249話「想定の外」
大抽選会を翌日に控えた金曜日。
チーム櫻井モデルは、最後の打ち合わせを行っていた。
会議室の壁には、会場全体の見取り図が貼られている。
通常公開で使用していた受付。
モデルハウスへの見学経路。
個別相談席。
そのすべてに、大抽選会用の受付と抽選場所が加わっていた。
集まっているのは、陽菜、樹里、凛、柚希、萌、陸。
この6人が、チーム櫻井モデルの正式なメンバーだった。
「判断役は2人です」
萌がホワイトボードの前に立っている。
「私が会場全体を見ます。もう1人は、受付と相談席の間です」
「私が担当します」
凛が手を挙げた。
「受付で来場目的を伺いながら、見学と相談の待ち時間を確認します。混雑が偏った場合は、萌ちゃんへ報告します」
「お願いします」
「交代はどうしますか」
「基本は1時間ごとです。ただし、来場者が多い時間帯は、交代を遅らせます」
『遅らせる基準は決めてる?』
陽菜が尋ねる。
「受付で5組以上待っている場合。相談席がすべて埋まっている場合。それから、抽選の列が見学経路に重なっている場合です」
萌は見取り図の入口を指した。
「大抽選会だけを目的に来られる方もいます。その方を、モデルハウスの受付へ並ばせないようにします」
「抽選のみの方は、私が案内すればいいんだよね」
柚希が確認する。
「はい。早川さんには、抽選受付と列の案内をお願いします」
「分かった。子ども連れの人がいたら、順番を抜けなくても少し離れて待てるようにした方がいいかも」
「番号札を渡しますか」
「うん。子どもって、ずっと同じ場所で待つの難しいでしょ。泣いちゃったら、親も周りの人も困ると思う」
萌は頷き、資料へ書き加えた。
「番号札は用意します。ただし、列を離れる方が増えすぎると、呼び出しが難しくなります」
「そのときは、私が呼ぶよ」
「抽選受付と両方できますか」
「最初はやってみる。無理そうなら早めに言う」
「お願いします」
陸が見取り図を見ながら、手を挙げた。
「家族の中で、抽選に並ぶ人と見学する人が分かれた場合はどうしますか」
「代表者だけ、抽選へ並んでもらう」
「受付票は誰が持ちますか」
「見学する方」
「抽選券と受付票の番号が分かれませんか」
萌の手が止まる。
資料にはない問題だった。
「確かに」
凛が、受付票を手に取る。
「受付票に、同じ番号の半券をつけてはどうでしょうか。見学する方が受付票を持ち、抽選へ並ぶ方には半券を渡します」
「それなら、あとで合流しても確認できます」
「半券だけ色を変えた方が、見間違えにくいかも」
柚希が言う。
「白い受付票に、黄色い半券とか」
「分かりました。色紙で用意します」
萌は2人の案も加えた。
「山本くん、ありがとう」
「俺も、今気づいただけです」
『今気づけたなら十分だよ』
陽菜が笑う。
『明日、お客さんが並んでから気づくよりいいでしょ』
『予備の半券は多めに用意した方がいいと思います』
樹里が言った。
『家族が分かれるとは限りません。途中で抽選へ参加する方が増える可能性もあります』
「分かりました。予定数の倍、用意します」
『受付票そのものも増やしてください』
「来場予測より多くですか」
『はい。足りなくなってから印刷する時間はないでしょう』
「では、こちらも倍にします」
萌は資料へ書き込んだ。
『あたしと日高先輩は?』
陽菜が尋ねる。
「櫻井さんと日高さんには、見学案内と個別相談をお願いします。相談が重なった場合は、2人とも相談席へ入っていただきます」
『案内が足りなくなったら?』
「遠藤さんから報告を受けて、配置を変えます」
『了解』
『承知しました』
「陸くんは、会場内を固定せずに動くんだよね」
柚希が尋ねる。
「はい。受付、抽選、見学、相談席を回って、待ち時間と人数を川原さんへ報告します」
「それなら、私のところにも来てね。抽選の列は、外まで伸びると中から見えなくなるから」
「分かりました」
陽菜が腕を組み、見取り図を見る。
『あとは、人だね』
「通常公開より2名増やしていただいています」
萌が答える。
『それでも、足りなくなるかも』
「今から増員を頼みますか」
『ううん』
陽菜は首を横に振る。
『まだ分からないのに、余らせても仕方ない。まずは、この人数で回そう』
