↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
244/329

244話「判断する場所」

翌日の午後。


 陽菜は、チーム櫻井モデルのメンバーを小会議室へ集めた。


 机の中央には、萌が作り直した次回運用案が置かれている。


 陽菜は資料を手に取ったが、説明を始めようとはしなかった。


『じゃあ萌、お願い』


 突然名前を呼ばれ、萌が顔を上げる。


「私が説明するんですか」


『萌が考えたんでしょ?』


「そうですけど」


『なら、萌の口から聞きたい』


 陽菜は笑いながら、自分が立っていた場所を空けた。


『間違っても誰も食べないから。ほら、前』


 萌は一度、樹里を見た。


 樹里は何も言わず、僅かに頷く。


 自分で作った案なら、自分の言葉で伝える。


 昨日、樹里へ資料を差し出したときと同じだった。


 萌は資料を持ち、ホワイトボードの前へ立った。


「前回の運用では、来場者の待ち時間だけを記録していました」


 緊張はある。


 それでも、声は震えていなかった。


「ですが、待ち時間が同じでも、残ってくださる方と途中で帰る方がいました」


 萌はホワイトボードへ、3つの項目を書く。


 見学。


 具体的な相談。


 情報収集。


「受付の時点で、来場された目的をこの3つに分けます」


 陸が資料を見る。


「最初から、案内の仕方を変えるってことですか」


「うん。見学だけを希望する方へ、初めから長い説明をすると負担になる。でも、具体的な相談をしたい方に自由見学だけを案内したら、機会を逃す」


 萌は次のページを開いた。


「それから、待っている人数に応じて、案内担当を移動させます」


『誰が決めるの?』


 陽菜が尋ねた。


 昨日、樹里から指摘された部分だった。


「判断役を置きます」


 萌は迷わず答える。


「30分ごとに交代します。判断役は接客を担当せず、受付、案内、相談席の人数を見ます」


『接客しないの?』


「はい。判断役まで接客に入ると、全体を見られなくなるので」


『人手、足りなくならない?』


「来場者が少ない時間は、資料整理と記録を兼任します。ただし、担当を持ったまま別の場所へ移動することはしません」


 陽菜が口元を上げる。


『いいじゃん』


「まだあります」


 萌はホワイトボードへ数字を書き加えた。


「受付で3組以上待った場合は、見学担当から1名を移動。相談待ちが2組になった場合は、経験者を優先して相談席へ移します」


「経験者って、櫻井さんと日高さんですか」


 陸が尋ねる。


「基本はそう。でも、2人だけに集中させない」


 萌は陸を見る。


「山本くんには、判断役の補助をお願いしたい」


「俺が?」


「山本くんは、前回から周りをよく見ていたから」


「でも、俺は来場された方が何を求めているか、勝手に決めて失敗しました」


「だから、今度は決めなくていい」


 萌は答えた。


「見えたことを、判断役へ伝えてほしい。受付に何組いる。相談が長引いている。案内担当が戻ってこない。そういうことを、できるだけ早く」


「俺が見て、川原さんが決める?」


「私だけじゃない。判断役になった人が決める」


「分かりました。やります」


 陸は、自分の資料へ役割を書き込んだ。


 樹里が手を挙げる。


『一つ、いいですか』


「はい」


『来場目的は、途中で変わることがあります』


「見学だけの予定だった方が、相談したくなるということですか」


『はい。その変化を、誰が判断役へ伝えますか』


 萌は少し考えた。


「案内担当です」


『どの段階で』


「相談が必要だと感じた時点で、一度判断役へ報告します」


『その間、お客様を待たせませんか』


「……待たせます」


 萌はすぐには答えを作らなかった。


 資料へ目を落とし、考える。


「案内担当が、その場で相談予約を登録できるようにします」


『登録する方法は』


「共通の端末を用意します。難しければ、受付へ戻らなくても使える簡単な記入票を持たせます」


 樹里は僅かに頷いた。


『それなら対応できると思います』


「ありがとうございます」


『ただし、実際に動かしてみなければ分かりません。変更が必要になったら、川原さんが判断してください』


「私が、ですか」


『川原さんが作った運用です』


「……はい」


 樹里は答えを教えなかった。


 任せたまま、必要な不足だけを示した。


 萌も、もうそれを放置されているとは受け取らなかった。


 陽菜が両手を叩く。


『よし。じゃあ次の週末、これでやってみよう』


「いきなり全部変えて、大丈夫でしょうか」


