234話「薔薇」
3人で走るようになってから、夜の景色が変わった。
樹里は、相変わらず誰かへ行き先を告げなかった。
決まった時間に集まることもない。
樹里が街を走っている。
その排気音を見つけると、美園が後ろへつく。
さらに、陽菜がGS400で追いかけてくる。
それだけだった。
『もっと飛ばせよ!』
陽菜が後ろから叫ぶ。
先頭を走る樹里は速度を変えない。
『遅く走って、あたしを馬鹿にしてんのか!』
『制限速度だ』
『真面目かよ!』
『捕まりたいなら、一人で行け』
美園が2人の間で笑う。
『樹里に速度で勝ってもらわないと、自分が負けたことを認められないの?』
『お前は黙ってろ!』
『図星みたいだね』
『次はお前から潰すぞ!』
『もう一度押さえつけてほしい?』
『絶対ぶっ飛ばす!』
陽菜がアクセルを開く。
美園の横を抜け、樹里のCB1100へ並ぼうとする。
だが、対向車のヘッドライトが見えた瞬間、樹里が片手を上げた。
陽菜のGS400が、すぐに後ろへ戻る。
従うつもりなどない。
そう言い続けている陽菜の身体は、樹里の合図へ迷わず反応していた。
しばらく走ったあと、3人は幹線道路沿いの食堂へ入った。
夜遅くまで開いている、古びた店だった。
端のテーブルに3人で座り、定食を注文する。
料理が運ばれてくるまで、誰も話さない。
樹里は窓の外を見ている。
美園は水を飲み、陽菜は落ち着きなく足を揺らしていた。
やがて、陽菜が耐えきれなくなったように口を開く。
『なあ』
樹里も美園も返事をしない。
『聞いてんのかよ』
『聞いてるよ』
美園だけが答える。
『私たち、このまま何となく一緒に走るの?』
『嫌なら来なければいい』
樹里が言った。
『そういう話じゃねえよ』
『なら、どういう話だ』
『誰が一番上なんだよ』
樹里の目が、陽菜へ向く。
『順番が必要か?』
『必要だろ。3人で走ってんだから、誰が決めるかくらい決めとけよ』
『お前は誰かに命令されたいのか』
『違う。あたしが一番上でもいいって言ってんだ』
『無理だね』
美園が即答する。
『なんでだよ!』
『陽菜を一番上に置いたら、毎晩喧嘩になる』
『負けなきゃいいだろ』
『相手を全員潰したあと、どこへ行くの?』
『そんなの、そのとき決めればいい』
『だから無理なんだよ』
陽菜が美園を睨む。
美園は涼しい顔で水を飲んでいた。
『じゃあ、お前がやるのかよ。青蝶の総長だったんだろ』
『私は一度も総長を名乗ってない』
『周りはそう呼んでたじゃん』
『勝手にね』
『実際、全員お前の言うこと聞いてた』
『止めることはできるよ』
美園はコップをテーブルへ置いた。
『でも、行き先を決めるつもりはなかった』
『何が違うんだよ』
『私は、間違った方向へ行こうとする人間を止められる。でも、こっちへ来いとは言えない』
美園は樹里を見る。
『樹里は違う』
樹里の眉が、わずかに動く。
『自分で決めた道を曲げない。ついて来いとは言わないくせに、後ろにいる人間を置いていくほど速くも走らない』
『そんな立派なものではない』
『樹里がどう思ってるかは関係ないよ』
美園は静かに言った。
『総長は樹里』
『勝手に決めるな』
『あんたが私に、好きにしろって言ったんだ』
『だからといって、総長になった覚えはない』
『私も同じだったよ』
美園が笑う。
『自分から名乗らなくても、周りがそう決めることはある』
樹里は返事をしなかった。
陽菜は不満そうに樹里を見る。
『こいつが総長なら、あたしは何だよ』
『副総長』
再び、美園が即答する。
『は?』
『陽菜が副』
『ふざけんな。なんであたしがこいつの下なんだよ』
『樹里に勝てないから』
『今は、だろ!』
『それに、樹里が前へ出ないとき、陽菜は勝手に一番前へ行く』
『だったら、あたしが総長でいいじゃん』
『どこへ行くか分からない人間を、先頭には置けないよ』
『だから、そのとき考えるって言ってんだろ!』
『でも、誰かが危ないときは、考えるより先に動く』
陽菜の言葉が止まる。
美園は続けた。
『樹里が道を決める。陽菜が最初に飛び込む』
『お前は?』
『陽菜が飛び込みすぎたら、私が止める』
『あたしだけ問題児みたいに言うな』
『違うの?』
『違う!』
『この前、倒れた男へ追い打ちをかけようとしたんだろ』
