↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
147/329

147話「対面の値段」

黒木がRoseを出た頃には、出版社から新しいメールが届いていた。


 件名は、取材資料の提出について。


 本文には、翌日の午前中までに提出すべきものが並んでいる。


 島川不動産から提供された資料。


 樹里と陽菜への取材記録。


 撮影した写真と音声。


 外部から入手した画像。


 その入手先と経緯。


 黒木は歩道の端で立ち止まり、最後の一文を読み返した。


 期限までに提出されない場合は、社内規定に基づいて調査を進める。


 明日の午前中。


 残されている時間は少ない。


 黒木はメールを閉じ、榊とのLINEを開いた。


「本人たちが、写真を渡した人間に会いたいと言っている」


 返事は、すぐには来なかった。


 黒木は駅へ向かって歩きながら、何度も画面を確認した。


 改札へ着く直前、ようやく既読がつく。


「誰が来る」


「日高樹里、櫻井陽菜、中村美園。3人ともだ」


 次の返事は早かった。


「面白そうだな」


「会えるか」


「いくら出す」


 黒木の足が止まる。


「写真の代金は、すでに全額払った」


「写真は渡した。本人たちの前に顔を出す話までは売ってない」


「直接話せば、記事に使える証言が取れるかもしれない」


「それはあんたの都合だろ」


 黒木は奥歯を噛みしめた。


 湯浅にも金を渡した。


 榊にも払った。


 それでも、手元に残っているのは使用を禁じられた取材記録と、出所を説明できない写真だけだ。


「いくらだ」


 榊から金額が送られてくる。


 黒木は画面を見つめた。


 写真の残金を支払ったばかりだというのに、決して安い額ではない。


「高すぎる」


「なら行かない」


「会って話すだけだ」


「昔の仲間を売った人間として、3人の前に出るんだぞ。安いと思うか?」


「仲間だったのか」


「それを知りたければ、また別料金だ」


 黒木の指に力が入る。


 榊は、自分が必要とされていることを理解していた。


 写真を渡しただけでは終わらない。


 写真の状況を説明するにも、写っている人間同士の関係を語るにも、榊の言葉が必要になる。


 黒木が記事を諦めない限り、値段はいくらでも上がっていく。


「面会が終わってから払う」


「半分は先だ」


「逃げるつもりか」


「困ってるのは、こっちじゃないだろ」


 返す言葉がなかった。


 黒木は指定された金額の半分を振り込んだ。


 間もなく、榊から確認のメッセージが届く。


「場所と時間を送れ」


 黒木は、Roseでもらった美園の連絡先を表示した。


     ◇


 閉店準備を始めたRoseに、電話がかかってきた。


 カウンターを拭いていた美園は、画面に表示された名前を確認してから通話へ出る。


『もしもし』


「黒木です。先ほどのお話について、ご連絡しました」


『写真を売った人と話せたの?』


「はい。面会には応じるそうです」


 美園の手が止まる。


『誰』


「それは、当日まで伏せさせてください」


『どうして』


「先方の希望です」


『名前もわからない相手と会えってこと?』


「写真に写っている皆さんとは、面識があるそうです」


『私たちのことを知ってるんだ』


「そう聞いています」


 美園はカウンターの奥にいる凛を見る。


 凛も、電話の内容が気になっているのか、手を止めていた。


『場所は』


「そちらの店ではいかがでしょうか。営業終了後であれば、ほかのお客様に話を聞かれる心配もありません」


『あなたも来るの?』


「私が仲介した面会です。当然、同席させていただきます」


『駄目』


 美園は即座に拒んだ。


「なぜですか」


『私たちは、写真を売った人と話をしたい。あなたに取材されるつもりはないから』


「記録を取るつもりはありません」


『その言葉を信用できると思う?』


「私は、話を取り次いだだけです。立ち会う権利はあるはずです」


