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304話「十七社目」

施工会社との協議を終えた翌日。


 島川不動産の営業部では、十七社へ提示する説明資料の最終確認が行われていた。


 増額対象として認める費用。


 認めない費用。


 追加人員が確保できた場合の工程。


 確保できなかった場合の変更案。


 施工会社からは、必要な資格、人数、作業日数を記した一覧が届いている。


 実際の仕入れ価格を確認できる納品書も提出された。


 樹里が指摘したとおり、すでに発注されていた資材には価格の上昇がなかった。


 未発注だった資材の一部だけが、当初の見積もりより高くなっている。


 夜間作業の費用も、追加見積もりから外された。


「日高さん。金額の確定版です」


 神谷が資料を差し出す。


『確認します』


 樹里は追加費用の合計を見た。


 施工会社が最初に提示した金額と比べれば、半分以下になっている。


『問題ありません』


「これを高槻興産と施工会社で覚書にします」


『人員が確保できなかった場合の支払い条件も入っていますか?』


「はい。入場記録を確認できない分については、残額を支払わないと明記しています」


『分かりました』


 神谷は資料を閉じた。


「本日、再整備後に戻る七社へ説明します。残る十社には、契約内容に直接の変更はありませんが、工事の状況を書面で報告します」


『七社のうち、一社でも工程変更に同意しなければ、再検討が必要です』


「その場合は、理由を聞きましょう」


『時間がありません』


「分かっています」


『七月八日まで、あと二日です』


「だからこそ、こちらの都合だけで納得させることはできません」


 神谷の言葉に、樹里は反論しなかった。


 以前なら、残された日数を理由に、条件を先に整えようとしていた。


 だが、十七社の合意を得るまでに、何度も書類にない理由を見てきた。


『会議の準備を進めます』


「お願いします」


 神谷が自分の席へ戻る。


 陽菜は七社へ配る資料を机の上で揃えていた。


 その隣では、陸が会場に設置する図面を確認している。


『陸。図面は最新版?』


「はい。施工会社から今朝届いたものと照合しました」


『前に直してもらった仮設動線も入ってる?』


「入っています。ただ、工程変更になった場合は、こちらの通路を使う期間が六日間延びます」


 陸が図面の一部を指す。


『安全性は?』


「仮設壁の位置が変わらなければ問題ありません。施工会社からも、幅は確保できると回答をもらっています」


『回答、書面である?』


「こちらです」


 陸は図面の下から、施工会社の回答書を取り出した。


『早いね』


「昨日のうちに聞きました」


『じゃあ、それも会議室に持っていこう』


「はい」


 反対側では、萌が管理費の一覧を見直していた。


『萌は何を確認してるの?』


「工程変更になった場合、共用部分の一部が完成していない状態で管理契約が始まります」


『うん』


「使用できない設備まで、当初の管理費をいただくのでしょうか」


 陽菜の手が止まる。


『そこ、まだ決まってなかった?』


「説明資料には記載されていません」


 萌は、以前自分が作った管理区分を開いた。


 基本管理。


 登録設備。


 使用量に応じて変わる費用。


 共用部分のうち、完成が遅れる可能性がある場所には印がつけられている。


「この部分は、使用できるようになってから管理費へ加える方がいいと思います」


『神谷さんと日高先輩には?』


「まだお伝えしていません」


『じゃあ、今言いに行こう』


「今ですか?」


『会議が始まってから気づくよりいいでしょ』


 陽菜は萌の資料を持ち、神谷と樹里の席へ向かった。


『神谷さん、日高先輩。今、よろしいですか?』


「はい」


『萌が、管理費のことで気づいたことがあります』


 陽菜に促され、萌が前へ出る。


「工程を変更すると、共用部分の一部が完成する前に管理契約が始まります」


『はい』


「使用できない場所についても、七社から当初の管理費をいただくのでしょうか」


