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47話「名前の重さ」

研修旅行から戻って数日が経った。


 Roseの開店前。


 美園がグラスを並べていると、店の扉が控えめに叩かれた。


『開いているわよ』


 扉がゆっくりと開く。


「失礼します」


 先に入ってきたのは、九条莉乃だった。


 頬に残っていた腫れは引いているが、傷を隠すように小さな絆創膏が貼られている。


 その後ろには渡辺沙羅が立っていた。


 額にはまだ包帯が巻かれ、固定された左腕を首から吊っている。


 2人とも、Beauty Roseの特攻服は着ていない。


 莉乃は店内へ一歩入ったところで、動きを止めた。


「……え」


 カウンター席に、樹里と陽菜が座っていた。


 美園から2人も同席すると聞かされていなかったのだろう。


 沙羅も目を見開き、莉乃の背後で固まっている。


『いらっしゃい』


 陽菜が声を掛ける。


 その隣で、樹里が静かに2人を見ていた。


「日高さん……櫻井さん」


 莉乃の表情に、明らかな緊張が走る。


 美園はカウンターの中から、2人へ椅子を勧めた。


『立ったままでは話しにくいでしょう。座って』


「はい」


 莉乃と沙羅は並んで腰を下ろす。


 美園が2人の前へ温かい茶を置いた。


「ありがとうございます」


『怪我が治るまでは、お酒は出さないわよ』


「今日は飲みに来たわけじゃありません」


 莉乃が姿勢を正す。


「美園さんに、改めてお礼を言いに来ました」


 沙羅も隣で頭を下げる。


「莉乃を助けてくれて、本当にありがとうございました」


『その話は、病院でも聞いたわ』


「それでも、きちんと伝えたかったんです」


 莉乃は深く頭を下げた。


「美園さんが来てくれなかったら、私は今ここにいません」


『大袈裟よ』


「大袈裟じゃありません」


 莉乃は顔を上げ、美園を真っ直ぐに見る。


「私たちは、美園さんに助けられました」


『……そう』


 美園はそれ以上否定しなかった。


 2人が自分たちの言葉で礼を伝えようとしている。それを何度も退けることも違うと思った。


『受け取っておくわ』


「はい」


 莉乃はもう一度頭を下げる。


 そのあと、隣にいる沙羅と顔を見合わせた。


 2人は椅子から立ち上がる。


 今度は、陽菜の正面へ並んだ。


「櫻井さん」


『何?』


「謝らなければならないことがあります」


 陽菜は何も言わず、莉乃の言葉を待った。


 莉乃は両手を体の横へ揃え、深く頭を下げる。


「勝手にチームを再結成して、すみませんでした」


 沙羅も隣で頭を下げた。


「Rose girlsの名前や存在を利用したことも、本当に申し訳ありませんでした」


 店内が静かになる。


 樹里も美園も口を挟まない。


 2人が謝っている相手は陽菜だ。


 陽菜自身の言葉で答えるべきだと分かっていた。


『顔を上げて』


 陽菜の声は穏やかだった。


 莉乃と沙羅が、ゆっくりと顔を上げる。


『最初に聞いていい?』


「はい」


『どうしてBeauty Roseを作ったの』


 莉乃は一度唇を結んだ。


「Rose girlsに憧れていたからです」


『あたしたちに?』


「はい」


 莉乃はまっすぐに陽菜を見た。


「強くて、誰にも負けなくて、仲間を絶対に見捨てない。私も、そんなチームを作りたかった」


『それだけ?』


「……最初は、居場所のない子たちが集まれる場所を作りたいと思っていました」


 莉乃の声が少しずつ小さくなる。


「家に帰りたくない子や、学校で1人になっている子が、ここなら大丈夫だと思える場所を作りたかったんです」


『うん』


「でも、人数が増えて、他のチームから名前を知られるようになって……売られた喧嘩を買わないと、仲間を守れないと思うようになりました」


『それで、Rose girlsの再結成を名乗ったの?』


「名前があれば、舐められないと思ったんです」


