由もないし、長く生きるつもりないから」
母親の顔が歪んだ。なんでそんな顔をするんだろう?
生きる理由なんて人それぞれ、私にはその答えがないというだけだ。
部屋で死にかけた私を見つけた、あの日以来、母は必ず私の顔を見てご飯を渡すようになった。以前は扉の前にご飯を置いておいてくれたのに。
正直食事なんていらない。餓死でも構わない。だが母は無理やり食料を渡してくる。受け取らないとまるでナイフで体をメッタ刺しにされたように苦痛で顔を歪ませる。
ご飯を作るのだって大変だろう。負担になっているのだから、私が死ぬのを止める理由が分からない。いや、そもそも私の人生の終わりは自分で決めるべきなのではないか。
しかし、頑なに母親は食事を運ぶことをやめてくれない。食べなければ酷く悲しそうな顔をする。食べないという選択肢を消すような悲痛な表情。
つまり私は餓死することが禁じられた。私にとっては苦痛。もはやこの8畳より外に出ることを考えられない私にとって生きることと死ぬことに違いはない。
「お母さん料理教室にも通い出して前よりもっと美味しくなったの。食べてみない?」
「……うん」
痛々しい笑顔。母親ですら傷つけることしかできない自分がどれだけダメ人間か実感させられる。
やはり私は死ぬべき人間なんかもしれない。世界にも馴染めず、自らが嫌う人を傷つける人間に落ちぶれてしまっている現状を鑑みるとそう思えた。
「どうしたの?」
突然考え込む私の瞳を母が覗き込んだ。
「……なんでもない。ご飯ありがとう」
少しだけ母の表情が柔和になる。急いで扉を閉めて黒色のちゃぶ台にお盆を置いた。
このちゃぶ台はつい先日火凜が持ってきたものだ。いわく「机がないとお菓子も食べにくいし、ゲームもしづらい」とのことらしい。
私が引きこもりだしたのが一年前。火凜がこの8畳の部屋に通い出したのは半年くらい前だっただろうか。週一だったのが週二日に変わり、いつしか週三日に。そして最近では毎日来るようになった。
私が死んだらここは私の部屋ではなく火凜の部屋になっているのかもしれない。それは不思議と素晴らしいことのように思えた。
ご飯を食べ終え、ふと目についたゲーム機に触れてみた。人工的に作られたなめらかな手触りがなんとも気持ち悪い。
ベッドに腰掛け雨音に耳をすます。数時間経ったころ、いつものようにノック音が聞こえた。もちろん私が返事をする間もなく扉は開かれる。
制服のまま訪れた侵入者、いやこの部屋の未来の住人はちゃぶ台の前に座った。そしてゲーム機を私に向けて満面の笑みで告げるのだ。
「ゲームしよ!」
「いいけど……また?」
もうレースゲームには飽きてきた。というより始めから楽しくなかった。当たり前だ。
生来私は競争が嫌いなのだ。一番になりたいと思うことがないのだからゲームの根幹と私の性格はミスマッチしている。
「そう言うと思って新しいゲームを持ってきたのだ!」
えっへんと胸を張った。私の世界にいるときの火凜は小学生のような振る舞いをしているが、外ではいったいどんな顔をしているのだろうか。
「競争とか好きじゃないから、もうゲームは……」
「今回のゲームは一人で国を救うRPGだから心配しなくていいよ」
「RPG?」
「レベルを上げてキャラをどんどん強くして敵を倒すゲーム?かな。まあやってみればわかる、わかる」
火凜はテレビの電源を点けるとゲーム機にカセットをいれた。
壮大なオーケストラとともにタイトルがでかでかと画面に現われる。私でも聞いたことのあるようなBGMだ。このゲームの曲だったんだ。
「これ一人用のゲームなんじゃない?」
「そうだよ」
「だったら一人でやったほうが楽しいんじゃない?」
「一人でもできるってだけ。かわりばんこに遊んだら二人でもプレイできるし遊び方は人それぞれだよ」
そういうものなのだろうか。ゲームについては詳しくないから分からない。というか私が火凜よりも詳しいことなんてない。
「絶対水那はこのゲームはまると思うよ」
自信満々な火凜を尻目にいざプレイしてみる。あらすじとしては故郷を魔物に滅ぼされた主人公が魔王を倒す旅に出かけるという話のようだ。
実際レースゲームよりは面白かった。魔王は一貫して悪い奴で主人公は善人。ゲーム内の人間はみんな優しくて、競争もない。
「水那、そこは魔法を使って!」
「その敵は物理しか効かないから剣で殴って!」
火凜のアドバイスに従っているとレベルもどんどん上がってすぐに最初のボスを倒せた。
「今日はここまでにしよう…………うん、やっぱり次のボスまでやろっか」
火凜はホーム画面まで戻ったにも関わらず再びゲームをを起動した。そして私のほっぺに人差し指を埋め込んだ。
「私の顔になにかついてる?」
頬に手をやって顔をこする。包帯が顔の半分を覆っているがこれはいつものことだ。
「水那の笑ってる顔久しぶりに見たからね。もう少しやろうかなって」
私が笑っていた……それは大事件かもしれない。自分でも最後に笑ったのがいつか忘れている。少なくとも一年に一度は訪れる七夕やクリスマスよりもずっと珍しい。
「このゲームハマったでしょ」