 樹里は管理区分へ視線を落とした。


『管理開始日を、区分ごとに変えるということですか?』


「はい。基本管理は予定どおり開始します。ただ、使用できない共用設備の分は、完成が確認された日から加算します」


「契約書の管理費を変更する必要がありますね」


 神谷が言う。


『金額自体を変えるのではなく、開始日を分ければ対応できます』


「覚書が必要ですか?」


『はい。七社ごとに作成します』


 樹里はすぐに管理契約書を開いた。


『川原さん。完成が遅れる可能性のある部分と、それぞれの管理費を分けていただけますか?』


「すでに作っています」


 萌は手元の資料を差し出した。


 樹里が一瞬、萌を見る。


『確認してもよろしいですか?』


「はい」


 樹里は金額と区分を一つずつ確認した。


 修正が必要な箇所はない。


『この内容で、覚書の案を作成します』


「ありがとうございます」


『こちらこそ、ありがとうございます。気づかずに説明するところでした』


 萌は小さく頭を下げた。


 陽菜が隣で笑う。


『助かった。ありがとう、萌』


「はい」


『陸も、仮設動線の回答を取ってくれてる』


「本当ですか?」


「必要になるかもしれないと思ったので」


『二人とも、その資料を持って会議に来て』


「私たちも出席するのですか?」


『自分で確認したことは、自分で説明した方が早いでしょ』


 萌と陸が顔を見合わせる。


「分かりました」


「はい」


     ◇


 午後一時。


 島川不動産の大会議室に、再整備後も北側区画へ戻る七社の担当者が集まった。


 高槻興産からも、二人の担当者が出席している。


 正面には神谷と樹里。


 その後ろに陽菜、中井、佐藤、陸、萌が座った。


「本日は、お時間をいただきありがとうございます」


 神谷が立ち上がる。


「施工会社から追加費用の申し入れがあり、今後の工程にも関わるため、皆様へご説明いたします」


 会議室に緊張が広がる。


「最初にお伝えしますが、皆様の入居予定日を変更することは、現時点では考えておりません」


 一社の担当者が手を挙げる。


「現時点では、ということは、変更する可能性もあるのですか?」


「必要な人員が確保できた場合は、当初の予定どおり工事を進めます。確保できなかった場合も、専有区画を優先して完成させる工程へ変更します」


 神谷は二つの工程表を画面へ表示した。


「どちらの場合でも、七月二十六日の引き渡しを予定しています」


「共用部分が遅れると書かれていますが」


「はい。最大で十二日間、工事が続く可能性があります」


 別の担当者が表情を曇らせる。


「入居したあとも工事業者が出入りするということですか?」


「作業区画は仮設壁で分離します。営業中の動線と、工事業者が使用する動線も分けます」


『その期間は、資材の搬入を各社の営業時間外に限定します』


 樹里が続ける。


『誘導員を配置し、入居される皆様と施工会社が同じ通路を同時に使用しないよう管理します』


「安全性は確認されているのですか?」


「設計側と施工会社の双方から、問題がないとの回答を得ています」


 神谷が陸へ視線を向ける。


「山本さん。図面をお願いします」


「はい」


 陸は立ち上がり、仮設動線を記した図面を画面へ表示した。


「青い線が、入居される皆様と来訪者の方に使用していただく通路です。赤い線が、工事関係者と資材搬入に使用する通路です」


 図面の中で、二つの線は交わっていない。


「以前の案では、こちらで一度重なる部分がありました。そのため仮設壁の位置を変更し、工事側は北側の搬入口へ直接出られるよう修正しています」


「避難経路は塞がれませんか?」


「塞がれません。こちらの二か所を避難経路として確保します。消防設備の点検も、引き渡し前に完了する予定です」


 陸は質問した担当者へ、施工会社の回答書を示した。


「書面でも回答をいただいています」


 担当者は資料を確認し、頷いた。


 そのあと、萌が管理費について説明する。


「共用部分のうち、工事が続いているため使用できない設備については、完成するまで管理費をいただきません」