『大丈夫じゃなかったら戻せばいいじゃん』


 萌が陽菜を見る。


『失敗しない方法を考えてたら、始められないよ。お客さんを困らせる前に気づいて直せれば、それでいい』


「はい」


『ただし』


 陽菜の声から、僅かに笑いが消える。


『危ないと思ったら、遠慮しないで止める。自分だけで何とかしようとしない。そこは全員、絶対ね』


 樹里が、一瞬だけ陽菜を見る。


 神谷が倒れたとき、樹里が怒鳴った場には全員がいた。


 陽菜も。


 萌も。


 陸も。


 誰かが一人ですべてを抱えた先に何があるのか、この場にいる者は知っていた。


「分かりました」


 萌と陸が答える。


 陽菜は再び笑った。


『じゃあ、萌が判断して、陸が目を増やす。あたしたちは、それに従う』


「櫻井さんもですか」


『当たり前じゃん。判断役が萌なら、あたしも勝手に動かない』


「本当にできますか」


『ちょっと。どういう意味?』


「櫻井さんは、困っている人を見るとすぐに走っていくので」


『ちゃんと相談するよ』


「動く前にお願いします」


『萌、あたしにだけ厳しくない?』


「櫻井さんが、一番勝手に動きそうだからです」


 陸が笑いを堪える。


 陽菜は不満そうに頬を膨らませた。


 樹里は資料へ視線を落としながら、口元を僅かに緩めていた。


 週末。


 モデルハウスの公開開始前から、萌は会場内を歩いていた。


 受付。


 見学経路。


 相談席。


 記入票の場所。


 判断役が立つ位置から、すべてが見えるかを確認する。


「川原さん」


 陸が近づいてくる。


「相談席の一番奥、受付から見えにくいです」


「どのくらい?」


「人が座ると、使用中か分かりません」


 萌は実際に受付の位置へ立った。


 確かに、奥の席だけが壁の陰へ隠れる。


「教えてくれてありがとう。使用中の札を置こう」


「色を変えますか」


「空席が白。使用中が赤。それなら遠くからでも分かる」


「用意してきます」


 陸が走り出そうとする。


「山本くん」


 呼び止められ、陸が振り返った。


「始まる前だから走らなくて大丈夫」


「……はい」


 陸は歩いて備品置き場へ向かった。


 その様子を見ていた陽菜が、萌の隣へ立つ。


『陸、ちゃんと見えてるね』


「はい。私が気づかなかったところです」


『萌も、ちゃんと拾えてる』


「前なら、自分で気づけなかったことが悔しかったと思います」


『今は?』


「教えてもらえてよかったと思います」


『いいね』


 陽菜は萌の背中を軽く叩いた。


『じゃあ判断役、今日はよろしく』


「はい」


 開場直後は、来場者もまばらだった。


 受付で目的を確認し、それぞれに合わせて案内する。


 見学を希望した客には、必要以上に営業を掛けない。


 具体的な相談を望む客には、早い段階で相談席を案内する。


 運用は順調に見えた。


 午前11時を過ぎた頃、一気に来場者が増えた。


 受付に3組。


 見学中が5組。


 相談席はすべて埋まっている。


「川原さん」


 陸が萌のところへ来た。


「受付に4組です。見学担当は全員、案内に入っています」


「相談は?」


「2組が終わりそうです。でも、奥の席は住宅ローンの話に入ったので、まだ時間が掛かります」


「櫻井さんは?」


「2階で案内中です。さっきのお客様、見学から具体的な相談に変わっています」


 萌は一瞬で状況を整理する。


「日高さんを、次の相談へ移動。受付の1組は、私が最初の説明をする」


「判断役を離れるんですか」


「受付にいる4組の目的を聞くまで。山本くん、その間、ここで人数を見て」


「俺が判断するんですか」


「動かす必要があったら、私を呼んで。勝手に決めなくていい」


「分かりました」


 萌は受付へ向かった。


 待っていた客へ頭を下げ、一組ずつ目的を確認する。


 見学のみが2組。


 相談希望が1組。


 残りの1組は、小さな子どもを連れた夫婦だった。


「長く待つのは難しいですよね」


「子どもが飽きてしまうので、少し見るだけで帰ろうかと」


「すぐにご案内できる場所から回ります。途中で出られる経路もご説明します」


 萌が案内図を取り出したとき、陸が少し離れた場所から手を挙げた。


 相談席が一つ空いたという合図だった。


 萌は頷き、相談希望の客を先に移す。


 自分だけで処理しない。


 見えた情報を受け取り、順番を決める。


 その判断に、以前のような迷いはなかった。


 陽菜が2階から戻ってくる。


『萌、今どこ入ればいい?』


「受付のご家族をお願いします。短い経路で、子ども部屋を先に見せてください」


