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213話「手柄と責任」

約束した3日目の午後。


 神谷と樹里は、修正した事業計画を持って高槻興産へ向かう準備をしていた。


 資料の最終確認を終え、神谷がファイルを閉じる。


「行ってきます」


 その言葉に、営業部の全員が顔を上げた。


『神谷さん』


 陽菜が自分の席から声をかける。


『あたしたちが聞いてきたこと、ちゃんと入ってますよね』


「もちろんです」


『陸が見つけた朝定食の話も?』


「入っています」


「そこまで強調しなくても大丈夫です」


 陸が恥ずかしそうに言う。


『何言ってるの。陸が自分で見つけたんだから、もっと誇っていいんだよ』


「ただ、使われていない看板を見つけただけです」


『それを仕事に繋げたから偉いんじゃん』


 陽菜は当然のように言い切った。


 少し離れた席では、萌が落ち着かない様子で資料を見つめている。


 自分が調べた内容が、どのような形で提案書へ組み込まれたのかは聞いている。


 それでも、高槻社長がどう受け取るのかまではわからない。


「川原さん」


 神谷が呼びかける。


「はい」


「設備転用の資料は、計画の中心に入れました」


「……はい」


「私と日高さんが、責任を持って説明してきます」


 その言葉に、萌は顔を上げた。


 自分の仕事を持っていかれるのではない。


 預けたものを、届けてもらう。


 初めて、そう思えた。


「お願いします」


 萌が頭を下げる。


 樹里は鞄を持ち、萌を見る。


『川原さん』


「はい」


『戻ったら、結果を報告します』


「わかりました」


『山本さんにもです』


「俺にもですか」


『当然です。2人とも、この計画を作った人間ですから』


 陸は驚いたあと、姿勢を正した。


「はい。待っています」


 神谷と樹里は営業部を出た。


 高槻興産の会議室には、前回と同じように高槻社長が待っていた。


 挨拶を済ませ、神谷が修正した資料を差し出す。


「前回ご指摘いただいた、主要企業が撤退した場合の運用計画を見直しました」


「説明しろ」


「はい」


 神谷は資料を開いた。


「前回は、第一候補となる企業が撤退した際、代わりとなる企業を早期に誘致することへ重点を置いていました」


「そうだったな」


「ですが、候補を用意するだけでは不十分です。企業が決まったあと、設備の撤去や改修によって長い空白期間が生じる可能性があります」


 高槻社長は黙って聞いている。


「そこで、建物の設備を、専用部分と共用可能な部分に分けます。給排水や電気系統など、簡単に変更できない設備には一定の汎用性を持たせます」


「最初から、別の企業が入ることを想定するということか」


「はい。入居する企業に合わせることは必要です。ただ、すべてを一社専用に作るのではなく、内装や区画によって対応できる範囲を広げます」


「それで、どれだけ変わる」


 神谷が樹里を見る。


 樹里は資料の後半を開いた。


『過去に入居企業が変更された物件を比較しました。設備の大部分を撤去した物件と、一部を転用できた物件では、入居決定後の工事期間に大きな差があります』


「費用は」


『初期費用は、従来案より増加します』


「収益を下げる提案を持ってきたのか」


『短期的には、その通りです』


 樹里は高槻社長から目を逸らさなかった。


『ただし、入居企業が変更された場合の改修費用と空室期間を含めれば、長期的な損失は抑えられます』


「最初の企業が、ずっと残れば無駄になる」


『無駄にはなりません』


 樹里は即答した。


『企業が存続していても、働き方や人員構成は変わります。設備を変更できる余地は、同じ企業が使い続ける場合にも必要です』


「随分と言い切るな」


『そのための事例を、後ろに添付しています』


 高槻社長はページをめくった。


 従業員の増減。


 勤務時間の変化。


 部署統合に伴う区画の変更。


 同じ企業が入居を続けながら、大規模な改修を行った事例が並んでいる。


「なるほど」


 高槻社長は短く呟いた。


 それが肯定なのか、単なる理解なのかはわからない。


 再びページをめくる。


 今度は、周辺店舗への影響をまとめた箇所で手が止まった。


「朝定食?」


「はい」


 神谷が答える。


「過去に近隣の企業が移転し、朝の利用客が減ったことで、営業時間を変更した店舗がありました」


「昼の売上だけを調べたわけではないのか」


「働く人の人数だけでなく、勤務する時間や年齢層によっても、周辺への影響は変わります」


「だから、主要企業だけに人の流れを依存させない運用にする」


「はい。複数の規模、異なる勤務形態の企業を組み合わせます。契約更新の時期も可能な範囲で分散させ、一度に人の流れが失われる危険を抑えます」


 高槻社長は、しばらく資料を読み続けた。


 前回よりも沈黙が長い。


 神谷は説明を加えなかった。


 樹里も、相手の表情から答えを急いで読み取ろうとはしない。


 やがて、高槻社長が資料から顔を上げた。


「神谷」


「はい」


「誰が考えた」


「私たちです」


