↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
156/329

156話「正解よりも」

部屋の扉が閉まった。


 宴会場から聞こえていた声も、廊下を歩く足音も遠ざかる。


 残ったのは、空調の音と、柚希と零の呼吸だけだった。


 部屋には、少し離して置かれた2つのベッドがある。


 陽菜の言ったとおり、同じ部屋ではあっても、同じベッドではない。


 何もしたくなければ、何もしなくていい。


 それでも、2人きりであることに変わりはなかった。


「……とりあえず、座ろうか」


 柚希が先に声を出す。


「はい」


 零は背筋を伸ばしたまま、片方のベッドの端へ腰を下ろした。


 柚希も向かいのベッドへ座る。


 2人の間には、数歩分の距離があった。


「零ちゃん、緊張してる?」


「してないっす」


「本当に?」


「……かなりしてるっす」


 零は観念したように答えた。


 柚希が小さく笑う。


「私も」


「柚希さんもっすか」


「うん。陽菜さん、本当に勝手だよね」


「自分、部屋割りを聞いた瞬間、頭が真っ白になったっす」


「嫌だった?」


「違うっす」


 零の返事は早かった。


「柚希さんと同じ部屋が嫌なんじゃないっす。むしろ、嬉しかったっす。ただ、嬉しいと思った自分に驚いたというか」


「私も嬉しかったよ」


 零が顔を上げる。


 柚希は照れていたが、目を逸らさなかった。


「びっくりはしたけど。零ちゃんと2人で話せるって思ったら、少しだけ嬉しかった」


「少しだけっすか」


「……かなり」


 今度は柚希が言い直した。


 零の頬が赤くなる。


 会話が途切れた。


 けれど、先ほどまでの張りつめた沈黙とは少し違う。


 互いに同じような気持ちを抱えている。


 そのことが、わずかに空気を柔らかくしていた。


「そうだ」


 柚希は鞄を開き、昼間に買った飾りを取り出した。


「さっきは宴会で着けたままだったけど、改めて見せて」


「これっすか」


「うん」


 零は自分の飾りへ触れる。


 柚希が選んでくれたもの。


 可愛すぎると思ったが、身につけているうちに少しずつ馴染んできた。


「やっぱり似合ってる」


「柚希さんの方が似合うっす」


「お揃いにしたかったから。私だけ似合っても意味ないよ」


「どうして、自分とお揃いにしたかったんすか」


 零は、思わず尋ねていた。


 柚希の指が、自分の飾りの上で止まる。


「零ちゃんは?」


「え?」


「どうして、お揃いにしてくれたの?」


「柚希さんが欲しいって言ったから」


「それだけ?」


 零は答えに詰まった。


 柚希と同じものを持てることが、嬉しかった。


 誰かとお揃いのものを選ぶ経験など、ほとんどない。


 それでも柚希が差し出したものなら、自分も持ちたいと思った。


「……柚希さんと同じものを持てるのが、嬉しかったからっす」


「私も」


 柚希は、飾りを大切そうに手のひらへ載せた。


「零ちゃんとお揃いにしたかった」


 互いの口から、同じ気持ちが出る。


 それでも、まだ名前はつかない。


 友達だから。


 親しくなったから。


 旅行へ一緒に来たから。


 そう説明することもできる。


 だが、そのどれだけを重ねても、胸の内にあるものを言い表すには足りなかった。


「零ちゃん」


「はい」


「私ね。前に好きだった人には、嫌われないことばかり考えてた」


 柚希の声が、少しだけ変わった。


 零は黙って続きを待つ。


「呼ばれたら会いに行って。相手の都合に合わせて。困ってたら助けて。そうしていれば、いつか私を選んでくれると思ってた」


「柚希さん」


「自分が何をしてほしいのかは、ほとんど言わなかった。言ったら面倒だと思われるかもしれないから」


 過去の痛みは、なくなったわけではない。


 思い出せば、今でも胸の奥が少し苦しくなる。


「でも、零ちゃんとは違った」


「何がっすか」


「零ちゃんは、私が何かしてあげなくてもLINEをくれる。会いたいって言わなくても、会えたら嬉しそうにしてくれる」


 零の顔が、さらに赤くなる。


「それは、柚希さんに会えたら嬉しいからっす」


「うん」


「何かしてもらいたいから、一緒にいるわけじゃないっす」


「うん。わかってる」


 柚希が笑う。


「だから、好きになった」


 零の呼吸が止まる。


 聞き間違えた可能性を探すように、柚希の顔を見つめる。


「……今、何て」


「零ちゃんが好き」


 柚希は、今度こそはっきりと告げた。


「友達として大切という意味だけじゃない。零ちゃんに会いたい。もっと近くにいたい。ほかの誰かと仲良くしていたら、たぶん少し妬くと思う」


「柚希さん」


「私は、零ちゃんのことが恋愛として好き」


 言い切った瞬間、柚希の指が震えた。


 怖くないわけではない。


 相手も女性だからではない。


 また、自分だけが先に好きになっていたら。


 この言葉で、今までの関係まで失ったら。


 そう考えると、逃げたくなる。


 それでも、今度は待つだけの恋をしたくなかった。


「零ちゃんは、どう思ってる?」


 零は俯いた。


 膝の上で両手を組む。


 すぐに答えは出なかった。


 柚希は急かさない。


 断られることも覚悟して、零の言葉を待った。


「自分も、柚希さんが好きっす」


 小さな声だった。


 だが、柚希にははっきり届いた。


「本当に?」


「はい」


 零が顔を上げる。


「自分も、柚希さんに会いたいっす。LINEが来ると嬉しいし、返事が遅いと何かあったのか心配になるっす。今日も、柚希さんが旅行へ行くって聞いたから、すぐ行くって決めた」


