217話「贈りたいもの」
クリスマスまで、あと3日。
仕事を終えた中井は、駅前の商業施設へ立ち寄っていた。
慣れない革製品の店を、すでに3周している。
財布。
カードケース。
小物入れ。
贈り物として並ぶ品を1つずつ見ているが、中井が探しているものは最初から決まっていた。
深い赤色の革製キーケース。
以前、陽菜と出かけたとき、この店の前を通ったことがある。
その際、陽菜が足を止めた。
『これ、可愛い』
手に取ったのが、そのキーケースだった。
陽菜はしばらく眺め、金具を確かめていた。
だが、結局は買わなかった。
『今日はいいや』
それだけ言って棚へ戻し、そのあとはすぐ別の話を始めた。
陽菜自身は、もう忘れているかもしれない。
中井が覚えていたのは、普段使っている物が傷んでいたからではない。
陽菜が、それを気に入った顔をしていたからだ。
そしてクリスマスには、特別な日にだけ使う物ではなく、毎日そばへ置いてもらえる物を贈りたいと思った。
自分と会わない日にも、陽菜が持ち歩ける物。
店員が、中井の手元を見る。
「そちらは、使うほど革の色艶が深くなります」
「色が変わるんですか?」
「はい。細かな傷も馴染んで、その方だけの風合いになります。長く使っていただける商品です」
中井は、深い赤色の革を指でそっと撫でた。
今の陽菜に似合う。
それだけではない。
使い続けて色が深くなったあとも、きっと似合う。
「これをお願いします」
「贈り物ですか?」
「はい。大切な人に」
店員が柔らかく微笑む。
中井は少し照れながら、綺麗に包まれていくキーケースを見つめていた。
いつか、その中へ自分の家の鍵を入れて渡す日が来るなど、このときの中井はまだ考えていなかった。
ただ、陽菜が喜んでくれる顔を想像していた。
同じ頃。
陽菜は、柚希と凛を連れて別の商業施設を歩いていた。
『ネクタイって、どれも同じに見えない?』
「陽菜さん。それ、中井さんに聞かれたら怒られるよ」
『中井くんは怒らないよ。悲しそうな顔はするかもしれないけど』
「それは余計に駄目だと思います」
凛の言葉に、陽菜は唇を尖らせる。
目の前には、色も柄も異なるネクタイが並んでいた。
中井が冬に着ているスーツを思い出しながら、陽菜は1本ずつ手に取る。
『これ、地味かな』
「中井さんは仕事でも使うんでしょう?」
柚希が尋ねる。
『うん。でも、あたしが選んだって、少しくらいわかる方がいい』
「でしたら、こちらはいかがでしょうか」
凛が、深い紺色のネクタイを差し出す。
遠目には落ち着いて見えるが、細い赤色の線が斜めに入っている。
派手ではない。
それでも、無難なだけでもなかった。
陽菜はネクタイを持ち、中井が身につけた姿を想像する。
『これにする』
「決めるの早いね」
『中井くんなら、たぶん似合う』
「似合わなくても着けると思う」
『それはそう』
陽菜は得意そうに笑い、ネクタイを会計へ持っていった。
店を出ると、今度は柚希がスマートフォンを確認する。
「次、バイク用品のお店に行ってもいい?」
『零へのプレゼント?』
「うん。この前、零ちゃんが雑誌で見てたグローブがあって」
『柚希ちゃんも、ちゃんと零のこと見てるじゃん』
「見てるよ。付き合ってるんだから」
柚希は、恥ずかしがりながらも否定しなかった。
陽菜が嬉しそうに柚希の肩を抱く。
『柚希ちゃんがそんなこと言えるようになるなんて。陽菜さん、感動』
「大げさだよ」
『初めて会った頃は、あんな男に振り回されて泣いてたのに』
「店の中で言わないで!」
『今は零に夢中だもんね』
「陽菜さん!」
柚希の顔が赤くなる。
陽菜が笑いながら逃げ、その後を柚希が追いかけた。
凛は2人の後ろを歩きながら、小さく笑っている。