「随分と広い答えだな」


「1人の発案ではありません」


 神谷は答えた。


「設備転用の必要性を見つけたのは、新入社員の川原さんです。過去の契約書と工事報告書を照合し、使い続けられた設備の共通点を調べました」


「新入社員が?」


「はい」


「朝定食を見つけたのは」


「同じく新入社員の山本です。櫻井さんと現地調査を行い、店頭に残された看板から、勤務時間の変化へ聞き取りを広げました」


 高槻社長の目が僅かに細くなる。


「他は」


「佐藤さんが過去の物件事例を選定し、中井さんが設備の改修費用を調べました。櫻井さんと山本が集めた周辺店舗の声を、日高さんと私で計画に組み込んでいます」


「お前が考えたものは、どこにある」


 神谷は一瞬だけ黙った。


「すべてを1つの計画として成立させたことです」


 高槻社長は神谷を見る。


「人が調べたものを並べただけじゃないのか」


「並べただけなら、提案にはなりません」


 神谷の声は穏やかだった。


「それぞれが見つけた事実を、今回の物件へどう反映させるのか。その判断は、私が行いました」


「間違っていたら、誰の責任だ」


「私です」


「設備の案に問題があってもか」


「はい」


「新入社員の調査が足りなかったとしても?」


「足りないまま提案へ使うと決めたのは、私です」


「日高の責任ではないのか」


「日高さんにも、計画を支えていただきました」


 神谷は隣に座る樹里を見た。


「ですが、この案件の責任者として指名されたのは、私です」


 その言葉を聞き、樹里は何も口を挟まなかった。


 自分も責任を負うと主張することはできる。


 だが今、高槻社長が確かめているのは、神谷が責任者として立てる人間なのかどうかだった。


 ここで神谷の言葉を奪うべきではない。


 高槻社長が、ゆっくりと椅子へ背を預ける。


「手柄は分ける。責任は自分で持つ」


 低い声が、会議室へ落ちた。


「口で言うのは簡単だ」


「はい」


「実際に問題が起きたときも、今と同じことを言えるか」


「言います」


「言い切ったな」


「はい」


 高槻社長は資料を閉じた。


「方向は悪くない」


 神谷の指先が僅かに動く。


 それでも、すぐに安堵を表へ出さなかった。


「ありがとうございます」


「まだ採用すると言ったわけじゃない」


「承知しています」


「設備については、実現できるか専門の人間に確認しろ。費用も甘い。運用を複雑にすれば、管理する側の負担も増える」


「はい」


「次は、その負担を誰が引き受けるのかまで持ってこい」


「承知しました」


「それと」


 高槻社長が、資料の表紙を指で叩く。


「川原と山本だったか」


「はい」


「名前は覚えた」


 神谷が僅かに目を見開く。


「次に同じ人間の調査を使うなら、何を考え、どう確かめたのか、お前が説明できるようにしておけ」


「本人を連れてくる必要はありませんか」


「今はない」


 高槻社長は言い切った。


「育てる途中の人間を、手柄を見せるためだけに連れてくるな。必要になったときに連れてこい」


「……はい」


「ただし、その仕事を自分のものにはするな」


「承知しました」


 高槻社長が立ち上がる。


「3日前よりは、話を続ける価値のある計画になった」


 それが、この場で得られる最大限の評価だった。


「次を待っている」


「ありがとうございます」


 神谷と樹里は、深く頭を下げた。


 高槻興産を出ると、神谷は建物の前で足を止めた。


 冬の空気を、ゆっくりと吸い込む。


「緊張しました」


『そうは見えませんでした』


「最後まで、全部駄目だと言われる可能性も考えていました」


『私もです』


「日高さんもですか」


『高槻社長の表情は読みにくいですから』


「それでも、方向は認めてもらえました」


『はい』


 神谷の表情が、ようやく緩んだ。


「川原さんたちに、報告できます」


『それが一番嬉しそうですね』


「待っていると言いましたから」


『そうでしたね』


 神谷は歩き始める。


「以前の私なら、誰が考えたと聞かれたとき、うまく答えられなかったかもしれません」


『ご自分が考えたと言っていましたか』


「そこまで厚かましくはありません」


『では、全員の名前を出して、責任まで分けていたでしょうね』


 神谷は苦笑した。


「否定できません」


『今回は、神谷さんが決めました』


「皆さんが持ってきたものを繋いだだけです」


『繋ぐ人間がいなければ、仕事にはなりません』


 樹里が真っ直ぐ前を見る。


『高槻社長も、それを確かめたのだと思います』


「責任者として、ですか」


『はい』


 神谷は少しの間、何も言わなかった。


「日高さん」


『何でしょうか』


「私が倒れたあとも、この案件から外れずにいてくれて、ありがとうございます」


 樹里の足が僅かに遅くなる。


『私も、担当ですから』


「それだけですか」


『それ以外に、何があるんですか』


「いえ」


 神谷は穏やかに笑う。


「今は、それで十分です」


 樹里は神谷を見たが、何も返さなかった。


 ただ、歩く速さを合わせるように、隣へ並び直した。


