221話「隠さない夜」
12月26日の昼前。
美園は、閉ざされたRoseのシャッターの前に立っていた。
普段なら開店の準備を始める時間だ。
だが、今日は店を開けない。
入口には、臨時休業を知らせる紙が貼られている。
24日と25日のRoseは、多くの客で賑わった。
クリスマスだからと顔を出した常連客。
仕事帰りに1杯だけ飲みに来た者。
誰かと過ごす予定がなく、いつもと同じ席を求めて来た者。
美園は、すべての客を笑顔で迎えた。
その2日間を終え、今日は自分のために店を閉めた。
少し離れた場所へ、佐藤の車が止まる。
運転席から降りた佐藤が、美園を見つけて駆け寄ってきた。
「お待たせしました」
『時間通りだよ』
「荷物、持ちます」
『これくらい持てるけど』
「持たせてください」
佐藤は美園の返事を待たず、旅行鞄を受け取った。
『今日は随分、積極的だね』
「楽しみにしていたので」
『何を?』
「美園さんと旅行することです」
『それだけ?』
「……温泉もです」
『温泉だけ?』
「出発する前から、からかわないでください」
佐藤の耳が赤くなる。
美園は満足そうに笑い、助手席へ向かった。
箱根までは、佐藤が運転する。
車内には穏やかな音楽が流れ、窓の外には冬の景色が続いていた。
美園は普段より軽い服装で、長い髪も飾り気なくまとめている。
Roseのカウンターに立つママではない。
ただ、恋人と旅行へ向かう1人の女性だった。
「疲れていませんか?」
運転しながら、佐藤が尋ねる。
『少しはね。でも、昨日よく寝たから大丈夫』
「24日も25日も、かなり忙しかったんですよね」
『毎年のことだよ』
「やっぱり、手伝いに行けばよかったです」
『駄目』
「即答ですね」
『佐藤くんがいたら、私が気を遣うから』
「僕にですか?」
『恋人を放っておいて、ほかの男と楽しそうに話さないといけないでしょう』
「仕事だとわかっています」
『佐藤くんがわかってても、私が嫌なの』
佐藤が一瞬だけ美園を見る。
『前を見て』
「すみません」
『その代わり、今日は佐藤くんだけだから』
佐藤の手に、僅かに力が入る。
『だから前を見なさいって』
「見ています」
『顔が赤いよ』
「美園さんのせいです」
『運転中に余計なこと考えないでね』
「考えさせているのは美園さんです」
美園は楽しそうに笑い、流れていく景色へ顔を向けた。
宿へ到着したのは、16時を少し過ぎた頃だった。
山々に囲まれた、静かな温泉旅館。
派手な造りではないが、館内には落ち着いた木の香りが漂っている。
案内された部屋には、すでに2人分の布団が用意されていた。
その向こうにある縁側からは、山の景色が見える。
さらに奥の戸を開けると、湯気の立つ露天風呂があった。
『温泉なんて、何年ぶりだろう』
美園が縁側へ出て、湯船を覗き込む。
石造りの浴槽には湯が注がれ、その向こうには冬の山が広がっていた。
ほかの宿泊客から見えることはない。
完全に2人だけの空間だった。
「個室なら、周りを気にせずくつろげると思って選びました」
美園は、湯気の向こうから佐藤を見る。
『タトゥーでしょ』
佐藤は、すぐには答えなかった。
『気を遣ってくれて、ありがとう』
「嫌ではありませんでしたか?」
『何が?』
「勝手に気を回したことです」
『嬉しかったよ』
美園は露天風呂へ視線を戻す。
『見られること自体が、恥ずかしいわけじゃない。でも、大勢のいるところでは面倒だから』
「だから、この部屋にしました」
『うん。そういうところ、本当に優しいね』
美園は部屋へ戻り、何の迷いもなく入浴の準備を始めた。
佐藤だけが、その場に立ったまま動かない。
美園が帯へ手をかけながら振り返る。
『何してるの』
「いえ、その……」
『一緒に入らないの?』