『ないよ』


 美園の声は穏やかだった。


 だからこそ、交渉の余地がないことが伝わる。


『会社から、総長と陽菜への接触を止められてるんでしょ。あの2人が来る場所にあなたがいたら、正式な抗議を無視したことになるんじゃない?』


「日高さんたちが、自分の意思で面会へ来るのであれば——」


『その言い訳を、あなたの編集長にも言える?』


 黒木が黙る。


『相手だけ来させて。あなたが店に入ったら、その場で面会を中止する』


「それでは、私が仲介する意味がありません」


『記事のために呼ぶんじゃない。写真を止めるために呼ぶの』


「先方が、私の同席を条件にする可能性もあります」


『だったら会わない』


 美園は言い切った。


『私たちは、会わせてくれって頼んだわけじゃない。あなたが本物だと言い張るなら、本人を連れてきてって言っただけ』


「少し、お待ちください」


 保留音が流れる。


 黒木は、榊へLINEを送っているのだろう。


 美園はその間に、凛へ小さくうなずいた。


 数分後、黒木の声が戻る。


「先方は、私がいなくても構わないそうです」


『日時は』


「明日の営業終了後。午前0時でいかがでしょうか」


『わかった』


「ただし、警察や弁護士を同席させないこと。会話を無断で録音しないこと。この2点を求めています」


『警察も弁護士も呼ばない。録音もしない』


「日高さんと櫻井さんにも、必ず守るようお伝えください」


『伝える』


「面会後、どのような話になったか教えていただくことは——」


『ない』


 美園は答えを待たず、通話を切った。


 凛が心配そうに近づいてくる。


「会うんですか」


『うん。明日の閉店後』


「美園さんたちだけで?」


『3人で会う』


「危険な人ではないんですか」


『わからない』


 美園はスマートフォンを握ったまま答えた。


『でも、向こうは私たちを知ってる。昔の誰かだと思う』


「私も残りましょうか」


『ありがとう。でも、凛ちゃんは帰って』


「ですが」


『相手の目的がわからないうちは、関わる人を増やしたくない』


「それなら、美園さんたちも会うべきではないのでは」


 真っ直ぐな指摘だった。


 美園は、すぐには返せなかった。


「すみません。事情を知らないのに」


『ううん。凛ちゃんの言う通りだよ』


「それでも、会うんですね」


『会わないままだと、もっと大勢が関わるかもしれないから』


 写真が別の出版社へ渡るかもしれない。


 誰かがSNSへ流すかもしれない。


 過去を知る人間へ、次々に黒木のような人間が近づくかもしれない。


 そうなる前に、写真を持っている本人と話す必要がある。


『店には鍵をかける。何かあったら、すぐ連絡する』


「佐藤さんには?」


 美園の目が、わずかに揺れた。


『今は、言わない』


「心配させるからですか」


『それもある。でも、明日の相手が誰なのかもわからない。何もわからないまま佐藤くんまで呼んだら、守るものを増やすだけだから』


 凛は納得していない顔をしていた。


 それでも、美園の決定を無理に変えようとはしなかった。


「必ず、終わったら連絡してください」


『うん。約束する』


     ◇


 閉店後。


 樹里と陽菜がRoseへ来た。


 美園は入口の鍵をかけ、黒木から連絡があったことを説明する。


『明日の午前0時。ここへ来るって』


『名前は』


 樹里が尋ねる。


『当日まで伏せたいって』


『ふざけてる』


 陽菜の声に、すでに怒りが混じっていた。


『こっちの写真を勝手に売っておいて、自分の名前は隠すんだ』


『陽菜』


『わかってる。まだ何もしない』


『“まだ”をつけるな』


『じゃあ、何もしないよ』


 陽菜は不満そうに唇を尖らせた。


 美園が2人の前へ水を置く。


『条件が2つある。警察や弁護士を同席させないこと。無断で録音しないこと』


『こちらに不利な条件ばかりだな』


『断る?』


 樹里はすぐには答えなかった。


 名前もわからない。


 目的もわからない。