 営業部へ戻ると、全員が仕事をしていた。


 しかし、扉が開いた瞬間、いくつもの視線が神谷と樹里へ集まる。


 陽菜は電話対応の途中だった。


『はい、承知しました。確認して折り返します』


 受話器を置いた途端、立ち上がる。


『どうでした?』


「櫻井さん。まだ皆さん仕事中です」


『だって気になるじゃないですか』


 萌も陸も、席に座ったまま2人を見ている。


 神谷は営業部の中央まで進んだ。


「高槻社長から、計画の方向性は認めていただけました」


 営業部に、安堵の息が広がる。


『やった!』


 陽菜が真っ先に声を上げた。


「ただし、設備の実現性と管理上の負担について、追加の確認が必要です。まだ採用が決まったわけではありません」


『でも、前に進んだんですよね』


「はい」


『じゃあ、今は喜んでいいじゃないですか』


 陽菜が拍手を始める。


 陸も続き、佐藤や中井、周囲の社員たちも手を叩いた。


 萌だけは、まだ神谷の言葉を待っている。


 神谷は、その萌を見る。


「川原さん」


「はい」


「高槻社長は、設備転用の資料を誰が考えたのか尋ねました」


 萌の目が見開かれる。


「私の名前を、伝えたんですか」


「はい。高槻社長も覚えました」


「……高槻社長が」


「ただし、設備として実現できるかは、これから確認します。川原さんにも、引き続き関わってもらいます」


「はい」


 萌はうなずいた。


 驚きと嬉しさが入り混じり、うまく表情を整えられない。


「必ず、最後までやります」


「お願いします」


 神谷は次に陸を見る。


「山本」


「はい」


「朝定食の話も、高槻社長の目に留まりました」


「本当ですか」


「働く人数だけではなく、時間まで見る必要がある。その根拠として使っています」


「でも、俺は看板を見つけただけです」


『またそれ言うの?』


 陽菜が陸の隣へ立つ。


『見つけて、聞いて、仕事に持って帰ってきたんでしょ』


「はい」


『だったら、陸の仕事だよ』


 陽菜は笑い、陸の背中を叩いた。


『もっと喜びなよ』


 陸は少し照れながら、頭を下げる。


「ありがとうございます」


『あたしじゃなくて、まず神谷さんにでしょ』


「すみません。神谷さん、ありがとうございます」


「私は、山本の報告を使っただけです」


 神谷が答える。


「次も、気づいたことがあれば教えてください」


「はい」


 少し離れた場所から、その様子を見ていた黒澤が立ち上がる。


「神谷」


「はい」


「高槻社長から、方向を認められたんだな」


「はい。ただ、まだ課題は残っています」


「それでいい。最初から何も直すところがない計画なんて、かえって信用できない」


 黒澤は神谷の手にある資料を見る。


「全員の名前を出したのか」


「聞かれた仕事については、誰が担当したのか伝えました」


「責任は?」


「私が持つと伝えました」


「そうか」


 黒澤は短くうなずいた。


「なら、次もお前がまとめろ」


「はい」


「今度は倒れるなよ」


「気をつけます」


「気をつけるじゃ足りない。倒れないように仕事を分けろ」


「承知しました」


 黒澤は営業部を見渡した。


「高槻の案件は、神谷と日高さんだけの仕事じゃない。関わった以上、最後まで全員でやれ」


 それぞれが返事をする。


 黒澤は自分の席へ戻りながら、もう一度だけ神谷を見た。


 以前の神谷は、任された仕事を自分だけで完成させようとしていた。


 誰よりも働き、誰よりも責任を抱える。


 それが、上に立つ人間の姿だと思っていた。


 今は違う。


 人の力を借りる。


 仕事に名前を残す。


 その上で、失敗したときの責任からは逃げない。


 まだ完成してはいない。


 だが、任せた人間を前へ立たせながら、自分も後ろへ隠れない人間になり始めている。


 黒澤が神谷をこの案件の責任者に指名した理由は、高槻社長の前でも崩れなかった。


 その日の業務が終わる頃。


 萌は、修正する資料を開いていた。


 自分の名前を、高槻社長が覚えた。


 その事実だけで、指先が僅かに震える。


 隣では、陸が聞き取り内容を整理し直している。


「川原さん」


「何?」


「次も、何か見つけられると思いますか」


「探す前から、見つからないと思ってるの?」


「そういう意味ではありません」


「だったら、探せばいいでしょ」


「はい」


 陸は素直に答え、画面へ向き直った。


 萌も再び資料を見る。


 自分たちは、まだ新人だ。


 経験も、知識も足りない。


 高槻社長の前へ出られるほどの人間ではない。


 それでも、自分たちが見つけた小さな事実は、神谷と樹里の手によって大きな計画へ繋げられた。


 手柄を奪われたとは思わなかった。


 任せきりにされたとも思わない。


 自分の仕事に、自分の名前が残っている。


 そして、その仕事に何かあれば、責任を背負う人が前に立ってくれる。


 それが、チームで仕事をするということなのだと、萌は初めて知った。

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