21話「説教」
「何をしているんですか!」
教頭と学年主任が、慌てた様子で廊下を駆けてきた。
陽菜はすでに生徒たちから離れ、樹里の隣へ戻っている。
撮影していた生徒も、スマートフォンを下げていた。
しかし、場に残った空気は戻っていない。
3人の生徒は、先ほどまでの余裕を失っていた。
互いに顔を見ないようにしている。
教頭は陽菜の前で足を止めた。
「勝手に生徒へ話しかけないでください。先ほどの面談でも、調査はこちらで行うとお伝えしたはずです」
樹里が、陽菜と教頭の間へ静かに入る。
『申し訳ありません』
樹里は頭を下げた。
教頭も、生徒たちも、意外そうな顔をする。
『こちらから生徒へ声をかけ、必要以上に緊張させてしまったことは謝罪します』
『総長——』
陽菜が小さく声を出す。
樹里は振り返らなかった。
『黙ってろ』
低い声だった。
陽菜は唇を結び、それ以上何も言わない。
樹里は教頭へ向き直る。
『ただし、先にこちらを撮影し、保護者の名字を口にしたのは生徒側です』
「それはこちらで確認します」
『いじめの相談で来校したことも、生徒の側から口にしました』
教頭の表情が、わずかに変わる。
『私たちは、誰が関係しているのかも、この場で何のために呼ばれたのかも、生徒へ伝えていません』
若い教師が頷いた。
「私も、話を聞きたいとしか伝えていません」
撮影していた生徒が、苛立ったように言う。
「だから、適当に言っただけだって」
樹里は、生徒へ直接返事をしなかった。
視線を教頭へ向けたまま続ける。
『それなら、なぜ高村さんの名字を見ただけで、いじめの話だと判断できたのか。学校として確認していただけますか』
「もちろん、確認します。ただ、だからといって、外部の方が生徒を問い詰めていいことにはなりません」
『はい。ですから、その点については謝罪しました』
樹里の声は、まだ丁寧だった。
『私たちの行動に問題があったことと、生徒たちの発言を調べる必要があることは、別の問題です』
教頭が口を閉じる。
樹里は、撮影していた生徒のスマートフォンへ目を向けた。
『それから、今の動画は削除させないでください』
「何でだよ」
生徒が反発する。
『今ここで何が起きたかを確認する資料になります』
「勝手に撮ったって怒ってたくせに」
『無断撮影が適切だったとは思っていません。ただ、撮影した以上、自分に都合の悪い部分だけを消すことも認めません』
生徒がスマートフォンを強く握る。
教頭が生徒へ声をかけた。
「その動画は誰にも送らず、今はそのままにしておきなさい。保護者にも連絡します」
「は? 俺のスマホなんだけど」
「撮影した相手がいる。勝手に公開することは認められない」
「公開なんかしねえよ」
『なら、問題ないよね』
陽菜が静かに言った。
生徒の顔が引きつる。
樹里が横目で陽菜を見る。
『お前は黙ってろと言っただろ』
『今のは確認しただけじゃん』
『黙れ』
『はい』
美園は少し離れた位置で、高村の隣に立っていた。
口を挟まず、教師と生徒たちの反応を見ている。
学年主任が、若い教師へ指示した。
「生徒たちは別室へ。別々の部屋で待たせてください」
教師が頷く。
3人の生徒は、不満そうな顔をしながらも歩き始めた。
先ほどまでは並んでいたが、今は互いに少し距離を取っている。
陽菜が入れた疑いが、まだ残っている。
撮影していた生徒が、通り過ぎる直前に陽菜を睨んだ。
陽菜は何も言わず、笑った。
生徒はすぐに目を逸らした。
生徒たちが廊下の奥へ連れていかれたあと、教頭が樹里たちを見る。
「本日は、もうお帰りください。これ以上は学校側で対応します」
『その前に、先ほどの面談を続けていただけますか』
「必要なことはお話ししたはずです」
『今、確認すべき事実が増えました』
「後日、改めてご報告します」
『何を、いつまでに報告していただけますか』
教頭の眉が寄る。
「ですから、調査が終わり次第です」
『期限を決めてください』
樹里の声が、わずかに低くなった。
怒鳴ってはいない。
表情も崩していない。
それでも、廊下の空気が再び張り詰める。
『今日、生徒たちは、高村さんの名字を見ただけで、いじめの相談だと口にしました』
「まだ偶然の可能性もあります」
『はい。だから調べてくださいと申し上げています』
『日高さん』
美園が静かに声をかける。
『廊下で続ける話じゃないと思うよ』
樹里は美園を見る。