「契約書にある金額と変わるのですか?」


「金額は変わりません。ただし、利用できるようになった日から加算します」


 萌は管理区分を示した。


「基本管理は、当初の契約開始日から始まります。清掃、警備、来訪者の受付などです。こちらは入居日から必要になるためです」


「完成していない共用設備の分だけが、後から始まるということですか?」


「はい。完成日を確認し、その翌日からの計算になります」


「十二日間であれば、日割りですか?」


「はい」


 萌が答える前に迷う様子はなかった。


 それぞれの会社が資料を確認する。


 大きな反対は出なかった。


 当初の工程を守るために、まず増員を試みる。


 人員が揃わなかった場合も、専有区画の完成を優先する。


 安全な動線を作る。


 使用できない設備の管理費は請求しない。


 一つずつ条件を確認し、六社が同意した。


 だが、最後の一社だけは、回答を保留した。


「申し訳ありませんが、弊社はこの場で同意できません」


 神谷が、その会社の担当者を見る。


「どの部分にご不安がありますか?」


「共用部分が完成していない状態で、営業を始めることです」


「通路と安全性については、先ほどご説明したとおりです」


「安全に通れることと、弊社が営業できることは別です」


 担当者の声は強かった。


「弊社は精密機器を扱っています。商品を取引先へ見せることもあります。建物の中で工事が続いている状態では、埃や振動の影響を否定できません」


「専有区画との間には、仮設壁を設置します」


「仮設です。完全に防げる保証はありますか?」


 神谷はすぐに答えなかった。


「また、取引先が工事中の建物へ入ることを嫌がる可能性もあります。問題が起きてから、営業に影響はありませんでしたと言われても遅いんです」


 その会社が間違っているわけではない。


 工期を守るために、危険を受け入れろと求めることはできない。


『営業を始めるために必要な条件を、具体的に教えていただけますか?』


 樹里が尋ねる。


「少なくとも、弊社が使用する通路と搬入口では、工事を行わないことです」


『工事関係者が通らないだけでは、不十分でしょうか』


「搬入車両も別にしてください。それから、弊社の区画と隣接する共用部分の工事を先に終わらせていただきたい」


「ほかにありますか?」


 神谷が続ける。


「振動と粉塵の測定です。営業開始前に問題がないことを確認したい」


「分かりました」


「神谷さん」


 高槻興産の担当者が声を掛ける。


「そこまで条件を変えると、ほかの区画へ影響しませんか?」


「施工会社へ確認します」


 神谷は会議を一度中断し、施工会社の現場監督へ電話をかけた。


 樹里は図面を見ながら、該当する会社の区画を確認する。


 共用部分の奥側。


 当初の仮設動線に近い場所だった。


 陸も同じ場所を見ている。


「日高さん」


『何でしょうか』


「この会社の搬入口を、裏側へ変えることはできませんか?」


 陸が図面を指した。


「修正した仮設動線は、北側の搬入口までつながっています。この一部分だけ入居者側へ戻せば、工事業者と分けられます」


『こちらの扉は使用できますか?』


「施工会社から、緊急時には使用できると回答をもらっています」


『通常の搬入へ使えるかは確認していませんね』


「はい。ただ、幅は機材を運べるだけあります」


 樹里は神谷の通話が終わるのを待った。


「現場監督から、隣接する共用部分を先に完成させることは可能だと回答がありました」


『神谷さん。山本さんから、搬入口について案があります』


「聞かせてください」


 陸が図面を示す。


「この北側の扉を、こちらの会社専用の搬入口として使用できないでしょうか。工事側の動線を一部ずらせば、車両も重なりません」


 神谷は図面を確認し、再び現場監督へ尋ねる。


 扉の幅。


 段差。


 車両を停める場所。


 消防設備への影響。


 一つずつ確認する。


「使用できるそうです。ただし、工事用の資材置き場を移動する必要があります」


『移動には、どれくらい掛かりますか?』


「半日です」


