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138話「編集者」

取材企画は、翌日の午前中に正式な承認が下りた。


 広報部から届いた社内メールには、取材の目的、掲載予定日、撮影場所、公開前の原稿確認について記載されていた。


 会社としても、地域に関わる企業として知名度を高める機会になる。


 そう判断されたらしい。


 取材日は1週間後。


 その前に、編集担当者を交えた打ち合わせが行われることになった。


 午後3時。


 樹里と陽菜は、社内の小会議室へ入った。


 すでに湯浅が席についており、その隣には見慣れない男性が座っていた。


 年齢は30代半ば。


 紺色のジャケットに、白いシャツ。


 髪も短く整えられ、黒縁の眼鏡を掛けている。


 立ち上がる動作にも、名刺を取り出す手つきにも慣れがあった。


「初めまして。今回の企画を担当させていただく、黒木と申します」


 黒木が差し出した名刺には、出版社名と編集部の所在地が記されている。


 実在する出版社。


 企業や働く人を扱うウェブマガジンの編集者。


 肩書にも、連絡先にも、不自然なところはなかった。


『島川不動産営業部の日高です。本日はよろしくお願いいたします』


『同じく営業部の櫻井です。よろしくお願いします』


「こちらこそ、お忙しい中ありがとうございます」


 名刺交換を終えると、4人は向かい合って席についた。


「黒澤部長は、急な来客が入りまして」


 湯浅が説明する。


「打ち合わせは私が同席します。内容は後ほど、私からも共有しますので」


『承知しました』


「では、始めさせていただきます」


 黒木はタブレットを開き、企画の概要を説明し始めた。


「今回の特集では、街に関わる仕事に就く女性を取り上げます。不動産というと、一般の方には少し堅い印象もありますので、実際に働いている方の言葉や表情を通して、仕事の身近さを伝えたいと考えています」