「限界になった場合は?」
『そのときは、あたしが考える』
「陽菜さん一人で、ですか」
凛が聞き返す。
陽菜は一瞬、言葉を止めた。
『……みんなで考える』
「お願いします」
凛は静かに答えた。
萌も、陽菜を見ている。
神谷が倒れた日から、陽菜自身も学んでいる。
1人で何とかすることと、責任を持つことは違う。
それでも陽菜は、困っている人を見れば、自分が前へ出ようとする。
その癖は、簡単には消えない。
会議室の扉が開き、黒澤が顔を出した。
「準備はどうだ?」
『予定どおりです』
陽菜が答える。
「そうか。明日は俺も午前中から顔を出す」
『部長も来るんですか?』
「邪魔か?」
『いえ。働いてもらいます』
「見に行くと言っただけなんだが」
『現場に来た人は全員、戦力です』
「俺を勝手に組み込むな」
口ではそう言いながら、黒澤は見取り図へ目を向けた。
「応援が必要なら、早めに連絡しろ。社内の待機組から何人か回せるようにしておく」
『大丈夫です』
「櫻井さん」
黒澤の声が、少しだけ低くなる。
「大丈夫かどうかを、一人で決めるな」
陽菜は数秒、黒澤を見る。
そして、凛と柚希、萌と陸へ視線を移した。
『分かりました』
「なら、頼んだ」
黒澤は会議室を出ていった。
萌が、もう一度陽菜を見る。
『何?』
「忘れないでください」
『分かってるって』
「陽菜さんは、返事だけはいいですからね」
凛も加わる。
『凛ちゃんまで』
「陽菜さん、前回も休憩を後回しにしようとしたよね」
柚希まで続いた。
『柚希ちゃんも?』
「私も見てたから」
『なんで、みんなあたしにだけ厳しいの?』
「櫻井さんが、一番無理をしそうだからです」
萌が答える。
陸が声を出して笑った。
『陸も笑わない』
「すみません」
それでも、会議室の緊張は僅かに和らいだ。
翌朝。
会場へ到着した6人は、それぞれの持ち場で準備を始めた。
萌は、受付票と半券の番号が一致しているかを確認する。
凛は受付から見学入口までを歩き、案内板が来場者の目に入りやすい位置にあるかを見ていた。
柚希は抽選券と景品の数を照合し、子ども用の菓子を取り出しやすい場所へ並べる。
陸は会場全体を歩き、通路の幅や掲示物の位置を確認していた。
陽菜と樹里は、相談席に置く資料へ最後の確認を行っている。
「萌ちゃん」
凛が受付から呼ぶ。
「ここからだと、相談席の一番奥が見えません」
「壁の陰ですか」
「はい。誰かが使っていても、空いているように見えます」
萌も受付の位置へ立つ。
「使用中の札を置きましょう」
「色を変えた方がいいと思います。空席が白、使用中が赤なら、遠くからも分かります」
「分かりました」
「川原さん」
今度は陸が戻ってくる。
「抽選の列、ここに作る予定ですよね」
「うん」
「長くなったら、駐車場から来る人とぶつかりませんか」
萌は入口から駐車場へ目を向けた。
通常公開では問題のなかった場所だった。
しかし、何十人も並べば、会場へ入る人の流れを塞ぐ。
「列を壁側へ曲げよう」
「案内板を移動しますか」
「うん。抽選の最後尾も分かるようにする」
「私のところからも、最後尾が見える位置がいいな」
柚希が加わる。
「列が伸びたことに気づけないと、番号札を出すのが遅くなるから」
「では、この位置ならどうですか」
萌が案内板を動かす。
柚希は抽選場所から確認し、頷いた。
「見える。大丈夫」
その様子を、陽菜と樹里が離れた場所から見ていた。
『あたし、本当に何も言うことないね』
『いいことではありませんか』
樹里が隣で答える。
『山本さんは、周囲を見てから動けるようになりました』
『陸は、あたしのかわいい後輩だからね』
『先輩らしいことを言うんですね』
『どういう意味ですか』
陽菜は不満そうに返してから、萌へ目を向けた。
『萌も、自分で考えて動いてる』
『はい』
『日高先輩が見てきたからでしょ』
『私は、足りないところを指摘しただけです』
『それを教育って言うんじゃないの?』
樹里は答えなかった。
萌の教育担当は、樹里。
陸の教育担当は、陽菜。
そして凛と柚希もまた、途中から加わった応援ではない。
最初から同じ準備を重ね、同じ結果を目指してきたチームの一員だった。
「陽菜さん」
凛が呼ぶ。
