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125話「同じ道を走るために」

凛からツーリングへ誘われた日の昼休み。


 樹里と陽菜は、凛を連れて会社近くの喫茶店へ入った。


 約束をしただけで、目的地も集合時間も決まっていない。


 陽菜は席へ着くなり、テーブルの中央へ身を乗り出した。


『どこ行く? 海? 山? 遠くまで行く?』


「陽菜さん。全部決めてから誘ったわけではないんです」


『じゃあ、今決めようよ』


「日帰りですよ」


『朝早く出れば、かなり遠くまで行けるじゃん』


「私はまだ、長距離を走ったことがありません」


『疲れたら休めばいいよ』


『櫻井さんの基準で決めてはいけません』


 樹里が陽菜を制し、凛へ向き直る。


『遠藤さんが行きたい場所はありますか』


「景色のいいところへ行ってみたいです。ただ、峠道ばかりになる場所は、まだ少し不安で」


『それなら、道幅が広く、休憩場所の多い道を選びましょう』


『あたしは峠でもいいけど』


『あなたの希望は聞いていません』


『ひどくない?』


「今回は、日高先輩に賛成です」


『凛ちゃんまで』


 凛はスマートフォンで地図を開いた。


 候補にしていた道を2人へ見せる。


「湖の近くまで行って、昼食を取って戻るのはどうでしょうか。片道もそこまで長くありませんし、途中に休憩できる場所もあります」


『いいじゃん。そこで決まり』


『まだ道路状況を確認していません』


『日高先輩、仕事みたいになってる』


『安全に関わることです』


「私も事前に走る道を確認しておきたいです」


『2人とも真面目だね』


『あなたが気楽すぎるんです』


 陽菜は笑いながら、凛のスマートフォンを覗き込んだ。


『せっかくだし、他のみんなも誘わない?』


「他の皆さんですか?」


『美園さん、彩花さん、零、柚希ちゃん』


 凛が顔を上げる。


「7人になりますね」


『多い方が楽しいじゃん』


『遠藤さんが構わないなら、私は反対しません』


「私は大丈夫です。最初から、皆さんにも声をかけようか迷っていました」


『じゃあ決まり』


 陽菜はすぐに、自分のスマートフォンを取り出した。


『LINEのグループを作るね』


『まだ参加すると決まっていません』


『誘う前から、参加しないって決める必要もないでしょ』


 陽菜は手早く新しいグループを作り、樹里、凛、美園、彩花、零、柚希を招待した。


 グループ名は、考える様子もなく決められた。


 ――女だらけのツーリング会。


 樹里が画面を見る。


『名前を変えてください』


『分かりやすいじゃん』


「陽菜さんらしいと思います」


『凛ちゃんは分かってる』


『遠藤さん、無理に合わせなくていいんですよ』


「無理はしていません」


 最初に反応したのは、柚希だった。


 ――ツーリングって、バイクで行くやつですか?


 陽菜が返信する。


 ――バイクを使わないツーリングがあるの?


 ――私、免許もバイクも持ってないです!


 続いて、零からメッセージが届いた。


 ――自分が乗せます。柚希さんが嫌でなければ。


 しばらく返信が途切れた。


 やがて柚希から、恐る恐る尋ねるような文が届く。


 ――安全運転?


 ――もちろんっす。


 ――絶対?


 ――絶対っす。


 ――怖いって言ったら、ゆっくり走ってくれる?


 ――すぐ速度を落とします。


 柚希から、考え込む人のスタンプが送られてくる。


 その数秒後。


 ――じゃあ、行ってみたい。


 零はすぐに、嬉しそうに敬礼するスタンプを返した。


『柚希ちゃんは、零の後ろで決まり』


「早いですね」


『零なら大丈夫だよ』


 次に、美園が反応した。


 ――私も参加できるよ。バイクも問題なく動く。


 陽菜がすぐに返信する。


 ――美園さん、まだ乗ってたんだ。


 ――たまにね。最近は長い距離を走ってないけど。


 ――じゃあ、美園さんも決まり。


 美園から、了承するスタンプが送られてくる。


 彩花からの返信は、そのあとだった。


 ――なぜ私まで入ってるの。


 ――行きたくないの?