「入っていいんですか?」
『2人で入るために、ここを選んだんでしょう?』
「そうですが、心の準備が」
『来る前に済ませておきなさい』
美園は呆れたように笑い、先に浴室へ向かった。
佐藤も慌てて準備を始める。
縁側へ出ると、美園はすでにバスタオルを身体へ巻いていた。
昼の光の中で、肩から腕にかけての線がはっきりと見える。
Roseの照明の下で見たときとは違う。
隠すもののない美園の姿に、佐藤の足が止まった。
『見とれてないで、入りましょう』
「すみません」
『謝るくらいなら、見なければいいのに』
「それは無理です」
思いがけない返事に、美園が目を細める。
『本当に、今日は積極的だね』
佐藤が先に湯船へ入る。
美園はバスタオルを外し、佐藤へ背中を向けたまま湯へ沈んだ。
佐藤の胸へ、美園の背中が触れる。
湯が2人の肩まで上がった。
佐藤は身体を固くし、手の置き場を失っている。
美園は、背後にある熱を感じながら口元を緩めた。
『緊張してるの。興奮してるの。どっち?』
「……両方です」
『だろうね。背中に当たってるよ』
「す、すみません」
『今さら謝ることでもないでしょう』
美園は、さらに背中を預ける。
佐藤の呼吸が止まった。
『でも、夜まで我慢してね』
「美園さん」
『何?』
「本当に、楽しんでいますよね」
『佐藤くんが可愛いから』
「僕はもう、子供ではありません」
『知ってるよ』
美園の声が、僅かに低くなる。
『だから、夜まで待ってって言ってるの』
佐藤は何も言えなくなった。
美園は喉の奥で楽しそうに笑う。
しばらく湯に浸かったあと、佐藤は意を決したように腕を動かした。
美園の腹部へ両腕を回し、背後から抱きしめる。
美園は驚かなかった。
力を抜き、その腕の中へ身体を預ける。
佐藤の視線は、美園の肩甲骨の間へ向いていた。
黒と赤で刻まれた、1輪の薔薇。
その下には、流れるような文字が並んでいる。
Rose girls。
これまでにも、何度か目にした。
だが佐藤は、一度も意味を尋ねなかった。
聞いてはいけないものだと思っていた。
美園が話したいと思うまで、待とうと決めていた。
「美園さん」
『何?』
「この薔薇について、聞いてもいいですか」
美園の肩が、僅かに動く。
「嫌なら、話さなくて大丈夫です」
『どうして、今日聞こうと思ったの?』
「隠さないで、見せてくれたからです」
佐藤は美園を抱きしめたまま答える。
「僕も、見えていないふりをするのは違うと思いました」
美園は、湯の表面へ視線を落とした。
『聞きたい?』
「はい」
しばらく、湯の流れる音だけが続いた。
やがて美園は、佐藤の腕へ自分の手を重ねる。
『6年前、女だけのバイクチームを作ったの』
佐藤は何も言わず、続きを待った。
『名前は、Rose girls』
美園が背負っている文字と、店の名前が繋がる。
『毎晩のようにバイクで走って、喧嘩もした。人を傷つけたこともある。褒められるようなことばかりじゃないよ』
「美園さんが、チームにいたんですか」
『いた、なんて軽い立場じゃなかったけどね』
美園は少しだけ笑う。
だが、その笑みに誇らしさはなかった。
過去を飾るつもりも、自分だけを悪者にするつもりもない。
『Rose girlsを作る前は、私は別のチームを率いてた。青蝶連合っていうチーム』
「美園さんが……」
『似合わない?』
「いえ。少しだけ、納得しています」
『どういう意味かな』
「怒らせてはいけない人だとは、最初から思っていました」
『佐藤くん』
「すみません」
美園は笑った。
その笑いが落ち着くと、再び静かに話し始める。
『青蝶連合を率いていた頃、樹里と陽菜に会った』
「樹里……?」
『日高さんだよ』
佐藤の目が大きくなる。