『なんで知ってんだよ』
『樹里から聞いた』
『話したのかよ!』
『聞かれたから答えただけだ』
『あたしの恥ずかしい話を勝手にすんな!』
『恥ずかしいとは思ってるんだね』
『うるせえ!』
美園が声を上げて笑う。
樹里は運ばれてきた定食を自分の前へ寄せ、何事もなかったように箸を取った。
陽菜はまだ納得していない。
『あたしは認めてねえからな』
『何をだ』
『あんたが総長だってこと』
『私も認めていない』
『じゃあ、やめろよ』
『お前が始めた話だろ』
『美園が勝手に決めたんだよ!』
『嫌なら、樹里から奪えばいい』
美園が言った。
陽菜は樹里を睨む。
樹里は気にした様子もなく、食事を続けていた。
『いいよ』
陽菜は箸を手に取る。
『今は副でいてやる』
『随分偉そうだな』
『その代わり、みっともない総長になったら、あたしが引きずり下ろす』
樹里が顔を上げる。
初めて、陽菜の目を正面から見た。
『やってみろ』
陽菜は一瞬だけ黙った。
それから、挑むように笑う。
『絶対後悔させてやる』
美園は、2人を見ながら箸を取った。
樹里が道を決める。
陽菜が誰より先に飛び込む。
美園が、行きすぎた力を止める。
まだ名前もない3人の形が、その食堂で初めて決まった。
食事を終え、店を出る。
軒先には、売れ残った切り花がバケツへ入れられていた。
赤い花。
街灯の下では、黒に近い色に見える。
美園が、そのうちの一輪へ手を伸ばした。
『薔薇か』
陽菜が横から覗き込む。
『美園に似合わねえな』
『陽菜よりは似合うよ』
『あたしだって花くらい似合う』
『どの花?』
『……知らねえけど』
『思いつかないんだ』
『うるせえ』
樹里が、2人の横を通り過ぎる。
『Rose girls』
美園と陽菜が同時に樹里を見る。
『何?』
美園が尋ねる。
『名前が必要なんだろ』
樹里は足を止めない。
『今のがチーム名?』
『嫌なら変えろ』
美園は指先で薔薇の花弁に触れた。
『Rose girls』
口に出してから、わずかに笑う。
『悪くないね』
『気取ってんじゃねえよ』
陽菜が言う。
『嫌なの?』
『別に』
『じゃあ、決まりだね』
『勝手に決めんな』
『樹里が決めたんだよ』
『総長の決定には従わないとね』
『さっきまで総長を名乗ってなかったやつが、一番そこにこだわってんじゃねえか』
美園が声を上げて笑った。
陽菜は不満そうにしながらも、小さな声でその名を繰り返す。
『Rose girls』
その言葉は、思っていたよりも自分たちに似合っている気がした。
綺麗に咲くだけの花ではない。
触れようとすれば、棘が刺さる。
赤にも黒にも見える薔薇。
3人の始まりには、それくらいでちょうど良かった。
数日後。
3人は幹線道路から一本入った場所にある、特攻服を扱う店へ来ていた。
店内には刺繍の見本と、生地の束が並んでいる。
店主は3人の年齢も、腕や顔に残る傷も気にしなかった。
「色はどうする」
樹里は白を選んだ。
汚れを隠せない色。
何色にも染まっていない色。
自分が一人で走っていた夜と、これから背負うものを同じ場所へ置くような白だった。
陽菜はピンクを選んだ。
『もっと濃いのないの?』
「これが一番濃いな」
『じゃあ、これ』
『迷わないんだね』
美園が言う。
『一番目立つだろ』
『白の方が目立つと思うけど』
『じゃあ、総長より刺繍を大きくする』
『張り合うところ、そこなの?』
美園は青を選んだ。
青蝶連合だった頃の名残ではない。
燃える陽菜と、何色にも染まらない樹里。
その間に立つ自分には、熱を冷ます青が似合うと思った。
「背中はどうする」
店主が刺繍の見本を広げる。
陽菜が大きな龍を指差した。
『これがいい』
『チーム名が薔薇なのに?』
『薔薇だけじゃ弱そうじゃん』
『弱そうに見える方が都合がいい』
樹里が言う。
『喧嘩を売ってきた相手を全員潰すため?』
『違う』
『じゃあ、何が都合いいんだよ』
『見た目で強さを示す必要がない』
陽菜は納得していない顔をする。
美園が見本の中から、赤と黒で描かれた薔薇を選んだ。
『これにしよう』
黒い葉と、赤い花弁。
美しく見えるのに、どこか近づき難い。
樹里と陽菜も、その刺繍を見る。
『もっと大きくできる?』
陽菜が店主へ尋ねる。
『大きくする必要はない』