「相談席の資料、確認をお願いします」
『今行く』
「日高先輩。抽選の注意事項も一度見てください」
柚希も手を挙げる。
『分かりました』
陽菜と樹里は、それぞれの呼ばれた場所へ向かった。
開場30分前。
駐車場に、最初の車が入ってきた。
「早いですね」
萌が時計を見る。
まだ受付は始まっていない。
車から降りてきた家族は、会場入口に設置された大抽選会の看板を見ている。
続けて、もう1台。
さらに、その後ろからも車が入ってくる。
『思ったより早いね』
陽菜が入口へ向かった。
『寒い中で待たせるのも悪いし、準備できてるなら少し早く開けようか』
「受付は始められます」
凛が答える。
「抽選も大丈夫」
柚希も景品台の前へ立つ。
「スタッフは、全員配置についています」
萌が会場を確認する。
「始められます」
『よし。じゃあ開けよう』
予定より20分早く、受付が始まった。
凛が、最初の家族を迎える。
「おはようございます。本日は、モデルハウスの見学もご希望ですか」
「抽選が目的なんですけど、少し中も見てみようかと思っています」
「ありがとうございます。ご見学のあとに、抽選へ参加することもできます。先に抽選を希望される場合は、こちらの半券をお持ちください」
来場目的を聞き、家族へ分かりやすく選択肢を伝える。
相手が迷っているときも、急かさない。
何を求めているのかを、会話の中から丁寧に拾う。
抽選場所では、柚希が子どもの前へ屈んでいた。
「この箱から、1枚引いてね」
「当たり入ってる?」
「入ってるよ。でも、どれかは私にも分かんない」
「お姉ちゃん、教えて」
「教えたら怒られちゃう」
柚希が困ったように笑う。
緊張していた子どもも、つられるように笑った。
「じゃあ、これ」
「開けてみようか」
子どもが引いた券を、一緒に開く。
大きな景品ではなかった。
それでも柚希が拍手をすると、子どもは嬉しそうに両親へ見せた。
最初の数組は、問題なく案内できた。
抽選だけを希望する客。
モデルハウスを見たい家族。
具体的な相談を望む夫婦。
凛が入口で目的を確認し、柚希が抽選へ繋ぐ。
萌が全体を判断し、陸が会場内の変化を拾う。
陽菜と樹里が、見学と相談を引き受ける。
準備してきた役割は、機能していた。
午前10時。
本来の開場時刻を迎えた。
その頃には、駐車場へ入ろうとする車が道路まで続いていた。
「萌ちゃん」
凛が無線で呼ぶ。
「受付に4組です。見学希望が2組、相談希望が1組。残りの1組は、まだ決めていません」
「見学担当は?」
「全員、案内中です」
「柚希ちゃん」
凛が抽選場所へ目を向ける。
「抽選の待ち時間は?」
「もう15分くらい。列が、予定していた場所を越えそう」
「山本くん。外は?」
萌が尋ねる。
「臨時駐車場も、もう半分埋まっています。受付を済ませた方が63名。外の列を含めると、100名を超えています」
「予測は?」
「午前中で80名でした」
すでに、予測を大きく上回っている。
萌は無線を持ち直した。
「全員へ。抽選の列が伸びています。見学希望の確認を、列に並んでいる間に始めます」
『誰を出す?』
陽菜の声が返ってくる。
「私が行きます。遠藤さんは受付を続けてください。山本くんは、会場全体を見て」
「分かりました」
「はい」
「私は?」
柚希が尋ねる。
「早川さんは、抽選を止めないでください。子ども連れの方が列を離れた場合は、番号札を渡してください」
「分かった。無理になりそうなら、すぐ言う」
「お願いします」
萌は見学案内の資料を持ち、列へ向かった。
抽選を待つ客へ、一組ずつ声を掛ける。
「本日は、モデルハウスの見学もできます。ご希望の方は、抽選を待つ間に受付票をお渡しします」
ただ抽選を待たせるだけにしない。
並んでいる時間を、会場を知ってもらう時間へ変える。
何組かが、見学にも興味を示した。
受付票へ記入してもらい、家族の一人だけを列へ残して、ほかの者をモデルハウスへ案内する。
その判断は間違っていなかった。
しかし、見学を希望する客が増えたことで、別の場所に負担が生まれた。
「萌ちゃん」
凛から無線が入る。
「見学を待っている方が6組。相談は3組待っています」
「受付は?」