その手には、別の店で購入した包みがあった。
青柳へ贈る、革製の名刺入れ。
以前、青柳と会ったとき、名刺入れの角が僅かに破れていることに気づいた。
青柳は気にした様子もなく、今も使い続けている。
本人すら見落としているかもしれない、小さな傷みだった。
使い慣れた形から大きく変わらないもの。
仕事の場でも目立ちすぎず、長く持てるもの。
凛は縫い目や革の厚みまで確かめ、ようやく1つを選んだ。
青柳が名古屋で、これを使ってくれる。
そう考えるだけで、離れている時間が少し短くなる気がした。
『凛ちゃん』
陽菜が振り返る。
『それ、青柳さんに渡すやつ?』
「はい」
『顔が嬉しそう』
「普通です」
『凛ちゃんって、普通って言うとき大体普通じゃないよね』
「陽菜さんにだけは言われたくありません」
『今日、2回目』
「何がですか?」
『あたしにだけは言われたくないって言われるの』
「日頃の行いだと思う」
追いついてきた柚希が言う。
『2人とも、あたしに厳しくない?』
「愛されてるんだよ」
『なら仕方ないか』
陽菜は簡単に納得した。
その日の夜。
零はガソリンスタンドの休憩室で、スマートフォンの画面を見つめていた。
表示されているのは、女性用の薄手のマフラーだった。
柚希が普段着ているコートを思い浮かべながら、色を選ぶ。
派手すぎるものは、柚希が困る。
だが、地味すぎるものでは贈った意味がない気がした。
淡い色合いの中から、柚希の柔らかな雰囲気に似合う1枚を選ぶ。
「零ちゃん、さっきからずっとスマホ見てない?」
同僚に声をかけられ、零は慌てて画面を伏せた。
「何でもないっす」
「彼女へのプレゼント?」
「……違うっす」
「顔、赤いけど」
「暖房が暑いだけっす」
零は椅子から立ち上がり、休憩室を出ようとする。
「休憩、まだ残ってるよ」
「外の方が涼しいっす」
「寒いけど」
「ちょうどいいっす」
逃げるように外へ出た零の背中を、同僚が笑いながら見送った。
一方、樹里は1人で文具店を訪れていた。
手に取ったのは、艶を抑えた黒色のボールペンだった。
余計な装飾はなく、仕事の場で長く使える。
神谷が持つ姿を想像しても、違和感はなかった。
「名入れもできますが、いかがなさいますか」
店員に尋ねられ、樹里は僅かに迷った。
名字なら、仕事用として自然に見える。
だが、それでは会社から支給された物と変わらない気がした。
『お願いします』
「お名前は、どのようにお入れしますか?」
樹里は一度、店員から目を逸らした。
誰かに聞かれているわけでもない。
それでも、神谷の名前を口にすることに、妙な気恥ずかしさがあった。
『Yumaで』
「かしこまりました」
店員が注文票へ書き込む。
樹里はその文字を見ながら、自分が随分と思い切ったことをしている気がした。
仕事で使う物を贈る。
それだけのはずだった。
しかし、名字ではなく名前を刻むことを選んだ瞬間、それだけではなくなった。
その翌日。
別の文具店で、神谷もボールペンを見ていた。
落ち着いた色が並ぶ中で、手に取ったのは淡い桃色のものだった。
上品な色合いで、仕事の場でも目立ちすぎない。
普段の樹里なら、自分では選ばない色かもしれない。
だからこそ、神谷はそれを選んだ。
「こちら、贈り物でしょうか」
「はい」
「名入れもできます」
「お願いします」
「お名前は?」
「Juriで」
神谷は迷わず答えた。
同じ種類のボールペンを、互いに選んだことを2人はまだ知らない。
知っているのは、それぞれが仕事へ向き合う相手の姿を思い浮かべ、長く使える物を選んだことだけだった。
12月23日。
開店前のRoseでは、美園がカウンターの中でグラスを磨いていた。
佐藤は、店内の飾りつけを手伝っている。