『陽菜は、櫻井さん』
「日高さんと、櫻井さんが……」
『樹里が総長。陽菜が副総長。私たち3人で、Rose girlsを作った』
佐藤は、すぐに言葉を返せなかった。
会社で見る樹里と陽菜。
感情を表へ出さず、誰よりも仕事に厳しい樹里。
明るくふざけながら、周囲の人間を自然に巻き込んでいく陽菜。
そして、Roseのカウンターに立つ美園。
3人の間にある、ほかの誰にも入れないような繋がり。
それが、同じ名前を背負い、同じ道を走った時間から生まれたものだと知る。
「3人とも、ずっと一緒だったんですね」
『ずっとではないよ』
美園の声が、僅かに沈む。
『4年前、樹里がいなくなった』
「日高さんが?」
『何も言わず、私たちの前から消えた。それでRose girlsは終わった』
「どうして、いなくなったんですか」
『それは、私から話すことじゃない』
美園は、はっきりと線を引いた。
『樹里がいつか話したいと思ったとき、本人から聞いて』
「わかりました」
『陽菜も、樹里を追うように私の前からいなくなった。一度、全部ばらばらになった』
「それでも、また3人でいるんですね」
『うん』
美園は、佐藤の腕を撫でる。
『いろいろあってね。今は、また3人でいられる』
「Roseという店の名前も、そこからですか?」
『そう。全部なくなったことにしたくなかったから』
Rose girlsがなくなったあとも、美園はその名を店に残した。
背中にも残した。
綺麗な思い出だけではない。
間違えたことも、失ったものもある。
それでも、自分の人生から切り離すことはしなかった。
『昔のことは、できるなら隠したままでいたかった』
美園は、佐藤の胸へさらに身体を預ける。
『上手く隠せなくなってきただけ。あなたには、特に』
佐藤の腕へ、少しだけ力が加わる。
『聞いて、どう思った?』
「驚いています」
『怖い?』
「少しだけ」
『正直だね』
「日高さんと櫻井さんのことも含めて、すぐに全部を受け止められたとは言えません」
『うん』
「でも、今までわからなかったことが、いくつも繋がりました」
『それで?』
美園は前を向いたまま尋ねる。
『私と、別れたいと思った?』
「ありえません」
迷いのない返事だった。
佐藤は浴槽の中で、美園を強く抱きしめる。
「僕が好きになった美園さんから、その過去だけを取り除くことはできません」
『綺麗な話じゃないよ』
「わかっています」
『人を傷つけたこともある』
「それも聞きました」
『今まで黙ってた』
「今、話してくれました」
佐藤は、美園の肩へ額を寄せる。
「隠したままでもよかったことを、僕には話そうと思ってくれた。それが嬉しいです」
『佐藤くんは、たまにずるいね』
「どこがですか?」
『私が欲しい言葉を、真面目な顔で言うところ』
「思ったことを言っただけです」
『そういうところだよ』
美園は目を閉じ、佐藤の腕へ全身を預けた。
背中に刻まれた薔薇を見られている。
その意味まで知られた。
それでも、隠したいとは思わなかった。
少しの沈黙のあと、美園が口元を上げる。
『ところで、さっきより硬くなってるのは、どうしてかな』
佐藤の身体が固まる。
「それは……」
『私の過去を聞いて、興奮した?』
「違います」
『じゃあ、裸で抱きついてるから?』
「美園さん」
『当たり?』
佐藤は答えられなかった。
答えられないことを、美園は楽しそうに笑う。
『のぼせちゃう。上がろう』
2人は露天風呂を出て、部屋へ戻った。
浴衣へ着替え、縁側へ並んで座る。
窓の外では、冬の山へ少しずつ夕暮れが近づいていた。
「今は、もうバイクのチームには関わっていないんですか?」
『関わってないよ。今の私にあるのは、Roseと普通の生活だけ』
「普通の生活ですか」