「私が繋いでる。でも、このまま増えたら、最初の聞き取りができなくなる」
続けて、柚希の声が入る。
「萌ちゃん。抽選も限界に近い。番号札を渡した人と、列に残ってる人を私一人で確認するのは難しい」
「山本くん。ほかに動かせる人は?」
「いません。櫻井さんと日高先輩は相談中です。案内担当も、全員出ています」
萌は足を止めた。
どこかを助ければ、別の場所が止まる。
通常公開で作った運用は機能している。
凛は受付で、一組ずつ話を聞いている。
柚希も抽選を止めず、待っている子どもたちへ声を掛け続けている。
陸は会場全体を見て、必要な情報を繋いでいる。
誰かが役割を怠っているわけではない。
それでも、来場者の数が準備した規模を超えていた。
「山本くん。受付で待っている方へ、現在の待ち時間を伝えて」
「見学を諦めてしまうかもしれません」
「分かってる。でも、すぐ案内できるように見せる方が駄目」
「分かりました」
「早川さんのところへ行ってから、遠藤さんの受付を補助して」
「会場全体を見る人がいなくなります」
「……そうだね」
陸まで持ち場を離れれば、変化を拾う人間がいなくなる。
「俺は、ここに残ります」
「分かった。私が戻る」
萌は会場内へ戻った。
その途中、神崎優子とすれ違う。
優子の側にも、長い列ができている。
それでも、動きに大きな混乱は見えなかった。
優子は短く萌を見る。
「そちら、足りていないでしょう」
「まだ回せます」
「まだ、ね」
優子は足を止めなかった。
「限界を越えてから人を呼んでも、遅いわよ」
萌は何も返せなかった。
受付へ戻ると、凛が次々に来る客へ対応していた。
「現在、見学まで15分ほどお待ちいただいています。お時間は大丈夫でしょうか」
「それなら、抽選だけにします」
「分かりました。あちらで柚希ちゃんがご案内します」
相手を引き止めない。
待ち時間を隠さず伝え、そのうえで選んでもらう。
凛は一組を送り出すと、萌へ顔を向けた。
「この人数では、もう持ちません」
「うん」
「柚希ちゃんのところもです」
抽選場所では、柚希が笑顔を崩さず子どもへ声を掛けている。
しかし、番号札と抽選券を何度も見比べている。
一人で確認できる数を、すでに超え始めていた。
「陽菜さんへ伝えましょう」
凛が言った。
「応援が必要です」
萌は頷く。
会場の中央では、陽菜が相談を終えたばかりの家族を見送っていた。
『ありがとうございました。抽選も楽しんでいってくださいね』
笑顔は崩れていない。
だが、朝からほとんど休んでいない。
飲み物にも手をつけていなかった。
「櫻井さん」
萌が近づく。
『次、どこ?』
「その前に、現状を報告します」
萌は来場者数と待ち時間を伝えた。
凛と柚希の持ち場も、すでに限界へ近づいている。
陽菜の表情から、僅かに笑みが消える。
『今の人数で、あとどれくらい持つ?』
「持たせるだけなら、昼までは」
『お客さんを待たせずに回すなら?』
「もう限界です」
萌は、はっきりと答えた。
「応援を呼んでください」
陽菜は会場を見渡した。
長く伸びた列。
案内を待つ家族。
空かない相談席。
受付で一人ずつ話を聞き続ける凛。
抽選を待つ子どもたちへ笑い掛ける柚希。
会場全体を歩き、情報を集める陸。
その全員が、自分の役割を果たしている。
それでも足りない。
自分が休憩を削れば、あと数組は対応できる。
樹里と2人で動けば、もう少し持たせられる。
そう考えた瞬間、前日の言葉が浮かんだ。
大丈夫かどうかを、一人で決めるな。
そして、通常公開の日に萌から言われた言葉も残っている。
チーム櫻井モデルは、櫻井さん一人のチームではありません。
『分かった』
陽菜は携帯電話を取り出した。
迷いは、それだけだった。
社内の連絡用LINEを開く。
大丈夫だと強がる言葉は打たない。
自分たちだけで何とかするとも言わない。
今、必要なものを、そのまま伝える。
〈会場、予想以上に混んでます〉
続けて、もう一文。
〈手を貸してください〉
送信する。
陽菜は顔を上げた。
『来てもらうまで、今いる全員で繋ぐよ』
「はい」
萌が答える。
凛も、受付から頷いた。
柚希は次の子どもへ笑い掛けながら、片手を上げる。
陸も無線を握り直した。
大抽選会は、まだ始まったばかりだった。




