20話「威圧」
面談当日の午後。
樹里、陽菜、美園の3人は、高村とともに高校を訪れた。
受付で氏名と訪問目的を伝え、来校者用の札を首から下げる。
樹里は落ち着いた色のスーツ。
陽菜も、会社へ出勤するときと変わらない服装をしていた。
美園は黒を基調としたジャケットとパンツを選び、髪も普段より控えめにまとめている。
3人とも、外見だけなら保護者の付き添いにしか見えない。
受付を終えたあと、高村が小声で頭を下げた。
「今日は、本当にありがとうございます」
『まだ何もしていません』
樹里は静かに答えた。
『それより、息子さんの様子はどうですか』
「今日は家にいます。面談が終わったら、必ず内容を話すと約束しました」
『無理に登校させていませんよね』
「はい。本人が安心できるまでは、休ませます」
樹里は頷いた。
陽菜は、緊張した面持ちの高村を見つめていた。
本当なら、子供のために何かしてやりたい。
けれど、動き方を間違えれば、子供をさらに追い詰めるかもしれない。
その恐怖を抱えながら、ここまで来たのだろう。
『高村さん』
陽菜が声をかける。
「はい」
『今日は、言いたいことを全部言ってください。途中で言葉に詰まっても、急がなくて大丈夫ですから』
「……ありがとうございます」
高村は少しだけ表情を緩めた。
4人が案内されたのは、校舎の奥にある応接室だった。
中には、教頭、学年主任、担任の教師が待っている。
少し遅れて、スクールカウンセラーも入室した。
挨拶を終え、全員が席へ着く。
最初に話したのは、高村だった。
息子から聞いたこと。
学校へ行けなくなった経緯。
これまで担任へ相談してきたこと。
息子が、訴えたことを周囲へ知られるのを恐れていること。
声が震える場面もあった。
言葉に詰まり、手元の記録へ目を落とすこともあった。
それでも樹里たちは、代わりに話そうとしなかった。
高村が再び顔を上げるまで、黙って待った。
話を聞き終えた教頭が、慎重な口調で答える。
「保護者の方がご心配されていることは、理解しました」
高村の指が、膝の上でわずかに動く。
「ただ、現時点では、いじめと断定できるだけの証拠が確認できていません」
また、その言葉だった。
証拠がない。
高村が何度も聞かされてきた言葉。
陽菜の目から、少しずつ温度が消えていく。
しかし、樹里はすぐに反論しなかった。
『いじめと断定してほしいと、今この場で求めているわけではありません』
教頭が樹里を見る。
『被害を訴えている生徒がいて、すでに登校できない状態になっています。その事実を踏まえ、学校として調査と安全確保を進めていただきたいとお願いしています』
「調査は、担任の方でも進めています」
『これまで、どのような調査をされましたか』
担任の教師が答える。
「クラス全体の様子を確認し、何人かの生徒にも話を聞きました」
『誰が、いつ、どのような方法で聞き取りを行ったのか、記録はありますか』
教師は答えに詰まった。
学年主任が横から口を挟む。
「個々の生徒に関することですので、すべてを外部の方へお話しすることはできません」
『個人情報を開示してほしいのではありません』
樹里の声は穏やかだった。
『学校として、必要な確認を行ったのか。その手順と結果を、保護者へ説明していただきたいだけです』
教頭が資料を見ながら答える。
「改めて、関係すると思われる生徒から個別に話を聞きます」
『息子さんとは別々にお願いします』
「もちろんです」
『聞き取りをした生徒の氏名を、高村さんの息子へ伝える必要もありません。ただし、調査を行った日時と、学校としてどのような判断をしたのかは、文書で回答してください』
教頭は少し迷ったあと、頷いた。
「分かりました」
続いて、登校方法について話し合う。
すぐに教室へ戻すことはしない。
本人が希望すれば、相談室や保健室を利用できるようにする。
登下校の時間も調整する。