「陽菜さん、私の名前を使ってたね」


「あれは、ずるいっす」


「嫌だった?」


「嬉しかったっす」


 零は、自分の胸へ手を当てる。


「でも、この気持ちをどうしたらいいのか、ずっとわからなかったっす」


「どうして?」


「自分、まともな恋愛をしたことがないっす。それに、女の子同士で付き合うって、どうすればいいのかもわからない」


 零の声に、拒絶はなかった。


 あるのは、真剣な戸惑いだった。


「男の人と女の人なら、周りにいくらでも見本があるっす。どっちが彼氏で、どっちが彼女で、何をしたら恋人らしいのか。何となく決まってるように見える」


「うん」


「でも、自分たちには、そういうものがないっす」


「決まってないのが、怖い?」


「少し怖いっす」


 零は正直に認めた。


「柚希さんを悲しませるかもしれない。自分が知らないことで、傷つけるかもしれない。女の子同士なんて、自分には正解がわからないっす」


 柚希は、零から目を逸らさなかった。


「私も、正解はわからないよ」


「柚希さんも?」


「前は男の人を好きだったけど、正解できなかった」


 柚希は少し寂しそうに笑う。


「性別が違えば、失敗しないわけじゃない。恋人らしいことをしていれば、幸せになれるわけでもなかった」


 零は黙って聞いている。


「だから、最初から正解なんてないんだと思う」


「……はい」


「零ちゃんと一緒に、2人に合う形を探したい」


 その言葉が、零の中へ静かに入っていく。


 正しくなければ始めてはいけないと思っていた。


 失敗する可能性があるなら、友達のままでいた方がいい。


 そうすれば、柚希を失わずに済む。


 だが、失わないために気持ちを隠し続ければ、柚希が差し出してくれた手を取れない。


 零は大きく息を吸った。


 そして、ベッドから立ち上がる。


 数歩分の距離を進み、柚希の前へ立った。


「自分、女の子同士の恋愛なんて、まだ正解がわからないっす」


「うん」


「何をしたら恋人で、どうしたら柚希さんを幸せにできるのかも、たぶんすぐにはわからない」


「うん」


「でも、柚希さんとなら、上手くいったことも、失敗したことも、一緒に楽しみたいっす」


 零の手が、緊張で強く握られている。


「柚希さん」


 零は逃げずに、その目を見つめた。


「自分と付き合ってください」


 柚希の目に、涙が浮かんだ。


 悲しさからではない。


 自分の気持ちを伝えた先に、同じ気持ちが待っていた。


 そのことが、ただ嬉しかった。


「はい」


 柚希は大きくうなずく。


「私でよければ、お願いします」


「柚希さんがいいっす」


 零の声が、少しだけ震えた。


「自分は、柚希さんと付き合いたいっす」


「うん。私も、零ちゃんがいい」


 零の目にも涙が滲む。


 柚希が両手を広げた。


「抱きしめてもいい?」


「自分から、してもいいっすか」


「うん」


 零は恐る恐る柚希へ腕を回した。


 柚希も、その背中を抱く。


 最初は力の入れ方すらわからなかった。


 だが、互いの温度を確かめるうちに、腕は少しずつ強くなる。


「零ちゃん」


「はい」


「好き」


「自分も、好きっす」


 友達だったときにも、何度も近くにいた。


 隣を歩いた。


 LINEを送り合った。


 傷ついたときには、同じ場所に座った。


 それでも今の抱擁は、そのどれとも違う。


 好きだと伝え合ったあとで触れる身体は、距離の意味まで変えていた。


 しばらくして、2人はゆっくりと離れる。


 顔が近い。


 柚希は一瞬、零の唇を見た。


 零も気づいた。


 だが、どちらもその先へは進まなかった。


 急がなくていい。


 今夜は、気持ちを伝えられた。


 付き合いたいと言えた。


 それだけで十分だった。


「寝る場所は、別々でいい?」


 柚希が尋ねる。


「はい。自分、緊張して眠れなくなると思うっす」


「私も」


 2人は笑い合った。


 それぞれのベッドへ移り、昼間に買った色違いの飾りを、間にある小さなテーブルへ並べる。


 照明を落とす。


 暗くなっても、すぐには目を閉じなかった。


「零ちゃん」


「はい」


「もう一回だけ、言ってほしい」


「何をっすか」


「私のこと、好きって」


 暗がりの中で、零が小さく息を吸う。


「柚希さんが好きっす」


「私も、零ちゃんが好き」


「……嬉しいっす」


「私も」


 同じ部屋。


 別々のベッド。


 その間には、色違いのお揃いが並んでいる。


 正解は、まだわからない。


 それでも2人は、正解を知ってから始めるのではなく、一緒に探すことを選んだ。


 名古屋の夜に、新しい恋人同士が生まれた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。