 相手が素直に写真を消す保証もない。


 罠である可能性すら残っている。


『黒澤部長には、私から報告する』


『会社に言うの?』


 陽菜が樹里を見る。


『黒木さんが仲介している以上、黙って会えば会社の対応を無駄にします。過去の内容まで話す必要はありません。写真を渡した人間から面会を求められたとだけ伝えます』


『黒澤部長、止めるんじゃない?』


『止められると思います。ただ、黙って行く方が悪い』


 樹里の答えに、美園が小さくうなずいた。


『わかった。黒澤部長への説明は、総長に任せる』


『ああ』


『私は?』


『櫻井さんは、明日まで何もしないでください』


『なんであたしだけ会社の呼び方なの』


『腹を立てているからです』


『総長だって怒ってるじゃん』


『怒っている。だから、今のうちに決めておく』


 樹里は陽菜だけでなく、美園にも目を向けた。


『明日は、相手に触らない。脅さない。昔の名前も人脈も使わない』


『向こうが先に手を出したら?』


『店の外へ出す。それ以上はしない』


『写真を消さなかったら?』


『話し合う』


『話が通じなかったら?』


 陽菜の問いに、樹里は答えられなかった。


 黒木には仕事がある。


 出版社での立場がある。


 守りたい信用がある。


 だから、証拠を揃えて会社へ訴えることができた。


 だが、明日来る人間が同じとは限らない。


 失うものを持たない相手に、何を差し出せば写真を止められるのか。


 今の3人には、まだ答えがなかった。


『それを、明日確かめる』


 樹里は、ようやくそう答えた。


 陽菜は椅子の背へ身体を預ける。


『昔なら、簡単だったのにね』


 店内が静まった。


 何を意味しているのか、聞き返す必要はなかった。


 昔なら、相手を怖がらせればよかった。


 二度と逆らえないと思わせれば、それで終わった。


 樹里の威圧。


 陽菜の狂気。


 美園の制圧。


 3人には、それができた。


 今でも、できないわけではない。


 ただ、しないと決めている。


『簡単じゃない』


 樹里が言った。


『あれは、解決したように見せていただけだ』


『わかってるよ』


 陽菜は目を伏せる。


『だから、戻らない』


 美園が2人を見つめる。


『明日も、3人で帰ろう』


 何が起きても、誰か1人を置いていかない。


 誰か1人だけに、昔の役目を背負わせない。


 樹里と陽菜が、静かにうなずいた。


     ◇


 同じ頃。


 榊は、黒木から送られてきたRoseの住所を見ていた。


 画面には、明日の時刻と条件が並んでいる。


「黒木は同席しない」


「録音はするな」


「面会後、話した内容を報告してほしい」


 最後の一文を読み、榊は鼻で笑った。


 黒木は、自分だけ安全な場所にいたまま、3人の言葉を手に入れようとしている。


 もっとも、榊にも黒木を守るつもりはなかった。


「報告まで欲しいなら、追加で払え」


 返信を送る。


 すぐに黒木から電話がかかってきたが、榊は出なかった。


 明日、3人の前へ顔を出す。


 その代金は半分受け取った。


 そこで何を話すかは、榊の自由だ。


 黒木が記事を書けなくなろうと、樹里たちが傷つこうと、知ったことではない。


 写真には値段がついた。


 昔話にも値段がつく。


 そして明日は、3人の反応にも新しい値段がつくかもしれない。


 榊は古い写真を表示した。


 特攻服をまとい、横一列に並ぶ女たち。


 その中心にいる樹里。


 傍らに立つ陽菜と美園。


 画面の中の3人は、まだ何も失わないと思っている顔をしていた。


「今さら、まともに生きてるつもりかよ」


 榊は写真を閉じた。


 明日の午前0時。


 金で用意された席へ、過去を売った人間と、過去を守ろうとする3人が向かう。


 同じ席に着く4人の中で、話し合いができると思っている者は、誰もいなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。