↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
139/329

139話「取材」

取材当日の朝。


 陽菜は、出社してから何度も手鏡を確認していた。


 前髪を整え、口元を確認し、鏡を閉じる。


 数分後には、また取り出す。


 その様子を見かねた彩花が、向かいの席から声をかけた。


「櫻井さん、さっきから何回目?」


『何がですか?』


「鏡」


『今日、撮影があるんですよ。身だしなみの確認です』


「取材は午後でしょ」


『今から崩れてないか確認してるんです』


「今から崩れてたら、午後にはどうなるのよ」


『だから何回も確認してるんじゃないですか』


 陽菜は当然のように答え、もう一度前髪へ触れた。


 隣では、樹里が普段と変わらずパソコンへ向かっている。


「日高は、何もしないの?」


 彩花に尋ねられ、樹里は画面から目を離さずに答える。


『普段の仕事をしている姿を撮ると聞いています。特別なことをする必要はありません』


『日高先輩、朝からリップ変えてましたよ』


 樹里の手が止まった。


「気にしてるじゃない」


『いつものものが切れただけです』


『昨日、新しいの買ってましたよね』


『櫻井さん』


『何ですか?』


『仕事をしてください』


『してますよ』


 陽菜は笑いながら手鏡をしまった。


 その会話を少し離れた場所で聞いていた凛と柚希も、顔を見合わせて笑う。


 青柳が異動してから、営業部には僅かな空白が残っていた。


 それでも、陽菜がいる限り、静かな時間が長く続くことはなかった。


 午後1時。


 湯浅が黒木とカメラマンを連れ、営業部へやってきた。


「本日はよろしくお願いいたします」


『よろしくお願いいたします』


『お願いします』


 黒木は前回と変わらない穏やかな態度で、撮影と取材の流れを説明した。


「最初に、普段のお仕事をされている様子を撮影します。そのあと、お2人での写真と、会議室でのインタビューを予定しています」


『仕事中の写真は、どこから撮るんですか?』


「業務の邪魔にならない位置から撮影します。パソコンの画面や書類の内容が写らないよう、こちらでも注意します」


『撮った写真は、その場で見られます?』


「確認用でしたら」


『じゃあ、変だったら撮り直してください』


『櫻井さん。撮影の目的を忘れないでください』


『分かってますって』


 陽菜はそう答えながら、カメラの位置を気にして背筋を伸ばした。


 撮影が始まる。


 樹里は最初こそレンズへ僅かに意識を向けていたものの、すぐに普段の仕事へ戻った。


 書類へ目を通し、電話に応じ、必要な情報をパソコンへ入力する。


 顔を作ることもなければ、カメラへ視線を向けることもない。


 一方の陽菜は、明らかに普段より姿勢が良かった。


 受話器を取る動作も、資料をめくる指先も、どこか丁寧になっている。


 撮影を見ていた彩花が、小声で呟く。


「いつもの櫻井さんじゃない」


『聞こえてますよ、彩花さん』


「撮影に集中して」


『普段どおり仕事してるだけです』


「普段は、そんなにゆっくり資料をめくらないでしょ」


『紙を大切に扱ってるんです』


「今日だけ?」


『いつもです』


 カメラマンの肩が僅かに揺れる。


 笑いを堪えているらしい。


 黒木も手元のメモへ何かを書き込みながら、2人の様子を見ていた。


 仕事風景の撮影が終わると、営業部の壁際で2人並んだ写真を撮ることになった。


「もう少し、日高さんと櫻井さんの距離を近づけてください」


 カメラマンに言われ、陽菜が樹里の隣へ寄る。


『このくらいですか?』


「もう少しだけ」


 陽菜がさらに近づき、樹里の腕へ自分の腕を触れさせた。


『近すぎませんか』


『向こうが近づけって言ったんですよ』


『限度があるでしょう』


『じゃあ、日高先輩が離れてください』


「今の距離でお願いします」


 カメラマンが声をかける。


 樹里は小さく息を吐きながらも、その場に留まった。


「お2人とも、少し表情を柔らかくできますか」


『日高先輩、笑ってください』


『櫻井さんに言われなくても分かっています』


『全然笑ってないですよ』


『笑っています』


『目が怖いです』


『誰のせいですか』


 陽菜が吹き出す。


 つられるように、樹里の表情も僅かに緩んだ。


 その瞬間、シャッター音が響く。


「今の写真、とてもいいと思います」


 カメラマンの言葉に、陽菜がすぐ歩み寄った。


『見せてください』


 液晶画面には、笑っている陽菜と、その隣で僅かに口元を緩めた樹里が写っていた。


 作った笑顔ではない。


 普段の2人を切り取ったような写真だった。


『総長、これいいじゃん』