樹里が止める。
『目立たなきゃ意味ないだろ』
『3人が同じものを背負っていると分かれば、それでいい』
『小さすぎても分かんねえじゃん』
『では、このくらいでどう?』
美園が2人の中間ほどの大きさを示す。
陽菜は不満そうに刺繍を見た。
樹里も何も言わない。
『決まりだね』
『まだ何も言ってねえ』
『反対もしなかったよ』
美園が店主へ注文を伝える。
背中には、同じ黒と赤の薔薇。
その下には、Rose girlsの文字。
色は違っても、背負うものだけは同じだった。
完成まで、陽菜は何度も店へ様子を見に行った。
まだできていないと追い返され、その翌日にも顔を出す。
美園はそれを面白がり、樹里は一度も付き合わなかった。
やがて、3着の特攻服が出来上がった。
白。
ピンク。
青。
3人は店の奥で、それぞれの袖へ腕を通す。
新しい生地は硬く、まだ身体に馴染まない。
陽菜は鏡の前で何度も角度を変えた。
『どう?』
『派手だね』
『似合うか聞いてんだよ』
『陽菜にしか着られないと思うよ』
『それ、褒めてんの?』
『褒めてる』
美園は青い特攻服の襟を整える。
鏡には、自分の後ろに立つ樹里が映っていた。
白い特攻服。
黒と赤の薔薇。
感情をほとんど表へ出さない樹里が、鏡越しに自分の背中を見ている。
『総長』
美園が初めて、樹里をそう呼んだ。
樹里の視線が、美園へ向く。
『似合ってるよ』
『そうか』
『感想、それだけ?』
陽菜が樹里の隣へ並ぶ。
『あたしは?』
『派手だな』
『美園と同じこと言うな!』
樹里は、わずかに口元を緩めた。
陽菜はそれを見逃さなかった。
『今、笑っただろ』
『笑っていない』
『絶対笑った!』
『気のせいだ』
『総長だからって誤魔化すな!』
『うるさい、副総長』
陽菜の動きが止まる。
樹里が自分を副総長と呼んだのは、それが初めてだった。
『……認めたのかよ』
『何をだ』
『あんたが総長で、あたしが副だってこと』
『先に認めたのはお前だろ』
『あたしは今だけって言った』
『なら、いつか奪えばいい』
陽菜は樹里を睨んだ。
そのあとで、嬉しさを隠しきれないように笑った。
『覚悟しとけよ、総長』
夜。
3人は新しい特攻服で走った。
樹里の白が先頭に立つ。
陽菜のピンクが、そのすぐ後ろを追う。
美園の青は、2台の位置を見ながら走っている。
信号で3台が並ぶ。
言葉は必要なかった。
隣にいること。
同じ名前を持つこと。
背中へ同じ薔薇を刻んでいること。
それだけで、3人には十分だった。
かつて一人で走ることを選んでいた樹里は、もう後ろの排気音を無視しなかった。
自分だけの怒りで拳を振るっていた陽菜は、樹里の合図があれば止まった。
誰かに憧れられ、勝手に先頭へ置かれていた美園は、自分で選んだ総長の背中を見ていた。
3人が同じ薔薇を背負った夜。
まだ誰にも知られていないRose girlsが、そこに生まれた。
現在。
閉店後のRoseで、陽菜が話を終える。
凛は手にしていたグラスを置き、しばらく何も言わなかった。
「3人は、最初から仲が良かったわけではなかったんですね」
『最悪だったよ』
陽菜が笑う。
『総長は愛想悪いし、美園さんは勝手に仕切るし』
『陽菜はすぐ殴りかかってくるし』
美園が返す。
『今よりずっと面倒だった』
『美園さんにだけは言われたくない』
「でも、3人で同じ特攻服を作ったんですよね」
『うん』
陽菜は、深い赤色のキーケースへ触れる。
『あたしのはピンク』
「この前、日高先輩と美園さんが荷造りのときに見つけたものですね」
『そう。今もちゃんと残ってる』
凛は美園を見る。
その背中に刻まれた薔薇を、以前一度だけ見たことがある。
特攻服の刺繍と同じ、黒と赤の薔薇。
「美園さんの背中の薔薇も、そのときのものが始まりなんですね」
『そうだよ』
美園は静かに答えた。
『私たちが初めて、同じものを背負った夜』
『だから捨てない』
陽菜が言う。
『あの特攻服も、美園さんの背中の薔薇も、総長の白も。全部、あたしたちが3人になった証拠だから』
「はい」
凛は小さく頷いた。
カウンターの上で、氷が溶ける音がした。
6年前の夜に生まれた薔薇は、何度離れても枯れなかった。
今も、それぞれの場所で静かに咲き続けていた。




