216話「違うものを持ち寄って」
下見を終えた5人は、再び社用車へ乗り込んだ。
運転席には、当然のように陽菜が座っている。
助手席へ乗ろうとしていた柚希の動きが、一瞬だけ止まった。
「帰りも、陽菜さんが運転するの?」
『当たり前じゃん。往復で借りてるんだから』
「社用車を借りてる話じゃなくて」
『帰りは行きより上手いよ。もう慣れたから』
「片道で?」
『人は失敗から学ぶ生き物だから』
「行きの運転を失敗として認識してたんだ……」
柚希は諦めたように助手席へ座り、シートベルトを締めた。
後部座席でも、凛、萌、陸が無言でベルトを確認している。
陽菜がバックミラー越しに3人を見る。
『みんな、失礼じゃない?』
「安全確認です」
凛が静かに答える。
『あたしもしてる』
「運転する方がするのは当然です」
『凛ちゃん、今日は結構言うね』
帰り道の陽菜は、本人の宣言通り、行きより僅かに落ち着いていた。
速度は制限速度より低いままだったが、停止線の遥か手前で止まることはなくなった。
対向車とすれ違うたびに肩を強張らせる回数も減っている。
会社の駐車場では3度の切り返しで、社用車を枠の中へ収めた。
陽菜が誇らしげにエンジンを切る。
『見た? 行きより1回少ない』
「成長しましたね」
萌が真顔で答えた。
『でしょ?』
「駐車だけで比べれば、ですが」
『最後の一言、いる?』
「正確にお伝えした方がいいと思いました」
『萌、だんだんあたしへの遠慮がなくなってない?』
「櫻井さんが、遠慮なく言ってほしいと仰ったので」
『仕事の話だよ』
「先に条件を限定してください」
陽菜は何も言い返せなかった。
陸が車を降り、久しぶりに大きく息を吸う。
「帰ってこられてよかったです」
『陸。次は屋根に乗せるよ』
「今のは会社へ戻れたことに対する純粋な感想です」
『目が笑ってない』
全員が車を降りたのを確認し、陽菜は社用車の鍵を閉めた。
誰も怪我をしていない。
車にも傷はない。
初めての現地下見は、無事に終わった。
そして、それぞれが持ち帰ったものは、同じではなかった。
週が明けた月曜日。
陽菜は会議室のホワイトボードを、縦に3つへ区切った。
上には、それぞれ異なる言葉を書く。
来場者。
現場の社員。
自分たち。
『土曜日に言った3つ、考えてきた?』
机を囲む柚希、凛、萌、陸が頷く。
『正解を決める会議じゃないからね。まず、見つけたものを全部出そう』
「陽菜さんからじゃないの?」
柚希が尋ねる。
『あたしが最初に言ったら、みんなそっちに引っ張られるでしょ』
「リーダーらしいこと言ってる」
『柚希ちゃん。普段は違うみたいな言い方やめて』
「まだ始まったばかりだから」
『厳しいなあ』
陽菜はホワイトボードの前に立ったまま、柚希を見る。
『じゃあ、柚希ちゃんから』
「私は、受付を変えたい」
『どう変える?』
「小さな子供を連れている人には、今の記入用紙って使いにくいと思う。片手で子供を抱いたまま、立って書いている人もいたから」
柚希は、自分のノートを開いた。
「低い机や、座って書ける場所があった方がいい。それと、受付の近くに子供が少し遊べる場所があれば、お父さんとお母さんも落ち着いて話を聞けると思う」
『なるほど』
陽菜が「受付」「子供」と書く。
『凛ちゃんは?』
「私は、入口です」
凛は、展示場の簡単な配置図を机へ置いた。
「島川不動産のモデルハウスは、中央通路から少し外れています。建物が見えても、入口の位置がわかりにくいです」
『スロープものぼりで隠れてたね』
「はい。案内表示を増やすだけではなく、ベビーカーや車椅子を利用する方が、迷わず入れる配置に変えるべきだと思います」
凛が、配置図の一部を指で示す。
「それから、入口にいる社員の方が来場者全員へ声をかけていました」
『悪いこと?』
「声をかけられると、そのまま営業を受けるのではないかと警戒する方もいます。実際に、入口で中を見たまま通り過ぎた方が何人かいました」
「見学だけでも歓迎、と書くのはどうでしょうか」
萌が言う。
凛が萌を見る。
「私も、それが良いと思います」
『いいね。2人の意見が繋がった』
陽菜は、「入りやすさ」と書き足した。
『次、陸』
「俺は、案内の前に短く見られる資料が必要だと思いました」
『資料なら、入口にも置いてあったよ』
「ありました。でも、文字が多くて、立ったまま読むには向いていません」
陸は、持ち帰ったパンフレットを広げる。
「昨日、同じ質問をしている人が何人もいました。価格帯、土地の広さ、標準設備。それを見ただけでわかるようにすれば、社員の説明も減らせると思います」