 莉乃は拳を握る。


「日高さんや櫻井さんが残した名前を使えば、誰も私たちに手を出せないって」


『実際は逆だった』


「はい」


「昔のRose girlsと因縁のあったアネモネまで、私たちの敵になりました」


 沙羅が続ける。


「私たちは、自分たちが背負おうとしているものを何も分かっていませんでした」


 陽菜は、すぐには答えなかった。


 かつて自分たちが着ていた特攻服。


 背中に掲げていたRose girlsという名前。


 あの頃は、それが何を残すのかまで考えていなかった。


『莉乃ちゃん』


「はい」


『あたしが怒っているのは、チームを作ったことじゃないよ』


 莉乃が顔を上げる。


『Rose girlsの名前を継げば、あたしたちが残した敵も、恨みも、全部一緒についてくる』


「……はい」


『それを知らないまま、名前の強さだけを使おうとしたことに怒ってる』


「すみません」


『あたしたちだって、ずっと正しかったわけじゃない』


 陽菜の声が僅かに低くなる。


『仲間を守るって言いながら、喧嘩を正当化したこともある。やられたからやり返す。それを繰り返して、相手にも同じだけの恨みを残した』


 莉乃と沙羅は、何も言わずに聞いていた。


『アネモネが今でもRose girlsを恨んでいたのは、あたしたちのせいでもある』


「でも、今回は私たちが――」


『だからって、莉乃ちゃんたちがしたことがなくなるわけじゃないよ』


 陽菜は言葉を重ねる。


『でも、あたしたちの過去まで、Beauty Roseだけに背負わせるつもりもない』


 莉乃の目が揺れる。


『Rose girlsを再結成したつもりなら、今日で終わりにして』


 陽菜は、はっきりと告げた。


「……はい」


『でも』


 莉乃が顔を上げる。


『Beauty Roseとして、自分たちの仲間を守りたいなら、あたしが止めることじゃない』


「続けても、いいんですか」


『それを決めるのは、あたしじゃないよ』


 陽菜は莉乃だけでなく、沙羅も見る。


『2人だけで決めることでもない。仲間全員と話して』


「はい」


『本当にBeauty Roseが必要なのか。何のために続けるのか。もう一度、全員で考えて』


「……はい」


 莉乃の目に涙が浮かぶ。


「ありがとうございます」


『まだ、お礼を言われることはしてないよ』


「それでも、ありがとうございます」


 莉乃は頭を下げた。


 沙羅も続こうとする。


『沙羅ちゃんは、少し待って』


「私ですか」


『うん』


 陽菜は固定された沙羅の左腕を見る。


『沙羅ちゃんは、Beauty Roseの副総長なんだよね』


「はい」


『莉乃ちゃんがアネモネと争うと決めた時、どう思った?』


 沙羅は視線を落とした。


「危険だと思いました」


『止めた?』


「一度は……」


「沙羅」


 莉乃が隣を見る。


「止めただろ。何度も」


「でも、最後まで止められなかった」


 沙羅は右手でスカートを握る。


「莉乃が決めたなら、自分は隣に立たないといけないと思ったんです」


『どうして?』


「副総長だからです」


 陽菜の目が僅かに細くなる。


「総長が行くなら、私も一緒に行く。それが副総長の役目だと思っていました」


『違うよ』


 陽菜は、静かに言った。


 沙羅が顔を上げる。


『総長と一緒に頭を下げるだけが、副総長の役目じゃない』


「……はい」


『総長が間違っていると思ったら、嫌われても止める。誰も総長に言えないことを、隣にいる副総長が言うの』


 沙羅は黙って聞いている。


『それでも止められなかった時に、一緒に傷つくのが役目じゃない』


「でも、総長を1人にはできません」


『うん。1人にはしない』


 陽菜は莉乃へ視線を移す。


『一緒に残るんじゃなくて、一緒に帰る方法を考えるの』


 莉乃が唇を噛む。


『総長の代わりに傷つくことが、副総長の役目じゃない。総長と一緒に、全員を帰すことが役目だよ』


 沙羅の目から涙が溢れた。