『それと、佐藤くん』
美園が付け足す。
「僕も入れてもらえるんですか?」
『入ってなかったと思ってたの?』
「確認したかっただけです」
『なら、入ってるよ』
美園はそう言って、佐藤の手を取った。
背中に刻まれた過去は消えない。
消すつもりもない。
けれど、美園が今握っているのは、佐藤の手だった。
湯から上がってしばらくすると、部屋の中央に夕食が運ばれ始めた。
料理が並び、説明を終えた仲居が退室する。
扉が閉まったあと、美園は並んだ料理を見て目を細めた。
『美味しそう』
「飲みすぎないでくださいね」
『今日は泊まりだよ』
「だから心配なんです」
『佐藤くんが運んでくれるでしょう?』
「布団までですか?」
『お願いね』
美園は楽しそうに酒を口へ運んだ。
Roseのカウンターで、客のグラスを見る顔ではない。
誰かのために笑う顔でもない。
自分の夜を楽しんでいる顔だった。
佐藤はその横顔を見ながら、この人と来られてよかったと思った。
高価な宿だからではない。
店を2日間閉め、自分のために時間を作ってくれた美園が笑っているからだ。
食事が進み、美園の機嫌がさらに良くなった頃。
美園は突然、自分の荷物へ手を伸ばした。
取り出したのは、スーツカバーに近い大きな袋だった。
表面には、BURBERRYの文字がある。
『はい。これ、私から』
美園は、それを何でもない物のように佐藤の前へ置いた。
佐藤が中を確認する。
上質な生地で仕立てられた、落ち着いた色のコートだった。
「美園さん。これ……」
『似合いそうでしょう?』
「こんな高価なもの、受け取れません」
『気にしないの』
「ですが」
『それより、これが似合う営業マンに、ちゃんとなりなさい』
美園は、佐藤の迷いごと押し返すように笑う。
「すごいです。ありがとうございます」
『うん』
「僕、頑張ります」
『その意気だよ。頑張りな』
佐藤は、コートを大切そうにカバーへ戻した。
それから、自分の鞄へ手を伸ばす。
「僕からもあります」
『用意してくれてたの?』
「はい。美園さんほどのものではありませんが」
佐藤が差し出したのは、CHANELのギフトセットだった。
美園は箱を受け取り、一度胸の前へ抱える。
『佐藤くんも、用意してくれてたんだ。できる男だね』
「いえ、そんなに高価なものではありません」
『そんなの、関係ないの』
美園は佐藤を見る。
『私のために選んでくれたんでしょう?』
「はい」
『なら、それで十分。ありがとう』
美園は箱を大切そうに膝へ置いた。
佐藤の視線が、その向こうへ動く。
隣の間には、2つの布団が並んで敷かれている。
ほんの一瞬の視線だった。
だが、美園は見逃さなかった。
『何見てるの』
「何も見ていません」
『布団、見てたでしょう』
「見えてしまっただけです」
『さっき夜まで我慢してって言ったもんね』
佐藤の耳が、みるみる赤くなる。
美園は面白そうに顔を覗き込む。
『もう我慢できそうにない?』
佐藤は答えようとして、一度口を閉じる。
それから、観念したように小さく頷いた。
「……はい」
美園は嬉しそうに立ち上がった。
隣の間の襖へ手をかけ、佐藤を振り返る。
『じゃあ、行こっか』
佐藤も立ち上がり、美園のあとに続く。
襖が閉まる。
その直後、佐藤は美園の腕を引いた。
『佐藤く――』
名前を呼び終える前に、強く唇を重ねられる。
湯の中で美園を抱いていたときとは違う。
遠慮も迷いもない熱だった。
美園の喉から、驚いた声が漏れる。
『んっ……そんなに我慢してたのね』
「ずっと、我慢していました」
『焦らないの』
「今日は、少し無理です」
佐藤が浴衣の帯へ手をかける。
普段なら、美園がからかい、佐藤が赤くなりながら従う。
だが今夜は違った。
帯が解かれ、浴衣が肩から落ちる。