「前のやつよりは好き、かな?」
「なぜに疑問系!」
確かに私はこのゲーム、RPGとかいうやつを楽しんでいるのだろう。
しかし、そんな感情は古い埃に覆われた物置小屋の奥深くに眠っていたからうまく表現できない。
「このゲームの世界は……優しいから」
現実と違って、悪人は善人に勝てない。人を平気で傷つけられる人間が幅をきかせている現実世界に比べてどれほど美しいことだろう。
現実でいつだって割を食うのは悪に心を痛められる善人だ。悲しいことにこの世界では優しい人ほど生きずらい、そう思う。容赦なく人を傷つけて平然と生きている人間が楽しめるのが人生だ。
画面に映る世界は優しい人間が報われる、だからこのゲームは好きなんだ……と思う。久しぶりに胸の隙間に入り込んだプラスの感情を説明できるほど私の口は上手じゃない。
「……綺麗だね。水那の心は」
「私が?」
今話しているのはゲームについてのはず。話がかみ合っていない。
「普通の人はさ、このゲームの感想を聞かれて綺麗って言葉は出てこないと思うよ。ワクワクするとか面白い、かっこいいはあるにしても」
そういうものなのだろうか。嬉しいことに最近は人と関わらないので普通が何か分からない。
「普通の人は大人になる課程で世界が理不尽な場所だと気づいていく……恐ろしいのはそれに段々と慣れていってしまうこと。ついには世間ってそういう場所だから、いつまでも子供でいるなって汚い世界の歯車になっていく。だけど水那の心は今も汚く染まらないで、生まれたままの純粋さがある」
火凜が私の肩を押す。なんの抵抗もすることができずに私は地面に倒れた。バレー部で鍛えた火凜の腕は思っていたよりも力強く、太かった。
「ゲームの世界が綺麗、いや違うか。現実の世界が汚いんだって気づけているのは水那の心が綺麗な証拠」
「それは成長していないっていうのでは?」
「違うよ。世の中の人の多くは成長してない。みんな自分より世間の感覚が正常だと信じ込むようになっただけ」
普段おちゃらけている火凜がこれほど真剣な顔をしているのは初めて見た。溢れる感情は目元を伝って私の顔を濡らした。
「ねえ……なんで泣いているの?」
「……っ悔しい」
「なにが?」
短く問いかける。私には分からない。なぜ泣いているのか。なにが悔しいのか。率直に言うと突然の出来事に私は対処に困っている。
普段波風立たない穏やかな生活、一切感情が起伏することのない生活を続けている私にとって泣いている人間を前に行う正しい行動など分かるはずがない。
「本当は水那が正しいはずなんだよ。人間はもっと優しくて世界は綺麗な場所のはずなの」
涙が口にこぼれた。しょっばい。海は人の涙で作られた、と語ったのは誰であったか。
「水那みたいに心が綺麗な人を傷つけて世界を汚くしている連中が外でデカい顔して過ごして水那をここに閉じ込める世界が憎い」
「それはいくらなんでも暴論だよ。火凜も私と似たような考えをもっているけど外には出ているでしょう」
私がおかしいんじゃなくって世界がおかしいって火凜は言いたいのだろう。だけど、世界がおかしいのだったら私みたいな引きこもりが社会の少数派ではないはずだ。
やはり私が人間としてどこかおかしいのだろう。
「私は水那ほど純粋じゃないから……場に合わせて汚くなれる。大人を演じられてしまうから。みんなそうだよ。けど水那は綺麗すぎるから……世間という汚染された空間だと息苦しくなっちゃう」
そうなんだろか。私には自分の心が綺麗かどうかなんて判断できない。ただ世間という海では息ができないのは事実だった。私は川魚なのかもしれない。
「こんなの絶対におかしいのに……水那が生きることを楽しめないなんておかしいんだよ」
世界に対する不満。答えを求めてはいない。しかし、火凜は自分の気持ちを吐き出さなければやりきれないのだろう。
だったら私ができるのは提案をすることだけ。
「じゃあさ、火凜が教えてよ」
「…………?」
私にまたがる火凜の重みが直に伝わる。同時に困惑も。
「私には生きる理由が分からないし、生きることに意味を見いだせない。だけど、火凜は違うよね。貴女が見ている世界を私にも見せてよ」
前言っていた火凜の言葉。生きる理由はないけど、死んではいけない。
私にはこの二つの考えが矛盾してると思う。だって私は生きていることに楽しみを見いだせず、死ぬことに希望を抱いているから。
「火凜が変えてみてよ。世界の仕組みを変えるのは無理だけど、私の世界なら変えれるでしょ?」
沈黙が空間を支配する。たっぷり数秒の間漂ったそれを打ち破るように火凜はゆっくりと首を縦に振った。
「分かった。私の考える世界に水那を案内してあげる」
今、私は柄にもなくワクワクしているのかもしれない。モノクロの世界をカラーにして欲しいとはいわない。
けど、ほんの少しのグラデーションが加わるくらい、それくらいの変化が訪れるくらいは期待してもいいんだろうか。
「じゃあ、まずはゲームの続きしよう!」
「その前に……早くどいて……」
その日、初めて火凜は私の部屋に泊まっていった。