「……はい」


『それに、莉乃ちゃんも』


「はい」


『副総長が止めた時は、ちゃんと聞いて』


「分かりました」


『総長だからって、何でも1人で決めていいわけじゃないから』


「はい」


『あたしも昔、何度も総長を止めたよ』


 隣で聞いていた樹里の眉が動く。


『陽菜』


『何?』


『何度もではない』


『何度もだよ』


『お前が先に暴走したことも多かっただろ』


『今はあたしの話じゃないでしょ』


『自分だけ正しかったように話すな』


『総長が無茶するからじゃん』


『私が止めた回数の方が多い』


『それは絶対にない』


 莉乃と沙羅が、目の前で言い合う2人を見つめる。


 元総長と元副総長。


 伝説のように聞かされていた存在が、想像していたものとは少し違う。


 美園が小さく息を吐いた。


『2人とも、その話はあとにして』


『美園さんはどっちが多いと思う?』


『数えていないわ』


『絶対、総長だよね?』


『陽菜も同じくらいよ』


『ほら』


『同じなら、総長の方が多いってことにはならないだろ』


 樹里の指摘に、陽菜が口を閉じる。


 美園は莉乃と沙羅へ視線を戻した。


『こうなるから、2人だけで話をさせるのは心配なのよ』


 美園の言葉に、莉乃が思わず笑った。


 すぐに笑ってしまったことに気づき、慌てて口元を押さえる。


「すみません」


『謝る必要はないわ』


 張り詰めていた空気が、少しだけ和らいだ。


     ◇


 樹里は水を一口飲み、莉乃へ尋ねる。


『九条さん』


「はい」


『今も、Rose girlsを再結成したいと思っているんですか』


「……いいえ」


 莉乃は首を横へ振った。


「私たちは、Rose girlsにはなれません」


『そうですね』


「強さも、覚悟も、何もかも足りませんでした」


『そういう意味ではありません』


 樹里は莉乃を真っ直ぐに見る。


『私たちになる必要がないと言っているんです』


 莉乃が目を見開く。


『Rose girlsは、4年前に終わりました。終わらせたのは私です』


「はい」


『私たちの後を追う必要はない』


 樹里の声は静かだった。


『私たちと同じ失敗まで繰り返して、ようやく後継になれるわけじゃない』


「……はい」


『続けるなら、自分たちの名前と責任で歩いてください』


「Beauty Roseとして?」


『それを名乗るかどうかも、自分たちで決めればいい』


「日高さんは、怒っていないんですか」


『勝手にRose girlsを再結成したことには怒っています』


「すみません」


『ですが、あなたたちが自分たちの居場所を作ろうとしたことまでは否定しません』


 莉乃の目から涙が落ちる。


『ただ、名前は人を守るだけではない。時には、その名前だけで争いを呼びます』


「今回、分かりました」


『忘れないでください』


「はい」


 樹里は隣の沙羅も見る。


『渡辺さん』


「はい」


『九条さんだけに全ての責任を背負わせないでください』


「分かりました」


『九条さんも、渡辺さんだけを盾にしないことです』


「絶対にしません」


 莉乃が即座に答える。


『総長と副総長という肩書きが、2人を縛るなら捨ててもいい』


「え?」


『肩書きを守るために仲間を傷つけるくらいなら、必要ありません』


 莉乃と沙羅は互いを見る。


「私たち、肩書きに拘りすぎていたのかもしれません」


 沙羅が呟く。


「副総長だから、莉乃のために傷つかなければいけないと思っていました」


「私は、総長だから最後まで立ってないといけないと思ってた」


『それで2人とも病院に行ったのでは、仲間も困るでしょう』


 美園の言葉に、2人は揃って俯いた。


「そのとおりです」


『これから考え直せばいいわ』


「はい」


 莉乃は顔を上げる。


「戻ったら、全員と話します」


『ええ』


「Beauty Roseを続けたいのか。続けるなら、何のために続けるのか。今度は私だけで決めません」