『費用は』


「施工会社が負担すると回答しています」


 樹里は、同意を保留している担当者へ図面を向けた。


『御社専用の搬入口として、こちらを使用していただくことは可能です』


「工事車両は通りませんか?」


『通りません。工事側の資材置き場と動線を変更します』


「来訪者の通路は?」


「正面入口から御社の区画まで、先に共用部分を完成させます」


 神谷が答える。


「その通路と御社の区画に隣接する場所では、引き渡し後の工事を行いません」


「振動と粉塵については?」


『引き渡し前と、工事を再開した翌日に測定します』


「数値に問題が出た場合はどうしますか?」


『原因となる作業を中止します』


「中止したことを、誰が確認しますか?」


「高槻興産と島川不動産の双方で確認します」


 担当者は、図面と工程表を何度も見比べた。


「口頭だけでは同意できません」


『すべて覚書へ記載します』


「専用搬入口についてもですか?」


『はい。使用できる期間と、施工会社が立ち入れない範囲を明記します』


「粉塵と振動の基準も」


『測定方法と基準値を、設計側と確認したうえで記載します』


 担当者はまだ迷っていた。


 その表情を見ながら、神谷が静かに口を開く。


「今すぐ信じてくださいとは申し上げません」


 担当者が顔を上げる。


「御社にとって、営業開始は単なる日程ではありません。取引先との信用や、商品を守るための条件が必要だということは理解しました」


「でしたら、完成するまで延期した方が確実ではありませんか?」


「延期すれば、現在の物件を退去したあと、営業できる場所がなくなります」


「それは分かっています」


「だからこそ、どちらかを諦めていただくのではなく、営業できる条件を作りたいんです」


 神谷は図面の専用搬入口を指した。


「不安が残る場所は、すべて書面にします。引き渡し前には、御社にも現地を確認していただきます」


『一つでも条件を満たしていなければ、引き渡しを行いません』


 樹里が続けた。


『その場合に必要となる仮の保管場所と再配送の費用についても、高槻興産と施工会社で負担します』


「そこまで、覚書に入れられますか?」


『入れます』


「高槻興産としても、異論はありません」


 高槻興産の担当者が答えた。


「条件が満たされない状態で、入居していただくつもりはありません」


 担当者はしばらく黙っていた。


 やがて、机の上に置いていたペンを取る。


「覚書の内容を確認してからになります」


『もちろんです』


「今、お話しいただいた条件がすべて入るのであれば、工程変更に同意します」


 神谷が深く頭を下げる。


「ありがとうございます」


 樹里も続いた。


『ありがとうございます』


 最後の一社が、同意確認書へ署名した。


 その瞬間、会議室の後ろで陽菜が小さく息を吐いた。


 隣に座る中井も、肩の力を抜く。


 佐藤は七社分の確認書を順番に並べた。


 署名欄は、すべて埋まっている。


 会議が終わり、七社の担当者が退出する。


 高槻興産の担当者も、覚書の作成を進めるため会社へ戻った。


 大会議室に、島川不動産の社員だけが残る。


『終わった』


 陽菜が机へ両手をつく。


『本当に全社、揃った』


「櫻井さん。まだ最終契約が残っています」


 樹里が言う。


『今くらい喜んでもいいじゃないですか』


『契約が終わってからにしてください』


『日高先輩も、さっき少し安心した顔してましたよ』


『していません』


『してました』


『櫻井さん』


「陽菜さん。日高さんを困らせないでください」


 中井が止める。


『中井くんまで、そっちに行くの?』


「今は仕事中ですから」


『じゃあ、帰ったらあたしの味方ね』


「内容によります」


『真面目』


 陽菜は笑いながら椅子へ座り直した。


 そのあと、陸と萌を見る。


『陸、萌』


「はい」


「何でしょうか」


『二人とも、助かった。ありがとう』


「俺は、前に直した図面を出しただけです」


『それがなかったら、専用の搬入口をすぐに提案できなかったでしょ』