『どうして、それに気づいたの?』
「神崎さんのところを見ていたからです」
陸は、創建ライフハウスでもらった案内を机へ置いた。
写真と短い文章を中心にした、簡潔な資料だった。
「向こうでは、案内を待っている人が先にこれを見ていました。だから、社員に聞く内容が具体的になっていたんです」
『真似する?』
「しません」
陸は、はっきりと答えた。
「同じものを作っても、神崎さんのところには勝てないって、櫻井さんが言っていたので」
『覚えてたんだ』
「島川不動産の住宅で、来場者が最初に知りたいことを調べます。それを3分くらいで見られる形にします」
『誰に相談する?』
「住宅販売部の方です。質問が多い内容を聞いて、俺が作ります」
『あたしに何をすればいいか聞かないんだ』
陸は少しだけ迷ってから、頷いた。
「はい。自分で決めました」
その答えに、陽菜は満足そうに笑った。
『じゃあ、任せる。作ったら、みんなで見るから』
「はい」
『最後、萌』
萌は、人数と時間が記録された資料を机へ置いた。
「受付に列ができる原因は、来場者が集中したことだけではありません」
『ほかにもあった?』
「受付を担当していた方が、回収したアンケートの整理と、営業担当への引き継ぎまで行っていました」
萌は、時間帯ごとの記録を指で追う。
「対応が終わったあと、書類を整理するために受付を離れています。その間に次の来場者が来ると、案内を終えた別の方が受付へ戻っています」
「それで、ほかの案内も遅れるんですね」
柚希が資料を覗き込む。
「はい。1つの遅れが、別の場所の遅れに繋がっています」
『どうしたら変えられる?』
「まだ、わかりません」
萌は正直に答えた。
「受付と整理を別の人に分ければ、人数が必要になります。書類をあとでまとめれば、営業担当への引き継ぎが遅れます」
『うん』
「ですが、どこか1か所だけを変えても解決しないことは、わかりました」
陽菜は、萌が作った資料を見る。
来場者の人数だけではない。
誰が、いつ、どこへ動いたのか。
その結果、別の場所にどんな負担が生まれたのか。
下見の最中には数字だけを追っていた萌が、数字の間にいる人間を見始めていた。
『萌は、答えを出さなくていいよ』
「ですが、提案を持ってくるように言われました」
『問題が繋がってるって見つけた。それも立派な提案の始まりでしょ』
「始まり……」
『1人で最後まで答えを出さなくていい。今はチームなんだから』
陽菜はホワイトボードへ向き直った。
4人から出た意見を、線で繋いでいく。
入口を見つけやすくする。
入りやすい言葉を置く。
受付で親子が困らないようにする。
待っている時間にも、住宅の特徴を知ってもらう。
受付、案内、アンケート整理を、1人へ集中させない。
別々に見えた意見が、少しずつ1つの流れになっていく。
『お客さんが入るところから、帰るところまで』
陽菜が言う。
『その途中で困ることを、1個ずつ減らそう』
「全部を一度に変えるんですか?」
凛が尋ねる。
『いきなり全部は無理。年内に住宅販売部の人へ提案して、できるものから準備する。年明けに試して、駄目なら変える』
「役割は、どうしますか?」
『最初から固定しない』
陽菜は4人を見る。
『全員、受付も案内も補助もやってみる。そのうえで、一番力を出せる場所を決めよう』
「得意なことだけを担当するのではないんですね」
『ほかの人の仕事を知らなかったら、困ってることにも気づけないから』
萌の視線が、ホワイトボードへ向く。
自分の仕事を正確に終わらせるだけでは、別の場所で起きていることは見えない。
今までの自分なら、受付の人数と待ち時間だけを報告していた。
その数字が、誰のどんな動きによって生まれたのかまでは、考えなかったかもしれない。
会議室の扉が、軽く叩かれた。
全員が振り返る。
扉の前に、樹里が立っていた。
『失礼します。櫻井さん、少しよろしいですか』
『はい。ちょうど意見が出揃ったところです』
樹里が会議室へ入り、ホワイトボードを見る。
『下見はいかがでしたか』
『問題はいっぱいありました。でも、できそうなことも見えてきました』
陽菜は、4人が出した意見を順番に説明した。
樹里は途中で口を挟まず、最後まで聞いている。
『川原さんが、当日の動きをまとめてくれました』
陽菜が、萌の資料を樹里へ渡す。
樹里は立ったまま、1枚ずつ目を通した。
萌は無意識に背筋を伸ばしている。
『川原さん』
「はい」
『良い記録です』