 陽菜が尋ねると、返事まで少し間が空いた。


 ――別に、行きたくないとは言ってない。


『彩花さん、本当に分かりやすい』


『本人の前で言わないでくださいね』


『言わないよ。怒られるし』


 彩花から、さらにメッセージが届く。


 ――それで、私はどうすればいいの。


 美園が答えた。


 ――私の後ろでよければ乗る?


 ――中村さんの後ろ?


 ――嫌なら無理しなくていいよ。


 再び、少しだけ間が空く。


 ――嫌とは言ってない。運転は信用していいのよね。


 ――久しぶりに遠くまで走るけど、彩花さんを落とすような運転はしないよ。


 ――なら、お願いする。


 ――任せて。


 陽菜は、やり取りを読みながら満足そうにうなずいた。


『美園さんの後ろに彩花さん。これで2人とも決まり』


「森下さん、少し緊張していそうですね」


『美園さんの運転なら平気だよ』


『なぜ、あなたが得意げなんですか』


『あたしは美園さんの後ろに乗ったことあるから』


「そうなんですか?」


『昔ね』


 凛は一瞬だけ、陽菜の言う昔がいつなのかを考えた。


 けれど、その先は尋ねなかった。


「それでは、今のところ運転するのは、日高先輩、美園さん、零ちゃん、私の4人ですね」


『参加者は7人です』


「私は免許を取ってから、まだ1年経っていません。法的に2人乗りはできませんし、バイクも小さいので、1人で走ります」


『遠藤さんを隊列の中央へ入れましょう』


「お願いします」


 凛が答えたあと、陽菜を見る。


「陽菜さんは、どなたの後ろに乗るんですか?」


 陽菜の表情から、わずかに笑みが消えた。


『あたしのバイクは出せないから』


「故障しているんですか?」


『ううん。走ろうと思えば走れるよ』


「では、どうして?」


 陽菜は、すぐには答えなかった。


 樹里は何も言わず、その横顔を見ている。


『まだ、あの頃のままなんだ』


 凛の目が、わずかに動く。


『色も、形も。知ってる人が見れば、すぐ分かると思う』


 陽菜は軽く笑ってみせた。


『今のあたしが街で乗り回すには、ちょっと目立ちすぎるんだよね』


「そうなんですね」


 凛は、それ以上詳しいことを尋ねなかった。


 陽菜のバイクだけは、4年前から時間が止まっている。


 会社員になり、中井と出会い、今の生活を手に入れても、バイクだけはRose girlsの副総長だった頃の姿を残していた。


 処分することも、乗り換えることもできずにいる。


 変えることにも、まだ決心がつかない。


『なら、私の後ろに乗ってください』


 樹里が静かに言った。


 陽菜が顔を向ける。


『いいの?』


『誘われたのは、あなたもでしょう』


『そうだけど』


『私のバイクなら、2人で乗れます』


 陽菜は、少しだけ遠いものを見るような目をした。


『日高先輩の後ろ、久しぶりだね』


『嫌なら、別の方法を考えます』


『嫌なわけないじゃん』


 陽菜の顔に、いつもの笑みが戻る。


『ちゃんと掴まってるから』


『走行中にふざけないでください』


『何もしないよ』


『その返事は信用できません』


「私も、少し心配です」


『凛ちゃんまで疑うの?』


「陽菜さんなので」


『みんな、あたしの扱いが雑じゃない?』


 言葉とは裏腹に、陽菜は楽しそうだった。


 行き先と参加者が決まり、次は当日の走り方を相談する。


 経験の浅い凛を隊列の中央へ入れ、前後を経験者が走る。


 無理な追い越しはしない。


 信号などで隊列が分かれても、先行組は安全な場所で待つ。


 予定より時間がかかっても、凛を急かさない。


『休憩は多めに取りましょう』


「お願いします」


『凛ちゃんなら大丈夫だよ。危ないと思ったら、後ろから叫ぶから』


「走行中には聞こえません」


『じゃあ、近づいて教える』


『危険なのでやめてください』


『冗談だよ』


「本当に、安全第一でお願いします」


『分かってるって』


 樹里と凛は、ほとんど同時に陽菜を見る。


『何、その目』


『信用していいのか考えています』


「私もです」


『ちゃんと大人しくするよ』