担任以外にも、相談できる教職員を決める。
約束された内容を、美園が静かに書き留めていた。
陽菜は、教師たちの顔を見ていた。
樹里が質問したとき、誰が先に目を逸らすか。
高村が息子の言葉を伝えたとき、誰が資料を見るふりをしたか。
教師たちは、何もしていないわけではない。
ただ、問題をいじめと認めたあとに生じる責任を恐れている。
慎重という言葉の陰へ隠れ、決断を先延ばしにしてきた。
(やっぱり、面倒にしたくなかったんだ)
陽菜には、そう見えた。
面談が終わる頃、教頭が立ち上がった。
「本日伺った内容をもとに、改めて確認します。関係する生徒への聞き取りも、これから行います」
『よろしくお願いします』
高村が頭を下げる。
4人は応接室を出た。
そのまま職員玄関へ案内される予定だったが、学年主任が途中で呼び止められた。
廊下の先から、若い教師が数人の男子生徒を連れてくる。
これから、別室で聞き取りを行うらしい。
生徒は3人いた。
全員が制服を着崩し、面倒そうな顔で歩いている。
高村は彼らの顔を知らない。
樹里たちも同じだった。
ただ、生徒のうち1人が、高村の首から下がっている来校者札へ目を向けた。
そこに書かれた名字を読む。
「……高村」
足を止めるほどの声ではなかった。
けれど、陽菜には聞こえた。
隣にいた生徒が、高村の顔を見る。
「親まで来たんだ」
その口元に、薄い笑みが浮かんだ。
高村の身体が強張る。
若い教師が、生徒たちを促した。
「ほら、立ち止まらないで。早く行くぞ」
それでも生徒の1人は、ポケットからスマートフォンを取り出した。
高村たちへカメラを向ける。
「何かあったときのために、撮っとこ」
「やめなさい。校内で勝手に撮影しない」
教師が注意する。
生徒はスマートフォンを下ろさなかった。
「別にいいじゃん。部外者が勝手に来てるんだし」
陽菜が、ゆっくりと生徒の方へ身体を向けた。
樹里は止めなかった。
ただ、その背中を見ている。
美園も、黙って高村の隣へ立った。
陽菜が前へ出る。
生徒との間には、まだ十分な距離がある。
それ以上は近づかない。
『スマートフォン、下ろしなさい』
低く、落ち着いた声だった。
普段の明るい陽菜とは、まるで違う。
撮影していた生徒が、鼻で笑う。
「誰だよ、あんた」
『今、その人を撮ってるよね』
「証拠だよ。こっちが何かされたら困るから」
『何をされると思ったの?』
「知らねえよ。急に知らない大人が来てんだから」
『なら、先生の指示には従えるよね』
陽菜は若い教師へ視線を向ける。
教師は戸惑いながらも、生徒へ言った。
「撮影をやめなさい。今すぐだ」
生徒は、まだスマートフォンを構えている。
「警察呼ぼうかな。大人に脅されたって」
『呼んでいいよ』
陽菜は即座に答えた。
生徒の笑みが、わずかに止まる。
『撮影も続けていい。今から自分が何を言うのか、全部残るから』
「……何だよ、それ」
『その方が、言った、言わないにならないでしょ』
陽菜の口元に、わずかな笑みが浮かんだ。
楽しそうな笑顔ではない。
怒っている顔でもない。
ただ、相手が何をするのか観察している。
どの言葉で目が動くか。
誰へ助けを求めるか。
3人のうち、誰が中心なのか。
逃げ道を探す動物を見るような目だった。
撮影していた生徒が、隣の2人へ視線を送る。
陽菜は、それを見逃さない。
『今、どうして2人の顔を見たの?』
「は?」
『何て答えればいいか、確認した?』
「意味分かんねえよ」
『そう』
陽菜は笑みを残したまま、少しだけ首を傾ける。
『まだ、私は何も聞いてないもんね』
生徒の喉が動く。
『なのに、どうしてそんなに警戒してるの?』
「お前らが、いじめとか言って呼び出したんだろ」
廊下の空気が止まった。
陽菜の笑みが、ほんの少し深くなる。
『私、いじめの話なんてしてないよ』
撮影していた生徒の表情が固まる。