『了解』


 陽菜は理由を聞き返さず、親子の前へ向かった。


『お待たせしました。今日はお子さんが主役のコースで回りましょうか』


 緊張していた子どもの顔が、僅かに明るくなる。


 陽菜はすぐに目線を合わせ、笑いながら2階を指した。


 判断したのは萌。


 変化へ気づいたのは陸。


 目の前の客を笑顔にしたのは陽菜だった。


 誰か一人が、すべてを担っているわけではない。


 昼過ぎ。


 混雑が落ち着いたところで、萌は一度運用を止めた。


「変更します」


 全員を集め、記録用紙を見せる。


「30分交代では短すぎました。引き継ぎに時間が掛かっています」


『どうする?』


「次からは1時間交代にします。ただし、混雑が始まったら途中でも代わります」


『了解』


『分かりました』


 陽菜と樹里が答える。


 陸が記録を指した。


「もう一ついいですか」


「何?」


「来場目的を3つに分けていますけど、見学と情報収集の違いが受付で分かりにくいです」


「確かに、答える方も迷っていたね」


「2つを一緒にしてもいいと思います」


 萌は少し考える。


「分ける必要がなかったかもしれない。見学と相談の2つにしよう」


「はい」


 自分で作った案へ固執しない。


 違うと思えば、その場で変える。


 それもまた、判断だった。


 公開終了後。


 相談予約の件数が集計された。


 チーム櫻井モデルは、11件。


 前回の7件から、大きく伸びている。


 陽菜が萌と陸の肩を同時に抱いた。


『すごいじゃん、2人とも!』


「櫻井さん、近いです」


「俺、ほとんど報告してただけです」


『その報告がなかったら、萌も決められなかったでしょ』


 少し離れた場所から、神崎優子が歩いてきた。


「嬉しそうね、陽菜」


『優子。そっちは?』


「13件」


『うわ。負けた』


「そうね。数字では、まだ私たちの方が上」


 優子はそう言いながら、萌と陸を見る。


「でも、前回とは別のチームみたいだった」


 萌が姿勢を正す。


「ありがとうございます」


「褒めたわけじゃないわ」


『優子、昔から素直じゃないんだから』


「陽菜に言われたくない。それに昔って、知り合ったのはこの間よ」


『あたしは素直だよ』


「自分で言うところが信用できないの」


 優子は呆れたように息を吐いた。


 それから、受付に置かれた記録用紙を見る。


「途中で運用を変えたでしょう」


「はい」


「最初の案を守るより、客を見たということね」


 萌は頷く。


「決めたとおりに動くことが、目的ではないので」


 優子の目が僅かに変わった。


「それを、誰に教わったの?」


 萌は樹里を見る。


 樹里は少し離れた場所で、撤収する資料をまとめている。


「足りないところは、日高さんに教えていただきました」


 萌は答えた。


「でも、今日は私が決めました」


「そう」


 優子の口元が、ほんの僅かに上がる。


「なら、次はもっと近くなるかもしれないわね」


『次は抜くよ』


「あなたに言ってない」


『チーム櫻井モデルのリーダー、あたしなんだけど』


「今日、一番指示に従っていたのは陽菜だったでしょう」


『見てたの?』


「隣でやっていれば、嫌でも見えるわ」


 優子は背を向けた。


「大抽選会では、今日みたいにはいかないから」


『望むところ』


 陽菜の答えを背中で受け、優子は自分のチームへ戻っていった。


 勝ったわけではない。


 まだ2件の差がある。


 それでも、優子は初めてチーム櫻井モデルのやり方を認めた。


 萌は11件と記された集計表を見る。


 樹里に答えを教えてもらった結果ではない。


 陸が見つけたものを受け取り、自分で決めた。


 失敗した運用を、自分で変えた。


『川原さん』


 樹里が呼ぶ。


「はい」


『今日の記録を、月曜日に見せてください』


「分かりました」


『判断を変えた理由も、残しておいてください』


「もう書いてあります」


 萌の返事に、樹里の目が僅かに和らぐ。


『そうですか』


「日高さん」


『何ですか』


「次は、13件を超えます」


 樹里は一度、優子のチームへ目を向けた。


 そして、萌へ戻す。


『そのために、何が必要か考えてください』


「はい」


 褒めてはくれない。


 簡単に大丈夫だとも言わない。


 それでも今は、その言葉の意味が少しだけ分かった。


 樹里は、萌の先を見ている。


 だから萌も、そこで立ち止まらなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。