「私も、言わなければいけないことはきちんと言います」


 沙羅も続けた。


 陽菜が笑う。


『それでいいと思う』


     ◇


 話を終え、莉乃と沙羅が帰ろうとすると、美園がカウンターの外へ出た。


『沙羅ちゃん、荷物は持たないで』


「これくらい大丈夫です」


『怪我をした人は、みんな同じことを言うのよ』


 美園は沙羅が持とうとしていた鞄を取り上げ、莉乃へ渡す。


「私が持ちます」


『階段では、沙羅ちゃんの足元も見てあげて』


「はい」


「美園さん」


 沙羅が、もう一度美園を見る。


「本当に、ありがとうございました」


『ええ』


「いつか必ず、この恩を返します」


『私に返さなくていいわ』


「でも」


『次に誰かが助けを求めてきた時、今度はあなたたちがその人を見捨てないで』


 美園は2人へ穏やかな視線を向ける。


『それで十分よ』


 莉乃は唇を結び、深く頭を下げた。


「分かりました」


 沙羅も頭を下げる。


「絶対に忘れません」


 2人は店の扉へ向かう。


 莉乃が扉を開ける前に、一度だけ振り返った。


「日高さん。櫻井さん。中村さん」


 3人が莉乃を見る。


「私たちは、Rose girlsにはなりません」


 莉乃は涙を拭い、続ける。


「自分たちのBeauty Roseを作ります」


 沙羅が、その隣に並ぶ。


「今度は、全員で」


 樹里が静かにうなずく。


『そうしてください』


『困った時は相談くらいなら聞くよ』


 陽菜が笑う。


『ただし、喧嘩の応援はしないからね』


「はい」


『怪我が治ったら、また2人でいらっしゃい』


 美園も微笑む。


『今度は、お客さんとして』


「はい。必ず来ます」


 莉乃と沙羅は、並んで店を出ていった。


 扉が閉まる。


 店内には、3人だけが残った。


 陽菜は、2人が座っていた椅子を見つめる。


『ちゃんと伝わったかな』


『あとは、あの2人が考えることだ』


『そうね』


 美園は使われていない茶を片づける。


 陽菜がカウンターへ頬杖をついた。


『あたしたちも、あんな感じだったのかな』


『もっと酷かった』


 樹里が即答する。


『どうして総長が言うの』


『事実だろ』


『あたしは、あんなに無茶してないよ』


『記憶を都合よく変えるな』


『総長に言われたくない』


 美園が2人の前へ水を置く。


『若い子たちに説教をする歳になったのね、私たちも』


『まだ24歳だよ!』


『年齢の話ではないわ』


『美園さんだって25歳じゃん』


『だから、年齢の話ではないと言っているでしょう』


 樹里は、莉乃たちが出ていった扉を見る。


『私たちの名前が、あの子たちを守ると思っていた』


『うん』


『だが、実際には傷つけた』


『……そうだね』


『だから、終わらせておいてよかった』


 陽菜が樹里を見る。


 Rose girlsを解散した日のことを、思い出しているのだろう。


 美園も、何も言わず樹里を見つめた。


『でも』


 陽菜が小さく笑う。


『あたしたちが残したもの、悪いものだけじゃなかったよ』


『そうか』


『莉乃ちゃんたちが、居場所を作りたいと思ったのは、あたしたちを見てたからでしょ』


『そうだな』


『間違えたなら、これから直せばいいよ』


 樹里は僅かにうなずく。


 美園が2人のグラスへ水を注ぐ。


『あの子たちは、私たちの続きではないわ』


『うん』


『自分たちで選び直したのだから、もう大丈夫よ』


 3人は、それぞれのグラスを手に取った。


 Rose girlsという名前は、誰にも継がれない。


 それでよかった。


 名前ではなく、そこで得たものだけが、それぞれの形で次へ渡っていく。


 莉乃と沙羅が歩き出したのは、3人の後ろではない。


 自分たちで選んだ、Beauty Roseの道だった。

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