 説明は淀みなく進んだ。


 記事の構成。


 写真の使用範囲。


 取材にかかる時間。


 公開前に、会社側と本人が記事を確認できること。


 広告や別媒体へ写真を転用する場合は、改めて許可を取ること。


 樹里が懸念していた点についても、黒木から先に説明があった。


「事前にお渡しした質問以外へ話を広げる場合もありますが、お答えになりたくない内容は、その場で断っていただいて構いません」


『記事は、いつまで公開される予定ですか』


「現時点では掲載期限を設けていません。ただし、退職や異動などで非公開を希望される場合は、会社を通してご連絡ください」


『写真の選定は、こちらでも確認できますか』


「もちろんです。複数枚の候補をお送りし、その中から掲載可能なものを選んでいただきます」


 樹里の質問にも、黒木はすぐに答えた。


 仕事に慣れている。


 少なくとも、樹里にはそう見えた。


『あたしからもいいですか』


「はい。何でしょう」


『写真って、修正してもらえます?』


 樹里と湯浅が、同時に陽菜を見る。


「修正というのは、明るさや色味でしょうか」


『それもですけど。肌とか、目の下とか』


『櫻井さん』


『だって、載るなら綺麗な方がいいじゃないですか』


「過度に印象を変える修正はできませんが、光や肌の色を整える程度であれば可能です」


『なら安心しました』


 陽菜が満足そうにうなずく。


 黒木はその様子を見て、僅かに笑った。


「櫻井さんは、写真がお好きなんですか」


『撮るのも撮られるのも嫌いじゃないです』


『仕事の取材だということは忘れないでください』


『分かってますよ、日高先輩』


 2人のやり取りを見て、黒木がタブレットへ何かを書き込んだ。


「お2人は、普段から親しいんですね」


『同じ営業部ですから』


 樹里が答える。


「先輩と後輩でありながら、遠慮のない関係に見えます。記事でも、その空気が伝わると面白いかもしれません」


『日高先輩が、あたしに細かいだけです』


『櫻井さんが、細かく言われるようなことをするからでしょう』


『ほら。こういうところです』


 陽菜が黒木へ訴える。


「確かに、普段からこのような感じなんですね」


『だいたいは』


『櫻井さん』


 黒木は笑いながら、再びメモを取った。


 取材の場を和ませるための会話。


 樹里にも、そう見えていた。


「入社してから、自然と今の関係になったんですか」


 樹里の目が、黒木へ向く。


 僅かな間だった。


 黒木は表情を変えず、質問を続ける。


「記事では、先輩後輩として信頼を築いたきっかけにも触れられればと思いまして。お2人は、入社以前からお知り合いだったのでしょうか」


 事前に示された質問にはなかった。


 樹里はすぐに答えなかった。


 陽菜も、先ほどまでの笑みを僅かに薄くする。


『今回の企画に、入社以前の交友関係は必要でしょうか』


 樹里が尋ねる。


「失礼しました。お2人の距離が近く見えましたので、記事にできるエピソードがあればと思っただけです」


『仕事上の関係についてでしたら、お答えできます』


「承知しました。個人的な部分へ踏み込みすぎました」


 黒木は素直に頭を下げた。


 言い訳を重ねることも、もう一度聞こうとすることもない。


「では、当日は現在のお仕事と、お互いの仕事ぶりについて伺います」


『お願いします』


 樹里は短く答えた。


 黒木はすぐに次の話題へ移った。


 仕事で記憶に残っている出来事。


 顧客と接するときに心掛けていること。


 これから挑戦したい業務。


 そこから先は、事前の企画書に記載された内容だけだった。


 打ち合わせは30分ほどで終わった。


「本日はありがとうございました。当日も、よろしくお願いいたします」


『こちらこそ、よろしくお願いいたします』


 黒木が退出し、湯浅も資料をまとめて立ち上がる。


「すみません。途中、少し個人的な質問がありましたね」


『それ以上聞かれたわけではありませんから』


「当日は私からも、質問の範囲を確認しておきます」


『お願いします』


『湯浅さん、撮影の日も来るんですか?』


「はい。広報担当として立ち会います」


『よかった。写真、変だったら止めてくださいね』


「分かりました」


 湯浅は笑顔で答え、会議室を出ていった。


 樹里と陽菜だけが残る。


『普通の人だったね』


 陽菜が先に口を開いた。


『そうですね』


『最後の質問は、ちょっと変だったけど』


『私たちが親しく見えたためでしょう』


『気になっただけかな』


『それ以上聞いてこなかったのであれば、問題はありません』


 樹里は黒木の名刺を見た。


 出版社名。


 編集部。


 連絡先。


 そのどれも、怪しいものではない。


『総長は、受ける?』


 2人きりになったことで、陽菜の呼び方が変わる。


『会社として決まった仕事だ。断る理由はない』


『じゃあ、あたしも受ける』


『撮影で浮かれすぎるなよ』


『まだそれ言う?』


 陽菜は笑い、樹里と一緒に会議室を出た。


 黒木は会社を出ると、近くの喫茶店へ入った。


 窓際の席へ座り、先ほど取ったメモを確認する。


 日高樹里。


 質問に対して慎重。


 余計なことは口にしない。


 櫻井陽菜。


 明るく、話しやすい。


 ただし、日高が警戒すると同時に態度が変わる。


 黒木は2人の名前を囲み、その下に短く書き加えた。


 ――入社前からの関係である可能性。


 それだけなら、珍しい話ではない。


 過去に同じ学校へ通っていた。


 地元が同じだった。


 共通の知人がいた。


 考えられる理由はいくつもある。


 だが黒木は、初対面の2人へ適当に質問したわけではなかった。


 ポケットからスマートフォンを取り出し、LINEを開く。


 相手の名前は登録されていない。


 表示されているのは、電話番号だけだった。


『本人たちと会った。取材は予定どおり進める』


 ほどなくして返事が届く。


『なら、先に金を振り込んで』


 黒木は眉を寄せた。


『資料を確認してからだ。使える保証がない』


『使える。見れば分かる』


『記事にできる内容なら払う』


『最初の話と違う』


『全額を先に払うとは言っていない』


 返信は、しばらく途切れた。


 黒木はコーヒーへ口をつけ、窓の外を見る。


 今回の記事が当たれば、編集部内での評価は上がる。


 ただの企業紹介では弱い。


 読者の目を引く背景が必要だった。


 真面目に働く女性社員。


 その2人に、表へ出していない過去がある。


 事実なら、十分に価値がある。


 再び、スマートフォンが震えた。


『半分。確認したら残り。それなら渡す』


 黒木は少し考えたあと、返信した。


『分かった』


 取材協力のために湯浅へ渡す金。


 まだ見ていない資料を持つ相手へ払う金。


 それ以上の金額を生む記事にすることができれば、黒木にとっては損ではない。


 LINEの相手が、何のために2人の過去を売ろうとしているのか。


 黒木は知らなかった。


 知る必要もないと思っていた。


 相手が欲しいのは金。


 自分が欲しいのは、金になる記事。


 それだけ分かっていれば、十分だった。

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