隣の1人が、小さく舌打ちをした。
陽菜は声を荒らげなかった。
むしろ、先ほどより静かになっている。
『どうして、この人がいじめの相談に来たって知ってるの?』
「……先生から聞いたんだよ」
若い教師が、すぐに首を横に振る。
「私は、話を聞きたいとしか伝えていない」
生徒たちの間に、わずかな動揺が走る。
撮影していた生徒が、教師を睨む。
「じゃあ、分かんねえ。適当に言っただけ」
『たまたま?』
「そうだよ」
『便利だね、その言葉』
陽菜は、3人を順番に見た。
『物がなくなるのも、無視されるのも、聞こえるように悪口を言われるのも、全部たまたま』
生徒の1人が息を呑む。
『今、あなたの顔が変わったね』
「変わってねえよ」
『悪口の話をしたときだけ、右を見た』
「見てねえ」
『見たよ』
陽菜は迷いなく答えた。
生徒の声が、少しずつ大きくなる。
「だから何だよ! 俺たちは何もしてねえから!」
『“俺たち”なんだ』
陽菜の言葉で、生徒が止まった。
『私は、誰がしたとも聞いてないよ』
3人は何も答えられなかった。
陽菜は笑っている。
可愛らしい顔立ちに、柔らかい声。
それなのに、誰もその場から動けない。
かつてRose girlsの副総長だった頃。
陽菜が本当に恐れられていた理由は、喧嘩が強かったからだけではない。
相手が隠したいものを見つけたとき、彼女は笑った。
次に何をするのか。
どこまで見抜いているのか。
相手には、まったく読めない。
分からないものは、怒鳴り声よりも怖い。
陽菜は生徒たちへ、もう半歩だけ近づいた。
それでも、手が届く距離には入らない。
『安心して。私は何もしないよ』
誰も安心した顔をしなかった。
『触らない。怒鳴らない。脅さない。先生たちが、ちゃんと話を聞いてくれるから』
陽菜は、教師へ視線を向ける。
若い教師の背筋が、反射的に伸びた。
『ただ、嘘をつくなら、最後まで同じ嘘をついた方がいいよ』
「それが脅しだろ」
『忠告』
陽菜は3人の顔を見比べる。
『これから別々に話を聞かれるんでしょ。誰か1人でも話が違ったら、ほかの2人が何を隠したのかまで分かるかもしれないね』
生徒たちは、また互いの顔を見た。
今度は先ほどより露骨だった。
仲間だから確認したのではない。
誰かが先に話すのではないか。
自分だけが責任を負わされるのではないか。
同じ側にいたはずの3人の間に、初めて疑いが生まれる。
陽菜は、それを見ていた。
口元には、まだ笑みがある。
『ねえ』
撮影している生徒が、スマートフォンを握り直す。
『その動画、消さなくていいよ』
「……は?」
『自分たちが、何も知らないのに“いじめ”という言葉を出したところまで、ちゃんと残ってるから』
生徒の指が止まった。
『先生にも、見せてあげて』
生徒の顔から、血の気が引いていく。
ゆっくりと、スマートフォンが下がった。
そのときだった。
『陽菜』
樹里の声が、廊下に落ちた。
陽菜の動きが止まる。
『そこまでだ』
陽菜は数秒、生徒たちを見つめていた。
それから笑みを消し、半歩下がる。
『……分かってる』
反論はしなかった。
名を呼ばれただけで、陽菜は元の位置へ戻る。
若い教師は、何が起きたのか理解できないまま、その様子を見ていた。
撮影していた生徒も、スマートフォンを下げたまま動かない。
廊下の奥から、複数の足音が近づいてきた。
「何をしているんですか!」
先ほどの面談に出席していた教頭と学年主任が、慌てた様子で駆け寄ってくる。
教頭は生徒たちと陽菜を見比べ、厳しい表情を浮かべた。
「勝手に生徒へ話しかけないでください。場合によっては、こちらも対応を考えますよ」
陽菜の目が、再び細くなる。
だが、今度は前へ出なかった。
代わりに、樹里が静かに歩き出す。
陽菜の狂気が、生徒たちの嘘へ最初のひびを入れた。
そのひびを、逃げられない事実へ変えるのは、樹里の役目だった。