数秒の沈黙のあと、教頭へ向き直った。
『失礼しました。応接室へ戻って、お話しさせてください』
教頭はすぐには答えなかった。
周囲には、別の教師や生徒たちも集まり始めている。
ここで話を続ける方が、学校にとっても都合が悪い。
「……分かりました」
一同は、再び応接室へ戻った。
高村、樹里、陽菜、美園。
向かい側には、教頭、学年主任、担任が座る。
スクールカウンセラーも、改めて同席した。
先ほどまでと同じ顔ぶれ。
けれど、空気はまったく違っていた。
樹里は、最初に頭を下げた。
『先ほどは、同行者が生徒へ直接声をかけ、申し訳ありませんでした』
陽菜も樹里に続く。
『すみませんでした』
謝罪の言葉に迷いはなかった。
教師たちは黙って聞いている。
樹里は顔を上げた。
『そのうえで、本日の出来事を、調査対象へ加えていただきたいと思います』
教頭が答える。
「それは確認します」
『生徒が保護者の名字を知っていたこと。いじめという言葉を自ら出したこと。保護者を撮影したこと。その動画を第三者へ送信していないか』
樹里は、項目を順番に挙げた。
『また、聞き取りをする生徒を同時に移動させたことで、事前に話を合わせられる状態になっていました』
学年主任が反論する。
「まだ加害生徒と決まったわけではありません。犯罪者のように扱うわけにはいきませんので」
『誰も、犯罪者として扱えとは言っていません』
樹里は学年主任を見た。
『互いの話へ影響が出ない環境で、個別に確認してほしいとお願いしています』
「そこまで厳密にする必要があるでしょうか」
その言葉で、樹里の目が変わった。
陽菜と美園は、同時に気づいた。
声は荒れていない。
座り方も変わらない。
ただ、樹里が相手を見る目から、遠慮が消えた。
『必要がないと判断されるのであれば、その理由を文書で回答してください』
「文書で?」
『はい』
樹里は、持参した資料を机の上へ置く。
『生徒が学校へ行けない状態になっている。それでも厳密な調査は必要ないと、どなたが、何を根拠に判断したのか。お名前と役職を添えて回答をお願いします』
教師たちの表情が固まる。
口頭で、必要ないと言うことはできる。
曖昧に、様子を見ると言うこともできる。
しかし、自分の名前と役職を記し、責任の所在を明確にするとなれば、話は変わる。
学年主任は返事をしなかった。
樹里は教頭へ視線を移す。
『先ほど、いじめの事実は確認できていないと仰いましたね』
「はい」
『確認できていないことと、いじめが存在しないことは違います』
教頭が黙る。
『調査が終わっていないのなら、確認できていないのは当然です。その状態を理由に何もしないのであれば、いつまでも確認できないままです』
「学校も、何もしていないわけではありません」
担任が声を上げた。
「クラスの様子は見ています。本人にも声をかけました。でも、本人が詳しいことを話してくれないんです」
高村の肩が動く。
樹里の目が、担任へ向く。
『安心して話せる状態を作りましたか』
「もちろんです」
『加害している可能性のある生徒に知られない場所で、話を聞きましたか』
「それは……放課後、教室で」
『ほかの生徒は?』
「何人か残っていましたが、聞こえないように配慮しました」
樹里の声が、さらに低くなる。
『同じ教室に、ほかの生徒がいる状態で?』
「でも、距離はありました」
『本人が、誰に見られているかを気にしなくていい環境だったと言えますか』
担任は答えられなかった。
『話さなかったんじゃない。話せなかった可能性を、なぜ考えなかったんですか』
「こちらも忙しい中で——」
その言葉が出た瞬間。
樹里の表情から、すべての柔らかさが消えた。
『忙しいから、何です』
部屋の空気が止まる。
声量は変わらない。
だが、もう“日高先輩”の声ではなかった。
『子供が学校へ行けなくなるまで追い詰められている。その親が、何度も助けを求めている』
樹里は、担任から目を逸らさない。
『それでも忙しいから後回しにした。それを、本人が話さなかったせいにするんですか』
「そういう意味では……」
『では、どういう意味です』
担任の声が止まる。
樹里は机を叩かない。
立ち上がりもしない。
ただ、相手が逃げようとするたび、その言葉を正面へ戻す。
『証拠がない。本人が話さない。忙しい。全部、動かなかった理由ですよね』
誰も答えない。