店には小さなクリスマスツリーが置かれ、カウンターの端には赤と金色の飾りが並んでいた。
「美園さん」
『何?』
「24日か25日、仕事が終わったあとに来てもいいですか?」
美園の手が止まる。
『来ないで』
短い返事だった。
佐藤の顔から、わかりやすく期待が消える。
「……そうですか」
飾りを持ったまま、肩まで落ちている。
美園は、その姿を見て僅かに眉を下げた。
『佐藤くん』
「はい」
『その顔やめて』
「大丈夫です」
『全然大丈夫じゃない顔してる』
「美園さんにも、クリスマスの予定がありますよね」
『違うよ』
「違うんですか?」
『24日と25日は、お客さんが立て込むの。毎年そうだから』
佐藤が顔を上げる。
『佐藤くんが来ても、ゆっくり話せない。ずっと放っておくことになる』
「手伝います」
『クリスマスに、恋人を働かせたくないよ』
「僕は気にしません」
『私が気にするの』
美園はグラスを置き、カウンター越しに佐藤を見る。
『だから、来ないで』
「……はい」
『その代わり』
美園が続ける。
『26日は、店を休むから』
「休むんですか?」
『うん』
「どうしてですか?」
『わからない?』
佐藤は数秒考える。
やがて、目を僅かに見開いた。
『遅れたクリスマス、しよう』
「僕と、ですか?」
『ほかに誰がいるの』
佐藤の顔が、一気に明るくなる。
先ほどまでの落ち込みが嘘のようだった。
『本当にわかりやすいね』
「嬉しいので」
『どこか行きたいところある?』
「1日空いているんですか?」
『26日と27日。2日とも休むつもり』
「2日間……」
『嫌なら、26日だけでもいいけど』
「嫌ではありません」
佐藤は、慌てて否定した。
「旅行に行きたいです」
『旅行?』
「はい。温泉とか」
美園の表情が、僅かに止まる。
背中に刻まれた薔薇。
その存在を、佐藤も知っている。
だが、これまで意味を聞かれたことはなかった。
佐藤はすぐにスマートフォンを取り出し、宿を探し始める。
「客室に露天風呂がついているところがあります」
『気を遣わせた?』
「僕が、美園さんと2人で入りたいだけです」
『そんなこと、真顔で言えるようになったんだ』
「……今のは忘れてください」
『忘れないよ』
美園は楽しそうに笑った。
佐藤は顔を赤くしながら、画面をスクロールする。
「ここはどうですか? 部屋で食事もできるみたいです」
『いいところだね』
「少し遠いですが、車で行けます」
『運転、お願いしていい?』
「もちろんです」
『じゃあ、そこにしよう』
佐藤が予約画面を開く。
美園は、カウンター越しにその横顔を見つめていた。
人の多い場所を避けたい理由を、佐藤は細かく聞かなかった。
先回りして、2人きりで入れる風呂を選んだ。
その優しさが嬉しく、同時に少しだけ胸を締めつける。
背中の薔薇について、佐藤は何も知らない。
Rose girlsという名前も。
美園が樹里や陽菜と過ごした時間も。
それを打ち明ける日が近づいているような気がした。
『佐藤くん』
「はい」
『楽しみにしてる』
「僕もです」
美園は微笑み、再びグラスを磨き始めた。
店の小さなツリーが、柔らかな光を放っている。
それぞれが選んだ贈り物は、まだ包みの中にある。
深い赤色のキーケース。
冬のスーツに似合うネクタイ。
薄手のグローブと、柔らかなマフラー。
傷んだものに気づいたから選ばれた名刺入れ。
同じ形だとは知らずに選ばれた、色違いの2本のボールペン。
高価だからでも、特別な日だからでもない。
相手の何を見ていたのか。
これから、どんな時間を一緒に過ごしたいのか。
贈り物には、それぞれの愛し方が表れていた。
クリスマスは、もう目の前まで来ていた。