 陽菜が、樹里だけに聞こえるほどの小さな声で囁く。


 樹里は一瞬、陽菜を見る。


『会社では、その呼び方をするな』


『聞こえてないって』


『油断するな』


 短いやり取りを終え、2人はカメラマンから離れた。


 少し離れたところにいた黒木は、タブレットへ視線を落としている。


 聞こえた様子はなかった。


 撮影を終えると、場所を小会議室へ移した。


 テーブルの片側に樹里と陽菜。


 向かい側に黒木。


 湯浅は、黒木の隣へ座っている。


「まず、現在のお仕事内容から伺います」


 黒木が録音機器を置き、事前に用意した質問を始める。


 樹里は顧客への提案や契約までの流れを、簡潔に説明した。


 専門的になりすぎないよう言葉を選びながら、それでも仕事の重さを軽く扱わない。


 陽菜は、自分が普段心掛けていることを率直に話した。


『あたしは、相手が何を言っているかだけじゃなくて、何を言いにくそうにしているかを見るようにしてます』


「言葉になっていない部分、ということでしょうか」


『はい。家や土地の話って、その人の生活そのものじゃないですか。条件だけ聞いて終わりにはしたくないです』


「櫻井さんご自身が、人の感情を読むことに長けているんですね」


『どうでしょう。外すこともありますよ』


「日高さんは、櫻井さんの接客をどうご覧になっていますか」


 樹里は少し考えてから答える。


『櫻井さんは、人との距離を縮めることが得意です。私にはできない方法で、お客様の緊張を解くことがあります』


『褒められた』


『事実を話しただけです』


『もっと言ってもいいですよ』


『調子に乗らないでください』


 黒木が笑う。


「反対に、櫻井さんから見た日高さんはいかがですか」


『頼りになります』


 陽菜は、今度はふざけなかった。


『言葉は多くないですけど、誰より周りを見てます。自分が助けたことは言わないのに、誰かに助けてもらったことはずっと覚えてる人です』


 樹里が陽菜を見る。


『……記事に必要な内容ですか』


『必要ですよ。日高先輩がどんな人か聞かれたんだから』


「ありがとうございます。とても伝わりやすい言葉です」


 黒木は手元へ書き留めた。


 そこからも、質問は仕事の範囲で続いた。


 入社を決めた理由。


 大変だった案件。


 仕事を続ける中で変わったこと。


 今後挑戦したい業務。


 樹里と陽菜は、それぞれの言葉で答えていく。


「では、最後に一つだけ」


 予定されていた質問を終え、黒木が顔を上げた。


「お2人にとって、今の仕事を始めたことは、人生の転機になりましたか」


『なりました』


 陽菜は迷わず答えた。


「それ以前とは、大きく変わった?」


 問いかけの形は自然だった。


 しかし、樹里はすぐに答えなかった。


「例えば、交友関係や生活環境などです。過去の自分と現在の自分に、違いを感じることはありますか」


『誰でも、仕事を始めれば生活は変わると思います』


 樹里が答える。


「日高さんも?」


『はい』


「現在のご自分を、入社以前から知っている方が見たら、驚かれると思いますか」


 前回と同じだった。


 仕事内容から、入社以前へ。


 質問が僅かにずれる。


『その質問は、今回の企画に必要でしょうか』


 樹里が静かに尋ねる。


 黒木は一拍置いて、表情を崩さずに答えた。


「変化を表現できれば、記事に深みが出ると思いました。ただ、答えにくい内容でしたら結構です」


「事前に共有した質問は、ここまでだったと思います」


 湯浅が間へ入る。


「黒木さん、追加の質問は先に広報へ確認してください」


「失礼しました。少し話を広げすぎました」


 黒木は素直に頭を下げ、録音機器を止めた。


「本日の取材は以上です。ご協力いただき、ありがとうございました」


『ありがとうございました』


『お疲れさまでした』


 黒木は最後まで礼儀を崩さなかった。


 撮影機材を片づけ、湯浅と短く確認を交わし、会社を出ていく。


 営業部へ戻る廊下で、陽菜が樹里の隣へ並んだ。


『やっぱり、最後だけ変じゃなかった?』


『少し踏み込まれましたね』


『入社前のこと、気にしすぎじゃない?』


『記事に変化を入れたいという説明自体は、不自然ではありません』


『でも、2回目だよ』


 樹里は足を止めずに考える。


『まだ、問い詰めるほどのことではない』


『分かってる。でも、覚えてはおこう』


『ああ』


 陽菜はそれ以上騒がなかった。


 冗談で流していい質問と、覚えておくべき違和感。


 陽菜なりに、きちんと分けていた。


 その夜。


 仕事を終えた2人は、Roseを訪れた。


 閉店後、3人だけになった店内で、陽菜が撮影の様子を身振り手振りまで交えて説明する。