『学校側にも事情があることは理解します。多くの生徒を見なければならない。確認を誤れば、別の生徒を傷つける可能性もある』
樹里は、そこで言葉を区切った。
『だから、慎重に調べてほしいと言っています』
声が低く沈む。
『慎重であることと、何もしないことを同じにするな』
陽菜の背筋が、自然に伸びた。
美園も、樹里の横顔を見ている。
昔、誰かが責任から逃げようとしたとき。
仲間を切り捨て、自分だけ助かろうとしたとき。
樹里は同じ声を出した。
怒鳴り声ではない。
逃げ道そのものを許さない、総長の声だった。
『様子を見るというなら、何を見るのかを決めてください』
樹里は続ける。
『誰が、いつ、どこを確認するのか。新たな被害があったとき、誰が対応するのか。本人が助けを求める相手は誰なのか』
教師たちの顔を、順番に見る。
『責任を負う覚悟もないまま、“様子を見る”という言葉で逃げないでください』
教頭が、ゆっくりと息を吐いた。
先ほどまでの防御的な態度が、少しだけ崩れる。
「……対応が不十分だったことは認めます」
担任が驚いたように教頭を見る。
教頭は高村へ向き直った。
「これまで、ご不安な思いをさせてしまい、申し訳ありませんでした」
高村は、すぐには答えなかった。
膝の上で拳を握り、声を絞り出す。
「謝ってほしくて来たわけではありません」
教頭が顔を上げる。
「息子が、安心して学校へ行けるようにしてください」
高村の声は震えていた。
それでも、今度は最後まで自分の言葉で伝えた。
「息子の話を、信じるところから始めてください。証拠がないから嘘だと決めつけないでください」
「……はい」
教頭は頷いた。
その後、具体的な対応が決められた。
関係する生徒への聞き取りは、個別の部屋で行う。
担当する教師を分け、互いの話へ影響が出ないようにする。
高村の息子には、担任以外の相談先としてスクールカウンセラーと学年主任を指定する。
本人が希望すれば、相談室への登校を認める。
撮影された動画については、生徒の保護者へ連絡し、第三者へ共有されていないことを確認する。
学校は、3営業日以内に途中経過を書面で高村へ報告する。
さらに、聞き取りの結果に応じて、関係する生徒の保護者を交えた話し合いの場を設ける。
内容を確認したあと、樹里は最後に尋ねた。
『今、お話しいただいた対応を、面談記録として残していただけますか』
「残します」
『高村さんにも、写しをお願いします』
「分かりました」
樹里は、そこで初めて視線を緩めた。
『ありがとうございます』
面談を終え、4人は校舎を出た。
夕方の空気が、張り詰めていた身体を冷やしていく。
高村が足を止め、3人へ深く頭を下げた。
「本当に、ありがとうございました」
『まだ終わっていません』
樹里が答える。
『学校が、今日決めたことを実行するか。息子さんが安心できる状態になるか。そこまで確認する必要があります』
「はい」
『でも、今日は高村さんが自分で伝えたんです』
美園が穏やかに言う。
『息子さんに、そのことも話してあげてください』
高村は目元を押さえ、頷いた。
「必ず伝えます」
高村と別れたあと、陽菜が樹里の隣へ並んだ。
『……総長』
『外で呼ぶな』
『今は会社じゃないでしょ』
『どこで誰が聞いてるか分からねえ』
『昔の総長、出てたよ』
樹里の眉が動く。
『出てねえ』
『出てた』
『出てないよ』
美園まで加わる。
『美園、どっちだ』
『出てたね。言葉は昔より随分まともだったけど』
『ほら』
陽菜が笑う。
樹里は不機嫌そうに前を向いた。
『それより、お前だ』
『私?』
『やりすぎだ』
陽菜の笑みが消える。
『……ごめん』
素直な返事だった。
『でも、あの子たちが高村さんを撮って笑ったのを見たら、止まれなかった』
『分かってる』
『怒ってる?』
『怒ってる』
『そっか』
陽菜は少し俯いた。
樹里が続ける。
『だが、お前が見つけたことは無駄じゃない』
陽菜が顔を上げる。
『次は、先に私へ言え』
『うん』
『勝手に動くな』
『分かった』
『目で脅すな』
『それは難しいって』
『反省してんのか』
『してるよ』
美園が、2人の後ろで小さく笑った。
陽菜の狂気が、生徒たちの連携へひびを入れた。
樹里の威圧が、学校側の逃げ道を塞いだ。
けれど、まだ誰も真実を話してはいない。
残っているのは、生徒と、その親たち。
次に必要になるのは、恐怖でも理屈でもなく、全員の声を黙らせ、聞くべき話へ向かわせる力だった。