萌の目が、僅かに大きくなる。
『ただ、このままでは、来場者がいなかった時間と、対応後の処理によって受付を離れた時間の区別がつきません』
その後に続いた言葉で、萌の表情が引き締まる。
『次は分けて記録してください。改善した結果も比較しやすくなります』
「わかりました」
『できますか』
「はい。修正します」
『お願いします』
樹里は資料を陽菜へ返した。
『櫻井さん。高槻興産の打ち合わせがありますので、私は戻ります。住宅販売部へ提出する前に、企画書を共有してください』
『確認してくれるんですか』
『高槻の業務に支障がない範囲であれば』
『ありがとうございます』
樹里は短く頷き、会議室を出ていった。
扉が閉じる。
萌は、資料へ視線を落とした。
「良い記録だと、言ってくれました」
『言ってたね』
「でも、すぐに足りないところも言われました」
『日高先輩だからね』
「褒められたのか、直されたのか……」
『両方じゃない?』
「そういうものですか」
『たぶん』
陽菜は、それ以上説明しなかった。
樹里が資料を細かく確認したこと。
改善したあとの比較まで考えていたこと。
それが、萌を見ている証拠だとは言わなかった。
萌自身が樹里と向き合い、自分で気づくべきことだった。
『よし。今日はここまで』
陽菜は、ホワイトボードに書かれた意見をスマートフォンで撮影した。
『みんな、今週中に自分の案をもう少し具体的にしてきて。年内最後の提案にするよ』
「年内最後……」
柚希が壁のカレンダーを見る。
「陽菜さん。今週が終わったら、もうクリスマスだよ」
陽菜も、カレンダーへ顔を向ける。
12月25日。
その日は、島川不動産の仕事納めでもある。
『ほんとだ。もう来週じゃん』
「忘れてたの?」
『高槻とか下見とかで、曜日の感覚なくなってた』
「中井さんが聞いたら、悲しむんじゃない?」
『なんで中井くんが悲しむの』
「クリスマスの予定、まだ話してないの?」
『話してない』
「本当に?」
柚希が呆れたように陽菜を見る。
『だって、中井くんから何も言われてないし』
「陽菜さんから誘ってもいいと思うけど」
『それだと、からかえないじゃん』
「何を待ってるの?」
『中井くんが緊張しながら誘ってくるところ』
「性格悪いなあ」
『楽しみにしてるって言って』
「言葉を変えても同じだよ」
陽菜は笑いながら、会議室の扉を開けた。
その向こうに、中井が立っていた。
資料を届けに来たのか、薄いファイルを胸元で抱えている。
「会議、終わりましたか?」
『今終わったところ。どうしたの、中井くん』
「住宅販売部から届いた資料を持ってきました」
『ありがとう』
陽菜が受け取ろうとすると、中井はファイルを渡したあとも、その場を動かなかった。
『まだ何かある?』
「はい。少しだけ」
中井は周囲を見る。
柚希、凛、萌、陸の4人が、会議室の中から2人を見ている。
中井の顔に、緊張が浮かんだ。
「陽菜さん。25日の仕事が終わったあと、時間をいただけませんか」
陽菜の口元が、ゆっくりと上がる。
『それ、仕事の話?』
「違います」
『じゃあ、何?』
「……クリスマスなので、一緒に過ごしたいです」
中井は、恥ずかしそうにしながらも、陽菜から目を逸らさなかった。
『うん。いいよ』
「本当ですか?」
『本当。あたしも、中井くんが誘ってくれるの待ってた』
「待っていたんですか?」
『緊張しながら誘ってくるところも含めて』
「最初から気づいていたんですね……」
『中井くん、わかりやすいから』
中井は困ったように笑った。
「それでも、待っていてくれたんですね」
『うん』
陽菜は、ファイルを胸元へ抱える。
『楽しみにしてる』
「僕もです」
そのやり取りを見ていた柚希が、凛へ小さく囁く。
「やっぱり、からかうために待ってたんじゃないと思う」
「私も、そう思います」
『2人とも聞こえてるよ』
陽菜が振り返る。
「聞かせていたのではないんですか?」
凛に言われ、陽菜は一瞬だけ黙った。
『……会議終わり。解散』
「逃げた」
柚希が笑う。
『柚希ちゃん、あとで零に全部言うから』
「なんで零ちゃんに言うの?」
『柚希ちゃんが、あたしの恋愛を気にしてましたって』
「やめてよ!」
静かだった会議室が、笑い声に包まれる。
ホワイトボードには、5人が持ち寄った違う答えが残っていた。
その隣では、赤い数字で示された12月25日が、少しずつ近づいている。
チーム櫻井モデルが本格的に動き出すのは、年が明けてから。
その前に、それぞれにとって大切な冬の1日が待っていた。