『それで総長、カメラ向けられてるのに、いつもどおり怖い顔してるの』


『怖い顔はしていない』


『してたよ。カメラマンに笑ってくださいって言われてたじゃん』


『櫻井さんが余計なことを言うからだ』


『今は陽菜でいいでしょ』


『……お前が余計なことを言うからだ』


『ほら、美園さん。こういう顔』


 陽菜が樹里の表情を真似る。


 眉間へ力を入れ、口元を真っ直ぐにする。


 美園はグラスを拭きながら笑った。


『総長、そんな顔してたの?』


『していない』


『写真が届いたら見せてね』


『見なくていい』


『あたしは見せるよ。2人で写ってるんだから』


 陽菜は楽しそうに答えた。


 美園も、最初はいつもの出来事として聞いていた。


 会社で取材を受けた。


 写真を撮られた。


 陽菜が浮かれ、樹里がそれに付き合わされた。


 それだけの話に聞こえる。


 だが、陽菜が黒木の質問について話すと、美園の手が止まった。


『入社する前のことを、2回も聞かれたの?』


『うん。言い方は変えてたけど』


『総長は、どう思った?』


『少し不自然だとは思う。だが、記事の構成上、過去と現在の変化を聞くことはあり得る』


『名前は?』


『黒木という編集者だ』


 美園は、その名前に反応しなかった。


 聞き覚えはない。


『湯浅さんっていう広報の人も一緒にいた。最後は、その人が止めてくれたよ』


『なら、今のところは会社の仕事ってことか』


『そうだ』


 樹里が答える。


『ただ、同じことをもう一度聞かれたら、はっきり断る』


『うん。それでいいと思う』


 美園はグラスを置いた。


『何か変わったことがあったら、すぐに話して』


『もちろん』


『今度は、総長も一人で確認しに行かないでね』


『分かっている』


『本当に?』


『分かっていると言っているだろ』


 樹里の返事を聞き、美園は小さく笑った。


 美園はまだ、自分がこの取材へ関わることになるとは思っていなかった。


 狙われているのは、会社で働く樹里と陽菜。


 自分は、2人から話を聞く立場にいるだけだった。


 同じ頃。


 黒木は編集部の自席で、榊から届いたデータを開いていた。


 画面に表示されたのは、古い写真だった。


 夜の道路。


 数台のバイク。


 揃いの特攻服を着た少女たち。


 現在より幼さの残る顔立ちではあるが、見間違えることはない。


 集団の前に立つ日高樹里。


 そのすぐ近くにいる櫻井陽菜。


 背中には、赤と黒の薔薇。


 そして、Rose girlsの文字。


 黒木は写真を拡大する。


 画像は鮮明ではない。


 撮影された場所も、時期も分からない。


 これだけでは、記事には使えなかった。


 黒木はLINEを開く。


『写真は確認した。写っているのが本人だという裏付けは?』


 相手から、すぐに返事が届く。


『間違いない。昔、有名だったから調べれば出る』


『噂では記事にできない』


『だから、ほかの資料も持ってるって言ってるでしょ』


『確認できるものを送れ』


『残りの金が先』


 黒木は画面を見つめた。


 記事として成立しなければ、古い写真を買う意味はない。


 しかし、今日会った2人の反応は、偶然では片づけにくかった。


 入社以前の話へ触れるたびに、日高樹里は質問を止めた。


 櫻井陽菜も、それに合わせて態度を変えた。


 何もない人間の反応には見えなかった。


 黒木は、約束していた金額の半分を振り込んだ。


 間もなく、LINEへ短い返事が届く。


『確認した。残りは明日送る』


 黒木は次に、湯浅とのLINEを開いた。


『2人の入社時期と、社内に提出されている経歴を確認できますか』


 しばらくして、湯浅から返信が届く。


『入社時期は調べられます。経歴は人事情報なので難しいです』


『可能な範囲で構いません。追加でお支払いします』


 返信が止まる。


 黒木は急かさなかった。


 湯浅が必要としているのも、正しさではない。


 金額が、危険に見合うかどうか。


 それだけだった。


 数分後、返事が届く。


『少し時間をください』


 断りではなかった。


 黒木はスマートフォンを伏せ、画面に残された古い写真へ視線を戻す。


 金で買った過去。


 金で開けようとしている会社の内側。


 その先に、さらに金になる記事がある。


 黒木は、そう信じていた。


 写真の端に、もう一人の少女が写っていることには気づいていた。


 樹里と陽菜の後ろに立つ、長い髪の少女。


 だが黒木は、その顔を拡大しなかった。


 今の標的は、あくまで2人だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。