佐藤の動きには、店では決して見せない強さがあった。
『ちょっと、佐藤くん。今日は本当に激しいね』
「嫌ですか?」
そこで初めて、佐藤の手が止まる。
呼吸を乱しながらも、美園の返事を待っていた。
美園は佐藤の頬へ触れる。
『嫌だったら、ここまで来てないよ』
「美園さん」
『いいよ』
美園は、佐藤の首へ腕を回した。
『来て』
その一言で、佐藤の残していた遠慮がなくなった。
再び唇を重ね、美園を布団へ倒す。
強い動きだったが、乱暴ではない。
長く抑えていたものが、一度に溢れているだけだった。
美園は驚きながらも逃げなかった。
佐藤の背中へ腕を回し、その熱を受け止める。
佐藤は避妊具を身につけ、もう一度美園の目を見る。
「本当に、いいですか」
『何回聞くの』
「大切なので」
『いいって言ってるでしょう』
美園は、佐藤の身体を自分へ引き寄せた。
『今夜は、全部受け止めてあげる』
2人の身体が重なる。
美園の指が、佐藤の背中を強く掴んだ。
普段より深く、激しい動きに、呼吸が何度も崩される。
佐藤は、美園の名前を呼び続けた。
会社で後輩として話す声ではない。
Roseで照れながら笑う声でもない。
1人の男として、美園だけを求める声だった。
美園は、その声を聞くたびに佐藤を強く抱きしめた。
部屋の明かりは、最後まで消さなかった。
佐藤の目には、美園の身体も、その背中に刻まれた薔薇も見えている。
美園は、もう隠そうとはしなかった。
過去を知られたからではない。
知ったあとも変わらず自分を求める佐藤の前なら、何も隠さなくていいと思えたからだ。
やがて動きが止まる。
佐藤は荒い呼吸を整えながらも、すぐには美園から離れなかった。
美園も、佐藤の背中から腕を解かない。
少しして、佐藤が美園の隣へ身体を横たえた。
美園はその胸へ額を寄せる。
『今日は、めちゃくちゃ男の子だったね』
「すみません」
『どうして謝るの』
「我慢していたら、おかしくなりそうだったので」
『うん』
「いつもより、余裕がありませんでした」
『よかったよ』
佐藤が、美園を見る。
『たまには、それでいい』
「怖くありませんでしたか?」
『少し驚いた。でも、嫌じゃなかったよ』
美園は、佐藤の胸元へ指を滑らせる。
『私ばっかり余裕があるみたいに思われるのも、悔しいしね』
「美園さんにも、余裕がなかったんですか?」
『教えない』
「今、ほとんど言っていました」
『聞こえなかったことにしなさい』
「無理です」
『佐藤くんも、随分言うようになったね』
「美園さんに鍛えられました」
『どこかで聞いたような台詞だね』
美園は笑い、佐藤へ身体を寄せた。
隣の間には、BURBERRYのコートが入ったカバーと、CHANELの箱が残っている。
だが、今夜2人が贈り合ったものは、それだけではなかった。
佐藤は、まだ知らなかった美園の過去を受け取った。
美園は、その過去を知っても離れなかった佐藤の腕へ、自分を預けた。
消せない薔薇。
閉じるつもりのない店。
4年前に一度ばらばらになり、もう一度繋がった3人。
そのすべてを背負ったまま、美園は今を生きている。
そして今夜から、その今の中には佐藤もいる。
「美園さん」
『何?』
「話してくれて、ありがとうございました」
『今さら、またそこに戻るの?』
「言っておきたかったので」
美園は少しだけ黙った。
それから佐藤の胸へ頬を寄せ、目を閉じる。
『聞いてくれて、ありがとう』
窓の外には、静かな冬の山が広がっている。
露天風呂から立つ湯気が、夜の中へ溶けていく。
部屋の明かりの下で、美園の背中の薔薇は隠されていなかった。
隠さないまま、2人は同じ布団の中で息を重ねる。
12月26日の夜は、ゆっくりと更けていった。