 陽菜は不満そうに頬を膨らませた。


 その後も、休憩地点や昼食を取る店について話し合った。


 集合場所は、全員が分かりやすく、出発前に給油や空気圧の確認もできる場所に決まった。


 当日は朝が早い。


 前夜に無理をしないこと。


 体調が悪ければ、当日でも遠慮なく辞退すること。


 遅刻した場合は、焦って追いかけずに連絡を入れること。


 樹里が決めていく注意事項を、凛は真剣にスマートフォンへ記録していた。


『日高先輩、完全に引率の先生だね』


『必要なことです』


「私は助かります」


『凛ちゃんは本当に真面目だね』


「陽菜さんにも送っておきます」


『読まなくても覚えてるよ』


『では、今決めたことを言ってください』


『朝早く集まる』


『それだけですか』


『安全に走る』


「他にもあります」


『大体分かってれば大丈夫だよ』


『不安しかありません』


 昼休みが終わる頃には、おおよその予定が決まっていた。


 陽菜がLINEへ、集合時刻と場所を送る。


 美園、彩花、零、柚希から、順番に了承の返事が届いた。


 凛は画面に並んだ7人の名前を見つめる。


「楽しみです」


『あたしも』


『まずは、当日まで体調を崩さないでください』


『日高先輩は本当に仕事みたいにするね』


『安全に帰るまでが目的です』


「私も、そう思います」


 凛の言葉に、樹里は静かにうなずいた。


 昼休みを終え、3人は会社へ戻った。


 それぞれの席へ向かおうとしたところで、青柳が凛へ声をかける。


「遠藤さん」


「はい」


「今度の休み、ツーリングに行くんですか?」


「どうして知っているんですか?」


「さっき、櫻井さんの声が廊下まで聞こえていました」


 凛が陽菜を見る。


『あたし、そんなに大きい声だった?』


『大きかったです』


「楽しそうでしたね」


 青柳が笑う。


 凛は少し照れくさそうに、スマートフォンを胸元へ抱えた。


「私から、皆さんを誘ったんです」


「遠藤さんから?」


「はい。免許を取ってから、まだ一度も大人数で走ったことがないので」


「いいですね」


 青柳は素直に笑った。


「気をつけて、楽しんできてください」


「はい」


「帰ってきたら、話を聞かせてもらえますか?」


 凛の表情が、少しだけ明るくなる。


「写真も撮ってきます」


「楽しみにしています」


『青柳さんも来ればいいのに』


 陽菜が口を挟む。


「僕はバイクの免許を持っていません」


『誰かの後ろ』


「今回は女性だけなんですよね?」


 青柳に確認され、凛がうなずく。


「はい。今回は7人で行きます」


「では、僕は帰ってきたあとの話を聞く側で」


『残念』


 陽菜はそう言ったが、凛はどこか安心したようだった。


 女性だけで出かける約束を崩したくない気持ちと、青柳にも来てほしい気持ち。


 その両方が、まだ凛の中で整理されていない。


「本当に、気をつけてくださいね」


「はい。必ず無事に帰ってきます」


「約束です」


「約束します」


 何気ない会話だった。


 次の休みに出かけ、帰ってきたら、その思い出を話す。


 凛は、それが当然できるものだと思っていた。


 青柳も、変わらず同じ場所で話を聞いてくれるのだと。


 その日の午後、青柳の元へ1本の内線が入った。


「はい、青柳です」


 電話の相手の言葉を聞き、青柳の表情がわずかに変わる。


「……人事部からですか?」


 凛は自分の席で仕事を続けていた。


 その声は、耳に入らなかった。


 青柳もまた、詳しい話を聞かされてはいない。


 ただ、翌日の業務終了後、人事部へ来るように告げられただけだった。


 電話を切った青柳は、少し離れた席にいる凛を見た。


 凛はツーリングの予定を楽しみにしながら、目の前の書類へ向き合っている。


 青柳は声をかけなかった。


 まだ何も決まっていない。


 そう自分へ言い聞かせるように、静かに仕事へ戻った。


 凛がその内線の意味を知るのは、ツーリングから帰ったあとになる。

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