「でも、実際に使えると確認したのは神谷さんです」


『陸が気づかなかったら、確認することもできなかったよ』


 陸は少しだけ俯いた。


『萌も。管理費のこと、会議前に気づいてくれてよかった』


「使えないものへ費用をいただくのは、違うと思っただけです」


『うん。そのとおりだった』


 陽菜は二人の肩を順番に軽く叩いた。


『本当にありがとう』


「はい」


「ありがとうございます」


「櫻井さん」


 神谷が声を掛ける。


『はい』


「お二人を会議へ連れてきてくださって、ありがとうございました」


『あたしは、資料を持ってきてって言っただけです』


「それで十分です」


 神谷は、七社分の同意確認書を手に取った。


「これで、十七社すべての承認が揃いました」


 四月から集め続けた合意だった。


 一社ごとに事情が違った。


 移転する会社。


 戻ってくる会社。


 長年の取引先を守りたい会社。


 機材を動かせない会社。


 工事中の建物では営業できない会社。


 どの会社も、自分たちの都合だけを主張していたわけではない。


 従業員。


 取引先。


 顧客。


 その先にいる人間を守ろうとしていた。


 神谷が話を聞いた。


 樹里が条件を形にした。


 陽菜たちが必要な資料を揃えた。


 陸と萌が、見落としかけていた問題を拾った。


 誰か一人だけでは、十七社目まで届かなかった。


『神谷さん』


 樹里が呼ぶ。


「はい」


『確認書を高槻興産へ送付してください。私は、先ほどの一社へ提出する覚書を作成します』


「分かりました」


『山本さん。仮設動線の図面を、覚書へ添付できる形に整えていただけますか?』


「はい」


『川原さんは、七社分の管理開始日を確認してください』


「承知しました」


『櫻井さん、中井さん、佐藤さんは、残る十社への報告書をお願いします』


『分かりました』


「承知しました」


「分かりました」


 全員が動き始める。


 喜ぶ時間は、まだ少し先だった。


 午後六時。


 最後の覚書が完成した。


 陸の作った仮設動線の図面。


 萌が分けた管理費の開始日。


 振動と粉塵の測定条件。


 専用搬入口の使用期間。


 条件を満たさなかった場合の費用負担。


 すべてが一つの書類へ記されている。


 神谷と樹里が最後に確認し、高槻興産へ送信した。


 間もなく、受領を知らせる返信が届く。


 神谷は、その画面を黒澤へ見せた。


「黒澤部長。十七社すべての承認が揃いました」


 黒澤は画面を確認したあと、営業部を見渡した。


「全員、手を止めてくれ」


 社員たちが顔を上げる。


「高槻興産の北側区画。関係する十七社すべてから、最終条件の承認が取れた」


 営業部に拍手が起きた。


 陽菜が誰より先に大きく手を叩く。


 陸と萌は、一瞬戸惑ったあとで周囲と一緒に拍手をした。


 佐藤も中井も笑っている。


 樹里は自分の席で、静かにその音を聞いていた。


「まだ契約前だ。浮かれすぎるな」


 黒澤が言う。


『さっき日高先輩にも同じことを言われました』


「日高さんらしいな」


『黒澤部長も同じですよ』


「俺は部長だからいいんだ」


『日高先輩も上司です』


「それもそうか」


 営業部に笑いが広がる。


 黒澤は、神谷と樹里を見る。


「七月八日。あとは最終契約だけだ」


「はい」


『はい』


「ここまで来て、最後に日付を間違えるなよ」


『間違えません』


「日高さんに言ったんじゃない」


『では、どなたにおっしゃったのですか?』


「全員にだ」


 黒澤が苦笑する。


「最後まで頼む」


「承知しました」


 神谷が答える。


 樹里も、短く頷いた。


『承知しました』


 七月八日まで、あと二日。


 机の上には、十七社分の署名が並んでいた。


 一つとして、同じ理由で書かれたものはない。


 それでも今は、すべてが同じ日へ向かっている。


 島川不動産にとって、過去最大規模となる契約の日へ。

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